最近読んだ本:『太平洋戦争陸戦概史』(林 三郎 昭和26(1951) 岩波新書青版59) 附:『太平洋海戦史』(高木惣吉 昭和24(1949) 岩波新書青版12)
 今年もまた広島と長崎への原爆投下、そして終戦と先の大戦を振り返る時期がやって来ました。今年は終戦後70週年ということで、8月14日に発表された安倍総理大臣の談話、翌15日の全国戦没者追悼式での天皇陛下のおことばなどに注目が集まりましたが、私もこの機会に大戦関連の本を読みました。以前読んでこちらで紹介していなかった本と合わせて読後感を記しておきます。ちょっと長いです。

<写真左が今回読んだ『太平洋戦争陸戦概史』、右が以前読んだ『太平洋海戦史』。両方とも古書で経年している上に同じ岩波文庫青版なので、題字以外にはちょっと見分けがつきません。実は『太平洋戦争陸戦概史』の方には昔の岩波新書や岩波文庫にかかっていた半透明のシャラシャラした紙がかかっているのですが、写真では取りました。>

 今回読んだ『太平洋戦争陸戦概史』の著者について、巻末の著者略歴には次のようにあります(「 / 」は原文で改行されている箇所を示します。なお原文は本書全体を通じて旧字・新かなづかいですが、引用は新字・新かなづかいとします)。

 林 三郎
 1904年インドのボンベイ市に生まれる / 陸軍大学卒業 / 駐ソ陸軍武官補佐官、参謀本部ロシヤ課長、参謀本部編制動員課長、阿南陸軍大臣秘書官等を歴任

 次に「まえがき」から、本書の記述内容と方法について書かれている部分を抜粋いたします。

 「本書では、太平洋戦争間における陸軍統帥部の動きにつき「当時はこうであった」ということを、忠実に伝えようと私は努めた。つまり陸軍統帥部が太平洋戦争間、どのように情勢を判断し、またどんな考えを基礎にして作戦を立て、それをどのように指導したか等の諸点に、記述の焦点を合わせたつもりである。そして今から結果論的にみると、まったく見当外れの当時の情勢判断や、不手際そのものの作戦指導等についても、それらに少しの修飾をも加えず、ありのまま正直に書きつづった。
 個々の戦場における作戦経過については、その大要しか書かなかった。それは頁数の制限をうけているのと、さらに戦闘戦史については、他に適当な執筆者がいると考えたからである。また海軍作戦についても、陸軍作戦に直接関連ある部分だけをとり上げた。(中略)私としてはあらゆる努力をはらって史実の正確を期し、何らの誇張もなく良心的にやったつもりである。」

 つまり本書は、帝国陸軍の中枢部にいた人物が、戦争を指導した立場から書いたもので、「第一章 日米開戦までの陸軍の歩み」から「第二十一章 敗戦」まで、概ね各章ごとに当時の情勢、戦争指導部の情勢判断と作戦の立案、作戦実施の経過と結果、結果分析という構成をとって書かれています。そして扇情的だったり血沸き肉踊るといったところはなく、悲憤慷慨や怨憎も表れず、終始淡々とした記述が続きます。
 ここにその例として、引用としては多少長くなりますが、広島と長崎への原爆投下の記述を全部引用してみます。なお数字は原則として漢数字からアラビア数字に改めました。
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最近読んだ本:『ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門』(浅羽通明 2004 ちくま新書473)
 最近付箋を入れながら読む本が多かったので、今回は付箋を入れないで、細部より全体の流れをつかんで読もう、なんて思って読みました。おかげで本の上辺がきれいです(左写真)。

 本書のカバー表に次のような内容紹介が書かれています。
「10のテキストを通じて理解されるであろう日本のナショナリズムとは、この百数十年間、日本が置かれた国際的な権力状況の写し絵そのものである。現在、小林よしのりや「新しい歴史教科書をつくる会」に見られるナショナリズムは、多くの知識人が見まいとして蓋をしてきた大衆の下意識の噴出であろう。」
ここに言及されている小林よしのりの作品は主に『新ゴーマニズム宣言 special 戦争論』(1998 幻冬舎)を指しています。本書は今から10年ほど前に出版されているので、その時点での「現在」なのです。

