ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く 05. イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団
 「ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く」プロジェクトの第5弾。今回も1枚に2曲を収めた盤です。演奏はイシュトヴァン・ケルテス指揮のロンドン交響楽団。今回のCDには録音年月や録音場所の詳しいデータが載ってませんでしたのでネットで探ってみたら、2曲とも1967年10月としてあるものもあり、第2番の方は1967-68年としてあるものもありという具合でなぜかはっきりしないのですが、いずれにしても1929年生まれのケルテスとしては30台後半の録音ということになりますね。レーベルは Decca、CD番号は 466 672-2 です。
 イシュトヴァン・ケルテスは1929年にハンガリーのブタペストに生まれ、フランツ・リスト音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、1953年からハンガリーのジェールで、また1955年からはブダペスト国立歌劇場で指揮者として活動していましたが、1956年のハンガリー動乱の際に旧西ドイツへ亡命し、1958年から63年までアウグスブルク歌劇場の音楽監督、1964年からはケルン歌劇場の音楽監督を務め、さらに1965年から68年までロンドン交響楽団の首席指揮者、1971年からケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の音楽監督も務めました。将来を嘱望されていましたが、1973年4月、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するために訪れていたテル・アヴィヴの近くのヘルツリヤの海岸で遊泳中に43歳の若さで死亡、その早すぎる死を惜しむ人は今も多いです。
 ロンドン交響楽団は英国を代表するオーケストラで、ケルテスとは1961年から共演を重ねています。この録音はケルテスが首席指揮者を務めていた時期にあたります。

 上に述べたように録音年月がはっきりしないため、この2曲のセレナーデが一連のセッションで録音されたものかそうではないのかわかりませんが、聞いた感じでは音楽的な面も音作りの傾向も共通していると思います。
 で、その演奏の特徴は、表現意欲に溢れていて全体に明るくおおらかで遠慮がないと言いましょうか、これの直前に聞いたマズア / ゲヴァントハウス盤の慎ましやかで大事に慈しむようなスタイルとは正反対の、外向きで積極的で元気な演奏です。ダイナミクスの幅は弱音から強奏まで大きくとられ、音楽はいつも前向きに進んで停滞せず、短調の曲でも静かな曲でも常に外へ向けて表現する姿勢が一貫しています。スコアを見ながら聞くと複数の音型や旋律線の間のバランスとか楽器の出入りによる色合いの変化、音符の音価(長さ)の調整等にさり気なく気を配っていることがわかります。

<上の譜例はセレナーデ第1番の第一楽章、第二主題の再現の部分(428小節〜)。第一ヴァイオリンは旋律、チェロとコントラバスはオスティナート(決まった音型を繰り返す)を担当していて、ファゴットと第二ヴァイオリン、ヴィオラが内声を担当しています。この内声をさらに細かく見ると、第一ファゴットと第二ヴァイオリンがオブリガート、第二ファゴットとヴィオラがカデンツ(終止形)を作るベースラインを担当しています。ケルテスはオブリガートよりカデンツのベースラインを絶妙のバランスで強調します。
 下の譜例は同じく第1番第一楽章の再現部から小結尾へのつなぎの部分(481小節)。第一・第二ヴァイオリンは二分音符になっていますが、ケルテスはおそらくヴィオラに合わせたのでしょう、これを短めに弾き切ってフレーズの終わり感を強調するとともに、ここから始まる小結尾に前へ進む勢いを与えています。なおここにはスコアのレイアウトの都合で再現部を出しましたが、提示部でも同じ処理がされています。>

 しかしバランスの取り方や音価の調整といったことはスコアと首っ引きで聞いて初めて「あ、そうなんだ」とわかるので、ケルテスとしてはそういう台所事情はことさら表に出さず、ソフィスティケーションみたいな小難しいこともまあ措いといて、ここぞというところでは金管の強奏なんかも入れて、「はいお待ちどお!」「わあ美味しそう!」で、食べてみるとほんとに美味しくて栄養満点なお料理という、そういうスタイルをとっていると思います。そもそも特別な事情がない限り音楽を聞きながらスコア見たりはしませんから、私も含め普通の人は無心に聞いて「ああ美味しかった、ご馳走さま!」と満足し、ごくごく少数の玄人が「うーん、いい仕事してますねぇ」と感心する、そういった演奏じゃないでしょうか。しかもその料理がいかにも野狐禅な客のウンチクを誘いそうな寿司とか蕎麦とかじゃなくて、ボリュームたっぷりみんな大好きなビストロのランチみたいに、気取りがなくて色どりもきれいで、美味しい。 
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| ブラームスのセレナーデ | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く 04. クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 「ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く」プロジェクトの第4弾。今回も第1番と第2番が1枚に入っているものです。録音時間は第1番が46分47秒、第2番が30分24秒で、合計すると77分ちょっと。このくらいがちょうど1枚に入りきる長さなのでしょうね。しかしあまりそこに注目し過ぎると、アーティストに「2曲がCD1枚に入るテンポでやってくれ」なんて注文をつけるプロデューサーが出てこないとも限りませんが・・・。

