「賞品/商品」と「背景/拝啓」−アクセントのこと
 テレビやラジオで数年前から頻繁に耳につくようになりましたが、「賞品」と「背景」のアクセントは私が子どもの頃とはもうすっかり変わりましたね。以前はそれぞれ「しょうひん」「はいけい」と頭を低く第2音節から後を平らに高く言ったものですが、今では逆に頭を高く第2音節から低く言ってます。それでも少し前までは以前のアクセントで発音する人もいましたが、今はもう切り替えが完了したような感じです。私は「賞品」が「商品」に、「背景」が「拝啓」に聞こえて何とも妙な気分ですが、若い人はきっと全然違和感ないんでしょうね。

 「賞品」については、ひょっとすると言っている本人も素朴に「商品」と信じているのかな、と思われるフシもあります。どうせ賞品ったってどこかで買ってくるのでしょうから、もとを糺せば商品だったわけで。
 そういえば昔は夏休みのラジオ体操を毎日近くの公園なんかでやっていて、行くとカードにハンコ押してくれて、出席日数が多いと賞品がもらえたものですが、今はそんなことで賞品をもらう機会も減ったし、また世の中的にも賞品から賞金やギフト券等へのシフトが進んだりして、「賞品」という概念そのものの存在感が薄くなって「商品」と区別しなくなったのかも知れない、などとも思います。

 一方の「背景」が何故こういうことになったのかはちょっとわかりません。「はいけい」と後ろを張るより「いけい」と緩んじゃった方が楽なことは楽ですが。それにたとえば「賞品を差し上げます」「背景について」と後ろに語を続けてみると、後ろを上げる発音では「しょうひんをさしあげます」「はいけいについて」と続いた語も高くなりますが、今風の発音だと「しょうひんをさ(中高)しあげま(低)す」「いけいにつ(更に低)いて」という具合に全体のトーンが下がるので、こりゃ楽だわぁ・・・え、まさか、そのせいなのか?
| ことばのこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『縄文言語からのアプローチ 「長髄彦(ながすねひこ)」の実像』(新藤 治 1989 幻想社)
 高千穂の宮から東征して大和に入ろうとするイワレビコ(後の神武天皇)の一行の前に立ちふさがり、大きな痛手を与えた上に熊野から吉野を経由する大迂回を強いた強敵として古事記・日本書紀に登場するナガスネヒコ(登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)または長随彦(ながすねひこ))について、7年ほど前いささか感傷的な文章をこちらに載せましたが、先日筑波西武の「真夏の古本まつり」に行ったらこんな本が出てました。縄文言語って何だ?という一抹の不安はあったものの、郷土の英雄を扱ってくれているのが嬉しくて、買っちゃいました。

