2015.07.30 Thursday
ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く 05. イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団
「ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く」プロジェクトの第5弾。今回も1枚に2曲を収めた盤です。演奏はイシュトヴァン・ケルテス指揮のロンドン交響楽団。今回のCDには録音年月や録音場所の詳しいデータが載ってませんでしたのでネットで探ってみたら、2曲とも1967年10月としてあるものもあり、第2番の方は1967-68年としてあるものもありという具合でなぜかはっきりしないのですが、いずれにしても1929年生まれのケルテスとしては30台後半の録音ということになりますね。レーベルは Decca、CD番号は 466 672-2 です。
イシュトヴァン・ケルテスは1929年にハンガリーのブタペストに生まれ、フランツ・リスト音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、1953年からハンガリーのジェールで、また1955年からはブダペスト国立歌劇場で指揮者として活動していましたが、1956年のハンガリー動乱の際に旧西ドイツへ亡命し、1958年から63年までアウグスブルク歌劇場の音楽監督、1964年からはケルン歌劇場の音楽監督を務め、さらに1965年から68年までロンドン交響楽団の首席指揮者、1971年からケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の音楽監督も務めました。将来を嘱望されていましたが、1973年4月、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するために訪れていたテル・アヴィヴの近くのヘルツリヤの海岸で遊泳中に43歳の若さで死亡、その早すぎる死を惜しむ人は今も多いです。
ロンドン交響楽団は英国を代表するオーケストラで、ケルテスとは1961年から共演を重ねています。この録音はケルテスが首席指揮者を務めていた時期にあたります。
上に述べたように録音年月がはっきりしないため、この2曲のセレナーデが一連のセッションで録音されたものかそうではないのかわかりませんが、聞いた感じでは音楽的な面も音作りの傾向も共通していると思います。
で、その演奏の特徴は、表現意欲に溢れていて全体に明るくおおらかで遠慮がないと言いましょうか、これの直前に聞いたマズア / ゲヴァントハウス盤の慎ましやかで大事に慈しむようなスタイルとは正反対の、外向きで積極的で元気な演奏です。ダイナミクスの幅は弱音から強奏まで大きくとられ、音楽はいつも前向きに進んで停滞せず、短調の曲でも静かな曲でも常に外へ向けて表現する姿勢が一貫しています。スコアを見ながら聞くと複数の音型や旋律線の間のバランスとか楽器の出入りによる色合いの変化、音符の音価(長さ)の調整等にさり気なく気を配っていることがわかります。
<上の譜例はセレナーデ第1番の第一楽章、第二主題の再現の部分(428小節〜)。第一ヴァイオリンは旋律、チェロとコントラバスはオスティナート(決まった音型を繰り返す)を担当していて、ファゴットと第二ヴァイオリン、ヴィオラが内声を担当しています。この内声をさらに細かく見ると、第一ファゴットと第二ヴァイオリンがオブリガート、第二ファゴットとヴィオラがカデンツ(終止形)を作るベースラインを担当しています。ケルテスはオブリガートよりカデンツのベースラインを絶妙のバランスで強調します。
下の譜例は同じく第1番第一楽章の再現部から小結尾へのつなぎの部分(481小節)。第一・第二ヴァイオリンは二分音符になっていますが、ケルテスはおそらくヴィオラに合わせたのでしょう、これを短めに弾き切ってフレーズの終わり感を強調するとともに、ここから始まる小結尾に前へ進む勢いを与えています。なおここにはスコアのレイアウトの都合で再現部を出しましたが、提示部でも同じ処理がされています。>
