清華寮(続報)と切支丹コース
 ふと思い立って、1年3ヵ月ほど前に本ブログで報告した東京メトロ茗荷谷駅近くの廃墟「清華寮」を起点に、小日向から茗荷谷界隈を1時間ほどさまよってみたら、また濃い物件に出会いました。

  今回は立ち回り先の地図を付けました。少々考えるところがあって、ベースの地図には現代のものではなく、明治16(1883)年測量・明治19(1886)年製版の参謀本部陸軍部測量局作成の五千分一東京図を選びました。これは近代的な三角測量によって製作された東京中心部の最初の大縮尺図で、現在一般に市販されている大縮尺の地形図は一万分一なので、現行の地形図より詳しいのです。しかもこの時期は建物が混んでいないので地図上で地形がわかりやすいし、またこの地域の道路網は東京メトロ丸ノ内線の敷設に関するものを除いては大きな改変を受けていないので、現況と引き合わせるのも難しくありません。そして今回この地形図をベースに選んだ最大の理由は、この地域にたくさんある坂のいくつかに名前が入っていることです。この坂の名前が今回の散歩の大きなポイントなのです。
<クリックすると大きくなりますが、一回のクリックで十分大きくならないときはもう一度クリックしてみてください。>

 地形図を出したので、大まかにこのあたりの地形の説明をしておきましょう。図の全体を見ると、図の左やや上から横へ走り向きを変えて図の右下へ走る、等高線の束で縁取られた地形が目に入ります。これが茗荷谷という谷で、この谷をはさんで図の左下側が小日向茗荷谷町などを載せる小日向台地、図の右上側が竹早町や春日通りを載せる小石川台地です。つまり元々は一塊の台地であったのが谷によって断ち切られた形になっているので、どちらかの台地からもう一つの台地へ行こうとすると、どうしても一度坂を下って谷に下り、また坂を上らなければなりません。それでこの谷の両側には坂、それも結構な急坂が多いのです。

 梅雨の晴れ間の6月21日(土)の夕方5時前に、東京メトロ茗荷谷駅から歩き出しました。地図では左上の楕円で囲んだ所が現在の茗荷谷駅です。ここから細い道を南下して、赤下線を付けた獣医黌(原図は旧字・右書き)の脇を通ります。今は拓殖大学がある所です。その少し先の一番低くなったところが茗荷谷の谷底で、そこから等高線の束で表現された崖の斜面をへずるようにして小日向台地の上に出た所に「清華寮」の門があります。清華寮は昭和2(1927)年に建てられたので、当然のことながら明治の地図にはありません(桑畑と普通の畑になっている)から、地図には赤でおおよその範囲を示しました。実際の敷地は長方形ではなく北側の崖に沿って張り出した三角形のようですが、その辺は、まあ、ね(笑)。
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蚕影(こかげ)神社を訪ねて
 今年の4月1日につくば道を歩いたときから気になっていた蚕影神社(こかげじんじゃ)。たまたま4月30日から3日間かかる予定だった臨時仕事が2日で終わって5月2日が空きました。そうだ、天気もいいし、今日行ってみよう!と思い立って出かけました。この日はデジタルカメラのFUJI X20の他にフィルムカメラの一眼レフのニコマートFT2に銘玉ニッコールH・C50f2レンズを装着、さらにコンパクトカメラながらレンズが優秀なペトリカラー35も持ちます。フィルムはネガカラーのコダックゴールド200(ISO200)。ペトリカラー35は昨年夏から内蔵露出計が故障中ですがそれ以外は問題なく作動するので、今回はニコマートの露出計の出た目で撮って、天下のニッコールレンズとペトリレンズを比べてみようという魂胆です。ペトリは「同じ機能ならニコンの半額」と言われた中級機メーカーですが、このカメラのレンズ C.C petri 40mmf2.8 はビー玉くらいの大きさのくせになかなかよく写ります。
 自転車で行けばヘルシーでしたが、今回はちょっとさぼって8時35分つくばセンター発のつくバス小田シャトルに乗り、つくば道の入り口の北条仲町停留所で下車。ここからつくば道を歩いて神郡(かんごおり)の集落に入るまでは4月1日と同じ行程なので省略いたします。

