メグデンって誰?

 本ブログではこれまで時々クラシック音楽界にはびこる「なんだかなあ」についてブツブツ言ってきましたが(以前の分はこちらの文末にまとめて紹介してます)、また新しい「なんだかなあ」を発見してしまいました。

 

 ここ数日ムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」の曲目紹介を書くために資料に当たっていました。手元にある『ON BOOKS SPECIAL 5 名曲ガイドシリーズ 管弦楽曲(下)ベルク→ワルトトイフェル』(音楽之友社 1984;以下「音友資料」という)と『Kleine Partitur No.23 交響詩曲「禿山の一夜」』(解説 溝部国光 日本楽譜出版社;以下「日譜資料」という)、"The Musician's Guide To Symphonic Music - Essays from the Eulenburg Scores" (Ed. Corey Field, Schott Music Corporation 1997;以下「オイレンブルク資料」という)だけでなく、Wikipedia の日本語版英語版等ネットの情報も参考にしました。

 

 これらの資料の多くがこの曲の作曲のきっかけとして「妖婆」という戯曲への付曲を挙げているのですが、問題はこの「妖婆」の作者の名前。音友資料、日譜資料、Wikipedia 日本語版など日本語の資料ではいずれも「メグデン」となっていて、日譜資料は「メグデン(Megden)」と綴りまで出しています。ところがオイレンブルク資料や Wikipedia 英語版など英語の資料ではいずれも Mengden となっていて、発音は「メングデン」ないし「メンデン」でしょうか。音も綴りも日本語の資料と一致しません。何じゃこりゃぁー!?

 

<オイレンブルク資料。下線のとおり Mengden と書かれています。>
 

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 08:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
アンダンテ・フェスティーヴォ(シベリウス)

 先日、所属オケの団内演奏会でシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」(弦楽合奏版 JS 34b)を指揮する機会があり、一夜漬けとは言わず二夜漬けくらいの (^^;; にわか勉強をしました。それでもありがたいことに何がしか得られたものはあったので、自分用の備忘録的に書き留めておきます。

 

作品の成立
 とりあえず Wikipedia で調べたところによりますと、「アンダンテ・フェスティーヴォ」の弦楽四重奏版(JS 34a)はシベリウス57歳の1922年に作曲され、1930年にコントラバスを含む弦楽合奏(ティンパニを任意で加えることができる)用に編曲されたとのこと。弦楽四重奏版と弦楽合奏版は旋律・和声・構成等基本的に同一の音楽です。
 なお1924年に作曲されたピアノのための「5つの印象的小品」Op.103 の第1曲「村の教会」に「アンダンテ・フェスティーヴォ」の旋律が引用されています(後述)。

 

楽曲の構成
 全曲は81小節から成り、テンポの指示はありませんが曲名から Andante で演奏されることは明らかで、私が使ったスコアには演奏時間5分と表示されています。ト長調、2/2拍子で書かれており、曲中にテンポ変更の指示はなく、転調も途中4小節間だけ臨時記号で変ロ長調−イ長調に転調する以外はト長調−ホ短調という平行調間のそれに限られているのでシャープやフラットの増減もありません。全パートが同時にほぼ同じリズムで動くことが多く、和声的にもあまり複雑な和声や意表をついた進行は用いられていません。それらのことが相俟って、曲は全体に聖歌や賛美歌のような簡潔さと慎ましさをたたえており、フェスティーヴォ(祝祭的)という言葉から連想される華やかで浮き立つような感じは全くありません。前述のとおり「村の教会」というタイトルを持つピアノ曲に旋律が引用されていることから、むしろ宗教的なものが込められていると考えてよいのではないでしょうか。

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
配達だより:03. 転ぶ

 お弁当や食材を宅配する仕事では、誤配や遅配がないことも勿論ですが、お客様にお届けする商品の品質保持が最重要課題。特に今の時期は高温多湿のため、センターの冷蔵庫や冷凍庫から取り出した商品の保冷には特に気を使います。商品を車に積み込む際には冷凍した蓄冷剤やドライアイス(冷凍品の場合)を同梱して低温を保ち、またお客様にお届けする際にも、お客様の玄関先に車が止められてお客様もご在宅という場合ならともかく、原則としてお弁当や食材は小ぶりなダンボール箱くらいの発泡スチロール製の保冷箱に入れ、さらに蓄冷剤やドライアイスと断熱シートをセットして、商品が温まらないようにして車から玄関先まで運びます。つまり商品を入れた保冷箱を小脇に抱えるか両手で捧げ持つような体勢で車から玄関先までお伺いするわけで、お客様がご不在の場合はその保冷箱のまま封をして玄関先等ご指定の場所に置いてくるため、それに十分な量の蓄冷剤が入った保冷箱はそこそこの重さになります。

 

 ところで、先日この保冷箱を両手で捧げ持つ体勢で階段を上っていたところ、最後の一段でつまづいて前向きに倒れてしまいました。さらにその何件か後のお客様の玄関先でも段差につまづいて再び転倒。酔っ払っていて転んだことは数回ありましたが(恥)、白昼に素面で、しかも一日に二回というのは初めてです。その上両手がふさがっていたのでまともに膝を打ってしまって痛かった・・・。
 年をとると筋力の低下等により自分で思っているよりもつま先が上がらなくなり、つまづいて転びやすくなるという話を聞いたことがありますが、いよいよ自分もそういう年になってきたのかなあ。しかもつまづくだけでなく、バランスを崩しても何とか持ちこたえて体勢を立て直す「粘り」みたいなものもきかなくなっていて、手もなく転びます。いかんいかん。皆様も足元にはお気をつけて。