しかしバランスの取り方や音価の調整といったことはスコアと首っ引きで聞いて初めて「あ、そうなんだ」とわかるので、ケルテスとしてはそういう台所事情はことさら表に出さず、ソフィスティケーションみたいな小難しいこともまあ措いといて、ここぞというところでは金管の強奏なんかも入れて、「はいお待ちどお!」「わあ美味しそう!」で、食べてみるとほんとに美味しくて栄養満点なお料理という、そういうスタイルをとっていると思います。そもそも特別な事情がない限り音楽を聞きながらスコア見たりはしませんから、私も含め普通の人は無心に聞いて「ああ美味しかった、ご馳走さま!」と満足し、ごくごく少数の玄人が「うーん、いい仕事してますねぇ」と感心する、そういった演奏じゃないでしょうか。しかもその料理がいかにも野狐禅な客のウンチクを誘いそうな寿司とか蕎麦とかじゃなくて、ボリュームたっぷりみんな大好きなビストロのランチみたいに、気取りがなくて色どりもきれいで、美味しい。
イシュトヴァン・ケルテスは1929年にハンガリーのブタペストに生まれ、フランツ・リスト音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、1953年からハンガリーのジェールで、また1955年からはブダペスト国立歌劇場で指揮者として活動していましたが、1956年のハンガリー動乱の際に旧西ドイツへ亡命し、1958年から63年までアウグスブルク歌劇場の音楽監督、1964年からはケルン歌劇場の音楽監督を務め、さらに1965年から68年までロンドン交響楽団の首席指揮者、1971年からケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の音楽監督も務めました。将来を嘱望されていましたが、1973年4月、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するために訪れていたテル・アヴィヴの近くのヘルツリヤの海岸で遊泳中に43歳の若さで死亡、その早すぎる死を惜しむ人は今も多いです。
ロンドン交響楽団は英国を代表するオーケストラで、ケルテスとは1961年から共演を重ねています。この録音はケルテスが首席指揮者を務めていた時期にあたります。
上に述べたように録音年月がはっきりしないため、この2曲のセレナーデが一連のセッションで録音されたものかそうではないのかわかりませんが、聞いた感じでは音楽的な面も音作りの傾向も共通していると思います。
で、その演奏の特徴は、表現意欲に溢れていて全体に明るくおおらかで遠慮がないと言いましょうか、これの直前に聞いたマズア / ゲヴァントハウス盤の慎ましやかで大事に慈しむようなスタイルとは正反対の、外向きで積極的で元気な演奏です。ダイナミクスの幅は弱音から強奏まで大きくとられ、音楽はいつも前向きに進んで停滞せず、短調の曲でも静かな曲でも常に外へ向けて表現する姿勢が一貫しています。スコアを見ながら聞くと複数の音型や旋律線の間のバランスとか楽器の出入りによる色合いの変化、音符の音価(長さ)の調整等にさり気なく気を配っていることがわかります。
<上の譜例はセレナーデ第1番の第一楽章、第二主題の再現の部分(428小節〜)。第一ヴァイオリンは旋律、チェロとコントラバスはオスティナート(決まった音型を繰り返す)を担当していて、ファゴットと第二ヴァイオリン、ヴィオラが内声を担当しています。この内声をさらに細かく見ると、第一ファゴットと第二ヴァイオリンがオブリガート、第二ファゴットとヴィオラがカデンツ(終止形)を作るベースラインを担当しています。ケルテスはオブリガートよりカデンツのベースラインを絶妙のバランスで強調します。
下の譜例は同じく第1番第一楽章の再現部から小結尾へのつなぎの部分(481小節)。第一・第二ヴァイオリンは二分音符になっていますが、ケルテスはおそらくヴィオラに合わせたのでしょう、これを短めに弾き切ってフレーズの終わり感を強調するとともに、ここから始まる小結尾に前へ進む勢いを与えています。なおここにはスコアのレイアウトの都合で再現部を出しましたが、提示部でも同じ処理がされています。>
しかしバランスの取り方や音価の調整といったことはスコアと首っ引きで聞いて初めて「あ、そうなんだ」とわかるので、ケルテスとしてはそういう台所事情はことさら表に出さず、ソフィスティケーションみたいな小難しいこともまあ措いといて、ここぞというところでは金管の強奏なんかも入れて、「はいお待ちどお!」「わあ美味しそう!」で、食べてみるとほんとに美味しくて栄養満点なお料理という、そういうスタイルをとっていると思います。そもそも特別な事情がない限り音楽を聞きながらスコア見たりはしませんから、私も含め普通の人は無心に聞いて「ああ美味しかった、ご馳走さま!」と満足し、ごくごく少数の玄人が「うーん、いい仕事してますねぇ」と感心する、そういった演奏じゃないでしょうか。しかもその料理がいかにも野狐禅な客のウンチクを誘いそうな寿司とか蕎麦とかじゃなくて、ボリュームたっぷりみんな大好きなビストロのランチみたいに、気取りがなくて色どりもきれいで、美味しい。