最近読んだ本:『経済学の考え方』(宇沢弘文 1989 岩波新書新赤版53)
 宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)氏については以前からときどき評判を聞くことがあり、関心を持ってはおりました。しかし私は経理屋さんという職業柄、日本や海外の「経済」には関心を払わざるを得なかったものの、いわゆる文系ながら大学の入試科目に数学IIIまで要求されるという「経済学」とは全く無縁だったので、なかなか著書を読むきっかけがありませんでした。そんな折、昨年9月のご逝去をきっかけに業績の回顧と著書に関する記事が新聞に載ったのを参考にして、本書を読んでみることにしました。

 まずは本書の目次を紹介します。

プロローグ
I    経済学はどのような性格をもった学問か
II   アダム・スミスの『国富論』
III  リカードからマルクスへ
IV   近代経済学の誕生 ―ワルラスの一般均衡理論―
V    ソースティン・ヴェブレン ―新古典派理論の批判者―
VI   ケインズ経済学
VII  戦後の経済学
VIII ジョーン・ロビンソンの経済学
IX   反ケインズ経済学の流行
X    現代経済学の展開
エピローグ
あとがき
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自分が出た演奏会:いわき交響楽団第30回記念定期演奏会
 ずいぶん時間が経ってしまいましたが、昨年の11月から12月にかけて出演した演奏会の感想をまとめておきます。そうでないと自分が忘れちゃう・・・

 まずは11月30日(日)午後に福島県いわき市のいわき芸術文化交流館アリオスで行われた、いわき交響楽団の第30回記念定期演奏会。いわき交響楽団さんとは1994年1月の第10回定期演奏会に出演させていただいて以来のお付き合いですし、会場のアリオスの大ホールもグランドオープン前の音響テストコンサートに出演させていただいたホールです。私の側の一方的な思い込みではありますが、とても他人とは思えないオーケストラでありホールなのです(写真は今回の演奏会のプログラム)。

いわき交響楽団 第30回記念定期演奏会
日時:2014年11月30日(日) 14:00開演
場所:いわき芸術文化交流館アリオス 大ホール(福島県いわき市)
曲目:大学祝典序曲(ブラームス)
   協奏交響曲K.297b(モーツァルト)
   交響曲第2番(ブラームス)
     アンコール曲
   「エニグマ」変奏曲より Nimrod(エルガー)
独奏:今井裕美子(Ob) 小田恵子(Cl) 大楽彩恵(Fg) 齋藤洋平(Hr)
指揮:スティーブン・シャレット
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| 自分が出演した演奏会 | 15:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『捏造の科学者 STAP細胞事件』(須田桃子 2014 文藝春秋)
 刊行後間もない新刊の単行本を買うなんて私にはめったにないこと。しかも買ったその日のうちにほとんど読んでしまいました。

 本書は昨年世間を騒がせたSTAP細胞事件を、毎日新聞社東京本社科学環境部の記者がまとめたもので、本書中でも触れられている『論文捏造』(村松 秀 2006 中公新書ラクレ226)のSTAP細胞事件版と言うべきもの。『論文捏造』は2002年にアメリカのベル研究所で発覚した論文捏造事件「シェーン事件」を取材して「史上空前の論文捏造」(BSドキュメンタリー及びハイビジョン特集)という番組にまとめ上げたNHKのディレクターが書き下ろしたもので、両書は大規模な論文捏造事件を科学ジャーナリストがまとめ上げた点で共通しています。

 自ら取材した内容に科学的な吟味検討を加えて記事にする科学ジャーナリストという立場が一貫しているので、立ち位置が明確で論旨や展開がわかりやすい。また基本的に時間の経過に沿って、客観的な事実と著者の感想・意見の区別をつけてまとめられ、いたずらに扇情的な記述や感情的な決めつけ、出所不明な伝聞や無責任な揣摩臆測(しまおくそく)等がほとんどなくて読みやすい。この事件を振り返り事件全体の概要をつかむ上で有益なものと言えるでしょう。

