アンダンテ・フェスティーヴォ(シベリウス)

 先日、所属オケの団内演奏会でシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」(弦楽合奏版 JS 34b)を指揮する機会があり、一夜漬けとは言わず二夜漬けくらいの (^^;; にわか勉強をしました。それでもありがたいことに何がしか得られたものはあったので、自分用の備忘録的に書き留めておきます。

 

作品の成立
 とりあえず Wikipedia で調べたところによりますと、「アンダンテ・フェスティーヴォ」の弦楽四重奏版(JS 34a)はシベリウス57歳の1922年に作曲され、1930年にコントラバスを含む弦楽合奏(ティンパニを任意で加えることができる)用に編曲されたとのこと。弦楽四重奏版と弦楽合奏版は旋律・和声・構成等基本的に同一の音楽です。
 なお1924年に作曲されたピアノのための「5つの印象的小品」Op.103 の第1曲「村の教会」に「アンダンテ・フェスティーヴォ」の旋律が引用されています(後述)。

 

楽曲の構成
 全曲は81小節から成り、テンポの指示はありませんが曲名から Andante で演奏されることは明らかで、私が使ったスコアには演奏時間5分と表示されています。ト長調、2/2拍子で書かれており、曲中にテンポ変更の指示はなく、転調も途中4小節間だけ臨時記号で変ロ長調−イ長調に転調する以外はト長調−ホ短調という平行調間のそれに限られているのでシャープやフラットの増減もありません。全パートが同時にほぼ同じリズムで動くことが多く、和声的にもあまり複雑な和声や意表をついた進行は用いられていません。それらのことが相俟って、曲は全体に聖歌や賛美歌のような簡潔さと慎ましさをたたえており、フェスティーヴォ(祝祭的)という言葉から連想される華やかで浮き立つような感じは全くありません。前述のとおり「村の教会」というタイトルを持つピアノ曲に旋律が引用されていることから、むしろ宗教的なものが込められていると考えてよいのではないでしょうか。

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
配達だより:03. 転ぶ

 お弁当や食材を宅配する仕事では、誤配や遅配がないことも勿論ですが、お客様にお届けする商品の品質保持が最重要課題。特に今の時期は高温多湿のため、センターの冷蔵庫や冷凍庫から取り出した商品の保冷には特に気を使います。商品を車に積み込む際には冷凍した蓄冷剤やドライアイス(冷凍品の場合)を同梱して低温を保ち、またお客様にお届けする際にも、お客様の玄関先に車が止められてお客様もご在宅という場合ならともかく、原則としてお弁当や食材は小ぶりなダンボール箱くらいの発泡スチロール製の保冷箱に入れ、さらに蓄冷剤やドライアイスと断熱シートをセットして、商品が温まらないようにして車から玄関先まで運びます。つまり商品を入れた保冷箱を小脇に抱えるか両手で捧げ持つような体勢で車から玄関先までお伺いするわけで、お客様がご不在の場合はその保冷箱のまま封をして玄関先等ご指定の場所に置いてくるため、それに十分な量の蓄冷剤が入った保冷箱はそこそこの重さになります。

 

 ところで、先日この保冷箱を両手で捧げ持つ体勢で階段を上っていたところ、最後の一段でつまづいて前向きに倒れてしまいました。さらにその何件か後のお客様の玄関先でも段差につまづいて再び転倒。酔っ払っていて転んだことは数回ありましたが(恥)、白昼に素面で、しかも一日に二回というのは初めてです。その上両手がふさがっていたのでまともに膝を打ってしまって痛かった・・・。
 年をとると筋力の低下等により自分で思っているよりもつま先が上がらなくなり、つまづいて転びやすくなるという話を聞いたことがありますが、いよいよ自分もそういう年になってきたのかなあ。しかもつまづくだけでなく、バランスを崩しても何とか持ちこたえて体勢を立て直す「粘り」みたいなものもきかなくなっていて、手もなく転びます。いかんいかん。皆様も足元にはお気をつけて。