 本書の著者は、現在の日本語を含む日本文化は弥生人・弥生文化に由来するもので、それ以前から日本列島に住んで異なる言語=縄文言語を話していた先住民族はヤマト政権から「エミシ」「土ぐも」「クマソ」「ハヤト」等と呼ばれ、迫害・征服されて次第に追い詰められ、ついには北海道に押し込められてアイヌと呼ばれるようになり、そのためアイヌ語の中には先住民族の縄文言語が色濃く残っていると考えています。その上で、神武東征を阻んだ強敵ナガスネヒコをこの先住民族の英雄と見て、彼が勢力を持っていた地域にある登美(とみ)や生駒(いこま)、石切(いしきり)といった地名の意味を、アイヌ語を参考にして解釈したのが本書です。
 アイヌ語による地名解釈としては、北海道や東北にある「○○内」という地名のナイが「川」を意味するアイヌ語のナイから来たものである等、一般に広く承認されているものもありますが、古くから大和政権が支配していた畿内の地名をアイヌ語をもとに解釈する試みは珍しいんじゃないかと思います。
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| 本のこと | 14:38 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『魚博士が教える魚のおいしさの秘密―食べどきはいつか、なぜか?』(坂口守彦・村田道代・望月聡・横山芳博 1999 はまの出版)
 先日ひさしぶりに八重洲ブックセンターに行ったら、8階にアウトレット本のコーナーがありました。アウトレット本とは出版元が定価(再版価格)を解除した本で、古書とは違って新刊書(ちょっと前の、ですが)です。どうせたいした本はないんだろうと高を括って、それでも掘り出し物はないかと見てみると、以前本ブログで取り上げた『増補 江戸前鮨仕入覚え書き』(長山一夫 2004 アシェット婦人画報社)の続編『續 江戸前鮨仕入覚え書き』(長山一夫 2011 ハースト婦人画報社…あれ、アシェットさんは?)が定価2000円+税のところ900円+税で出ていてさっそく購入。
 この『續 江戸前鮨仕入覚え書き』もいずれ読んだらこちらで紹介しますが、こんなに内容が濃くて良い本もアウトレット本になっているのなら…とさらに探していくと、同じお魚本ながらぐっと読みやすそうな本書を発見。こちらも定価1500円+税のところ500円+税というお買い得お値段になっていたのでこれまたお買い上げ。八重洲ブックセンターのアウトレット本コーナーは今後も注目ですよ。
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| 食に関する本 | 19:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子 2014 中公新書2257)、『今こそアーレントを読み直す』(仲正昌樹 2012 講談社現代新書1996)
  ハンナ・アーレントに関する本を続けて2冊読みました。両方とも新書の入門書ですが、それぞれ違った視点から書かれているので、両方読んでも無駄ではありませんでした。

  なぜ同じテーマの本を2冊読むことになったかというと、矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(以下「矢野本」と略称)は一か月ほど前の日本経済新聞に書評が出ていたもので、以前からアーレントの名前だけは聞いていたがどういう人でどんなことをしたのかはほとんど知らなかったので、この機会に読んでみようと思ったのです。
 ところが家の近くの本屋さんを数軒回っても矢野本が見つからなかった(ひょっとしてその書評のせいでみんな売れた?)ので仕方なくネットをのぞいてみたら、仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』(以下「仲正本」と略称)のKindle版を発見。とりあえずそれをダウンロードして最初の方だけちょっと読んだところで出先の書店で矢野本が買えたので、まず矢野本を先に読み、その後に仲正本を今こそ読み直したというわけです。
 同じハンナ・アーレントを扱った本ですが、矢野本がアーレントの生涯を追いながらその流れの中で思想の展開と主要な著作を紹介していく、いわばオーソドックスな入門書の体裁をとっているのに対して、仲正本はアーレントのライフヒストリーは基本的にカットし、アーレントの思想の中で特に重要だと思われる内容を、その周辺・関連知識も交え、現代日本の政治・社会問題に引き付けて紹介したものです。つまり矢野本ではアーレントの思想の展開の背景や変遷がよくわかり、仲正本ではアーレントの思想の内容がより詳しく解説されることになり、この2冊を併せて読んでよかったなと思った次第です。
<上左が矢野本、下右が仲正本。>
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| 本のこと | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『発達障害を乗りこえる』(竹内吉和 2014 幻冬舎ルネッサンス 幻冬舎ルネッサンス新書092)
 店頭で本書を手に取ってぱらぱらっとめくっていると、アスペルガー症候群の子どもを持ち、夫に離婚され、うつで仕事も続けられなくなった母親(良子さん)の言葉が出てきて、ぎくっとしました。

「世の中の人は、心配はたくさんしてくれるが、自分に代わっては何もしてはくれない。ただ無責任に心配してくれて、さも自分たちはいい人なんだという顔をしている人がほとんどだ」(p.71)

 自分の30年間のサラリーマン生活を振り返ってみても、些細なことでキレて暴れて人に物を投げつける若者、上には卑屈で緊張のあまり口も利けずその一方で部下にはパワハラを繰り返す部長、明らかにアスペルガー症候群の取締役など、今考えると発達障害を抱えていたのではないかと思われる人は何人かいました。ただ私自身はそうした人たちと日々顔つき合わせて仕事するような関係ではなかったので、とりあえず敬遠してやり過ごすという、まさに無責任な対応で済ませていたし、その人たちのことを心配すらしてませんでした。会社で、しかも他部署の人たちだからそれでも済まされましたが、もし同僚として仕事する立場に立っていたら、自分には何ができただろうか・・・一度本書を置いて書店の中を一回りして、それからやっぱり戻ってきて本書を買いました。読んでみたら、やっぱりいい本でした。

