雪隠読書録:『学術書を読む』(鈴木哲也 2000 京都大学学術出版会)

「名は体を表す」という言葉がありますが、本書に限ってはこの言葉があてはまらない、と言うか、『学術書を読む』というタイトルだけでは、本書が学術書を読む際の注意事項を並べたハウツー本なのか、マンガや小説よりも学術書の方が面白いから読んでごらんという勧めなのか、学術書ベスト◯◯冊のサマリーなのか等々、一体どういう内容の本なのか、正直見当がつきません。
一言で言うと、本書は自分の専門の学術書を読もうとする時の選書(本の選び方)について述べたものです。著者は京都大学学術出版会の専務理事・編集長で、「私が学生時代を送ったのは1970年代の終わりから80年代にかけて」(p. 6)ということですから、1979年入学・1983年卒業の私とちょうど同年代ですね。著者が本書を書くきっかけとなったのは、自分の専門分野の関連・隣接分野の本を読もうとしても「はじめに読むべき専門外の書籍」(p. 6)の探し方がわからないという内容の大学院生からのメールだったそうです。私と同年代の著者は、このメールに対して最初は「「何を言っているのだろう」という程度の反応をしてしまいました。(中略)私に限らず、当時の学生にとっては、専門外の本を選ぶのはさほど難しいことではなかったからです」(pp. 6-7)と書いています。さらにその後新聞に出ていた「他の学部や学科の講義を受けようにも、その仕組がない」「学びたいことが学べない」(p. 10)という内容の女子大生からのメールにも背中を押されたということです。「専門外の学び」が、著者(私も)が学生だった40年前に比べて現在では随分と難しくなっている、という事実には私も驚きました。
著者によるとその原因はいくつかあり、

  • 以前は大学で「専門教育」とは区別された形で「一般教育(または教養教育)」を学ぶことが義務づけられていたが、その後専門教育と一般教育の区別が廃止されていわゆる「専門志向」が強まり、専門外の学問分野への学びが重視されなくなったこと。
  • 新刊書の出版数の量的な増加(2013年には1970年代の年間出版数の約4倍の8万数千点が出版された)から来る選書の難しさ。
  • インターネット以前はわからないことは図書館で本や学術雑誌を探し、ページをめくって調べなければならず、実はその過程で知らず知らずのうちに目的以外の事柄、専門外の事柄にもアクセスしていた。しかし現在ではインターネットでのピンポイントの検索で終わってしまい、本との思いがけない出逢いという身体経験がずいぶん違っている。
  • かつては本にも重きが置かれていた「同じ分野の専門家」の間での研究発表メディアの主流が学術雑誌に移り、また学部教育においても電子メディアの活用により必ずしも本の教材が必要でなくなっているなど、本が学びの世界で占める位置が大きく変わっている。

等が挙げられています。もっとも最後の点に関して著者は「私はこのことは、学術書にとってポジティブな変化だと思っていて、本は、狭い専門家間でのコミュニケーションではなく、専門を越えたコミュニケーションのメディアとしての重要な役割を担うようになったと主張しています」(p. 9)とのこと。
こうした問題意識から書かれた本書の対象としては、まずは大学生・大学院生、さらには「できれば高校生にも学術的な著作に親しんでほしい」(p. 12)と挙げられていますが、私のような市井の凡夫が読んでも大変面白かったし、著者も最終的には「本書を通じて、多くの学生、研究者、市民の方々が、「知識基盤社会」としての21世紀に生きるための技法について考えていただければ幸いです。」(p. 13)と書かれているので、要するに誰が読んでもOKよ、ということですね。

続きを読む >>
| 本のこと | 19:56 | comments(0) | - | pookmark |
最近読んだ本:『女学校と女学生 教養・たしなみ・モダン文化』(稲垣恭子 2007 中公新書1884)

省みれば私と「女学生」との初めての出会いは、大学のオーケストラの打ち上げで先輩が披露した歌でした。

 

 向こう通るは女学生
 3人並んだその中で
 ひときわ目立つは真ん中の

 

 色はホワイト目はパチリ
 口元きりりと引き締まり
 あふれるばかりの愛らしさ

 

 マイネフラウにするのなら
 これから一生懸命勉強して
 ロンドン、パリを股にかけ

 