 本書は序章に続く第1章から第10章でそれぞれ一人(または共著)の著書をほぼ時代順に取り上げながら、日本のナショナリズムを多面的に分析し、終章で本書が書かれた時点での現状分析を行っています。以下に各章の目次と取り上げる著書を紹介します。

序 章 近代と伝統―日本ナショナリズムとは何か
第一章 この人を見よ!―ナショナリストの肖像
      石光真清『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』
第二章 隠岐コミューンに始まる―郷土のナショナリズム
      橋川文三『ナショナリズム』
第三章 ここはお国を何百里―友情のナショナリズム
      金田一春彦ほか『日本の唱歌』
第四章 ああ、日本のどこかに―国土のナショナリズム
      志賀重昂『日本風景論』
第五章 もののふとたおやめのあいだ―文化のナショナリズム
      三宅雪嶺・芳賀矢一『日本人論』
第六章 民族独立行動隊、前へ!―革命のナショナリズム
      小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』
第七章 少年よ、国家を抱け―男気のナショナリズム
      本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』
第八章 近代というプロジェクトX ―歴史のナショナリズム
      司馬遼太郎『坂の上の雲』
第九章 カイシャ・アズ・ナンバーワン―社会のナショナリズム
      村上泰亮ほか『文明としてのイエ社会』
第十章 普通の国となるとき、それは今?―軍備のナショナリズム
      小沢一郎『日本改造計画』
終 章 日本ナショナリズムの現在―『戦争論』以後

あとがき―駆使できる思想史の方へ
ナショナリズム関連年表
索引

 なお、第一章から第十章の最後に「読書ノート」として、参考文献が簡単に紹介されています。
 
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最近読んだ本:『戦時期日本の精神史 1931〜1945年』『戦後日本の大衆文化史 1945〜1980年』(鶴見俊輔 1982, 1984/2001 岩波現代文庫 学術50,51)
 先日(2015年7月20日)鶴見俊輔氏が亡くなりました。実は亡くなる数日前から『戦時期日本の精神史 1931〜1945年』の方を読み始めていて、訃報に接してどきっとしました。
 何せ私は怠惰なもので、鶴見氏の名前は以前から承知していましたし、この2冊も数年前に買ってあったのですが、例によって積ん読だったというわけで・・・恥ずかしいですなぁ。

 読み始めて気がついたのですが、この2冊(面倒なので以下2冊を一括して扱うときは「本書」といい、別々に言及するときには『戦時期』『戦後』と記します)は鶴見氏の著作の中ではやや特異な性質を持ったものでした。本書は鶴見氏が1979年9月から1980年4月まで、カナダのモントリオールにあるマッギル大学で講義を行った(勿論英語で)、その講義ノート(勿論英語の)を氏自身が日本語になおしてテープに吹き込み、そのテープを別の人が書き起こしたもので、つまり最初から日本語で書き下ろされたものではないのです。そして鶴見氏はその第一回の講義の冒頭で
「私はここでは日本語によりかからないでお話することを試みたいと思っています。ここでは英語だけを使って私たちの対象を理解するという規則をわれわれ共通のものとして立てたいと思います。」(『戦時期』p.1)
と宣言し、これを日本語になおす際にも
「もとのノートの内容には手をくわえず、今になって書きくわえたいと思うことは、注の形で書きこむことにした。」(『戦時期』あとがき p.287)
と書いています。つまり本書は英語で書かれた大学の講義用のノートほぼそのままの日本語訳なのです。
 大学の講義用ノートということは、大学の講義1コマの時間内で論旨に一応の区切りをつけなければなりません。したがって例えば「戦時期日本の精神史」という複数の要素が絡み合って込み入った内容を扱う場合にも、それを丁寧に解きほぐしたりその要素たちを順番にぶつけたりしながら、紙数を使って入念に展開していくということは最初から諦めなければならないのです。したがって本書は自ずから普通の論文や著書とは違う体裁のものになりました。つまり講義1コマについて1つのテーマを立て、それに関するトピックを(言葉は悪いですが)並列的に羅列するという形になったのです。以下に本書の目次を掲げますが、それぞれの項目が講義の各回のテーマです。講義の日付も併記しておきます。また目次の各項目の下に段落ちで書いたのは、各テーマにおける私なりのメモです。あと、「国体」は国民体育大会じゃないからね(笑)。