 本書には著者の32年間にわたる教師生活(特別支援学校勤務、教育委員会主任指導主事)の経験や事例が豊富に詰まっています。医学的なことはほとんど書かれていませんが、その代わりというか、法律の条文や文科省の調査等が要所で紹介され、発達障害とはどういうことか、どういう支援ができるかを理解できるようになっています。実際のところ発達障害は生まれつきの脳の機能障害で現段階では治療困難なものですから、その子が何に困っているのかという実態を早期に把握し、有効な支援を与えることの方が医学的な根拠や診断よりも重要であるという著者の考え方は、実践的にすぐれていると言えます。
 
「発達障害への取り組みは、自立と社会参加を促すものでなければいけない」
「身近に必ず発達障害で悩んでいる方がいるという事実を多くの方々に知ってほしい」
「発達障害の当事者や親などの支援者は、発達障害をめぐる社会のシステムを知ることが、必要なのではないか」
「発達障害は治すものではなく、発達障害を支援の必要な個性としてとらえることが重要です。」
 (以上「はじめに」より)
「私は、この本を書くに当たって2つの使命感を持って原稿と夜毎向き合っていました。
 1つめは、医学的な根拠を明らかにするのではなく、実際に発達障害の子どもたちや青年たちと長年向き合ってきた教師としての経験に基づいたものを書かなければならないという使命感です。(中略)一生懸命に生きている発達障害を持つ方々の生の姿、悪気はないけれど、結果として望ましくない方向に向かっている周囲の反応や行動。そこにできるだけ分かりやすい解説を加え、改善の方向性を示したかったのです。
 二つめは、発達障害を理解する意味や意義は、一部の人に限ることではないと理解してもらわなければならないという使命感です。(中略)発達障害について考えることは、自分の特性と向き合うことであり、周りに生活する全ての人と向き合うことに繋がっていきます。それぞれ、個性が異なる人同士が認め合い、発達障害のある人が安心して暮らせる社会を作るということは、誰もが安心して暮らせる社会の形成に結びついていきます。本当に個人を個人として尊重できる、いわば「多様性」へのチャレンジが、すべての人たちが今の悩みや困難さを乗りこえる糧にもなっていくのだと思うのです。」
 (以上「おわりに」より)
上に引用した箇所に、著者の考えが端的に表れていると思います。
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| 本のこと | 11:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近読んだ本:『旧約聖書 ―その歴史・文学・思想―』(関根正雄 昭和24/昭和30 創元社 創元選書176)
 四福音書を中心とする新約聖書は若い頃に一通り読みましたが、旧約聖書は量も多いし内容もお互いに関連のないものが雑然と集められているかのようで全体像がわからず、今に至るまでどうにも通読できません。浄土真宗の門徒の身としては別に無理して読む必要もないのですが、最近のイスラエルの狂気の所業を見せつけられたり、ハンナ・アーレントに興味を持ったりしたもので、ユダヤ教の正典である旧約聖書(「旧約」は「新約」に対するキリスト教での呼称で、ユダヤ教の正典としては「律法・予言者・及び諸書」という名称であり、対象とされる文書も厳密に同一ではないらしい)の内容をひととおり知りたい、せめて理解のための目のつけどころだけでもわかっておきたいと思い、古書店で目についた本書を買いました。昭和24(1949)年初版(本書末尾の「参考文献」は1952年10月記)の古い本ですが、別に旧約学の最新成果を知りたいわけではないのだし、そもそも旧約聖書自体が二千数百年前のものなのですから、60数年前の内容でもたいして問題はないでしょう。

