今ではまず見かけませんが、昔は「満を引く」という言い方があり、多少なりとも漢学の素養のある酒徒が使ったようです。私がこの言葉を初めて目にしたのは、その著作を通じて私に学問の楽しさ面白さを教えてくれた青木正児(あおき・まさる)の『抱樽酒話(ほうそんしゅわ)』(昭和23 弘文堂)に収める「大酒の会 附 酒令」という随筆でした。文化12(1815)年に江戸の千住で行われた大酒会の条に「来賓の文晁・鵬斎も江島や鎌倉で満を引き、其の上で小盃でちびちびやったと云うから上戸の部に這入る資格は有る。」とあるのがそれで、文中の「文晁」は画家の谷文晁、「鵬斎」は文人の亀田鵬斎、「江島」「鎌倉」はこの大酒会のために用意された大盃の名で、それぞれ5合入と7合入だったそうです。文意からして「満を引く」とは「盃を満たして飲み干す」という意味であることは明白なので、私はことさら辞書を引くまでもなくこの語をそのように解して何の疑問も持ちませんでした。
ところで最近雪隠読書で岩波文庫の『陶淵明全集』(松枝茂夫・和田武司訳注 1990)を読み始めたところ、その「巻二 詩五言」に収める「遊斜川」という詩の「引満更献酬 / 満を引いて更(こもごも)献酬す」という句に至り、なるほど例の「満を引く」の出処はこのあたりか、流石に周代から唐代に至る飲酒詩のアンソロジー「中華飲酒詩選」(1961)を編んだ青木らしいと自得しましたが、さてその訳を見ると「なみなみとついだ杯を互いにやりとりする。」とあり、語注には「〈引満〉杯になみなみとつぐ。」とあります。つまりこの語釈では「満を引く」とは杯を満たすところまでを指し、その杯から酒を飲む動作は含んでいないのです。おやおや、それでよいのだろうかと鈴木虎雄『陶淵明詩解』(昭和23 弘文堂 / 1991 平凡社東洋文庫)を参照してみると、引満の字句解は「満は酒をなみなみとついだ杯、引はその杯を口元へ引きつけること」、訳文は「十分ついだ杯を引受け引受け互にやりとりをする」としてあります。私の理解にやや近いですが、「引」という字に引っ張られてか「口元へ引きつける」「杯を引受け引受け」までにとどまっていて、その杯から酒を飲むところまで踏み込んでいないのは甚だ遺憾です。披露宴の花婿じゃあるまいし、酒徒にとっては酒をなみなみとついだ杯を口元へ引きつける動作とその酒を口に含む動作とは当然一続きで、切っても切れないものですから。
もっとも青木正児によると鈴木虎雄は下戸だったのだそうで、やはり『抱樽酒話』に収める「飲酒詩雑感」には「鈴木豹軒(虎雄)先生が作詩作文の時間に、御自作の遊記一篇を示され、そして或る箇所を指して、此所は一瓢を傾けることにすると面白いのだが、虚言を書くわけにもいかないし、と残念がられた。豹軒先生が下戸であり、そして真摯であらせられることを知ったのは此時が始めである。」とあり、さらにその先には「豹軒先生は三杯までは旨いが、それ以上は飲めない」ともあります。酒盃を口元にまで引きつけておきながら飲むに至らないのは、上戸の心下戸知らずといったところでもありましょうか。
閑話休題、その後家蔵の辞書類を引っ張り出してみたところ、広辞苑第6版の「満」の項に「―・を引く」として「 1) 弓を十分に引きしぼる。 2) [漢書叙伝上「皆満を引き白を挙ぐ」]酒をなみなみと盛った杯をとって飲む。」とあり溜飲を下げましたが、諸橋轍次(もろはし・てつじ)他著の新漢和辞典(大修館)四訂版の「引」の項には「みたす」という字義を上げ、「引満」の語義を「 1) 弓をいっぱいに引きしぼること。 2) 杯に酒をなみなみと盛ること。」としてあります。
かれこれを思い合わせてみると、どうやらこの「引満・満を引く」という語は、漢文では「杯を満たす」であってそれを飲むまでには言及せず、これに対して和文では「杯を満たして飲む」と、その意味するところが微妙に異なっているように見受けられます。この違いがどこから出たものか俄(にわか)には知り難いのですが、ことによると、かの魏志倭人伝に「人の性、酒を嗜む」と看破された我が祖先から無慮数千年にわたって伝えられてきた飲ん兵衛DNAの仕業なのかも知れません。
(なお文中敬称は略し、引用文は新字・新かなに改めました。)