<上写真が『捏造の科学者 STAP細胞事件』表紙。帯付きです。右写真は『論文捏造』表紙。>
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最近読んだ本:『芸術原論』(赤瀬川原平 1988/1991/2006 岩波現代文庫)
 昨年暮れに見に行った「赤瀬川原平の芸術原論展」があまりに印象深かったので、その勢いで買って読み、大変面白かった。私の場合「面白い本」は
 1) 面白いので一気に読んでしまう本
 2) 面白いのでわざと少しずつ読んで読了を引き延ばす本
の2種類に分かれます。本書は後者でした。

<写真は表紙。椹木野衣(さわらぎ・のい)氏の解説の前に「本書は1988年7月岩波書店より刊行された。底本として、岩波同時代ライブラリー版(1991年刊)を使用した。」と記されており、オリジナルの「あとがき」・「同時代ライブラリー版に寄せて」・「岩波現代文庫版あとがき」の三つのあとがきが収載されています。しかも岩波現代文庫版は2006年5月刊ですが私が購入したのは2014年11月の第2刷で、その証としてカバーの裏見返し側にある著者紹介の最後に「2014年没。」の一文が加わっています。古書になると普通は初版初刷が高価ですが、本書の場合はこのカバーの一文ゆえに第2刷も高くなるんじゃないだろうか。売らないけど(後述)。>

 本書については、著者自身が「岩波現代文庫版あとがき」の中で次のように述べています。
 
さてこの『芸術原論』だけど、これは原理原論を書き下したものではない。文筆業というものは、いろんなメディアにいろんなことを書く。それがときどき磁石を使ったみたいに集められて本になる。そんなことを繰り返しながらもどうしてもふつうの磁石にくっつかずに残ってしまうものがある。ちょっと重かったり、理屈が勝ちすぎていたり、論理に偏りすぎていたりして、所在なく散らばっている。でもいずれもどこか遠くで共通するものがあり、あらためて芸術という磁石を持ち出したら、全部くっついてきたというのが本書の素材となっている。(p.332)

 まったくそのとおりで、本書には1980年から1988年にかけて雑誌・新聞等に発表された文章が集められ、
I   芸術の素
II  在来の美
III 脱芸術的考察
IV  路の感覚
V   芸術原論
の5部にまとめられています。

 著者一流の味わい深い指摘や表現に富んだ味わい深い文章が集められていて、私にとっては折に触れて何度も読み返したい一冊です。特に印象派への独特の評価には「なるほど!」と感心させられましたし、「若いころは前衛一筋、日本文化のワビ・サビなどは退行的なものとしか考えられず、まったくの無視をきめこんできた」(p.281)著者が、トマソンや路上観察を通じて発見した芸術が利休のそれ(「芸術」という言葉は使っていないけれども)とあまりにも符合することに気付いて洩らした「じつに思いがけぬことである。芸術の前衛一本道を抜け出てきた先が、利休のお茶室の床下から床上にまで上り込んでしまうとは。」(p.317)という感慨は大変印象深いものでした。
 思えば私はたまたま手に取った写真雑誌に載っていた「トマソン」をきっかけにこの人の文章と出会い、この人に導かれて美術や芸術一般に対する目を開かれ、面白く感じるようになったのでした。たまたま昨年の11月頃に『ダダ・シュルレアリスムの時代』(塚原 史著 1988/2003 ちくま学芸文庫)という本を、これも大変面白く読みましたが、そもそもダダやトリスタン・ツァラへの関心もやはりこの人がきっかけになっていたのでした。

<右は『ダダ・シュルレアリスムの時代』表紙。これも面白かったので付箋がけっこういっぱい入っています。「〜の時代」とあるとおり、ダダとシュルレアリスムという芸術運動が当時の時代の中でどのように生まれ、どのように展開したかという観点から書かれています。>

 私にとっては紛れもなく芸術上の「師」でありました。
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