ほーほ号のフロントディレイラー取り外し
 自転車の変速とは、ペダルに付いているギアと後輪に付いているギアの間のギア比を変えることです。ギア比を変えることによってスピードは出ないが軽くこげたり(ローギア)、こぐには力がいるがスピードが出たり(トップギア)します。この変速段数は自転車によって違いますが、おおむね2、3段から5、6段程度のものと、10段以上の変速ができるものの二つのタイプに分けることができます。変速段数が一桁のものは後輪側に複数枚のギアが付いていてそれを切り替えるものです。二桁のものになると後輪側とペダル側にそれぞれ複数枚のギアが付いていて、それぞれを独立して切り替える仕組みになっています。たとえば後輪側に6枚、ペダル側に3枚のギアが付いていると 6×3=18 段の変速ができることになります。しかし例えばペダル側を一番ローギアにして後輪側をトップギアに入れる組み合わせ(またはその逆)などは、組み合わせ自体にあまり意味がないし、チェーンがペダル側は一番外側で後輪側が一番内側(またはその逆)に斜めにかかることになり、そのためチェーンに横向きの力がかかって傷むので、18段すべてが等しく実用になるわけではありませんが、変速段数が多いほど状況に対応できる幅が広がることは確かです。

 ここのところしばらくブログに登場しなかった私の自転車ほーほ号は、今ではあまり見かけないランドナーというタイプで、ツーリングを目的としています。そのため舗装路だけでなくある程度のラフな道も走ることを想定したタイヤ、雨中走行を想定して前・後輪に泥除け装備、列車に乗せて運ぶ際に比較的簡単に分解・組み立てができる輪行仕様などの特徴を備えています。そしてツーリングであれば当然坂道や荒れた道も走る可能性があるため、ほーほ号は後輪側6枚、ペダル側3枚のギアで18段変速を備えています。
 ところが昨年の夏の終わり頃だったか、ペダル側のギアを切り替えるフロントディレイラーという部品を自転車本体に止めているアルミ製のバンドが切れてしまい、本体から外れたフロントディレイラーがチェーンに引っ張られて邪魔になり、ペダルが回せなくなるという事態が発生しました。実は発生当初はフロントディレイラーを操作するワイヤが緩んだか外れたかしたのだろうと思い、手が空いた時に調整しようと高を括っていたのですが、後日見てみるとそうではなく、アルミ製のバンドが切れたことが判明。あらら、こりゃ参った。
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2014年2月奈良行き 7.登美ヶ丘から大阪経由東京へ エピローグ
(承前) さて、学園前周辺で見ようと思っていたものはこれで全て見たので、学園前駅から伸びる「やすらぎの道」に戻ってさらに北へと歩き、登美ヶ丘を経て近鉄けいはんな線の学研奈良登美ヶ丘駅を目指します。
 小学生時代の私の行動範囲の北限は鶴舞小学校の少し先、今「万代」のある所に広がっていた田んぼと小川までで、大渕池すらせいぜい2、3回、その先の登美ヶ丘はたぶん1回しか行ったことがなかったと思います。登美ヶ丘は鶴舞団地と同じくもともと何もなかった丘陵地を50年ほど前に開いて作られた地域で、登美ヶ丘の「とみ」はトミノナガスネヒコから来ていることは以前このブログでも書きました。小学生の頃に行ってみた時の印象はとにかく一戸建ての家がどこまでも続いているというものでしたが、今回歩いてみてもその印象は全く変わりません。松伯美術館の周辺からして大きくて立派な一戸建てが立ち並ぶ高級住宅地で、団地とは全然違う世界が広がっていますし、「やすらぎの道」を北へ北へと歩くと、道の両側に一戸建てがどこまでも数限りなく建ち並んでいます。
 さて、そのように一戸建てが果てしなく立ち並ぶ中に、鶴舞団地と似た感じの中登美団地という団地群があります。中にショッピングセンターがあるところもかつての鶴舞団地と同じですが、このショッピングセンターに入っているお店の一覧の案内看板を見ていて、何と古書店が入っているのを発見!団地のショッピングセンターに古書店ですよ。意外も意外だし、そもそも古書店とあれば普段なら一も二もなく行ってみるところですが、ショッピングセンターが通りからかなり入ったところにあるのと、とうにお昼を回ったのにまだ朝食を済ませていないのと、JR奈良駅に降りてからは近鉄奈良駅から学園前駅までの電車の中で座ったのと松伯美術館で2、3分座った以外はずっと歩きづめで疲れていたのとで、今回は見送り、しかも案内看板の写真を撮るのも失念してしまいました。次に奈良に来るときは大阪から近鉄けいはんな線を完乗してここに来て、奈良市の古書店めぐりをしようかなあ。そのときはちゃんと朝ご飯食べてから来よう。