 神郡の集落に入ってしばらく歩くと真言宗豊山派の慈眼山三光院普門寺があります。前回つくば道を歩いたときは前を素通りしたので、今回はお参りしていこうと参道を進みますと、突き当りの本堂らしき建物に足場が組まれ、工事中の様子です。

<左は普門寺の入り口(ペトリカラー35で撮影)。この脇に「普門寺の歴史」と題する看板がありました。長文ですが転載いたします。なお原文の漢数字は横書きで読みやすくするためアラビア数字に直しました。

     普門寺の歴史
 鎌倉時代末、元亨年間(1321年〜1324年)、筑波山麓一帯で布教活動を続けていた乗海大和尚によって開創された真言宗豊山派の寺院である。慈眼山三光院普門寺と号し、平安末の高僧恵心僧都作の阿弥陀如来が御本尊です。
 常陸の豪族小田家の祈願寺として隆盛を極め、末寺508ヶ寺を有して、10万石の格式を誇った往時もあった。江戸時代末までは数多く檀林が開かれた田舎本寺として、日本仏教史上重要な役割を果した古刹である。しかし歴史の流れの中で浮沈を繰り返し現在に至っている。
 伽藍、境内の佇まいは素朴であるが、静寂さが取得(とりえ)である。流れ落ちる滝の音、朝日にきらめく滝しぶき、夕日に映える水の流れ、大宇宙の生命の営みと大地の鼓動、生気を感じさせるものがある。桜咲く早春、風薫る五月、秋は楓の綾錦、四季折り折りの風情がありがたい浄域です。南高台からの筑波山は絶景ポイントで、カメラ、絵筆に最適地である。
 地水火風空は大自然の根源、大日如来の本体である。ご本尊に手を合わせ、静かに滝辺に座して、大宇宙、みほとけの声を聴き、生きる悦びと心のやすらぎを求められてはいかがでしょうか。
 本堂は寛政年間再建、客殿(講堂)が寶暦年間再建、鐘楼は寛政年間再建、平成13年再再建、赤門が天明年間再建、黒門の建立年不詳、書院は慶応年間新築、境内は9900平方メートルである。両界曼荼羅(江戸期つくば市重文)、小田家供養塔(室町期県重文)、18世紀元雅大和尚入定遺跡、寶暦8年の什物帳、天狗党田中愿蔵鎮魂碑等が現存する。
                          南 無 阿 弥 陀 佛
                            文責 第49世 宥弘
                            平成21年3月吉日

以上です。>

 お寺の方と思しき女性に「工事中ですか?」と声をかけると「はい、本堂なんです。もうすぐ足場は取れるんですけど」とのお答え。「いやあ、立派なお寺なのでちょっと寄らせていただいたんですよ」と言うと、「でしたら、そちらから(と本堂に向かって右手の小道を指し)上の方に行っていただくと、筑波山の眺めがとてもいいですよ。阿弥陀様のお像の前あたりが一番いいですから、よろしかったら見て行ってください。そこからはこちらへ戻らないでトイレの方へ下りられますから」と親切にご案内いただきました。お礼を申し上げて高台の墓地の方へ行ってみると、なるほど、真正面に筑波山が大きく見えます。トイレもお借りして気分もさっぱりと蚕影神社への分岐を目指して進みます。

<右が教えられた高台からの筑波山(ペトリカラー35で撮影)。入り口の「普門寺の歴史」にも「南高台からの筑波山は絶景ポイントで、カメラ、絵筆に最適地である。」とあるとおり、良い眺めです。この辺りで高台から筑波山を見晴らせる所はあまりないと思います。>


 
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試写を兼ねて阿見町の神社その他巡り
 先日ジャンクのカゴから500円でゲットした一眼レフのニコマートFTN。水海道で試写したところ、おそらくモルトプレーンのへたりによると思われる光線漏れがあることがわかりました。そこで4月23日に用事のついでにヨドバシアキバでモルトプレーン買ってきて、とりあえず前回の漏光の直接の原因と思われる裏蓋ヒンジ部のモルトを貼り替えました(左写真)。さあ、これで漏光が止まれば1,000円もしないでニコマートFTNの実用機を入手できたことになるのですが、こればかりは試写してみないとね。