『戦時期日本の精神史 1931〜1945年』
 1931年から45年にかけての日本への接近(1979年9月13日)
ガイダンス、1930年から45年までを通して15年戦争と捉えることの意義
 転向について(1979年9月20日)
「同志」の歴史、佐野と鍋山の転向の特徴、転向の条件、転向の意味と類似概念
 鎖国(1979年9月27日)
万歳(まんざい)の太夫・才蔵=土地の神と外来神、伊藤整の転向と回復、鎖国性の例(小泉信三、忠臣蔵、村落生活、中野重治)
 国体について(1979年10月4日)
鎖国性と国体、明治政府の国家神道と西欧諸国のキリスト教との類似、民主政治と神政政治、思想統一の道具としての国体
 大アジア(1979年10月11日)
アジア諸国に対する一方的な接し方
 非転向の形(1979年10月18日)
隠れキリシタン、内村鑑三、柳宗悦、共産党員
 日本の中の朝鮮(1979年10月25日)
朝鮮に文明を押しつける、日本政府の布告(全ての朝鮮人が自分たちの名前を日本人名前に変えるべきである)、金達寿、高史明
 非スターリン化をめざして(1979年11月1日)
埴谷雄高、山川均、大河内一男、菅季治の自殺
 玉砕の思想(1979年11月8日)
海軍の現実把握力と陸軍の自己暗示、「大和」の士官部屋の言論の自由、特攻
 戦時下の日常生活(1979年11月15日)
戦時の魔女狩り、国賊に対する非難
 原爆の犠牲者として(1979年11月22日)
米国が原爆を落とした理由―ソビエト‥ロシアの排除、杉並区の原水爆禁止運動、原水爆禁止運動の分裂(政党の介入、中国の核実験)、公害反対運動
 戦争の終り(1979年11月29日)
白人に対する変わり身の早さ、日本は沖縄を切り離すことに苦しみを感じなかった、子どもたちが持った大人への不信、60年安保と戦争の記憶
 ふりかえって(1979年12月6日)
日本の戦時精神史に近づくには転向に注意して見る、総括
  あとがき
  解説(加藤典洋)

『戦後日本の大衆文化史 1945〜1980年』
 占領―押しつけられたものとしての米国風生活様式(1980年1月17日)
もとの官僚機構はそっくり残った、朝鮮戦争により日本軍再建、戦時指導者を権勢の地位へ(岸信介)、孤立した個人が戦時の言動の収録を担った
 占領と正義の感覚について(1980年1月24日)
東京裁判によって日本軍の残虐行為が初めて日本人の前にさらされた、戦争裁判への疑義と不信、避けられない自然災害のように受け取られた、おろかものの碑
 戦後日本の漫画(1980年1月31日)
紙芝居から貸本漫画へ、白土三平、水木しげる、つげ義春、女流漫画家(竹宮恵子、萩尾望都)、宝塚少女歌劇、山上たつひこ
 寄席の芸術(1980年2月7日)
同じ一つの文化を分かち持っているという感覚、万歳・盆踊りから寄席へ、秋田実のカタログ、漫才と社会批判、
 共通文化を育てる物語(1980年2月14日)
テレビの役割、紅白歌合戦、忠臣蔵、朝の連ドラ、大河ドラマ、CM、松本清張
 60年代以後のはやり歌について(1980年2月28日)
五音音階
 普通の市民と市民運動(1980年3月7日)
ロシア語起源の「サークル」、『世界文化』と『土曜日』、中井正一と人民戦線の理論、武谷三男と「公衆の安全」基準、政党と結びつかない市民(住民)運動、サザエさんの社会思想、
 くらしぶりについて(1980年3月13日)
1961年の農業基本法、
 旅行案内について(1980年3月20日)
日本(人)は外国(人)にどう見えているか
  あとがき
  解説 へりの思想(鷲田清一)

 『戦後』の方が『戦時期』よりも短い(講義回数が少ない)のは、講義を9回で終えて残り5回を学生の報告をもとに議論する機会としたからだそうです。
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最近読んだ本:『憲法を生かすもの』(憲法問題研究会編 1961 岩波新書(青版) 412)
 実はこの本をいつ、どのような目的で買ったのか、記憶がありません。奥付を見ると1971年1月30日(当時私は10歳!)の第12刷で全体に古びているので、どうみても古書で買ったに違いありませんが、古書店のタグや値段の書き込みがありません。ということは「この棚全部100円」みたいなコーナーにあったものでしょう。いずれにしても記憶にないくらいですから、かなり前に、しかもたいしたモチベーションもなくテンション低いまま購入したと思われます。
 そのようなわけでその存在すら忘れられ陽の目を見ずに眠っていた本書が、このタイミングで目についたというのも何かの縁か?