| 配達だより | 12:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
配達だより:02. ハス田

 週に3〜4日、夕食用の弁当やおかず、食材等を宅配するパートに出ています。センターに出勤してお弁当や食材を積み込んだら、私が担当するコースはまず土浦市の北東、霞ヶ浦湖畔の台地上の集落へ向かいます。土浦市近辺の霞ヶ浦湖畔には標高3〜4メートルの沖積低地が霞ヶ浦を縁取り、その背後に関東ローム層を載せた標高25〜30メートルほどの洪積台地が広がります。低地と台地の境は比高約20メートルの段丘をなしていて、台地上へ登る道はけっこうな急坂です。湖畔の低地は湿潤で水田に適し、一方背後の台地は多くは畑ないし森林ですが、台地の間を刻む谷には水田も見られます。それが本シリーズの「01. キジ」の舞台にもなった「谷津田」です。

 

<今回扱う区域の概略図。左下に青い楕円で囲ったのがJR常磐線の土浦駅。右側の大きい赤い四角で囲ったのが今回前半で扱う霞ヶ浦湖畔の沖積低地とその背後の洪積台地。左側の小さい赤い四角で囲ったのは後半で扱う土浦市街の北側の住宅地。>
 

 この霞ヶ浦湖畔の湿潤な沖積低地は古くから水田として利用されてきたであろうと思われますが、現在ではレンコンを栽培するハス田が一面に広がり、土浦は日本一のレンコン生産地とされています。常陸国風土記の香島郡の条には「其(=香島の大神)の社の南、郡家の北に沼尾池(ぬまのをのいけ)あり。古老の曰へらく、神世に天より流れ来し水沼(みぬま)なりと。生(お)へる蓮根(はちす)、味気(あぢはひ)太(いと)異(こと)に、甘美(うま)きこと、他所(よそ)のものに絶(すぐ)れたり。病める者、此の沼の蓮(はちす)を食へば、早く差(い)えて験あり。」(『風土記』武田祐吉編 1937 岩波文庫による。なお字体は現行の字体に変えました)とあり、レンコンが古代から食されていたことがわかりますが、土浦近辺の霞ヶ浦湖畔での栽培は昭和45(1970)年から始まった政府によるコメの生産調整に伴う転作事業によって飛躍的に伸びたようです。そしてこの霞ヶ浦湖畔に広がるハス田が、今ちょうど花の時期なのです。

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| 配達だより | 08:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
配達だより:01. キジ

 しばらく前から、お客様のお宅に夕食用の食材やお弁当等を配達するパートを始めました。朝10時にセンターに出勤して食材やお弁当、保冷剤等を軽トラックの貨物車に積み込み、いくつかのルートに別れてそれぞれのルートで一日に40〜50軒程度のお宅に配達して回ります。
 私が担当しているルートは霞ヶ浦湖畔や土浦市北部の農村地帯から新興住宅地、土浦の郊外から中心市街地までいろんなところを通ります。その中で気づいたこと、出会ったことをぽつぽつと書いていこうと思います。

 

 6月下旬の晴れて暑い日のこと。土浦市郊外の板谷の谷津田(台地の間に谷状に入り込んだ低地を利用した水田)に接する斜面に展開する住宅地でキジを見ました。茨城ではキジは別に珍しい鳥ではなく、5月にはあちこちで声が聞かれますし、今はわかりませんが20年くらい前にはJAXAの筑波宇宙センター構内にいるのを何度か目撃しました。しかし奈良のシカじゃあるまいし、戸建てが密集する住宅地の目と鼻の先に出るというのは茨城でもちょっと珍しいと思います。

 

<以下の拙文だけではよくイメージできないと思うので、参考までに付近の地形図を示します。この図の下辺から赤い道が2本V字型に伸びていますが、左上へ走るのが国道125号で、一番左上の緑色のくりりんとしたのは常磐自動車道の土浦北インターチェンジ。一方右上へ走るのが国道6号(土浦バイパス)。その右に縦に走る黄色い道は旧国道6号(茨城でロッコクという)で、地図の下が土浦・東京方面、地図の上が水戸・いわき方面です。地図の中央を東西にほぼまっすぐ流れている川に沿って、南北を少し高い台地に挟まれながら伸びている水田が谷津田、四角い赤枠で囲ったのが問題の細道。>