 というわけで、その翌日の4月24日、茨城県稲敷郡阿見町へ試写を兼ねて出かけました。阿見町には以前勤めていた会社があるので車ではあちこち走っていますが、今日はそんな中で「おや、ここは」と気になっていた神社を中心に、新緑の中を自転車で走ってきました。好天に恵まれて気持ち良く走れましたが、紫外線もずいぶん浴びたよなあ。
(右写真は翌日の右腕。長袖シャツの袖口をまくり上げて走っていたので見事なツートンカラーになってしまいました。腕モデルだったらもう今年の仕事はないでしょう(^^;;。4月の紫外線をなめたらあかん!)

 以下、使用カメラはモルトプレーンを貼り直したニコマートFTN、レンズはニッコールH・C 50mmf2 のみ。フィルムはコダックゴールド200。現像と同時にCDにしてもらった画像で、色味的には全体に青カブリしてたので調整してあります。
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| 地域とくらし、旅 | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
自転車で行った栄・小田集落
 先週4月1日に北条からつくば道を歩いて旧筑波山郵便局まで行きました。その帰りに北条からつくばセンターまで「つくバス」(つくば市のコミュニティーバス)の小田シャトルを利用したところ、バスで通った小田集落と中根・栄集落周辺がなかなか趣深かったのと、その後「アースデイつくば実行委員会」作成の地図「歩いて発見!金田(こんだ)・桜川マップ」「歩いて発見!小田マップ」を入手したので、これらの地図を頼りにバスより自由のきく自転車で訪れてみようと、4月8日(火)の午前9時少し前に自宅から自転車で出発しました。今日も穏やかに晴れ上がり風もほとんどなく、予報によると最高気温は20度を超えてくるであろうとのこと。出歩くにはいい時期になりました。

クリックで拡大  筑波研究学園都市の中心を南北に貫く歩行者・自転車専用道路「つくば公園通り」を走ってつくばセンターまで行き、その後途中まで「つくバス」小田シャトルと同じルートを辿りますが、途中から左へ分かれて、つくば市の桜窓口センター(旧・桜村役場)の下を通る「七曲り」を走ります(左写真)。何の変哲もない谷津田の縁をうねうねと曲がりながら走る道ですが、前述の「歩いて発見!金田(こんだ)・桜川マップ」によると、時宗の遊行上人(一遍上人、または時宗総本山遊行寺の法主)が通ったことから上人道(しょうにんみち)とも呼ばれる、とあり、途中に「馬頭観世音」と刻んだ石碑が建っています(右写真)。
クリックで拡大  この馬頭観音は「明治廿八年旧四月三日」の日付をもち、中央に「馬頭観世音」と行書で大書し、その左右に「右一ノ矢道 / 左やたへ道」と書き、さらにその下部に左右に振り分けて「世ハ人 念佛中 / 大字東岡/小神野為蔵/倉田藤十郎」と刻んであります。日本では明治6(1873)年1月1日に新暦(グレゴリオ暦)を採用しましたが、この碑の「旧四月三日」という書きぶりからは、このあたりでは明治28(1895)年にも旧暦の方が好んで使われていたらしいことがうかがえます。また道標としての機能を持たせていることから、この「馬頭観世音」は斃馬とは直接関係なく、行旅の安全を守るものとして建てられたのではないかと思われます(なお碑文はもちろん旧字体で彫られていますが、判読した内容は新字体で紹介します。以下も同じ)。

 「七曲り」から金田(こんだ)の西坪集落を経て水田を横切りますが、「歩いて発見!金田(こんだ)・桜川マップ」を見ると、この周辺にも金田官衙遺跡や金田条里といった古代の遺跡や、室町時代に小田氏の出城として築かれた金田城跡などがあり、かなり古くからその時々の人々の暮らしが営まれていたようです。