<オレンジ色の付箋がいっぱい入ってます。>

 本書の編者である憲法問題研究会は、昭和33(1958)年5月28日に大内兵衛(経済学者)・茅 誠司(物理学者)・清宮四郎(憲法学者)・恒藤 恭(法哲学者)・宮沢俊義(憲法学者)・矢内原忠雄(経済学者)・湯川秀樹(物理学者)・我妻 栄(民法学者)の8人が発起人となって設立を呼びかけ、同じ年の6月8日に創立総会を開いて発足した団体で、1961年には55名の会員を擁していました。設立の目的は、前年の1957年8月に当時の岸信介内閣が憲法調査会を設置して憲法(現在の日本国憲法です)改正の検討を始めたことに対し、「その(憲法調査会の)発足の事情、ならびに、これに参加している委員の選択をみると、この調査会が、現在の憲法問題に対する広汎な民意と正しい良識とを必ずしも代表していないかのようであります。」という問題意識を抱き、「憲法の基本原理とその条章の意味をできるだけ正確に研究し、この問題に関心を抱く国民各層の参考に供したい」というものでした(引用はいずれも本書中に掲載されている「憲法問題研究会設立についての勧誘状」pp.4-5から)。
 憲法問題研究会は「A. 研究会は純粋に学問的な会である―直接には政治的活動はしない。 B. しかし国民のための会である―啓蒙的活動は辞しない。」(p.7)という方針のもとに、毎月一回の研究会とともに1959年5月3日に第一回の講演会を開きました。その翌年、1960年1月15日には、当時日本全体が注目していた米国との改定新安全保障条約調印問題(いわゆる60年安保)についての講演会を行い、さらに憲法記念日である同年5月3日にも講演会を行うとともに「安保条約そのものが憲法に反しないか、それも問題であるが、それよりも、こういう重大な問題については、国会は、あくまでも慎重審議しなくてはならぬ、それが民主主義のいまの時点での要請である」(p.12)という内容の「声明書」を出しました。
 その約2週間後の5月19日に政府が国会で安保改定を強行採決したことを受け、6月12日に「民主政治を守る講演会」を行うとともに、「衆議院は即時解散して安保改定と強行採決に対する民意を問うべきものである」(p.14)との主旨の声明書を発表しました。しかし「岸政府は即刻議会を解散するようなことはしなかった。それで、国民の目を盗んで衆議院を通過した安保条約は参議院の拒否権の不行使によって、形式上一応は成立した。国民とともにわれわれは敗退した。」(p.16)という状況となりました。

 本書は以上のような状況を受けて書かれています。研究会の発起人の顔ぶれや1960年代の岩波新書というメディアから予想されるとおり、明確にリベラル・左派の立場で書かれており、支持政党なし中道日和見派の私から見るとちょっとたじろいでしまうような表現・内容も見られますが、民主主義を大切にするという姿勢には大いに共感でき、また最近の政治的な動き、ことに安保法案の内容や扱いに関するそれを先取りしているかのような内容が含まれていて、今これを読んだということは誠にタイムリーだったと思いました。
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最近読んだ本:『丸山眞男を読む』(間宮陽介 2014 岩波現代文庫 学術319)
 以前『現代政治学の名著』を読んだ読後感に「まずは丸山真男のファシズム論に耳を傾けてみたいと思い、『増補版 現代政治の思想と行動』を古書で購入しました。これはじっくり読みたいと思います。」と書きました。その後宣言どおり読み始め、今は全体の 1/4 くらいまで読んだところです。しかしこの『現代政治の思想と行動』はA5判のハードカバーという立派な体裁に加え、はしがき・目次・補注・追記・後記等々で585ページになる大冊で、出かけるときに気軽に持ち出すのも面倒な大きさと重さですし、本文は51字×17行を細字でびっしり組んであり、しかも内容が内容だけになかなか進みません。
 というわけでこれは長期戦になる覚悟で、間に他の本も読みながら文字通り「じっくり」読むことに決めました。しかしそうかと言っていきなりまるっきり関係ない本を読むのも何となく気がひける(小心者!)ので、たまたま書店で目についた本書を読むことにしました。