 

 今回の現場ですが、上の地形図に見られるとおり、この谷津田はほぼ東西方向に伸びており、谷津田の北側の台地、つまり谷津田への斜面が南向きで日当たりがよい方は比較的早くから(遅くても1970年代から)住宅地として開発されていました。一方谷津田の南側の台地の斜面には、北向きで日当たりが悪いためでしょう、宅地は全く見られず、現在に至るまで雑木やクズなどからなるヤブが残されており(特に地図の「都和(四)」という字のあたり)、自然度高いです。この日もホトトギスやウグイスの声が賑やかで、谷津田にはコサギかアマサギか、小型のサギが降り立って餌を漁っていました。昔はホタルがたくさん見られたそうです。

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| 配達だより | 20:57 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『新編 日本思想史研究 村岡典嗣論文選』(村岡典嗣著 前田勉編 2004 平凡社 東洋文庫726)
 最初に、本文中では敬称を省略したことをお断りしておきます。

 本書を読むまでは、私にとって村岡典嗣(むらおか・つねつぐ)という人は岩波文庫の本居宣長(もとおり・のりなが)の著書の校訂者に過ぎませんでしたが、本書巻末の前田勉氏による解説によると、村岡は「日本思想史学の生みの親」(p.414)であり、そういえば最近読んだばかりの家永三郎『日本道徳思想史』(1954/1977 岩波全書)巻末の「参考文献補遺」にも名前がありました。曰く
 
通史ではないけれど、村岡典嗣「日本思想史研究」四冊にも、参照すべき論文が多く含まれている。特に方法論に関する論文は、津田前引書(注:津田左右吉『文学に現はれたる我が国民思想の研究』四冊をさす)の序文と共に、道徳思想史の方法論を考えるに当って教えられるところが多い。何といっても、津田・村岡両者は日本思想史学を独立の学問的体系として樹立した草創者であり、たといその学問の内容や思想的立脚点にまったく同意し得ないとしても、日本思想史を研究しようとする学徒は、まずこの両先学の業績から出発するのが順路であると思う。(家永『日本道徳思想史』 p.240)

このように、津田左右吉と並んで村岡典嗣の業績を讃えています。。
 ところが、おもしろいことに前田勉による本書解説には、逆に家永三郎に言及した部分があるのです。曰く
 
この点、家永三郎が、村岡は「概して研究の対象に温い同情を注ぎつつその精神の理解につとめ、短所の暴露よりも特色の発見に重きをおいた」と、「限界の指摘に重きをおいて仮借なき批判を急とした」津田左右吉と対比しつつ、指摘していることが参考になる(「日本思想史学の過去と将来」、『家永三郎集』第一巻)。(p.425)

とのこと。前田はこの点に関連して
 
思想家を分析する立場には、弁護士型と検察官型の二つのタイプがあるが(内田義彦「方法としての思想史」、『内田義彦著作集』六巻)、自己の人生観・世界観からする超越的批評をしばしば行っている津田左右吉は明らかに検察官型であったのにたいして、村岡は、「本人が口ごもっている言い分を何とか聞きただしてみよう、本人の自覚にあるものよりもいま少し明確にその言い分を聞いてみよう」(同右)とする弁護士型に属していたといえよう。(p.426)

とも述べています。同じジャンルに属する本同士ですから当たり前かも知れませんが、村岡典嗣と津田左右吉を仲立ちにして本書とその前に読んだ本とがけっこうピンポイントで響き合うというのは、ちょっとおもしろい経験でした。

<東洋文庫の常として、表紙・背・裏表紙は落ち着いたグリーンのクロス装で大変手触りがよい。表紙には書名をはじめ字は何もありませんが、背に金で書名・著者名等が押されているので、本棚から取り出すには困りません。>
 