 フィラデルフィアの大学を
 優等で卒業した時にゃ
 あの娘(こ)はとっくに他人(ひと)の妻

 

 残念だ 残念だ 残念だ
 また探そ

 

以上は1番で、先輩は2番も披露してくれたのですが、そちらの歌詞は1番よりも差し障りがあるので載せません。マイネフラウ(meine Frau:私の妻)というドイツ語が古風で、若き日の私はさすがに東京高師以来の流れをくむ大学だと感動したのですが、実は大学のオーケストラに関しては東京教育大からの楽譜も楽器も引き継がれたものがほとんどなく、少なくともその時点で東京高師からの流れは、あったとしても一度断絶していると見られるので、そんな中この歌だけが脈々と引き継がれてきたのかどうかはいささか怪しい、と今の私は思っています。その先輩が自主的にどこからか引き継いできたのではないだろうか。

 

私がその次に出会ったのは、ワルトトイフェルのワルツ「女学生」です。しかしこのワルツの題名「女学生」は、オリジナルタイトルの Estudiantina を辞書も引かずに生半可で断片的な知識で誤訳・捏造したもので、曲自体は女学生とは全く関係ないものであることは以前このブログに書きました。しかし当時のへっぽこ文化人にそのような誤訳をさせるほどに、「女学生」という存在は圧倒的だったということなのでしょうね。

 

というわけで、本書です。土浦にある行きつけの古書店で購入。新刊と見紛うほどの美本です。

著者の稲垣氏は1956年広島県生まれで京都大学教育学部教育社会学科卒業、同大学院教育学研究科博士課程退学。滋賀大学助教授、京都大学助教授を経て、本書出版当時は京都大学大学院教育学研究科教授、放送大学客員教授。「あとがき」によると、

 

私にとって、最も身近な「女学生」は母である。吉屋信子と夏目漱石を愛読し、手紙やスピーチに独特の感情表現を込め、ミッション・スクールと修道院に憧れ、女学校時代の友人とファーストネームで呼び合う「万年女学生」の母に対して、面白さと同時に身内ならではの気恥ずかしさも感じてきたものである。戦中・戦後にかかる時期に女学校時代を過ごしたことがかえって「女学生らしさ」への思いを強めてきた面もあるのだろう。女学校を卒業しても維持されてきたこうした「女学生っぽさ」やそれを支える「女学生文化」がどのようなものだったのかという関心と同時に、それに対する私自身のややアンビヴァレントな思いが、本書をまとめるきっかけになったかもしれない。(p. 226)

 

ということなので、本書を書くのにこの方以上に適任の方はあるまい、と思われます。
一方でそれを読んだ私はというと、上述のエピソードのような出会いをし、さらに2018年3月から6月にかけて東京都文京区の弥生美術館で開かれた「セーラー服と女学生 〜イラストと服飾資料で解き明かす、その秘密〜」展に行き、同名書籍(展覧会のカタログとしても読めるという)も読んで、いったい戦前・戦中の女学校・女学生とはどういう人たちだったのかという興味はずっと抱いていたわけで、本書と私との出会いは、まあ歴史の必然であったわけです(何を大げさな!)。なお戦後の女子高等教育については、もう14年前のことになりますがちょっとだけ調べたことがあります

続きを読む >>
| 本のこと | 22:33 | comments(0) | - | pookmark |
『江戸・東京水道史』(堀越正雄 1981 鹿島出版会 / 2020 講談社学術文庫)


新刊書(古本屋じゃない普通の本屋で買った本という意味)を読んだのは数ヶ月ぶりです。私は多摩の歴史や地理に興味があるので、玉川上水のことがたくさん出ているといいなと思って買ったのですが、玉川上水の成立について触れているのは23ページから26ページの約3ページ半だけでした。


本書の構成を知るために目次を掲げます。なお年次や年数、数量等は本書では漢数字ですが、章立ての一、二・・・と区別するため半角アラビア数字に変更しました。また章立てのローマ数字は機種依存文字のため、ここでは半角アルファベットの組み合わせで表示しています。

 

I 江戸の暮らしの中の水
一 江戸の発展と水道の建設
徳川氏入国ごろの江戸
下町の水道、山の手の水道
明暦大火後の都市計画と水道拡張
享保年間の水道再編成
二 完成された江戸水道の給水システム
江戸水道の構造と給水方法
水量管理・水質管理
江戸の市民生活と水道利用

