私は出先で神社を見つけると、できるだけお参りすることにしています。この日もまだ時間があったので、早速この道へ入りました。夏越大祓といえば6月30日の茅の輪くぐりですが、こちらの神社では融通を利かせて、直近の週末であるこの日にも間に合わせていただいているようです(神主様が立ち会ってのお祓いは翌日28日の午後4時からだったらしい)。出不精な私はこれまで6月30日に神社に出向いて茅の輪をくぐったことがない(今日だって家にいてこの記事書いてるし・・・)ので、思わぬところで茅の輪くぐりを初体験することになりました。
この道へ入るとすぐの角に「旧町名案内」という看板が立っています(右写真)。このあたりは昭和41(1966)年まで「駒込神明町(こまごめしんめいちょう)」だったとのことで、町名の説明文と旧町域図が出ています。以下、説明文を転記します。なお[ ]内は説明文にあるフリガナです。
旧 駒込神明[こまごめしんめい]町
(昭和41年までの町名)
もと、北豊島郡駒込村の内であった。明治24年、旧神明原の大部分、本村、本村下、富士裏[ふじうら]、丸山、丸山下の地を東京市に編入して一町とした。
町名は、神明社[しんめいしゃ](現・天祖[てんそ]神社)の所在地であるところから神明町とした。
文治[ぶんじ]5年(1189)源頼朝[みなもとのよりとも]が奥羽征討の途中、夢にお告げを聞き探させたところ、大麻[たいま](伊勢神宮のおふだ)がかかっていた。頼朝は喜びここに神明社を建てたという。
古川柳[こせんりゅう]に“駒込は一富士二鷹三茄子[なすび]”という句がある。富士神社、鷹匠[たかじょう]屋敷と富士裏(富士神社裏)のなすの駒込の名物がうたいこまれている。
説明文は以上です。説明文の隣の地図(左写真)を見ると、今通っているこの道が区立第九中学校の前を通って天祖神社の正面に至る、いわば参道であることがわかります。なるほど道沿いに「夏越大祓」の幟が立ち並んでいました。