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| 本のこと | 15:49 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
バッハのフルート・ソナタ ホ短調 BWV1034 第一楽章15小節目の改変
あれ、音が違う!?
 特にこれという原因も思い当たりませんが、ある日突然といった感じでバッハのホ短調のフルート・ソナタ BWV1034 が大好きになってしまいました。有田正広さんがトラヴェルソ(バロック時代のフルート)で吹いたCDを持っていますが、他にもいろんな演奏を聞いてみようと Naxos Music Library で古今のさまざまな録音を聞いているうちに、録音によってある音が違っていることに気づきました。
 その音とは第一楽章の15小節目のフルートの、十六分音符が16個あるうちの最初から7番目の音(以下この音符を Fl:15/n.7(フルートの15小節の7番目の音符( note )の意)と書くことにします)で、私が持っている新バッハ全集(ハンス=ペーター・シュミッツ Hans-Peter Schmitz 校訂 1963年)準拠の全音ベーレンライター原典版シリースの譜面ではこの音は a(ラ)なのですが、この音を半音高い ais(ラ#)で吹いている録音があるのです。たった半音の違いですが、この違いはいろいろな問題を提供していますので、以下検討していきます。
<譜例は新バッハ全集の15小節目と16小節目の前半。赤丸で囲った音はこの譜例では a(ラ)ですが、この音が半音高い ais(ラ#)になっていることがある。>

 私が最初にこの違いに気づいたのは、ジュリアス・ベイカーが吹いた1947年録音の演奏を聞いたときでした。さらに他の演奏を聞いてみると、アラン・マリオン、ペーター=ルーカス・グラーフ、ジャン=ピエール・ランパル、マクサンス・ラリュー、ヨハネス・ワルター、ポーラ・ロビソンなど、いずれも少年時代の私がまぶしく見上げた錚々たるビッグネームたちが、私の持っている新バッハ全集の音より半音高い ais(ラ#)で吹いていたのです。
 ところがおもしろいことに、一度は ais(ラ#)で吹いていたペーター=ルーカス・グラーフは、その後娘のピアノと入れた新しい録音では新バッハ全集の音 a(ラ)で吹いており、さらにランパルも後年の録音では a(ラ)で吹いています。つまり問題の音を ais(ラ#)で吹いていた奏者たちのうち、少なくともこの二人はその後 a(ラ)に乗り換えたというわけです。
 ais(ラ#)で吹いている演奏家の顔ぶれがいずれも比較的古い(失礼!)人であることと、グラーフおよびランパルの「乗り換え」から考えるに、どうもこの音は古い譜面の音らしい。そこでクラシック音楽の譜面のデータベース IMSLP でこの曲を探してみると、この推測は当たりでした。この ais(ラ#)は旧バッハ全集(パウル・ヴァルダーゼー Paul Graf Waldersee 校訂 1894年)の音だったのです。
<譜例は旧バッハ全集の15小節目と16小節目の前半。赤丸で囲った音は新バッハ全集の譜例では a(ラ)だったが、こちらでは臨時記号シャープがついて半音上がっている。>
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| オーケストラ活動と音楽のこと | 17:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
馬頭琴とモンゴルの音楽について
