配信やサブスクに押されて「レコード芸術」誌も休刊となり、「あなたが初めて買ったCDは何ですか?」なんていう質問も「かう?かうって何?」と「夕鶴」のつうみたいに返されてしまう日も遠くないのではないかと思われる今日この頃ですが、私が初めて買ったCDは谷山浩子のコンピレーションアルバムでした。1980年代の中頃ですかね。そのアルバムに入っている「たんぽぽ食べて」(1983)は、次のような語りで始まります。
この街には昔から 悪い噂があった
誰も口にしたがらない 悪い噂があった
やがて時が流れて 人々は噂を忘れた
やがて時が流れて 噂は誰も知らない噂になった
(以下略)
実はこれ、ベートーヴェンの交響曲第4番の第1楽章にある、ある音符のことなのですよ…
この曲には昔から 悪い音符があった
誰も音にしたがらない 悪い音符があった
やがて時が流れて 人々は音符を忘れた
やがて時が流れて 音符は誰も弾かない音符になった
その音符とは、第1楽章が長い序奏を経て Allegro vivace の主部に入り、第1主題の提示も第2主題の提示も終えて、そろそろ提示部が閉じられようとする第183小節の頭、チェロとコントラバスに書かれている低いF音(ファ)の四分音符です。この音符は初版以来ほぼ全ての出版譜に印刷されてきたし、またベートーヴェン自身の自筆譜を含む全ての一次資料にも明白に記されているにも関わらず、古(いにしえ)の巨匠から現在の新進気鋭の若手までひっくるめて、この音符を音にし録音に残した指揮者は、私の知る限りあの革命児ニコラウス・アーノンクールただ一人(私が聞いていないだけで実際には他にもいるかも知れませんが、とにかくごく少数)です。
ちゃんとベートーヴェン自身が書いたことがはっきりしているのに、これほど身元の確かな音符なのに、なぜ誰も音にしないのか?この音符を弾くと何か祟りが?「天空の城ラピュタ」の「バルス!」的なことが?ああっ、ホールが倒壊するぅ〜!?
〈譜例は第1楽章の第180小節以降。問題の音符は最下段のチェロ / コントラバスのパートに書かれている、赤で囲った四分音符。もちろんパート譜にもはっきり印刷されています。〉