※本書では「よげん」は常に「豫(予の旧字、あらかじめ)言」と表記され、「預(あずかる)言」とは書かれていない。
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| 本のこと | 15:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2014年7月30日に日立市大甕(おおみか)めぐり(その2)
3.水木海水浴場
 日立市大甕めぐりの「その1」では大甕神社と泉が森・泉神社を歩きました。さて泉が森から海の方へ歩くと水木海水浴場へ出ます。日立市の沿岸は海面から10〜25メートルほどの台地が海に迫っていて、その末端の崖下にある白砂の砂浜が海水浴場となっています。水木海水浴場から海岸に沿って南へ歩くと、そうした地形の特徴がよくわかります。

<左写真:泉が森から水木海水浴場への道を歩くとやがて前方に海が見えてきますが、この写真からわかるとおり、台地の末端は急に切れて海に落ち込んでいます。日立市では東日本大震災の津波被害を教訓として、多くの場所にその地点の標高を表示しており、地形散歩にもこれが便利。この辺りの台地の標高は12mです。>

<右写真:しかし12mの崖が切り立っていたのでは海に下りられず海水浴場になりませんから、傾斜のゆるい所に道をつけて海岸へ車で下りられるようにしてあります。>

<左写真:水木海水浴場。海へ向かって突き出した突堤の南側、奥行数十m、幅50mほどの砂浜が海水浴場になっていて、この日は平日だったせいもあり比較的すいていました・・・というか、海の家も大音量の音楽もないここは主に地元の方々御用達のローカルビーチで、休日でもゆったりのんびりした雰囲気で過ごせるのではないかと想像しますが、どうでしょうか。
 この写真の海水浴場の突き当りにもっこりとした森が見えますが、これも台地で、比高は20mくらいあります。そのさらに向こうに上面が平らで海に突き出している岬があり、この辺りではこのように海へ突出している岬状の地形を「○○鼻」と呼んでいます。ここから見えているのはこれから目指す田楽鼻(でんがくばな)です。>

<右写真:水木海水浴場の突堤の北側の海岸。突堤の南側と同じように砂浜が広がり、台地の高さ、つまり崖の比高も北側の方が低くて、むしろ南側よりも海水浴場向きのように思われますが、海岸には波消しブロックが積まれています。この海岸は見かけによらず波が高いのかも知れません。水、きれいですね。>

 
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| 地域とくらし、旅 | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2014年7月30日に日立市大甕(おおみか)めぐり(その1)
 日立市大みか町(住居表示は「甕」が平仮名になる)の某大学に勤める家内が、体調が悪いけれども休めないと言うので、大学まで送り迎えすることになりました。しかしつくばから日立までは往復だけで2時間以上、高速料金もそれなりにかかり、ただ送り迎えで2往復するのも勿体ないし、大甕という所はこれまで未踏の地であったので、この機会に半日ばかり大甕周辺を歩き回ることにしました。しかし大学の先生っていうのもなかなかハードなのね・・・

 普通は突然知らない街(それもかなーり田舎の方の)にぽんと降ろされて、ここで半日過ごせと言われてもちょっと困ってしまいますが、実は大甕にはそれなりに見どころがありまして、こんな本(左写真『懐かしの街さんぽ(懐かしの街さんぽ製作委員会 編 2013 幹書房))にも駅の東側(海側)を回るモデルコースが出てます。今回は暑い折でもあり、モデルコース(8.9km)の前半部分を歩き、銅像と日立おさかなセンターが主な見どころである後半は省略して大甕駅へショートカットすることにしました。実際にはスタート地点が大甕駅ではなくその西側の大学だったし、大甕駅までの戻りの歩きも加わった(モデルコースではおさかなセンターから大甕駅までバス利用)ので、歩いた距離はたぶんモデルコースとそんなに変わらない、というかむしろ長かったかも。
 なお書いてみたらずいぶん長くなってしまいそうなので、その1とその2に分けてアップしようと思います。内容的には前半の「その1」は神社・淡水編、「その2」は海・街編ということになります。
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| 地域とくらし、旅 | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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