 

II江戸から東京へ
一 文明開化と水道改良の機運
江戸(東京)市内の急変
玉川上水の通船問題
明治初年の市内給水状態
二 近代水道創設前夜
上水の水質調査と衛生取り締まり開始
改良水道の調査と計画
急を告げる飲み水の危機
コレラ大量発生による水道改良の促進
改良水道設計案の決定―市区改正と水道事業
三 永くかかった水道改良工事
浄水工場・給水工場の位置変更
改良水道着工以前のつまずき
前代未聞の式典
四 文明開化の水
創設水道の通水開始
水の出る不思議な柱
改良水道(欧米式有圧上水道)の給水システム

 

III 変わりゆく都市生活と水道
一 いちじるしく手間どった水道拡張

  ―大正2年より昭和12年に至る24ヵ年継続事業
村山貯水池計画に始まる拡張工事
村山貯水池の構造
都市の急速な発展と旺盛な水需要
二 震災被害と復旧および拡張工事の推移
大正10年の強震による全市断水
大正12年関東大震災による水道施設の被害と復旧
施設の改善と水道復興速成工事
山口貯水池の築造
三 市域拡張と町村水道・民営水道の合併・買収
市域拡張前後の郊外水道
町村水道・民営水道の合併・買収
10万栓の水道増加計画

 

IV 戦争と水道
一 戦時下の水道
需要水量増加に対する拡張計画
戦時生活と水道
水道の防衛対策
戦災による被害
二 終戦直後の水道
戦災被害復旧と給水不良対策
進駐軍の指令による塩素滅菌の強化
渇水対策と水害復旧
戦後の水道復興計画と拡張事業の再開

 

V 戦後の都市生活と水道
一 都市の復興と給水需要の増大
二 水道拡張工事の進行
三 累年の水不足と制限給水
四 変貌する東京の水道地図
  ―多摩川系中心から利根川径が主流に
五 江東地区の地盤沈下対策と市街地再開発
  ―下水処理水再利用による工業用水道の建設など
六 新宿副都心計画による淀橋浄水場の移転
七 広域水道(三多摩水道の一元化)
八 水需要の抑制と新しい水源を求めて
  ―迫られる発想の転換、節水型社会の創造へ

 

あとがき
参考文献

続きを読む >>
| 本のこと | 18:10 | comments(0) | - | pookmark |
雪隠読書録『五日市憲法』(新井勝紘 2018 岩波新書新赤版1716)

 世の中がまだ昭和であった頃、大学を卒業後東京の会社に就職して数年経ち暮らしにも若干余裕が出てきた私には、多摩の御岳山(みたけさん)が気に入って、違ったルートで何回も登ったり降りたりしていた時期がありました。そんなある日、御岳山から南の方へ、馬頭刈(まずかり)尾根をたどって五日市(いつかいち)に降りたことがありましたが、そのときはどこでどう間違ったものかルートを外れてしまい、目の下に見える林道めがけて小さな崖をへずり下り、夕方になってようやく五日市の街に入ったものの、街の外れにある国鉄(現・JR東日本)の駅までがひどく遠く感じられたことを思い出します。
 本書を読むことになった直接のきっかけは、先日送られてきた母校の高校の同窓会紙に、母校の大先輩にあたる著者が近著である本書をご紹介されていたからですが、あの時の体験から「ほう、五日市がねえ」と書名に反応したせいもあります。

続きを読む >>
| 本のこと | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
論語のフレージング 〜學則不固〜

 最近思うところあって「論語」の通読に挑戦し始めました。高校生の頃に買った岩波文庫の『論語』(金谷治・訳注 1963:以下「金谷本」という)をテキストにして、大学生の時に買った影コウ(王へんに黄)川呉氏仿宋刊本(返点付)『論語集注』(朱熹・著 昭和34 書籍文物流通會:以下、その内容を指す場合は「集注」、特に本書を指す場合は『論語集注』という)を参照しつつ読んでいます*。
 金谷本は巻頭の「凡例」に「解釈では、魏(ぎ)の何晏(かあん)の「集解」(古注)、宋の朱熹(しゅき)の「集注」(新注)のほか、主として清の劉宝楠(りゅうほうなん)の「正義」、潘維城の「古注集箋」、王歩青の「匯参」(かいさん)、わが伊藤仁斎の「古義」、荻生徂徠の「徴」を参考し、つとめて穏妥を旨とした。重要な異説は注として伝えた。」(カッコで包んだひらがなは原文にあるルビ)とあるとおり、古今の主要な説を通観斟酌して穏便妥当な解釈を立てたもので、そのプロセスで既に「集注」も参照されているのですが、一つには漢文読解力の維持と、さらには江戸幕府公認の、したがって江戸時代を通じてのスタンダードとして大きな影響力を持った朱子学の解釈を見たいがために、返点付とはいえ漢文の『論語集注』を敢えて対照することにしました。