 ところが、どうやら私は読む本を間違えたようです。というのは、本書は確かに丸山眞男を読んではいるのですが、本書が読んでいるのは主に彼の初期の著作である『日本政治思想史研究』(1952:ただし収録された論文は第二次大戦中に執筆したもの)なのです。これは儒教(朱子学)の批判から荻生徂徠や本居宣長らの近代的思惟が生まれてくる過程を扱ったもので私は未読ですし、『現代政治の思想と行動』で扱われている日本ファシズムや超国家主義、時局に関する提言等とも直接関係がありません。一応本書では丸山のファシズム研究にも触れてはいますが、文脈からしても分量的に見ても、幹に対する枝葉の扱いという感じです。しかも本書は冒頭からいきなり吉本隆明や色川大吉らの丸山批判に対する反批判で始まるのですが、不勉強な私は吉本隆明も色川大吉も読んでいないので、こちらの興味と本書の論点が噛み合わず、読み進めるモチベーションがさっぱり上がりません。
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| 本のこと | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『「スターリン言語学」精読』(田中克彦 2000 岩波現代文庫 学術8)
 以前買ったまま積ん読だった一冊。おそらく「スターリン」に惹かれて買ったのだと思います。ところが今回読んでみて、これまで漠然と抱いていたスターリンのイメージが大きく変わりました。私のこれまでのイメージというのはなんと言っても「大粛清」のそれで、権謀術数をめぐらして当面のまた将来のライバルを片端から除いていっただけでなく、仲間や部下をも信用できず百万人以上を死に追いやった病的なまでの猜疑家にして冷血漢、ドグマチックな全体主義者といったものでした。
ところが本書に描かれたスターリンはちょっと違いました。

 「スターリン言語学」とは、ソヴィエト共産党の機関紙「プラヴダ」1950年6月20日第171号に記者とスターリンの問答の形で掲載された「言語学におけるマルクス主義について」という論文と、同年7月4日第185号に掲載された「言語学の若干の問題について ―同志クラシェニンニコワへの答―」、さらに8月2日第214号に掲載された「同志サンジェーエフへ」「同志デ・ベールキンと同志エス・フーレルへ」「同志ア・ホロポフへ」と題した読者からの質問に対する回答とを、「マルクス主義と言語学の諸問題」という題名でひとつにまとめたものを指し、本書中にその全文が収載されています。タイトルページを含めて63ページという短いもので、いずれも質問とそれに対する答えという形で書かれているので、理論的な論文といったものではありません。
 そんな分量・体裁のものに「精読」とは大げさな、と思われますが、言語学者である著者は当時の言語学の状況から説き起こし、1920年代と1950年代のスターリンが置かれた状況の変化を検討し、さらにこの「スターリン言語学」が日本でどのように受容されどのような反応を引き起こしたかまでを論じています。つまり「スターリン言語学」のテクスト自体を読み込みながらその背景を順次解説していくのではなく、まず「スターリン言語学」が発表されるに至る歴史的・社会的状況を説明し、その上で「スターリン言語学」の全文をどーんと出し、読み込みは読者に任せるという構成がとられています。前述のとおり「スターリン言語学」自体が論理的に構築された論文体ではないので、本書のこうした、いわば「外堀から埋める」構成は成功しています。また網羅的ではありませんが言語学やマルクス=レーニン主義に対する理解も得ることができ、テクストに密着しながらの「精読」につきものの息苦しさもなく、読みやすかったです。
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| 本のこと | 20:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『民意のつくられかた』(斎藤貴男 2014 岩波現代文庫/社会277)
 昨今、特にネット上で、マスコミやその他の情報メディアに対する批判、というよりもむしろ非難というべきものがよく見られるようになりました。その論調も、中には単純なミステイク(誤報)や提供されている情報の不足・取材の掘り下げ不足等を咎めるものもありますが、報道内容の偏向・偽装・情報遮断といった意図的な情報操作・ミスリーディングに対するそれが目立つようになっているという印象が私にはあります。
 本書は具体的ないくつかのケースによって、民意(世論といってもよい)がどのように「つくられ」るのかを解き明かしたものです。以下にカバー裏の説明文を転載いたします。