クリックで拡大  水田を横切ってしばらく進み、突き当りの丁字路を左へ曲がって栄の集落に入りいくらも行かないうちに、まるで木造校舎のようなお家が目に入ります。珍しい造りですが個人のお宅のようで、例のマップにも情報はありません。このお家のこと、知りたいです(左写真:この日は植木屋さんがトラックで入って庭木の剪定をしていたので、正面からの写真は撮れませんでした)。
 やがて道の両側にお店が立ち並ぶようになり、中根前商店街に入りますが、まだお店が開いてなくて閑散とした感じなので、ここには帰りにもう一度通ることにして小田を目指します。
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国立で花見2014
 毎年恒例の高校の同級生との準クラス会とも言えそうな国立での花見。今年も4月5日(土)に行われました。

 ちょっと早めに午前10時半ごろ到着した国立駅前は、桜は満開、お天気は晴れて微風の絶好のお花見日和。大学通りの歩道橋近くのいつもの場所に行く前に、私は国立駅北口の旧・国立楽器北口本店に立ち寄って写真を撮りました。
 国立楽器はもともと国立音楽大学の収益部門として昭和28(1953)年に設立されたそうで、私が高校に通っていた頃は富士見通りにお店があり、レコード(当時はLP)や楽譜を探しによく立ち寄ったものです。旧・北口本店は、私が高校を卒業した翌年の1980年に建設され、コンサートフロア(ホール)もある2階建ての立派な建物ですが、その後進んだ少子化や不況による音楽離れのために運営が苦しくなったようで、2010年8月には国立駅南口の大学通り沿いに本店を移転しました。そして今年の3月15日、国立楽器は閉店・事業停止となってしまったのです。これにはびっくりしましたね。私と国立とを結ぶものがまた一つなくなってしまいました。
クリックで拡大クリックで拡大  旧・北口本店は今も空き家のまま(左写真)で、入り口には「北口本店 店舗移転のご案内」という紙が貼られたままになっています(右写真)。その「ご案内」の一節に「北口本店は駅前がまだ雑木林だった1980年に建設され、約30年にわたり皆様にご利用いただいてまいりました。」とあるのも懐かしく、事業停止のために旧・北口本店の建物が譲渡か撤去かされてこの「ご案内」が見られなくなってしまう前に、写真だけでも撮っておこうと思ったのです。
 なお国立楽器がここから本店を移転した先の国立駅南口のポポロビルには、今は「音楽の森 .K」という音楽教室が入っています。「音楽の森」は国立楽器が使っていたキャッチコピーなので、それと何か関係があるのかな?・・・想像ですが。

 さて、再び南口へ出て大学通りを南へ。一橋大を過ぎ郵便ポストを過ぎ、地元在住の幹事さんが確保していてくれたいつもの場所へ。私の前に一人来ていて、私の後にもう一人来て、まあそのうち集まってくるだろうからぼちぼち始めてようか、とビールで始めていると空が暗くなってきて、そのうちぽつりぽつりと降ってきました。

クリックで拡大<左:国立駅南口のロータリー。なおこの日のカメラは LUMIX GF2 でレンズは G VARIO 14mm-45mm(35mm換算で28mm-90mm)f3.5-5.6 のズームレンズと先ごろ購入した OLYMPUS LENS 9mm f8 FISHEYE(ボディキャップレンズ)。このオリンパスの対角魚眼というか超広角というかは今回大活躍でした。>

クリックで拡大<右:同じく国立駅前南口。この後駅前のビルの1階に店を出している古書店をちょっとのぞいてみました。食指が動くものがなかったわけではありませんが、実は先週の金曜日につちうら古書倶楽部さんの古本市でだいぶ買ってしまったのでここは見送りました。この頃は雨の気配など毛ほどもありません。>

クリックで拡大<左:一橋大学前の桜。大学通りには基本的にソメイヨシノとイチョウが1本おきに植わっていますが、大学周辺はそれ以外にいろいろな種類の桜があって彩り豊かです。>

クリックで拡大<右:一橋大学前の枝垂桜とタテカン(立て看板)。以前は学生運動のスローガンや時事問題に対する主張を独特の書体でデカデカと書いたタテカンを見かけましたが、このところはもっぱら部員勧誘のものばかりのようです。これも時代の流れというものでしょう。>