 今回聞くのはクルト・マズア指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるもので、第1番は1981年、第2番は1980年に録音されたもの。しかしどういうわけか第1番については録音スタッフや録音月日・場所の記述がなく、「ライプツィヒで1981年に録音」としかわかりません。第2番の方は1980年の4月と9月に、ライプツィヒのパウル・ゲルハルト教会で録音されたとあります。ゲヴァントハウスは優れたコンサートホールですが、第2番は編成が小さいので教会での録音になったのでしょう。PHILIPS の ELOQUENCE というシリーズで出ているCDで、CD番号は 442 8298。
 指揮のクルト・マズアは1927年生まれ。現在はポーランドになっているシュレージエン地方のブリーク出身で、ライプツィヒで学び、旧東ドイツのベルリン、ドレスデン、ライプツィヒを中心に活動し、1970年からはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者に就任、同時に西側にも出て活躍した指揮者です。
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は1743年創立で、現存する最古のオーケストラといわれ、古くはメンデルスゾーン、その後もヴィルヘルム・フルトヴェングラーやブルーノ・ワルターなど世界の一流指揮者が楽長を務め、アルザス地方出身のシャルル・ミュンシュはフルトヴェングラーとワルターの下でこのオーケストラのコンサートマスターを務めていました。ドイツを代表する名門オーケストラです。
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| ブラームスのセレナーデ | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く 03. アンドリュー・デイヴィス(第1番)・ アルミン・ジョルダン(第2番)
 「ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く」プロジェクトの第3弾。今回聞くCDは第1番と第2番が1枚になっているものですが、演奏者もオリジナルレーベルも違う演奏が1枚になっているという、ちょっと面白いCDです(左写真)。
 apex というレーベルで発売されているCDで、CD番号は 2564 61138-2。私は apex(avex やないで)というレーベルは聞いたことがありませんでしたが、裏側の下の方の小さな表示を拡大してみると(右写真)、Warner Classics、FINLANDIA、ERATO という3つのロゴが見えます。FINLANDIA はその名のとおりフィンランドのレーベル、エラートはフランスの老舗レーベルで、これらは現在ワーナー・クラシックスの傘下にあります。
 つまりワーナー・クラシックスは FINLANDIA レーベルと ERATO レーベルがそれぞれ所有している録音を取り合わせて1枚にまとめ、自分のところの apex ブランドで発売しているわけで、apex というと私なんかはコレ(左写真)を思い浮かべてしまいますが(笑)。


<しかしこの自販機の写真を撮るためだけに常磐線の駅まで出かけた私って・・・>

気を取り直して、録音のご紹介です。
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| ブラームスのセレナーデ | 13:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『憲法を生かすもの』(憲法問題研究会編 1961 岩波新書(青版) 412)
 実はこの本をいつ、どのような目的で買ったのか、記憶がありません。奥付を見ると1971年1月30日(当時私は10歳!)の第12刷で全体に古びているので、どうみても古書で買ったに違いありませんが、古書店のタグや値段の書き込みがありません。ということは「この棚全部100円」みたいなコーナーにあったものでしょう。いずれにしても記憶にないくらいですから、かなり前に、しかもたいしたモチベーションもなくテンション低いまま購入したと思われます。
 そのようなわけでその存在すら忘れられ陽の目を見ずに眠っていた本書が、このタイミングで目についたというのも何かの縁か?