 

 上述のとおりテキストにした金谷本は、朱熹の「集注」の説を参考にしながらも必ずしもそれに従っているとは限らず、解釈が「集注」のそれと時々食い違うことがあります。まだ読み始めたばかりですが、早くも面白い食い違いに出会いました。それは学而第一の第八章についてのものです。

続きを読む >>
| 本のこと | 07:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本(短評):『精読 アレント『全体主義の起源』』(牧野雅彦 2015 講談社新書メチエ 604)

 『全体主義の起源 The Origin of Totalitarianism』(1951/1955/1958;以下「原著」という)はハンナ・アーレントの主著の一つであり、私としてもぜひ読んでおきたいものではあるが、邦訳本はハードカバーで三分冊という大部なものであり、安価な原著の Kndle 版にかじりついてはみたものの私の英語力では到底歯が立たず、取り組みかねていた。その点で原著の構成や内容を概ね知ることのできる本書の出版は大変ありがたかった。

 

 本書は原著の構成に従って、全体主義の要素となった「反ユダヤ主義」と「帝国主義」を順次検討し、それらが全体主義に結果したというクロノロジカルな構成をとっている。これはアーレントの問題意識が「(全体主義の)諸要素が急に結晶した出来事」(本書「注」p.10)にあったからで、つまりアーレントは諸要素が出そろえば必然的・自動的に全体主義になるわけではなく、何かの出来事をきっかけにしてそれら諸要素が一斉に結晶して全体主義になる、と考えていたようである。私は今回の読みではこの結晶過程をとらえ損なっている。要再読。

 

 原著で扱われている「全体主義」はヒトラーのナチス・ドイツとスターリンのソヴィエト・ロシアである。ところで本書で「そもそも日本では―シベリアに抑留された兵士など一部の人々を例外とすれば―「全体主義」と正面から向き合ったことがなかった」(p.267)と指摘されているとおり、私自身にも全体主義に対するイメージがほとんどなかった。しかしアーレント自身やアーレントが読者として想定していたであろう1950年代の欧米人にとってヒトラーやスターリンの全体主義は決して他人事ではなく、自分たちが身をもって対決した、あるいは今対決している現実であったわけで、原著を読もうとする私を含む日本の読者はこの点でハンデを負っていると言えよう。
 このハンデを軽減する手段として、カール・ヤスパースが原著ドイツ語版(1955)の序言で推奨したという、第一部「反ユダヤ主義」と第二部「帝国主義」をとばして全体主義を扱った第三部「全体主義」を先に読むという読み方も「あり」かと思われる。今回の読みでも、最も興味深く圧倒的な印象を与えられたのは原著の第三部「全体主義」及び初版の結語を扱った第四章「全体主義の成立」と第五章「イデオロギーとテロル」であった。

 

 今回の読みは原著及び本書の内容を的確にとらえきれず、いささか皮相なものにとどまったため、いずれにしても要再読なのだが、それでも本書で示された全体主義の諸相やその分析からは、我々の現実生活の中にある様々な問題を考える上での示唆を得られたように思う。それは現実の問題を打ち当てて火花を出す火打ち石のようなものか。その火花を何に移しどんな炎に育てるのかは我々自身の問題となる。

| 本のこと | 09:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『新編 日本思想史研究 村岡典嗣論文選』(村岡典嗣著 前田勉編 2004 平凡社 東洋文庫726)
 最初に、本文中では敬称を省略したことをお断りしておきます。