クリックで拡大<左:一橋大学を過ぎてしばらくの交差点の角にある丸い赤ポスト。昭和なレトロ感を醸し出す小道具としてオブジェ的に置いてあるのを見かけたりもしますが、ここのは立派に現役で、このとおりちゃんと利用者もいます。>

クリックで拡大<右:毎年お花見の目印になっている木。だいぶ老木で、横に張っていた枝はいつか切られてしまいましたが、まだまだいっぱい花をつけてくれます。これを撮ったのがほぼ正午ですが、この頃から次第に空が暗くなり始め、「あれれ?」という感じになってきております・・・>
 
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つくば道から旧筑波山郵便局へ(2)
 (承前)さて、臼井の集落からいよいよ筑波山を登り始めます。最初のうちはそれほどきつくありませんが、次第に傾斜が加わります。道の両側の家々の木々や草花が目を慰めてくれます。桜はもう七〜八分咲きでしょうか。標高が多少高くても南向きの斜面なので、このあたりでは平地からの遅れは思ったほどではないようです。

クリックで拡大  登って行くと、やがて市営駐車場と石の鳥居が現れます。ここが旧筑波山郵便局のチラシにある「六丁目の鳥居」です。もとはここから上は石段が続いていたが、昭和40年代に舗装道路となったとのこと。おかげで車で上まで登れるようになり、地元の方にはおおいに恩恵があったことでしょう。

クリックで拡大  ときどき息を整えながらゆっくり登って行くと、ところどころに「神輿御休所」という真新しい札が出ています。そういえば旧筑波山郵便局のチラシに「御座替祭(おざがわりさい) お神こしが通ります。」とあったな、と思い出していると、ちょうどそのお向かいのお家からおばあさんが出ていらしたので「すみません、今日はおみこしが出るんですか?」と聞いてみました。
「そうですよ。下にあったでしょ。」
「あれ、そうですか、気が付きませんでした・・・この道を上がるんですか?」
「そうよ、道一杯になって、上まで、神社までね。時間は2時半頃だから、よかったら見ていったら?」
「ああ、わかりました。ありがとうございました。」
 この時点ではまだ11時前で、午後2時半まではずいぶんあります。今日は旧筑波山郵便局が目的で山の上でゆっくりする予定ではなかったので、御神輿は次の機会に譲ることにして上を目指します。

クリックで拡大  汗ばんできたので腕まくりをして息を弾ませながら歩くうちに、道が二股に分かれて、右側に「通行止め」という表示があるところに出ました。右が本通りで本来のつくば道ですが、石段が残っているので車は通れません。車で上へ行くには左側の西山通りでなければいけないので、「通行止め」は車用の表示です。右の本通りに入ってしばらく歩くと、ようやく石段が見えてきました。石段を上がると、おお、あった!



 
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つくば道から旧筑波山郵便局へ(1)
クリックで拡大  4月1日、新年度初日の火曜日は朝からさわやかに晴れて風もおさまり、絶好のお花見日和となりました。
 そこで私は、今日のこの好日を無駄にするのは勿体ないと朝から自転車でつくばセンターまで出かけ、価格改定後の東京駅行き高速バス上り専用回数券を購入。さっそくこれを使って都内の桜でも見ようかと思っていたところ、バスの切符売り場にあった一枚のチラシに目が止まりました(左写真)。
 へえ、旧筑波山郵便局ねぇ。どうやらつくば市北条から筑波山神社に至る「つくば道」にあるらしい。北条のつくば道の入り口までは数年前に自転車で行ったが、そこから筑波山方面に行ったことはないし、古い建物を見るのも好きだし、一年に2回しかないというその春の公開最終日にこのチラシが目に入ったのも何かの縁か。よし、今日はつくば道を歩いてこの旧筑波山郵便局まで行ってみることにしよう!
 もともとどこかで花でも見ようと思って出てきたので、バッグの中にはカメラが2台入っています。デジタルカメラの FUJI X20 と、フィルム用一眼レフの Nikon FE。FE には普段あまり使わない望遠ズームの Tokina 70mm-210mm f4-5.6 を付け、フィルムは KODAK GOLD200 24枚撮りを詰めました。FUJI X20 がカバーしない望遠側をこれで撮ろうという魂胆。それに機械はときどき使わないと具合悪くなっちゃいますからね。

