2015.11.27 Friday
なんかちゃんとしてない音楽関連情報
先日投稿した「バッハ「フーガの技法」付属のコラール」をほぼ書き上げた頃になって気づいたことがあって、もっとも記事の内容にはあまり影響がないのであえて触れませんでしたが、新バッハ全集の「フーガの技法」 BWV1080 付属のコラールの注は、実はちょっと間違っているのです。
問題のページは下左。音楽之友社版です。
これの左肩の Erstausgabe: Choral, Wenn wir in höchsten Noethen sein という注は「初版では Choral, Wenn wir höchsten Noethen sein」と言っているわけですが、実際に初版を見るとこのコラールはそういうタイトルではありません。
右が初版のコラールの最初のページですが、タイトルは Choral Wenn wir in hoechsten Noethen となっています。新バッハ全集の注と見比べてみると höchsten ではなく hoechsten だし、最後の sein がありません。
問題のページは下左。音楽之友社版です。
これの左肩の Erstausgabe: Choral, Wenn wir in höchsten Noethen sein という注は「初版では Choral, Wenn wir höchsten Noethen sein」と言っているわけですが、実際に初版を見るとこのコラールはそういうタイトルではありません。
右が初版のコラールの最初のページですが、タイトルは Choral Wenn wir in hoechsten Noethen となっています。新バッハ全集の注と見比べてみると höchsten ではなく hoechsten だし、最後の sein がありません。
このコラールは今日では Wenn wir in höchsten Nöten sein と表記されますが、私の感じでは古くは ö より oe の方が好んで使われていたような印象がありますし、 t に続く発音されない h は今日の新しい正書法では削除されますが、昔は残されていました。日本では「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳以外にもゴエテ、ゲョーテ、ゲォエテ、ゴアタ等々30種になんなんとする呼ばれ方をしたという文豪ゲーテも、その音に忠実に今日の正書法で表記すれば Göte となるのでしょうが、本名は Goethe です。つまり ö / oe や t / th は時代によってゆらぎや交替がある可能性が高い綴りなのだから(・・・って、ンなことニッポン人に言われなくたってドイツ人ならみんなわかってるんじゃないだろうか?)そこはどうなってるのかしっかり押さえてほしいと思うのですが、ドイツはカッセルに本拠を置くベーレンライター社刊行の新バッハ全集の注は、höchsten では今日の綴りと同じ ö を使いながら Nöten では ö ⇒ oe、t ⇒ th に置き換えるという一貫性のなさと、(文法的にはあった方が正しいが)初版にはない sein を今日のタイトルどおりに入れるというミスによって、結果として Erstausgabe の面影を伝え損なっています。ちょっと、この注を書いたあなた!ナマでも写真でも何でもいいんだけど、あなたほんとにこれ初版見て書いたの?と聞きたい気分。
「音楽 / 楽譜で大事なのは音符なんだから、タイトルなんて多少違ってたってどうでもいいじゃないか」という考えもあるかも知れませんが、私はそんなことはないと思うのです。タイトルだって曲の一部であって作曲者は自分の作品の名前を間違って呼ばれたくはないでしょうし、そもそも同じ一つの譜面の中で文字情報はいい加減なのに音符だけは正確厳密に扱うなんていうことが本当にできるのでしょうか?たとえ文字情報であっても(文字情報であればなおさら?)こんな単純な不一致を見落として、あるいは放置して、出版にまで至ってしまう「節穴的な目」や「ツメの甘さ」のある譜面を、私はちょっと信用できないんですけどぉ〜。
まあ信用できなくたって何だって、そういう譜面しかなければそれを使うしかないわけで、譜面そのものを疑ったらおちおち演奏もできないし(もっとも「原典版」は印刷された譜面をそのまんま演奏すればいいという種類の譜面ではなく、いい意味で「疑う」必要があるので、それについては機会を改めて書こうと思っています)ブログの記事だって書けなくなっちゃいますが、私が思うに他の分野はいざ知らずクラシック音楽の分野には、このテの文字情報、すなわち楽譜の中のオタマジャクシ以外の情報についてちゃんとしてないことがずいぶん多いような気がするのです。本ブログでも「「女学生」って誰?」や「音楽之友社版マーラー交響曲第1番スコアの誤訳」で曲名や注記の誤りについてぶーたれてますし、また「アバド / ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集DVD」、「ペール・ギュント組曲版スコアの「はしがき」〜第一組曲の1「朝の気分」」、「ペール・ギュント組曲版スコアの「はしがき」その2〜第一組曲の2, 3, 4」等でDVDのライナーノートやスコアの楽曲解説といった二次的な文字情報のハテナな内容を指摘させていただいてきておりますが、このテの話が今回また増えちゃいました。今月の14日に亡くなった俳優の阿藤快(あとう・かい)さんじゃないですが、「なんだかなぁ〜」ですよ・・・
「音楽 / 楽譜で大事なのは音符なんだから、タイトルなんて多少違ってたってどうでもいいじゃないか」という考えもあるかも知れませんが、私はそんなことはないと思うのです。タイトルだって曲の一部であって作曲者は自分の作品の名前を間違って呼ばれたくはないでしょうし、そもそも同じ一つの譜面の中で文字情報はいい加減なのに音符だけは正確厳密に扱うなんていうことが本当にできるのでしょうか?たとえ文字情報であっても(文字情報であればなおさら?)こんな単純な不一致を見落として、あるいは放置して、出版にまで至ってしまう「節穴的な目」や「ツメの甘さ」のある譜面を、私はちょっと信用できないんですけどぉ〜。
まあ信用できなくたって何だって、そういう譜面しかなければそれを使うしかないわけで、譜面そのものを疑ったらおちおち演奏もできないし(もっとも「原典版」は印刷された譜面をそのまんま演奏すればいいという種類の譜面ではなく、いい意味で「疑う」必要があるので、それについては機会を改めて書こうと思っています)ブログの記事だって書けなくなっちゃいますが、私が思うに他の分野はいざ知らずクラシック音楽の分野には、このテの文字情報、すなわち楽譜の中のオタマジャクシ以外の情報についてちゃんとしてないことがずいぶん多いような気がするのです。本ブログでも「「女学生」って誰?」や「音楽之友社版マーラー交響曲第1番スコアの誤訳」で曲名や注記の誤りについてぶーたれてますし、また「アバド / ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集DVD」、「ペール・ギュント組曲版スコアの「はしがき」〜第一組曲の1「朝の気分」」、「ペール・ギュント組曲版スコアの「はしがき」その2〜第一組曲の2, 3, 4」等でDVDのライナーノートやスコアの楽曲解説といった二次的な文字情報のハテナな内容を指摘させていただいてきておりますが、このテの話が今回また増えちゃいました。今月の14日に亡くなった俳優の阿藤快(あとう・かい)さんじゃないですが、「なんだかなぁ〜」ですよ・・・