 本書を読むまでは、私にとって村岡典嗣(むらおか・つねつぐ)という人は岩波文庫の本居宣長(もとおり・のりなが)の著書の校訂者に過ぎませんでしたが、本書巻末の前田勉氏による解説によると、村岡は「日本思想史学の生みの親」(p.414)であり、そういえば最近読んだばかりの家永三郎『日本道徳思想史』(1954/1977 岩波全書)巻末の「参考文献補遺」にも名前がありました。曰く
 
通史ではないけれど、村岡典嗣「日本思想史研究」四冊にも、参照すべき論文が多く含まれている。特に方法論に関する論文は、津田前引書(注:津田左右吉『文学に現はれたる我が国民思想の研究』四冊をさす)の序文と共に、道徳思想史の方法論を考えるに当って教えられるところが多い。何といっても、津田・村岡両者は日本思想史学を独立の学問的体系として樹立した草創者であり、たといその学問の内容や思想的立脚点にまったく同意し得ないとしても、日本思想史を研究しようとする学徒は、まずこの両先学の業績から出発するのが順路であると思う。(家永『日本道徳思想史』 p.240)

このように、津田左右吉と並んで村岡典嗣の業績を讃えています。。
 ところが、おもしろいことに前田勉による本書解説には、逆に家永三郎に言及した部分があるのです。曰く
 
この点、家永三郎が、村岡は「概して研究の対象に温い同情を注ぎつつその精神の理解につとめ、短所の暴露よりも特色の発見に重きをおいた」と、「限界の指摘に重きをおいて仮借なき批判を急とした」津田左右吉と対比しつつ、指摘していることが参考になる(「日本思想史学の過去と将来」、『家永三郎集』第一巻)。(p.425)

とのこと。前田はこの点に関連して
 
思想家を分析する立場には、弁護士型と検察官型の二つのタイプがあるが(内田義彦「方法としての思想史」、『内田義彦著作集』六巻)、自己の人生観・世界観からする超越的批評をしばしば行っている津田左右吉は明らかに検察官型であったのにたいして、村岡は、「本人が口ごもっている言い分を何とか聞きただしてみよう、本人の自覚にあるものよりもいま少し明確にその言い分を聞いてみよう」(同右)とする弁護士型に属していたといえよう。(p.426)

とも述べています。同じジャンルに属する本同士ですから当たり前かも知れませんが、村岡典嗣と津田左右吉を仲立ちにして本書とその前に読んだ本とがけっこうピンポイントで響き合うというのは、ちょっとおもしろい経験でした。

<東洋文庫の常として、表紙・背・裏表紙は落ち着いたグリーンのクロス装で大変手触りがよい。表紙には書名をはじめ字は何もありませんが、背に金で書名・著者名等が押されているので、本棚から取り出すには困りません。>
 
続きを読む >>
| 本のこと | 15:49 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『日本道徳思想史』(家永三郎 1954(初版)1977(改版) 岩波全書194)
 このところ、海外から大量に日本に押しかける観光客の、日本人の目には傍若無人で非礼に映る行動に関する報道を目にする機会が増えました。これらの人々だって、わざわざ日本人に迷惑をかけ自国の面目を貶(おとし)めようとしてこうした振舞をするわけではないのでしょうが、どうも彼我の公衆道徳には大きな違いがあるようです。そこでまずは我ら日本人の道徳律のよって来るところを考えてみようと、本書を繙(ひもと)きました。例によってまずは目次を掲げます。

改版にあたって
はしがき
序 章 日本道徳思想史とは何か
第一章 原始社会人の道徳思想
第二章 氏姓階級の道徳思想
宗教思想
政治思想
階級意識
家族道徳思想
人生観
第三章 貴族の道徳思想(上)
政治思想
階級意識
家族道徳思想
宗教思想
第四章 貴族の道徳思想(下)
階級意識および政治思想
生活目標
家族道徳思想
宗教意識
第五章 僧侶の道徳思想
出家意識
出家精神の喪失
第六章 武士の道徳思想(上)
主従道徳
家族道徳思想
政治思想
階級意識
宗教思想
第七章 武士の道徳思想(下)
封建意識
家族道徳思想
政治思想
経済思想
武士道
宗教思想
封建道徳の伝統
第八章 町人の道徳思想
階級的自覚
家族道徳思想
経済思想
宗教思想
享楽主義
封建思想
町人精神の伝統
第九章 農民の道徳思想
政治思想および社会意識
人生観
家族道徳思想
参考文献補遺
時代一覧
年表
書名索引
人名索引