 というわけで、まずは北条まで行かなければなりません。自転車で行くという手もありますが、さらにそこから歩いて筑波山の中腹まで登って下りてがあるので、今回はバスで行くことにしました。時刻表を見ると15分後に「つくバス」(つくば市のコミュニティバス)北部シャトルの筑波山口行きがあります。これで東大通りを通ってチラシにある「筑波交流センター」まで300円。交流センター近くのスーパーでペットボトルのお茶を2本買って歩き始めました。時刻は午前9時40分、快晴微風。
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2014年2月奈良行き 7.登美ヶ丘から大阪経由東京へ エピローグ
(承前) さて、学園前周辺で見ようと思っていたものはこれで全て見たので、学園前駅から伸びる「やすらぎの道」に戻ってさらに北へと歩き、登美ヶ丘を経て近鉄けいはんな線の学研奈良登美ヶ丘駅を目指します。
 小学生時代の私の行動範囲の北限は鶴舞小学校の少し先、今「万代」のある所に広がっていた田んぼと小川までで、大渕池すらせいぜい2、3回、その先の登美ヶ丘はたぶん1回しか行ったことがなかったと思います。登美ヶ丘は鶴舞団地と同じくもともと何もなかった丘陵地を50年ほど前に開いて作られた地域で、登美ヶ丘の「とみ」はトミノナガスネヒコから来ていることは以前このブログでも書きました。小学生の頃に行ってみた時の印象はとにかく一戸建ての家がどこまでも続いているというものでしたが、今回歩いてみてもその印象は全く変わりません。松伯美術館の周辺からして大きくて立派な一戸建てが立ち並ぶ高級住宅地で、団地とは全然違う世界が広がっていますし、「やすらぎの道」を北へ北へと歩くと、道の両側に一戸建てがどこまでも数限りなく建ち並んでいます。
 さて、そのように一戸建てが果てしなく立ち並ぶ中に、鶴舞団地と似た感じの中登美団地という団地群があります。中にショッピングセンターがあるところもかつての鶴舞団地と同じですが、このショッピングセンターに入っているお店の一覧の案内看板を見ていて、何と古書店が入っているのを発見!団地のショッピングセンターに古書店ですよ。意外も意外だし、そもそも古書店とあれば普段なら一も二もなく行ってみるところですが、ショッピングセンターが通りからかなり入ったところにあるのと、とうにお昼を回ったのにまだ朝食を済ませていないのと、JR奈良駅に降りてからは近鉄奈良駅から学園前駅までの電車の中で座ったのと松伯美術館で2、3分座った以外はずっと歩きづめで疲れていたのとで、今回は見送り、しかも案内看板の写真を撮るのも失念してしまいました。次に奈良に来るときは大阪から近鉄けいはんな線を完乗してここに来て、奈良市の古書店めぐりをしようかなあ。そのときはちゃんと朝ご飯食べてから来よう。

学研奈良登美ヶ丘付近  中登美団地は鶴舞団地より少し遅れて1967年頃から入居が始まったようですが、鶴舞団地がリニューアル中であるのに対しここはまだまだ当時の建物が現役(もちろんきちんと手入れされています)で、周囲には幼稚園、小学校、中学校、県立登美ヶ丘高校があります。そして2006(平成18)年3月の近鉄けいはんな線の開通を契機として、中登美団地の北側一帯にマンションや商業施設が続々と建設され、さらに2008(平成20)年度から翌年の2009(平成21)年度にかけて、奈良学園の登美ヶ丘幼稚園・小学校・登美ヶ丘中学・登美ヶ丘高校の開園・開校、大和高田市から奈良文化女子短期大学の移転などもあり、大阪に通勤する子育て世代を呼び込み定着させるインフラが着々と整ってきた結果、この辺りには子供や若い世代の人々の生活が醸し出すどことなく華やいだ雰囲気と活気が感じられます。それはちょうど私が住み暮らしていた頃の40年前の鶴舞団地を思わせ、私はなんとなくほっとしました。
<上の写真は奈良学園幼稚園・小学校・中学・高校と周辺マンション群。40年前の私にもそうだったように、あなたたちの前にも未来の奈良があるよ!>
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2014年2月奈良行き 6.おばさんショートカットと松伯美術館
(承前) さて、私が鶴舞団地と鶴舞幼稚園の敷地を仕切る柵に施された怪しい工作の写真を撮っていると、そこへ買い物袋を提げた品の良い老婦人がやって来ました。その姿を見た途端、私はこの怪しい工作、幼稚園の柵を越えようとする「試み」の目的を一瞬にして理解したのです。ああ、これは団地のおばさんたちが買い物に行くための近道、「おばさんショートカット(仮名)」や!