<オレンジ色の付箋がいっぱい入ってます。>

 本書の編者である憲法問題研究会は、昭和33(1958)年5月28日に大内兵衛(経済学者)・茅 誠司(物理学者)・清宮四郎(憲法学者)・恒藤 恭(法哲学者)・宮沢俊義(憲法学者)・矢内原忠雄(経済学者)・湯川秀樹(物理学者)・我妻 栄(民法学者)の8人が発起人となって設立を呼びかけ、同じ年の6月8日に創立総会を開いて発足した団体で、1961年には55名の会員を擁していました。設立の目的は、前年の1957年8月に当時の岸信介内閣が憲法調査会を設置して憲法(現在の日本国憲法です)改正の検討を始めたことに対し、「その(憲法調査会の)発足の事情、ならびに、これに参加している委員の選択をみると、この調査会が、現在の憲法問題に対する広汎な民意と正しい良識とを必ずしも代表していないかのようであります。」という問題意識を抱き、「憲法の基本原理とその条章の意味をできるだけ正確に研究し、この問題に関心を抱く国民各層の参考に供したい」というものでした(引用はいずれも本書中に掲載されている「憲法問題研究会設立についての勧誘状」pp.4-5から)。
 憲法問題研究会は「A. 研究会は純粋に学問的な会である―直接には政治的活動はしない。 B. しかし国民のための会である―啓蒙的活動は辞しない。」(p.7)という方針のもとに、毎月一回の研究会とともに1959年5月3日に第一回の講演会を開きました。その翌年、1960年1月15日には、当時日本全体が注目していた米国との改定新安全保障条約調印問題(いわゆる60年安保)についての講演会を行い、さらに憲法記念日である同年5月3日にも講演会を行うとともに「安保条約そのものが憲法に反しないか、それも問題であるが、それよりも、こういう重大な問題については、国会は、あくまでも慎重審議しなくてはならぬ、それが民主主義のいまの時点での要請である」(p.12)という内容の「声明書」を出しました。
 その約2週間後の5月19日に政府が国会で安保改定を強行採決したことを受け、6月12日に「民主政治を守る講演会」を行うとともに、「衆議院は即時解散して安保改定と強行採決に対する民意を問うべきものである」(p.14)との主旨の声明書を発表しました。しかし「岸政府は即刻議会を解散するようなことはしなかった。それで、国民の目を盗んで衆議院を通過した安保条約は参議院の拒否権の不行使によって、形式上一応は成立した。国民とともにわれわれは敗退した。」(p.16)という状況となりました。

 本書は以上のような状況を受けて書かれています。研究会の発起人の顔ぶれや1960年代の岩波新書というメディアから予想されるとおり、明確にリベラル・左派の立場で書かれており、支持政党なし中道日和見派の私から見るとちょっとたじろいでしまうような表現・内容も見られますが、民主主義を大切にするという姿勢には大いに共感でき、また最近の政治的な動き、ことに安保法案の内容や扱いに関するそれを先取りしているかのような内容が含まれていて、今これを読んだということは誠にタイムリーだったと思いました。
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| 本のこと | 09:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
アサガオの別名
 昨日、というか本日未明か?、風呂に入りながらNHKの「ラジオ深夜便」を聞いていたら、「アサガオは別名を牽牛(けんぎゅう)といいます」という話が流れてきて、「おや?」と思いました。それはひょっとして牽午(けんご)では?

 なぜ私がそう思ったかというと、アサガオの種子はケンゴシという生薬として使われるのを知っていたからで、ケンゴシの最後のシ(子)は「種子」という意味なので、ということは植物そのものは当然ケンゴであろうと思われ、さらにケンゴという音からすると、牽牛の牽はいいとして、ゴと読むなら「牛」(うし)ではなく「午」(うま)だろうと推測したからです。もし本当に「牽牛(けんぎゅう)」と呼ばれるとしても、それはもともとの「牽午」が織女牽牛の話と混同されて午が牛と誤られ「牽牛」と書かれるようになったせいなのではなかろうか、とも思いました下線部分はあくまでも私が立てた仮説で、検証された事実ではありません。ご注意ください。以前このテの仮説を知らないうちに赤の他人に剽窃されて Wikipedia に掲載されたのを発見し、Wikipedia に「それは私の仮説で事実ではありません」と削除依頼したことがあります。ひどい話だ。)
 そこで風呂から上がって早速手元の『新漢和辞典』(諸橋轍次他著 大修館書店)を引いてみたら・・・

 何と!「牽牛 ケンギュウ」ですよ(左)。これは「ラジオ深夜便」の先生(お名前は聞き漏らしました)の説のとおりです。いやいやそんなはずはない、中国はいざ知らず、昔の日本ではケンゴと呼ばれていただろうと、昔も昔、大昔の『倭名類聚鈔』(平安時代中期)を引いてみると・・・

 何と!「牽牛子」ですよ(右)。やっぱり午じゃなく牛です。割注に「和名阿佐加保(あさかほ)」とあるので人違いでもありません。しかもここには牽牛という名の由来も書いてあります。「陶隠居本草に牽牛子と云う。此田舎に出て凡人之を取る。牛を牽いて薬に易(か)う。故に以って之を名づく。」と読むことができ、「牛を牽いて薬に易(か)う(牽牛易薬)」とはこれで作った薬が牛一頭分に値したということで、そう言われると「ラジオ深夜便」の先生もそんな話をされていたようだったなあ・・・(汗)。出典とされている「陶隠居本草」は陶弘景(456-536)の「本草集注」のことで、本場中国でも最初から「牽牛(子)」であったことは間違いないようで、私の「もともとの牽午が織女牽牛に引かれて牽牛になった」仮説はあっさり崩れてしまいました(笑)。