(転載開始)
原子力発電をめぐる世論は移り変わりながら、「3・11」まで「クリーンで安全な原子力」と歓迎をしていた……。メディア・広報、タウンミーティング、教育など、数多くのチャンネルを通して誘導され、操作される世論のありさまが関係者への直撃取材で明らかになる。道路建設、五輪招致など様々な場面で、国策・政策の遂行にむけ、いかに「民意」が「偽装」されるかを浮き彫りにした話題書に、集団的自衛権をめぐる言論状況に迫る新稿を加え、深まってゆく危険な動きへの警鐘を鳴らす。
(転載終了)

 さらに本書の目次を以下に転載いたします。

はじめに
第1章 言論人が国策を先導するのか
第2章 つくられた原子力神話(1)
第3章 ジャーナリズム、教育をまきこんで ―つくられた原子力神話(2)
第4章 国策PR
第5章 捕鯨国ニッポンの登場
第6章 道路とNPO
第7章 派遣村バッシング
第8書 五輪招致という虚妄
第9章 仕組まれる選挙

 巻末に「本書は2011年に岩波書店より刊行された同名書に新稿を加えるなど、再編集したものである。」と断られているとおり、扱われている個々のケースには今となってはやや古いものもあります(たとえば第8章で扱われている五輪招致は、「お・も・て・な・し」の2020年東京オリンピック招致ではなく、失敗に終わった2016年のオリンピック招致であるなど)が、本書の目的は個々の具体的な事実関係を云々することではなく、本書のタイトルどおり「民意のつくられかた」を示すことにあるので、事例が多少古いことは本書を読む上での障害にはなりません。なお解説文にいう「集団的自衛権をめぐる言論状況に迫る新稿」とは、現在国会で審議されている安倍内閣の安保法制を題材に新たに書き下ろされた第1章「言論人が国策を先導するのか」を指しています。
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最近読んだ本:『現代政治学の名著』(佐々木 毅編 1989 中公新書918)
 しばらく前から Facebook をやっているのですが、SNS の世界にも現実の世界同様いろんな方がいて、中にはわりと右寄りというか、嫌韓・嫌中・反朝日・反反辺野古の書き込みをコトとする方々がいらっしゃいます。で、元の書き込みそのものはピンキリながら中には考えて書いていらっしゃるものもあるのですが、それに対するコメントが大抵いけません。思考停止の情緒・感情垂れ流し、ボキャブラリー一杯々々の悪罵の陳列と「どや顔」、仲間ウチでの舐め合いノミ取り毛づくろい等々のオンパレードで、衆人環視中の集団オナニーみたいな劣情紛々たる有様が見るに堪えないこともしばしば。長らく積ん読であった本書を読もうと思ったきっかけは、自分自身がそうした見っともない状態に陥らないよう、現今の社会情勢について「考える」ためのとっかかりを得ておきたいと思ったからです。具体的な問題意識としては、右傾化していると言われる現政権に対する危機感と全体主義への予感がありました。

 ところで、本書を手に取った時に、その出版年次が既に四半世紀前であることから「この「現代」ってのはどれくらいの「現代」なんだい?読んでイマドキの役に立つのかい?」という疑問がなかったわけではありません。確かに本書の出版当時においては9.11や3.11、今日のような日本と中国・韓国との間の緊張関係や ISIS による無差別的国際テロといった事態は想定されていませんでしたから、2015年の今日にこの書名で一冊を編むとしたら、ひょっとしたら国際テロに関する増補がなされるかも知れません。しかしそれ以外の点においては、本書で紹介された15冊は今日でも十分に「政治について考え、判断するに際して生き生きとした知的刺激を与えてくれる作品」(「編集にあたって」p.ii)でした。
 本書には政治学に関する古今東西の著書15冊が取り上げられ、それぞれの内容がコンパクトに紹介されています。その性質上最初から最後まで順に通読しなければならないものでもなく、全部読めば「現代政治学」が系統的・網羅的に分かるというようなものでもありません。私自身も読んでいて面白かったものもあり、つまらなかった=今読まなくてもいいやと思ったものもありました。巻頭の「編集にあたって」に、本書で扱った15冊がどのような問題意識で選ばれたのかが書かれていますので、自分自身改めて確認する意味で、ここに書き出しておきます。なお本書での配列順はこのとおりではなく、概ね出版年順(厳密ではない)です。