 この「おばさんショートカット(仮名)」を説明するには地図の力を借りないとちょっと難しい。
おばさんショートカット関連地図
 上の図の上端近くを見ていただくと、赤い枠で囲った「鶴舞小学校」、その左隣に鶴舞幼稚園(○の中に「幼」の記号)があり、そのさらに左に「万代」と注記された建物があります。この「万代(まんだい)」は○の中に「百」の記号、すなわち「デパート・スーパーマーケット」の記号が示す通り、現在鶴舞団地から最も近いスーパーで、実際に行ってみると郊外型の大型食品スーパーです。
 ところでこの辺りの地形に注目してみると、まず「鶴舞小学校」の字の上に「・122」という表示があり、ここの標高が122mであることがわかります。また「万代」の左下の方に「・110」という表示があるので、ここは標高110m。さらに鶴舞小学校と 「万代」との間に「がけ(土)」の記号が連なっているので、鶴舞小学校や鶴舞幼稚園、鶴舞団地のある面と「万代」がある面は、高さ約12mの土の急斜面で隔てられていることがわかります。実はこの「万代」がある辺りは「万代」の北側を細々と流れている川が作った谷で、私が住んでいた頃は「万代」など影も形もなく、ただ小川と田んぼが広がっているばかりでした。そして鶴舞小学校の校庭の外れからこの谷に向かって、標高差12mの草の急斜面を段ボールをお尻に敷いて滑り降りるのは大変スリルがあって面白かったのですが、これは学校から禁止されていたので禁断の愉しみでありました。
 閑話休題、改めて地図を見ていただくと、「万代」の少し南で学園前駅から来る道から東へ分かれ、「万代」の南側のがけの上を通って鶴舞小学校に至る、緩いS字カーブを描いている道があります。この道は北側の登美ヶ丘方面から鶴舞小学校・幼稚園に来る子供たちのための通学・通園路で、この道が学園前駅からの道から分かれる点から少し北に「万代」に通じる道があります。ところで、学園前駅からの道には「やすらぎの道」という名前がついているらしい(地図の「青池」の左あたりに書いてある)。私が住んでいた頃は誰もそんなこと言ってませんでしたけどね・・・。しかし「やすらぎ」と言えば、近鉄奈良駅前から佐保橋へ行く道が「やすらぎ通り」でした。うーむ、今回の旅のキーワードはどうやら「やすらぎ」らしいぞ。ちなみに「青池」の左側の赤で囲った「水道局西部営業所」というのが前回登場した給水塔の場所です。ご参考まで。
 再び閑話休題、地図でわかるとおり、鶴舞団地からは直接北側へ出ていく道がありません。団地ができた当時、北側には小学校・幼稚園と崖と小川と田んぼしかなく、また商店は鶴舞ショッピングセンター(前回見た通り今は床屋さんしかやってませんが、昔はスーパーと商店がいくつかあった)あるいは学園前の駅前や青池の商店街など全て南側にあったので、団地から北側へ出ていく必要はなかったのです。しかし今では団地に最も近い大型食品スーパー「万代」も、その少し先にあるやはり大型店の生協(ならコープ学園前。そういえば以前参加した研修でここのお店の方に会いました。そのときの話はこちら)も、いずれも団地のすぐ北西側にあり、当然日々の買い物にはこっちへ行きたい。ところが団地から北へ出る道がないので、正規のルートを通ってそちらへ行こうとすると、地図にオレンジの線で表示したようにぐるりと大回りしなければなりません。そこで団地と幼稚園の間の柵をこそっと乗り越え、幼稚園の敷地をちょろっとかすめて、先ほど紹介した登美ヶ丘方面からの通学・通園路に下り、後は何食わぬ顔で「やすらぎの道」まで出てしまえば、「万代」はもうすぐそこ、生協もそのすぐ先です。この団地の北西側にお買い物に出かけるための非公認ルートが、地図上に青線で示した「おばさんショートカット(仮名)」なのです。
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2014年2月奈良行き 5.鶴舞団地
承前)  青池周辺の現状を見てちょっと気持ちが沈みましたが、気を取り直して再び給水塔まで戻り、いよいよ昔住んでいた鶴舞団地の中へと分け入ります。