 先週のことですが、馬頭琴のコンサートを聞きに行きました。馬頭琴はモンゴルの弦楽器で、写真で見る通り四角い胴に棹がつき、その先端が馬の頭の形をしているので「馬頭琴」の名があります。全体の形は日本の三味線に似ていますが、三味線がばちで弦を弾(はじ)く撥弦(はつげん)楽器なのに対して、馬頭琴は弓で弦を弾(ひ)く擦弦(さつげん)楽器です。弦の数も三味線は3本なのに対して馬頭琴は2本です。全長は1mほどになり、胴体を膝の間にはさんで弓で弾く演奏姿勢から「草原のチェロ」と呼ばれます。
 この日の演奏会は土浦在住の作曲家兼バンドネオン奏者兼その他多くの楽器のマルチプレイヤーの啼鵬(ていほう)氏と、同じく土浦在住の弦楽器工房の幹弓(かんきゅう)氏と一緒に聞きました。幹弓氏は今回の演奏会に使われている楽器のメンテナンスをなさったそうで、楽器や弓の構造に関しての幹弓氏の実見談も参考にさせていただきながら、馬頭琴やモンゴル音楽についてわかったこと、考えたことをこちらに書いておきます。
<写真は馬頭琴コンサートのチラシ。ちなみにこのコンサートは2月19日に神奈川県の藤沢市勤労会館、3月17日に千葉県のアミュゼ柏(私が行ったのはコレ)、3月20日に東京都の瑞穂町郷土資料館、4月2日に埼玉県の北本市文化センターを巡回して開催されます / ました。最後の4月2日のコンサートなら今からでも間に合いますよ。>
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| オーケストラ活動と音楽のこと | 17:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ルロイ・アンダーソンの Plink, Plank, Plunk という曲名について
 アメリカの作曲家ルロイ・アンダーソン Leroy Anderson(1908-1975)の作品に Plink, Plank, Plunk という弦楽合奏のためのかわいい曲があります。弦楽合奏といってもこの曲は初めから終わりまで弦を指で弾くピツィカートという奏法が指定されているため、弓は全く使いません。
 この曲名、日本語では「プリンク、プレンク、プランク」「プリンク、プランク、プランク」「プリンク、プランク、プルンク」等の数種類の表記があります。英語の発音に近い表記として Plink はプリンク、Plunk はプランクでほぼよいのですが、真ん中の Plank が問題です。この a は [ae] みたいな発音記号で表される、中学校で初めて英語を習うときに(今では小学校から習うらしいが)「アとエの中間の音」みたいに教わる音、have とか can のあの発音です。
 ところで私は中学2年のときは名古屋市千種区(現在は名東区)の中学校にいたのですが、この中学校の英語のK先生は have を「ひゃぶ」と発音していらっしゃって、転校生の私(1年のときは岡山県倉敷市の木造校舎の中学校でした)は「さすがは名古屋だぎぁ」と思ったものです・・・ああ、これはもう半世紀以上昔の話ですから、今の名古屋市の中学校では勿論そんなことないと思いますよ (^^;;
 で、この have とか can の a の音ですが、日本語にするときには have だと「ハブ」、 can は「キャン」というふうに、概ね「ア」段を当てるのが通例になっていますので、このルールを Plank にすなおーに当てはめると「プランク」となるわけですが、これだと次の Plunk の「プランク」とかぶってしまいます。そこで Plank と Plunk を何とか区別しようとして、Plank の方をもちょっと蓮っ葉な(死語?)感じにして「プレンク」にしたり、逆に Plunk の方に遠慮してもらって「プルンク」とローマ字ふうに書いてみたりするために、いくつかのヴァリエーションが生まれているわけですね。ちなみにこれを K先生ふうに言いわけるなら「プリンク、プリャンク、プランク」となって、三つが明確に区別されるわけで・・・わーK先生ごめんなさい☆