《政治とはいかなるものであるか》
・ウェーバー 『職業としての政治』(1919年)
・アーレント 『人間の条件』(1958年)
・モーゲンソー 『国際政治:権力と平和』(1948年)

《民主主義とは何か》
・ダール 『ポリアーキー』(1971年)
・ローウィ 『自由主義の終焉』(1969年)

《民主主義と人間的制約》
・ウォーラス 『政治における人間性』(1908年)
・リップマン 『世論』(1922年)
・ラスウェル 『権力と人間』(1948年)

《エリート・権力・正統性》
・ミヘルス 『政党の社会学』(1911年)
・ラスウェル 『権力と人間』(上掲)
・メリアム 『政治権力;その構造と技術』(1934年)
・ローウィ 『自由主義の終焉』(上掲)
・ハーバーマス 『後期資本主義における正統化の諸問題』(1973年)
・ハイエク 『隷従への道』(1944年)
・ロールズ 『正義論』(1971年)

《日本での議論の原点》
・丸山真男 『現代政治の思想と行動』(1956・57年(旧版)1964年(増補版)1982年(追補))
・辻清明 『日本官僚制の研究』(1969年(新版))
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最近読んだ本《再読》:『『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子 2014 中公新書2257)』
 宮田光雄『ナチ・ドイツと言語 ヒトラー演説から民衆の悪夢まで』の読後感に「それにつけてもアーレントの著作を読まなきゃと思う今日この頃・・・」と書いたので、読みました。ここのところ「〇〇の読後感に…と書いたので読みます」というパターンが続いています。何かしら思うところがあって本を読んでいるということでもあり、有言実行でもあり、まあよいことなのではないかと。

 今回は再読です。前回は『今こそアーレントを読み直す』(仲正昌樹 2012 講談社現代新書1996)と合わせて読み、その読後感に「もしも今回の2冊のうち1冊なら読んでみようと思われる方には、私はまず仲正本『今こそアーレントを読み直す』(仲正昌樹 講談社現代新書)の方をお薦めします。」と書きました。良い意味でアーレントの考えを端的に手っ取り早く知ることができるという点で『今こそ…』の方を推したのです。
 その後「アーレントの生涯を追いながらその流れの中で思想の展開と主要な著作を紹介していく、いわばオーソドックスな入門書」である本書を再読し、改めてアーレントの思想を彼女の生き方と重ね合わせながら再確認するとともに、彼女の周辺の思想家、具体的にはエリック・ホッファーを再発見することもできました。
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最近読んだ本:『柳田國男全集 30』(1991 ちくま文庫)
 宇沢弘文『経済学の考え方』の読後感に「この際読んでみますか、官僚・柳田國男……」と書いたので、読みました。農商務省の官僚時代の著作は、ちくま文庫版『柳田國男全集』では第29巻と第30巻に収められています。著作時期の早いものは第30巻の方に収められているので、まず第30巻を通読しました。目次は次のとおり。ちなみに( )内は著作順をたどるために私が補いました。

最新産業組合通解(明治35(1902)刊)
日本産銅史略(明治36(1903)〜明治37(1904)掲載)
農政学(明治37(1904)〜明治40(1907)の講義録)
農業政策学(明治35(1902)講義録)
農業政策(明治40(1907)講義録)

 柳田國男は明治33(1900)年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業して農商務省農務局農政課に入り、明治35(1902)年に法制局参事官、明治41(1908)年に宮内書記官、明治43(1910)年に内閣書記官記録課長、大正3(1914)年に貴族院書記官長を務め、大正8(1919)年に辞任するまで19年間にわたって奉職し、その間に早稲田大学、中央大学、専修学校で農政学の講義を行うとともに、全国の農山村を歩いて回ります。そうした活動の中から日本民俗学への志向も芽生えてくるわけですが、今回読んだのは柳田のこの時期のいわば「本業」であった農政官僚としての著述です。
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