学研奈良登美ヶ丘付近  中登美団地は鶴舞団地より少し遅れて1967年頃から入居が始まったようですが、鶴舞団地がリニューアル中であるのに対しここはまだまだ当時の建物が現役(もちろんきちんと手入れされています)で、周囲には幼稚園、小学校、中学校、県立登美ヶ丘高校があります。そして2006(平成18)年3月の近鉄けいはんな線の開通を契機として、中登美団地の北側一帯にマンションや商業施設が続々と建設され、さらに2008(平成20)年度から翌年の2009(平成21)年度にかけて、奈良学園の登美ヶ丘幼稚園・小学校・登美ヶ丘中学・登美ヶ丘高校の開園・開校、大和高田市から奈良文化女子短期大学の移転などもあり、大阪に通勤する子育て世代を呼び込み定着させるインフラが着々と整ってきた結果、この辺りには子供や若い世代の人々の生活が醸し出すどことなく華やいだ雰囲気と活気が感じられます。それはちょうど私が住み暮らしていた頃の40年前の鶴舞団地を思わせ、私はなんとなくほっとしました。
<上の写真は奈良学園幼稚園・小学校・中学・高校と周辺マンション群。40年前の私にもそうだったように、あなたたちの前にも未来の奈良があるよ!>
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2014年2月奈良行き 6.おばさんショートカットと松伯美術館
(承前) さて、私が鶴舞団地と鶴舞幼稚園の敷地を仕切る柵に施された怪しい工作の写真を撮っていると、そこへ買い物袋を提げた品の良い老婦人がやって来ました。その姿を見た途端、私はこの怪しい工作、幼稚園の柵を越えようとする「試み」の目的を一瞬にして理解したのです。ああ、これは団地のおばさんたちが買い物に行くための近道、「おばさんショートカット(仮名)」や!

 この「おばさんショートカット(仮名)」を説明するには地図の力を借りないとちょっと難しい。
おばさんショートカット関連地図
 上の図の上端近くを見ていただくと、赤い枠で囲った「鶴舞小学校」、その左隣に鶴舞幼稚園(○の中に「幼」の記号)があり、そのさらに左に「万代」と注記された建物があります。この「万代(まんだい)」は○の中に「百」の記号、すなわち「デパート・スーパーマーケット」の記号が示す通り、現在鶴舞団地から最も近いスーパーで、実際に行ってみると郊外型の大型食品スーパーです。
 ところでこの辺りの地形に注目してみると、まず「鶴舞小学校」の字の上に「・122」という表示があり、ここの標高が122mであることがわかります。また「万代」の左下の方に「・110」という表示があるので、ここは標高110m。さらに鶴舞小学校と 「万代」との間に「がけ(土)」の記号が連なっているので、鶴舞小学校や鶴舞幼稚園、鶴舞団地のある面と「万代」がある面は、高さ約12mの土の急斜面で隔てられていることがわかります。実はこの「万代」がある辺りは「万代」の北側を細々と流れている川が作った谷で、私が住んでいた頃は「万代」など影も形もなく、ただ小川と田んぼが広がっているばかりでした。そして鶴舞小学校の校庭の外れからこの谷に向かって、標高差12mの草の急斜面を段ボールをお尻に敷いて滑り降りるのは大変スリルがあって面白かったのですが、これは学校から禁止されていたので禁断の愉しみでありました。
 閑話休題、改めて地図を見ていただくと、「万代」の少し南で学園前駅から来る道から東へ分かれ、「万代」の南側のがけの上を通って鶴舞小学校に至る、緩いS字カーブを描いている道があります。この道は北側の登美ヶ丘方面から鶴舞小学校・幼稚園に来る子供たちのための通学・通園路で、この道が学園前駅からの道から分かれる点から少し北に「万代」に通じる道があります。ところで、学園前駅からの道には「やすらぎの道」という名前がついているらしい(地図の「青池」の左あたりに書いてある)。私が住んでいた頃は誰もそんなこと言ってませんでしたけどね・・・。しかし「やすらぎ」と言えば、近鉄奈良駅前から佐保橋へ行く道が「やすらぎ通り」でした。うーむ、今回の旅のキーワードはどうやら「やすらぎ」らしいぞ。ちなみに「青池」の左側の赤で囲った「水道局西部営業所」というのが前回登場した給水塔の場所です。ご参考まで。
 再び閑話休題、地図でわかるとおり、鶴舞団地からは直接北側へ出ていく道がありません。団地ができた当時、北側には小学校・幼稚園と崖と小川と田んぼしかなく、また商店は鶴舞ショッピングセンター(前回見た通り今は床屋さんしかやってませんが、昔はスーパーと商店がいくつかあった)あるいは学園前の駅前や青池の商店街など全て南側にあったので、団地から北側へ出ていく必要はなかったのです。しかし今では団地に最も近い大型食品スーパー「万代」も、その少し先にあるやはり大型店の生協(ならコープ学園前。そういえば以前参加した研修でここのお店の方に会いました。そのときの話はこちら)も、いずれも団地のすぐ北西側にあり、当然日々の買い物にはこっちへ行きたい。ところが団地から北へ出る道がないので、正規のルートを通ってそちらへ行こうとすると、地図にオレンジの線で表示したようにぐるりと大回りしなければなりません。そこで団地と幼稚園の間の柵をこそっと乗り越え、幼稚園の敷地をちょろっとかすめて、先ほど紹介した登美ヶ丘方面からの通学・通園路に下り、後は何食わぬ顔で「やすらぎの道」まで出てしまえば、「万代」はもうすぐそこ、生協もそのすぐ先です。この団地の北西側にお買い物に出かけるための非公認ルートが、地図上に青線で示した「おばさんショートカット(仮名)」なのです。
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2014年2月奈良行き 5.鶴舞団地
承前)  青池周辺の現状を見てちょっと気持ちが沈みましたが、気を取り直して再び給水塔まで戻り、いよいよ昔住んでいた鶴舞団地の中へと分け入ります。

給水塔付近から北側(鶴舞団地)  学園前駅から北へ伸びる道は給水塔のあたりが一番高くなっていて、地形的にはここから北へ向かってだらだらと下って行き、その両側に鶴舞団地が展開しています。左の写真を見るとわかるとおり、道の左側(西側)は既にリニューアル済みで真新しい住棟が立ち並んでいます。私が住んでいたのは道の右側(東側)に建っていた41号館ですが、まさにちょうどその辺りがリニューアル工事の真っ最中らしく、そちらへ入る道ごと塀に囲われてしまっていて立ち入ることができません。しかし心配は無用、こっちは7年もここに住んでたんだから、入り込むルートなんていくらでも心得てますって。

41号館がない!  というわけで、工事中のエリアを通り過ぎた先から東側に入り込みます。と、なんとそこには衝撃的な光景が!右写真に見える43、42と続いてその先にあるはずの41号館、私が幼少期の7年間を過ごした41号館が、な、ない!42号館の先にはベルリンの壁のような無情の仕切りが立ちはだかり、その向こう側にあった懐かしの41号館は既に解体されてしまっていたのです。あーあ、来るのが遅かった・・・。しかも1番違いの42号館から先が残っているってのは、何だかなぁ。

鶴舞ショッピングセンター  ま、なくなっちゃったものはもうどうしようもないので、かつて自分が住んでいた41号館の407号室を訪れるという計画は諦めることにして、続いてここからすぐ近くのショッピングセンターのエリア(44号館、45号館)を訪ねてみました。左の写真正面の茶色い建物が44号館で、1階が店舗、上が普通の団地になっています。私が住んでいた頃は1階の店舗フロアには薬屋さん、パン屋さん(神戸屋)、床屋さんなどが入っていましたが、今は床屋さんだけが営業していて、その他は空いてます。
 左側の45号館は、私が住んでいた頃は近商ストアの小型店が入っていました。うちの母親はここの近商ストアよりも、前回にちょっと触れた青池の北側の商店街の方をひいきにしていました(おそらく生鮮食料品は商店街の方が安かった)。しかし距離的にはこちらの方が近いのでときどきこちらへ来ることもありました。一方子供のワタクシは、野菜は八百屋・肉は肉屋・魚は魚屋と商品ごとに別々の店で対面販売の個人商店よりも、何でも欲しいものをカゴに入れてレジでまとめて精算するスーパーの方が「進んでる」(死語)感じがしてましたね。でもここの近商ストアでも、肉なんかは今のようなパックにはなってなくて量り売りだったと思います。オジサンが経木か経木まがいの紙に肉やハム、ソーセージなんかを取って重さを量って包み、上から紙をかけてマジックで値段を書いてくれて、レジで精算するのです。ああそうだ、商店街のお肉屋さんの方はだいたいいつも量目より何グラムかおまけしてくれたんだっけ。近商ストアはその辺シビアでしたね。子供心にもその辺の違いは何となくわかりました。この45号館はその後連絡事務所などに使われていたようですが、今ではやはり空き家になってます。いずれリニューアルされちゃうんだろうな・・・。
鶴舞ショッピングセンター遊具  さらにこのショッピングセンターの一画に、右の写真のとおり遊具が設置されています。これは私が住んでいた頃からあったのかな、ちょっと印象がないんですが、いずれにしてもこいつらもリニューアルされちゃうんだろうな・・・。
 
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2014年2月奈良行き 4.学園前、青池
(承前) 佐保子さんを偲ぶつもりで訪れた佐保川で、逆に佐保子さんに教えられて(と私は信じていますが)大佛鐵道記念公園を訪れるという思わぬことになりました。さてこれから私は近鉄奈良駅へ戻り、近鉄で学園前駅へ行って昔住んでいた鶴舞団地とその周辺がどうなっているかを見届けます。鶴舞団地は50年以上も前に開発された古い団地で、数年前から都市再生機構(UR都市気候)による大規模なリニューアル中なのです。またこの付近の地形図や空中写真を見ていると、団地の北側にあった通称「青池」という昔のため池がどうやら干上がってしまっているようで、これもちょっと気になる。

慈眼寺<左写真:近鉄奈良駅前から「やすらぎの道」に入ったところで見かけた石塔の「聖武帝御感得 やくよけ観世音」は佐保川からほど遠からぬ所にありました。西山浄土宗の慈眼寺(じげんじ)というお寺です。厄除け発祥のお寺といわれているそうです。いつかお世話になるかも知れません・・・>

奈良市汚水マンホール蓋<右写真:この辺りで見た奈良市の汚水用マンホール蓋。やっぱり奈良といえば鹿。奈良の鹿は春日大社のお使いなので大事にされています。聞いた話ですが、奈良の人はみんな早起きなのだそうです。それはもし朝起きて自分の家の前で鹿が死んでたら大変なことになるので、周りに気づかれないうちにその鹿をお隣さんの家の前に運ぶためなんだって・・・いや、聞いた話ですからね、本当かどうかはわかりませんよ。>

 近鉄奈良駅からは快速急行三宮行きに乗りました。私が奈良に住んでいた頃は終点は難波で、そうなる前は地上ホームの上本町でしたが、今は大阪通り抜けて兵庫県まで行くんやねえ。便利になりました。

車窓から平城宮跡<近鉄電車の車窓から見えた大極殿。あの棚田嘉十郎が奈良駅前に建てた「平城宮大極殿跡是より西乾二十丁」の碑が思い出されます。私が子供の頃はここはただの一面の草っ原で、窓から景色を見ていてもつまらなくて「早く通り過ぎないかなぁ」と思ったものでしたが。>

学園前北口ロータリー学園前駅北口PARADIS  さて、かつて私が住んでいた鶴舞団地の駅、懐かしい学園前駅にやって来ました。駅前(左写真)に降り立つと一気にテンションMAX!しかし駅の基本的な構造は変わらないものの、北口駅前の印象は一変しました。特に駅前の複合商業施設「PARADIS パラディ学園前」ですね(右写真)。昔はあの辺りに円と四角を組み合わせた前方後円墳みたいな平面形でたぶん2階建てだった「近商ストア」がありましたが、パラディ学園前は地下1階地上6階の南館と地下1階地上4階の北館が並び立ち、北館地下1階の近商ストアを核店に西松屋、セリア(100均)、マツキヨ等のチェーン店や専門店が入っています。もう奈良や大阪まで買い物に出かけなくても、大抵のものは駅前でそろっちゃいますね。

学園前駅北口  北口駅前ロータリーの入り口の交差点に歩道橋があるので、その上からロータリー(左写真)、南側(下の左写真)、北側(下の右写真)を見ました。南には帝塚山学園がありますが子供の頃の私はこちら側には用事がなく、一度行ったことがあるかないかぐらいです。それに対して北側は当時の私の生活圏で、南都銀行、郵便局、その先の大阪ガスは当時から変わらない顔ぶれ。そして坂の上には鶴舞団地のシンボルと言ってもよい、コンクリートに赤いラインの給水塔が見えています。さあ行くぞー!

学園前駅北口から南を望む学園前駅北口から北を望む<上の写真は北口ロータリー。左が駅舎。パラディ学園前はロータリーをはさんで駅舎の向かい側でここには写っていません。左写真は歩道橋から南側を、右写真は歩道橋から北側を見ています。地形的に北側が高く南側が低くなっているので、北側に広がる鶴舞団地へ行くには駅前から坂を上ることになります。>

給水塔  ハイテンションのまま一気に坂を上って給水塔までやってきました。昔はこの辺りから先に鶴舞団地のスターハウス*が何棟か建っていましたが、早く取り壊されたようです。この給水塔を越えて真っ直ぐ進めば鶴舞団地、右に入れば青池の方へ行きます。どちらを先に見るかちょっと迷いましたが、先に青池を見に行くことにしました。
(*スターハウス:上から見るとY字型をしているやや小型の住棟。こんなやつです。)
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2014年2月奈良行き 3.JR奈良駅から佐保川へ
(承前) 棚田嘉十郎を追悼した私は、続いて佐保川を見るべくJR奈良駅前から北へ進んで油阪交差点を右折、大宮通りを東へ進んで近鉄奈良駅前に出ました。大宮通りは40数年前まで近鉄電車が路面電車状態で走っていた通りですが、今となってはその痕跡などあろうはずもなく・・・。時刻は午前8時半頃、晴れてきました。それはいいんだが、まだ朝食を済ませていません。駅のそば屋か駅前のチェーン店ででも・・・と考えていたのですが、なぜかそのテのものに出会わず。まあ、そのうち何とかなるだろう。

聖武帝感得やくよけ観世音<近鉄奈良駅前から北へ「やすらぎ通り」を曲がり込んだところで、「聖武帝御感得 やくよけ観世音」と大文字で刻んだ大正十年十二月に建てられた石塔発見。奈良では街角に天皇さんが立っている。茨城では見らんねえわ、絶対。>

 これから行く佐保川は奈良から大阪へ流れる大和川の一支流で、奈良市東北方の春日山中に源を発し、奈良市街の北側を西へ流れ、近鉄線の新大宮駅の先あたりで南へ向きを変え、奈良市街を流れてきた率川(いざかわ)等を合わせながら平城京の羅城門の方へ流れていきます。奈良市街北側の流域が「佐保」の地で、平城宮の東北郊に当たり、奈良時代には貴族の住宅地で、長屋王の邸宅「作宝(さほ)楼」や大伴氏の宅地もここにあったようです。またその北側の丘陵地は「佐保山」と呼ばれ、聖武天皇や光明皇后の御陵があります。佐保川や佐保山、佐保の地は万葉集の歌にも詠まれ、当時の人々に親しまれていました。
 そして私にとっては何と言っても昨年の12月に亡くなった私の高校の後輩の佐保子さんのゆかりの地です。佐保子さんの母君は若き日に奈良女子大学で学び、その傍らを流れていた佐保川の名を娘に付けたとのこと。そして奈良女子高等師範学校・奈良女子大学の同窓会は「佐保会」。もともと佐保川は同大学の学生に親しまれた川でもあったのです。
 近鉄奈良駅からまっすぐ北へ、通称「やすらぎの道」を500mほど歩くと、その名も「佐保橋」で佐保川を渡ります。その佐保橋の南東側一帯に奈良女子大学のキャンパスが広がっています。佐保子さんを偲ぶなら、ここだな。興福寺や東大寺、奈良公園や「ならまち」とは全然方向が違うからこっちの方へは一度も来たことないけど、佐保子の佐保川を見るならここしかないよ。
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2014年2月奈良行き 2.京都からJR奈良駅へ 棚田嘉十郎碑
奈良線奈良行き各駅停車 (承前) さて、朝の6時過ぎに京都駅八条口に降り立った私は、まずはJR奈良線で奈良へ向かおうと9番線ホームから出発する奈良線奈良行き6時43分発に乗り込みました。車両は昔の国電型の103系、懐かしい!緑色の地にせんとくんや「古都奈良の文化財世界遺産登録15周年」の記念の塗装が施されている、なかなか賑やかな車両です。時間も時間なので車内は空いていました。

奈良線103系奈良線ラッピング<左写真はせんとくんと燦然と輝く(?)クハ103-226の表示。103系電車はJR東日本ではもう見られないみたいです。ちょっとおでこが広めで運転席窓がやや低い位置に付いているのが懐かしい。右写真は「古都奈良の文化財世界遺産登録15周年」と左から元興寺・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡の写真4連発。豪華です。>


 ところで途中の黄檗(おうばく)駅から、一人の女子高生が乗ってきました。他に同じ高校に通う子はないようで、それからもずっと一人です。制服をきちんと着てマフラーに顎を埋め、肩より少し長い黒髪、前髪は眉毛で切りそろえマスクをかけているので、切れ長の目ばかりが目立ちます。この年代の子にありがちな携帯をいじるでもなく、本を読むでもなく、ときどき車内を見渡しながらドアの脇に立ったまま思いにふける風情です。
変わった子だなぁ、と思いました。黄檗から京都方面へ向かうのならともかく、JR奈良線で奈良方面って、こんな方に高校あるのかなぁ・・・。どこまで乗っても同じ高校に通う友人らしき人物、それどころか男女問わず高校生そのものが一向に現れないし、しかし学校サボって遊びに行くならこんな田舎の方じゃなくて、やっぱり京都方面でしょ。だいたいそんな感じでもないし。
 結局この子は木津で降りました。木津は奈良線と関西本線(大和路線)と片町線(学研都市線)の分岐駅です。府立木津高校の生徒かも知れんし、ひょっとしたら学研都市線に乗り換えて、どこかええとこの高校に行くのかも知れん。しかし一人ぼっちの通学はつまらなくないかのかな。いやいやそういえば高校時代は自分もわりと一人で通学していたな、おかげで長篇小説なども苦もなく読んだっけ・・・などと自分の昔を思い出したりしているうちに、電車は早くも奈良駅に近づいて行きます。黄檗から木津までずっと一人ぼっちの不思議な女子高生、がんばりや!

JR奈良駅ホーム  そうそう、JR奈良駅も私が40年奈良にいない間に大きく変わりました。2002年から工事が始まって、2010年に高架駅になったのです。そうなる前はもちろん地上駅で、開業は1890(明治23)年。1934(昭和9)年に完成したお寺さんみたいな形の立派な駅舎で長く親しまれていました。その頃はこの奈良駅から木津方面へ南北方向に国鉄線(当時)が走っていたために、近鉄奈良駅から西へ大阪方面に向かう近鉄電車はこれを跨線橋で越えていて、その跨線橋上に油阪駅のホームがありました。わざわざそんな駅を構えたのは国鉄との乗換の便を図ったものでしょう。それにその頃は近鉄奈良駅も地上駅で、近鉄奈良から油阪の間の近鉄電車は、特急も各駅停車も6両編成も8両編成もみんな今の大宮通りを路面電車状態で走っていたのです。近鉄奈良駅が地下駅になり、近鉄電車が今の新大宮駅まで地下を走るようになったのは昭和45(1970)年の大阪万博がきっかけで、当時のことは私も記憶にあります。そして近鉄電車が地下に潜ってからも、大宮通りは国鉄線を高架で跨いで越えていました。ところが今はJRの連続高架化によって跨ぐものと跨がれるものの主客が逆転し、JRが大宮通り(とその地下の近鉄線)を跨いでいます。うーむ歴史って・・・。JR奈良駅改札口
<上左写真は高架になった奈良駅のホーム。木津方面を向いて撮ってます。右写真はホームから下へ降りたフロアにある改札口。まだピカピカです。上述のとおり私が奈良に住んでいた頃はまだ地上駅で旧駅舎が現役だったので、地下に潜った近鉄奈良駅がピカピカで、国鉄(当時)奈良駅はふるーいイメージでしたが、今は完全に逆転してますよ。>

JR奈良駅東口  これに伴い駅舎もリニューアルされましたが、あのお寺さんみたいな立派な旧駅舎は曳家によって18m動かされ、現在の位置で奈良市総合観光案内所として使われています。やっぱりこの旧駅舎も奈良のシンボルの一つなんやね。
<左写真の奥が旧駅舎。交差点に面して建っているのが春日大社参道を示す常夜灯と、今回の奈良行きの目的の一つである棚田嘉十郎の碑。>
 
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| 地域とくらし、旅 | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2014年2月奈良行き 1.プロローグ、つくばから京都まで
 このブログにも何回か書いていますが、私は幼稚園から小学校の5年の途中まで奈良市の鶴舞団地で育ち、個人的には奈良が自分の故郷と思っています。ところでこのところ自分の中で、「奈良へ行きたい!」という“奈良圧力(仮名)”がこれまでになく高まってきておりました。
 そのもっとも直接的な原因は、昨年12月の高校の後輩佐保子さんの逝去です。こちらにも書きましたが、彼女の名前「佐保子」は、奈良女子大学出身である彼女の母君が母校の近くを流れる佐保川からつけたのでした。そこで地図を見ると、近鉄奈良駅からまっすぐ北へ通称「やすらぎの道」をたどり、「佐保橋」という橋で佐保川を渡れば、この橋の南東側一帯が奈良女子大学です。つまりこの辺りが彼女の命名の淵源であろうと思われるので、今頃そんなことをして何がどうなるものでもないが、せめてその地を訪ね、改めて彼女の冥福を祈りたいと思ったのです。

