今和次郎(こん・わじろう)の名を知る人はあまり多くないのではないでしょうか。本書の「著者略歴」を転載すると「明治二十一年青森県に生る。東京美術学校図案科卒業。建築学専攻。早稲田大学教授、東北大学講師。主なる著書――日本の民家、考現学、住生活、服装研究、家政のあり方」ということになります。私が柳田國男の線から日本の民家研究者としての彼に、また赤瀬川原平・藤森照信の線から考現学の創始者としての彼に近づいたのは「
今和次郎 採集講義展」を見た記事に書いたとおりですが、例によって「つちうら古書倶楽部」の本棚を眺めていたら本書を見つけました。昭和27(1952)年の出版でもともと紙質がよろしくないのと、おそらく元の所有者が長らく本書を左手で持って読んでいたためでしょう、カバーの背中と背表紙が大変傷んで、しかも汗や皮脂がしみ込んで変性しているのか、現在も崩壊が進んでおり再生不能です。幸い背中を固めている糊は持ちこたえているので本としての形は保持していますが、内容はともかく形態的にはもはや商品価値がないと言わざるを得ず、本書の最期は私の書棚で看取ってやることになりますね。
<写真はカバー付きの状態。向かって右側の背の部分が傷んでいるのがわかります。早稲田選書という叢書は現在は出版継続していないようですが、カバーの表見返しに「刊行のことば」がありますので、参考のため転載しておきます。
「刊行のことば
早稲田大学は、この秋創立七十周年を迎える。そこで記念事業の一環として、この「早稲田選書」の刊行を企てた。学園の教授陣を動員し、政経・法・文・商・理工等のあらゆる部門を網羅し、学術書・教科書・一般啓蒙書・教養書等々、ヴァライティを豊かにして逐次刊行する予定である。大学における研究と思索の成果をひろく世にわかち、文化の興隆と発展とに寄与することを念願とする。(昭和二十七年十月)」>
なぜ本書を購入したかと言うと、私がこれまで見ていた民家研究者と考現学者という姿ではない、造形者としての今和次郎の姿が本書からうかがえるのではないかと思ったからです。上記の略歴からもわかるとおり今はもともと東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)図案科を卒業しており、当然造形者としての顔も持っているはずなのに、彼の「作品」で現存しているのはもっぱら著書ばかりで、造形作品は数少ない、というか、ほとんどないらしいのです。
藤森照信氏の『建築探偵の冒険・東京篇』(筑摩書房1986・ちくま文庫1989)によると、今は「本業は早稲田の建築の先生ということになっていたが、家の設計や物のデザインに一度も手を染めていない。美術学校(芸大)の図案科(デザイン科)をトップで出ながら、なぜか一度も物を造らない幻のデザイナーとして知られていた。」(ちくま文庫版p.34)というので、私が見ることを得た今の造形作品はこの『建築探偵の冒険・東京篇』に出ている渡辺邸(旧・スリランカ大使館邸)関連のものだけです。しかも考えてみると建築関係のデザインというものは施主の注文があって初めてできるもので、じっさい渡辺邸の場合も施主である渡辺甚吉の「チューダー様式で揃える」という意向が最初からあったため、出来上がった作品に今らしさがありありと現れているかというとそんなことはないわけです。そして渡辺邸関連の物件以外に今が残した文章以外の作品は、彼の著書のあちこちに見られるスケッチや図表くらいしかありません。そこで私は今の造形者としての目つき顔立ちを見ることはおそらくできまいと、半ば諦めていたのです。そんな中で出会ったのが本書だったので、商品としては100円(税別)でも私にとっての価値はとてもそんなもんじゃない。寧ろ私にとって貴重な本がこんな安値で手に入るというのが古書のありがたさです。ちなみに本書は筑波大学図書館には収蔵されていませんが、同館所蔵の『今和次郎集 第9巻 造形論』(ドメス出版 1972)に収録されているようです。