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配達だより:02. ハス田

 週に3〜4日、夕食用の弁当やおかず、食材等を宅配するパートに出ています。センターに出勤してお弁当や食材を積み込んだら、私が担当するコースはまず土浦市の北東、霞ヶ浦湖畔の台地上の集落へ向かいます。土浦市近辺の霞ヶ浦湖畔には標高3〜4メートルの沖積低地が霞ヶ浦を縁取り、その背後に関東ローム層を載せた標高25〜30メートルほどの洪積台地が広がります。低地と台地の境は比高約20メートルの段丘をなしていて、台地上へ登る道はけっこうな急坂です。湖畔の低地は湿潤で水田に適し、一方背後の台地は多くは畑ないし森林ですが、台地の間を刻む谷には水田も見られます。それが本シリーズの「01. キジ」の舞台にもなった「谷津田」です。

 

<今回扱う区域の概略図。左下に青い楕円で囲ったのがJR常磐線の土浦駅。右側の大きい赤い四角で囲ったのが今回前半で扱う霞ヶ浦湖畔の沖積低地とその背後の洪積台地。左側の小さい赤い四角で囲ったのは後半で扱う土浦市街の北側の住宅地。>
 

 この霞ヶ浦湖畔の湿潤な沖積低地は古くから水田として利用されてきたであろうと思われますが、現在ではレンコンを栽培するハス田が一面に広がり、土浦は日本一のレンコン生産地とされています。常陸国風土記の香島郡の条には「其(=香島の大神)の社の南、郡家の北に沼尾池(ぬまのをのいけ)あり。古老の曰へらく、神世に天より流れ来し水沼(みぬま)なりと。生(お)へる蓮根(はちす)、味気(あぢはひ)太(いと)異(こと)に、甘美(うま)きこと、他所(よそ)のものに絶(すぐ)れたり。病める者、此の沼の蓮(はちす)を食へば、早く差(い)えて験あり。」(『風土記』武田祐吉編 1937 岩波文庫による。なお字体は現行の字体に変えました)とあり、レンコンが古代から食されていたことがわかりますが、土浦近辺の霞ヶ浦湖畔での栽培は昭和45(1970)年から始まった政府によるコメの生産調整に伴う転作事業によって飛躍的に伸びたようです。そしてこの霞ヶ浦湖畔に広がるハス田が、今ちょうど花の時期なのです。

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| 配達だより | 08:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
配達だより:01. キジ

 しばらく前から、お客様のお宅に夕食用の食材やお弁当等を配達するパートを始めました。朝10時にセンターに出勤して食材やお弁当、保冷剤等を軽トラックの貨物車に積み込み、いくつかのルートに別れてそれぞれのルートで一日に40〜50軒程度のお宅に配達して回ります。
 私が担当しているルートは霞ヶ浦湖畔や土浦市北部の農村地帯から新興住宅地、土浦の郊外から中心市街地までいろんなところを通ります。その中で気づいたこと、出会ったことをぽつぽつと書いていこうと思います。

 

 6月下旬の晴れて暑い日のこと。土浦市郊外の板谷の谷津田(台地の間に谷状に入り込んだ低地を利用した水田)に接する斜面に展開する住宅地でキジを見ました。茨城ではキジは別に珍しい鳥ではなく、5月にはあちこちで声が聞かれますし、今はわかりませんが20年くらい前にはJAXAの筑波宇宙センター構内にいるのを何度か目撃しました。しかし奈良のシカじゃあるまいし、戸建てが密集する住宅地の目と鼻の先に出るというのは茨城でもちょっと珍しいと思います。

 

<以下の拙文だけではよくイメージできないと思うので、参考までに付近の地形図を示します。この図の下辺から赤い道が2本V字型に伸びていますが、左上へ走るのが国道125号で、一番左上の緑色のくりりんとしたのは常磐自動車道の土浦北インターチェンジ。一方右上へ走るのが国道6号(土浦バイパス)。その右に縦に走る黄色い道は旧国道6号(茨城でロッコクという)で、地図の下が土浦・東京方面、地図の上が水戸・いわき方面です。地図の中央を東西にほぼまっすぐ流れている川に沿って、南北を少し高い台地に挟まれながら伸びている水田が谷津田、四角い赤枠で囲ったのが問題の細道。>

 

 今回の現場ですが、上の地形図に見られるとおり、この谷津田はほぼ東西方向に伸びており、谷津田の北側の台地、つまり谷津田への斜面が南向きで日当たりがよい方は比較的早くから(遅くても1970年代から)住宅地として開発されていました。一方谷津田の南側の台地の斜面には、北向きで日当たりが悪いためでしょう、宅地は全く見られず、現在に至るまで雑木やクズなどからなるヤブが残されており(特に地図の「都和(四)」という字のあたり)、自然度高いです。この日もホトトギスやウグイスの声が賑やかで、谷津田にはコサギかアマサギか、小型のサギが降り立って餌を漁っていました。昔はホタルがたくさん見られたそうです。

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| 配達だより | 20:57 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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