 本書は基本的には時代区分に従って原始時代(先史時代)から江戸時代とその直後の明治時代あたりまでを扱いながら、僧侶と農民に関しては時代で区分せず通史的に扱っています。町人(商人と職人を含むが、主に商人)についても時代区分でなく独立した章を立てていますが、これは主に江戸時代の道徳思想を武家のそれと町人のそれに分けた、その町人の分で、従って江戸時代の町人を扱っています。巻末の「時代一覧」が時代区分と本書の構成を一覧できる表になっていますので、これを下に掲げます。
続きを読む >>
| 本のこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『山の思想史』(三田博雄・著 1973 岩波新書(青版)860 F104)
 書名からは、山に関する思想、つまり山というものがどのように考えられてきたかに関する通史かと思われそうですが、次に掲げる目次を見るとわかるとおり、本書は「I なぜ山へ登る」に続いて山に関係の深い人々9人を取り上げ、その各人の山に対する向き合い方とその遍歴を追ったものです。

I     なぜ山へ登る
II  北村透谷
III   志賀重昂
IV   木暮理汰郎
V    武田久吉
VI   田部重治
VII  大島亮吉
VIII 加藤文太郎
IX   高村光太郎
X    今西錦司
あとがき

  II 以下は各章で取り上げられている人の名前がそのまま出ていて内容が容易に想像されますが、I だけは人名ではなく「なぜ山へ登る」という総論めいたタイトルがつけられています。この章は『若きウェルテルの悩み』や多くの文学作品を書く一方で官僚として鉱山経営の事務等を取り仕切り、また自然科学の研究にも取り組んだゲーテを取り上げながら、本書の全体を通底する「科学技術と人の心とのそれぞれに宿るデーモンの克服」という基調を設定した章なのです。つまり II 以下の各章が本書の本論に当たりますが、「I なぜ山へ登る」の章は II 以下で扱う人々の人選やその取り上げ方といった本書の基調を定めた章でもあり、また論の進め方が私にはやや難解でもあったので、自分自身の復習を兼ねてここに紹介しておこうと思います。
続きを読む >>
| 本のこと | 16:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『日本人の音楽教育』(ロナルド・カヴァイエ 西山志風(にしやま・しふ) 1987 新潮選書)
 裏表紙側のカバーに音楽評論家の遠山一行(とおやま・かずゆき)氏の短評が載っているので、そこから引用します。
 
(前略)イギリスから音楽学校の教師として我が国に来た若いピアニストであるカヴァイエさんは、自分の眼にうつった光景を率直に語っている。それは、日本の音楽家たちにもある意味ではわかっていることだが、状況は変わらずに進んでゆく。私はこの本を、むしろ、自分の子供にピアノを習わせるお母様たちに読んでいただきたいと思う。音楽教育、ピアノ教育についての具体的な―そして有益な―指針も少なくないが、何よりもカヴァイエさんのもった素朴なおどろきや疑問や忠告を成心なく受け入れて状況を変革する力は―専門家よりも―そうした人々の手のなかにあるとおもうからである。

 遠山氏の文中に「若い」とありますが、略歴によるとカヴァイエ氏は出版時に36歳。ウィンチェスター音楽院を経て王立音楽院(RCM:Royal Collage of Music。英国には「王立音楽院」と訳される教育機関が二つある。もう一つはRAM:Royal Academy of Music)を修了後、ハノーヴァー音楽大学、リスト音楽院で学び、武蔵野音楽大学の招きで1979年にやはりピアニストである夫人のヴァレリア・セルヴァンスキーさんとともに来日し、1986年帰英とのこと。本書は言語学者の西山志風(にしやま・しふ)氏とカヴァイエ氏の対談という体裁をとっていますが、実際には1984年4月から1985年11月にかけて10回にわたって行われた対話(1回あたり約2時間)をもとに、その後の質疑や追加の対話、カヴァイエ氏の帰英後の文通等によって補足・編集して対談の形にまとめられたものだそうです。

 本書の目次は次のとおり。本書は目次だけで5ページとっていますが、これは章立てだけでなく文中の小見出しまで拾っているためで、この小見出しが詳細につけられているので、本書のおおよその内容を知ることができます(その分長いのでご注意!)。
続きを読む >>
| 本のこと | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

CALENDAR

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH