「名は体を表す」という言葉がありますが、本書に限ってはこの言葉があてはまらない、と言うか、『学術書を読む』というタイトルだけでは、本書が学術書を読む際の注意事項を並べたハウツー本なのか、マンガや小説よりも学術書の方が面白いから読んでごらんという勧めなのか、学術書ベスト◯◯冊のサマリーなのか等々、一体どういう内容の本なのか、正直見当がつきません。
一言で言うと、本書は自分の専門外の学術書を読もうとする時の選書(本の選び方)について述べたものです。著者は京都大学学術出版会の専務理事・編集長で、「私が学生時代を送ったのは1970年代の終わりから80年代にかけて」(p. 6)ということですから、1979年入学・1983年卒業の私とちょうど同年代ですね。著者が本書を書くきっかけとなったのは、自分の専門分野の関連・隣接分野の本を読もうとしても「はじめに読むべき専門外の書籍」(p. 6)の探し方がわからないという内容の大学院生からのメールだったそうです。私と同年代の著者は、このメールに対して最初は「「何を言っているのだろう」という程度の反応をしてしまいました。(中略)私に限らず、当時の学生にとっては、専門外の本を選ぶのはさほど難しいことではなかったからです」(pp. 6-7)と書いています。さらにその後新聞に出ていた「他の学部や学科の講義を受けようにも、その仕組がない」「学びたいことが学べない」(p. 10)という内容の女子大生からのメールにも背中を押されたということです。「専門外の学び」が、著者(私も)が学生だった40年前に比べて現在では随分と難しくなっている、という事実には私も驚きました。
著者によるとその原因はいくつかあり、
- 以前は大学で「専門教育」とは区別された形で「一般教育(または教養教育)」を学ぶことが義務づけられていたが、その後専門教育と一般教育の区別が廃止されていわゆる「専門志向」が強まり、専門外の学問分野への学びが重視されなくなったこと。
- 新刊書の出版数の量的な増加(2013年には1970年代の年間出版数の約4倍の8万数千点が出版された)から来る選書の難しさ。
- インターネット以前はわからないことは図書館で本や学術雑誌を探し、ページをめくって調べなければならず、実はその過程で知らず知らずのうちに目的以外の事柄、専門外の事柄にもアクセスしていた。しかし現在ではインターネットでのピンポイントの検索で終わってしまい、本との思いがけない出逢いという身体経験がずいぶん違っている。
- かつては本にも重きが置かれていた「同じ分野の専門家」の間での研究発表メディアの主流が学術雑誌に移り、また学部教育においても電子メディアの活用により必ずしも本の教材が必要でなくなっているなど、本が学びの世界で占める位置が大きく変わっている。
等が挙げられています。もっとも最後の点に関して著者は「私はこのことは、学術書にとってポジティブな変化だと思っていて、本は、狭い専門家間でのコミュニケーションではなく、専門を越えたコミュニケーションのメディアとしての重要な役割を担うようになったと主張しています」(p. 9)とのこと。
こうした問題意識から書かれた本書の対象としては、まずは大学生・大学院生、さらには「できれば高校生にも学術的な著作に親しんでほしい」(p. 12)と挙げられていますが、私のような市井の凡夫が読んでも大変面白かったし、著者も最終的には「本書を通じて、多くの学生、研究者、市民の方々が、「知識基盤社会」としての21世紀に生きるための技法について考えていただければ幸いです。」(p. 13)と書かれているので、要するに誰が読んでもOKよ、ということですね。