 さて、この Plink, Plank, Plunk という曲名ですが、これはどういう意味なのでしょうか?ネット上にはたとえば

  • 曲名の Plink, Plank, Plunk! は、「ぽろん、ばたん、どすん!」といった擬音語を表す。(こちら

  • プリンク・プレンク・プランクとは物がカタン、ポトンと落ちる音のことだそうです。辞書には「Plunk」はそういう意味で載っていましたが「Plink」「Plank」は無かったです、動詞の活用形でもなさそうなので意味不明ですスラングかも知れません。(こちら

  • PLINK(プリンク)、PLUNK(プランク)ともに英語では弦楽器をポロンと弾くという意味、これにPLANK(プレンク)という語呂合わせと思われる言葉を加え洒落を効かせたこの曲は、あたかも弦楽器を一斉にはじく擬音語を捩って「プリン!プレン!プラン!」がもっとも原語の発音に近いのではないだろうか?(こちら


  •  

といった諸説が見られます。いずれもまずは辞書を引いて、それを取捨選択敷衍していらっしゃるようで、私も後述のとおり辞書で plink、plank、plunk の3語を引いてみて、それぞれの説にそれぞれの根拠があることがわかりました。
 しかしこれらの説は、この曲名が擬音語であるという点では大きく一致するものの、細部はなおまちまちであり、しかもなぜ似たようで微妙に違う擬音語が3つ、この順番で並んでいるのかということまでは説明されていません。私も以前から漠然と弦のピツィカートの擬音であろうなぁと思って済ませていましたが、一昨日の夜、風呂に入っているときに、なぜこの3語がこの順番で並んでいるのかという理由を「発見」したのです! まあ「発見」とは言っても内容は他愛もないことなので、「なに、そんなの今頃わかったの?」と呆れる方もいらっしゃるかとは思いますが、とにかく独力で「発見」したことではありますので、一応ここに書いておきます。
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| オーケストラ活動と音楽のこと | 11:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『日本道徳思想史』(家永三郎 1954(初版)1977(改版) 岩波全書194)
 このところ、海外から大量に日本に押しかける観光客の、日本人の目には傍若無人で非礼に映る行動に関する報道を目にする機会が増えました。これらの人々だって、わざわざ日本人に迷惑をかけ自国の面目を貶(おとし)めようとしてこうした振舞をするわけではないのでしょうが、どうも彼我の公衆道徳には大きな違いがあるようです。そこでまずは我ら日本人の道徳律のよって来るところを考えてみようと、本書を繙(ひもと)きました。例によってまずは目次を掲げます。

改版にあたって
はしがき
序 章 日本道徳思想史とは何か
第一章 原始社会人の道徳思想
第二章 氏姓階級の道徳思想
宗教思想
政治思想
階級意識
家族道徳思想
人生観
第三章 貴族の道徳思想(上)
政治思想
階級意識
家族道徳思想
宗教思想
第四章 貴族の道徳思想(下)
階級意識および政治思想
生活目標
家族道徳思想
宗教意識
第五章 僧侶の道徳思想
出家意識
出家精神の喪失
第六章 武士の道徳思想(上)
主従道徳
家族道徳思想
政治思想
階級意識
宗教思想
第七章 武士の道徳思想(下)
封建意識
家族道徳思想
政治思想
経済思想
武士道
宗教思想
封建道徳の伝統
第八章 町人の道徳思想
階級的自覚
家族道徳思想
経済思想
宗教思想
享楽主義
封建思想
町人精神の伝統
第九章 農民の道徳思想
政治思想および社会意識
人生観
家族道徳思想
参考文献補遺
時代一覧
年表
書名索引
人名索引

 本書は基本的には時代区分に従って原始時代(先史時代)から江戸時代とその直後の明治時代あたりまでを扱いながら、僧侶と農民に関しては時代で区分せず通史的に扱っています。町人(商人と職人を含むが、主に商人)についても時代区分でなく独立した章を立てていますが、これは主に江戸時代の道徳思想を武家のそれと町人のそれに分けた、その町人の分で、従って江戸時代の町人を扱っています。巻末の「時代一覧」が時代区分と本書の構成を一覧できる表になっていますので、これを下に掲げます。
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| 本のこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『山の思想史』(三田博雄・著 1973 岩波新書(青版)860 F104)
 書名からは、山に関する思想、つまり山というものがどのように考えられてきたかに関する通史かと思われそうですが、次に掲げる目次を見るとわかるとおり、本書は「I なぜ山へ登る」に続いて山に関係の深い人々9人を取り上げ、その各人の山に対する向き合い方とその遍歴を追ったものです。

I     なぜ山へ登る
II  北村透谷
III   志賀重昂
IV   木暮理汰郎
V    武田久吉
VI   田部重治
VII  大島亮吉
VIII 加藤文太郎
IX   高村光太郎
X    今西錦司
あとがき

  II 以下は各章で取り上げられている人の名前がそのまま出ていて内容が容易に想像されますが、I だけは人名ではなく「なぜ山へ登る」という総論めいたタイトルがつけられています。この章は『若きウェルテルの悩み』や多くの文学作品を書く一方で官僚として鉱山経営の事務等を取り仕切り、また自然科学の研究にも取り組んだゲーテを取り上げながら、本書の全体を通底する「科学技術と人の心とのそれぞれに宿るデーモンの克服」という基調を設定した章なのです。つまり II 以下の各章が本書の本論に当たりますが、「I なぜ山へ登る」の章は II 以下で扱う人々の人選やその取り上げ方といった本書の基調を定めた章でもあり、また論の進め方が私にはやや難解でもあったので、自分自身の復習を兼ねてここに紹介しておこうと思います。
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| 本のこと | 16:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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