 しかし、字は牽牛子であっても、少なくとも「ケンゴシ」という読みは間違いないはずだ。そうそう、奈良の明日香村に牽牛子塚(けんごしづか)古墳というのがあるが、あれをケンギュウシ塚古墳と呼ぶなんて聞いたことないし、そない呼んだら笑われるで。
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| ことばのこと | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く 02. クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー
 「ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く」プロジェクトの第2弾はクラウディオ・アバド指揮のベルリン・フィルハーモニーです。レーベルはドイツ・グラモフォン(DG)、CD番号は 000289 477 5424。2枚組です。第1番と第2番両方を聞きますが、第1番は1981年5月にイエス・キリスト教会で録音され、第2番は1967年11月にベルリンのUfaスタジオで録音されたもので、両者の間に13年半の開きがあります。
 アバドは1933年6月生まれですから、第2番を録音した1967年11月にはまだ34歳の若手指揮者で、あちこちのオーケストラ、歌劇場、音楽祭などでキャリアを積んでいる時期でした。ベルリン・フィルに始めて客演したのはこの前年の1966年の12月、彼の最初のホームグラウンドとなるミラノ・スカラ座の音楽監督に就任するのはこの翌年の1968年10月のことです。一方、第1番を録音した1981年にはミラノ・スカラ座の音楽監督を務めながら1979年からロンドン交響楽団の首席指揮者も務め、実演・レコーディングともに盛んに行い、すっかり世界一流の指揮者として認められた時期で、ベルリン・フィルとの共演も既に数多く行っています。

 そんな積み重ねと自信に裏打ちされているせいか、1981年録音の第1番は自然なアゴーギクやダイナミクスの変化に彩られながら対位法的な労作や和声の移り変わりにも目を配り、青年ブラームスらしい爽やかさとともに、時々「この青年、実はただ者ではないんですよ」というふうな凄みも感じさせる演奏に仕上がっています。録音も弦楽器のポジション移動や管楽器のブレスがはっきりわかるオンマイクで録られた音と、カラヤン / ベルリン・フィルの録音でおなじみのイエス・キリスト教会の響きが絶妙にブレンドされた、自然ではないが不自然ではない(笑)、一言で言えばよい録音です・・・ああ、バランス・エンジニアはカラヤン・サウンドの立役者ギュンター・ヘルマンスが担当してますね。そりゃ悪かろうはずがない。
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| ブラームスのセレナーデ | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く 01. ハインツ・ボンガルツ指揮ドレスデン・フィルハーモニー
 さて、世の中は7月になり、今年はもう半分終わりました。そろそろ「ブラームスのセレナーデ17枚+2枚を聞く」プロジェクトを本格的に始めましょう。私もそうですけど、人は何か新しい仕事を始めようとするとき、なかなか踏ん切りがつかないというか、実際にとりかからない、やることは決まっているのにスタートしない、今日はこうだとか明日はああだとかで一日延ばしに延ばしてしまうということが往々にしてあります。
 これはいけません。そういう時はとにかく始めてしまうことです。昔の誰かが言ってましたが、仕事は始めてしまいさえすれば半分終ったも同じなのです。始めてみて何か不都合があったとしても実地に即して走りながら直していけばよい。やってみもしないでああじゃないか・こうじゃないかと心配していても何も片付きません。
 本プロジェクトのベースノートに書いたとおり、聞いていく順番はもう決めてあります。そしてスコアも最近入手しました。これは間違い探しをするためのものではなく、CDを聞いて何か違和感があった時の確認用です。これまでブラームスのセレナーデはただただ聞いて楽しんでいただけなので、スコアは持っていませんでした。しかし17種類+2種類も聞いて、それぞれただ漠然と楽しかったとか面白くなかったとかいうだけでは勿体ないので、自分のためにも何かが残るようなものにしたいと思うのです。

 というわけで、始めちゃいましたからね♪

 さて、最初に聞くのはハインツ・ボンガルツ指揮ドレスデン・フィルハーモニーによる演奏です。このCDに収録されているのは第1番のみで、1962年に VEB Deutsche Schallplatten Berlin によって録音されたもの。VEB (Volkseigener Betrieb) とは社会主義国家であった旧・東ドイツの国営企業を指し、Volks:人民 eigener:〜が所有する、〜のための Betrieb:企業の頭字語で「人民公社」と訳されます。発売元は edel CLASSICS GmbH、CD番号は 0002632CCC。
 指揮者のハインツ・ボンガルツは1894年にプロイセン王国西部のクレーフェルトに生まれ、同地の音楽院で学んだ後ドイツ各地の歌劇場やオーケストラの指揮者を務めました。戦後の東西ドイツ分裂後は1946年から1947年にかけてライプツィヒ音楽院で教鞭を執り、1947年からはドレスデン・フィルハーモニーの音楽監督を務め、1987年ドレスデンで亡くなりました。

<写真は今回聞いたCD、背景はスコアです。>
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| ブラームスのセレナーデ | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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