給水塔付近から北側(鶴舞団地)  学園前駅から北へ伸びる道は給水塔のあたりが一番高くなっていて、地形的にはここから北へ向かってだらだらと下って行き、その両側に鶴舞団地が展開しています。左の写真を見るとわかるとおり、道の左側(西側)は既にリニューアル済みで真新しい住棟が立ち並んでいます。私が住んでいたのは道の右側(東側)に建っていた41号館ですが、まさにちょうどその辺りがリニューアル工事の真っ最中らしく、そちらへ入る道ごと塀に囲われてしまっていて立ち入ることができません。しかし心配は無用、こっちは7年もここに住んでたんだから、入り込むルートなんていくらでも心得てますって。

41号館がない!  というわけで、工事中のエリアを通り過ぎた先から東側に入り込みます。と、なんとそこには衝撃的な光景が!右写真に見える43、42と続いてその先にあるはずの41号館、私が幼少期の7年間を過ごした41号館が、な、ない!42号館の先にはベルリンの壁のような無情の仕切りが立ちはだかり、その向こう側にあった懐かしの41号館は既に解体されてしまっていたのです。あーあ、来るのが遅かった・・・。しかも1番違いの42号館から先が残っているってのは、何だかなぁ。

鶴舞ショッピングセンター  ま、なくなっちゃったものはもうどうしようもないので、かつて自分が住んでいた41号館の407号室を訪れるという計画は諦めることにして、続いてここからすぐ近くのショッピングセンターのエリア(44号館、45号館)を訪ねてみました。左の写真正面の茶色い建物が44号館で、1階が店舗、上が普通の団地になっています。私が住んでいた頃は1階の店舗フロアには薬屋さん、パン屋さん(神戸屋)、床屋さんなどが入っていましたが、今は床屋さんだけが営業していて、その他は空いてます。
 左側の45号館は、私が住んでいた頃は近商ストアの小型店が入っていました。うちの母親はここの近商ストアよりも、前回にちょっと触れた青池の北側の商店街の方をひいきにしていました(おそらく生鮮食料品は商店街の方が安かった)。しかし距離的にはこちらの方が近いのでときどきこちらへ来ることもありました。一方子供のワタクシは、野菜は八百屋・肉は肉屋・魚は魚屋と商品ごとに別々の店で対面販売の個人商店よりも、何でも欲しいものをカゴに入れてレジでまとめて精算するスーパーの方が「進んでる」(死語)感じがしてましたね。でもここの近商ストアでも、肉なんかは今のようなパックにはなってなくて量り売りだったと思います。オジサンが経木か経木まがいの紙に肉やハム、ソーセージなんかを取って重さを量って包み、上から紙をかけてマジックで値段を書いてくれて、レジで精算するのです。ああそうだ、商店街のお肉屋さんの方はだいたいいつも量目より何グラムかおまけしてくれたんだっけ。近商ストアはその辺シビアでしたね。子供心にもその辺の違いは何となくわかりました。この45号館はその後連絡事務所などに使われていたようですが、今ではやはり空き家になってます。いずれリニューアルされちゃうんだろうな・・・。
鶴舞ショッピングセンター遊具  さらにこのショッピングセンターの一画に、右の写真のとおり遊具が設置されています。これは私が住んでいた頃からあったのかな、ちょっと印象がないんですが、いずれにしてもこいつらもリニューアルされちゃうんだろうな・・・。
 
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