 またそれとは別に、私が幼少時を過ごした鶴舞団地が大規模なリニューアル中で、現地の景観が大幅に変わりつつあるということを聞いてもいました。鶴舞団地は日本住宅公団により昭和37年10月から入居を開始した大規模団地で、近鉄奈良線学園前駅の北側奥に広く分布し、駅からまっすぐ伸びる通りをはさんで東側が鶴舞東町、西側が鶴舞西町です。このうち西側は数年前からリニューアルが進み、今では新築の棟が立ち並んで往時の趣は全くありません。そしていよいよ一昨年前(2012年2月)から、当時私が住んでいた東側も、駅に近い南側から順次閉鎖され、リニューアル工事が始まりました。私が住んでいた41号館407号室は今はどうなっているのだろうか、もしできることならあの鉄のドアの前にもう一度立って子供時代の私との別れをしたいものだと思いました。
 また、この団地の外れにあった通称「青池」というため池も、地形図やネットの空中写真を見ると数年前からすっかり干上がって「池」ではなくなっているようだし、さらに学園前の駅から北へ伸びる道をまっすぐ進んでいくと登美ヶ丘という大規模分譲住宅地・団地に続くのですが、ここに2006年3月27日に近鉄けいはんな線が伸びてきて「学研奈良登美ヶ丘」というターミナル駅ができた。つまり私がほんのここ数十年間離れているうちに、この一帯にはいろいろなことが起きていたのです。

 私が最後に奈良を、そして鶴舞団地を訪ねたのは、おそらく大学を卒業する年、1983年の3月だったのではないかと思います。ということはそれから数えても31年、引っ越した最後の年から数えれば40年以上過ぎていることになるのか…よし、奈良へ行こう!と思いました。普通の観光ではなく、私だけの奈良を訪ねてアップデートし、見たいものを見届けて、別れなければならないものとは別れ、思いを鎮めよう、と思いました。
 そして私の頭の中には、自然に次のようなルートが出来上がりました。
- つくばから夜行高速バスで京都へ
- 京都からJR奈良線でJR奈良駅へ 駅前の棚田嘉十郎の「平城京大極殿跡是より西乾二十丁」碑を見る
- JR奈良駅から北上し油阪交差点から大宮通り・やすらぎの道を歩いて佐保橋で佐保子さんを追悼
- 近鉄奈良駅へ戻り学園前駅へ移動して鶴舞団地内散策
- 大渕池畔の「松柏美術館」を見て学研奈良登美ヶ丘駅まで歩く
- 学研奈良登美ヶ丘駅からけいはんな線で生駒へ・近鉄奈良線に乗り換え車窓から東大阪市街を眺めて鶴橋へ・大阪環状線で大阪へ・JRで新大阪へ・新幹線で東京へ・高速バスでつくば帰着
…こんなルートで、私以外の誰が面白かろう?いやいや、面白ぅないどころか、わけわからへんに決まってる。そらそうや、これは僕だけの奈良やもん!

 というわけで、拙宅最寄りの高速バス乗り場「並木大橋」から京都・大阪行きの夜行バスに乗ったのは2014年2月11日(火・祝)の23時でありました。当初は前週の2月6日の深夜発を予定していましたが、インフルエンザを発症したためこの日に延期となりました。
 このバスは関東鉄道が運行する夜行高速バスで、水戸駅南口を21時10分に出て大工町・大塚・石岡・土浦駅東口・つくばセンターと停車し、並木大橋23時ちょうど発、京都駅八条口に翌朝6時17分着、それから大阪駅前(地下鉄東梅田駅前)・近鉄なんば駅西口等を経由してあべの橋駅(JR天王寺駅)着7時54分に到着するというもの。1階または2階の3列シートで、並木大橋から京都までは片道8,900円、往復16,020円。拙宅から関西方面に行くには最安ルートになります。今回は自分の出で立ちがかな〜り寒冷地仕様だったため車内が暑くて往生しましたが、それさえなければ熟睡は望めないもののそこそこ使えそうです。さすがに往復はきついかなぁと思いますが…。
京都に着いたバス  かくして2014年2月12日(水)午前6時10分過ぎ頃、私は無事京都駅八条口前(新・都ホテル前)に降り立ちました。まだ暗いので天気はよくわかりませんが、おそらく曇り。風はほとんどなく、寒いです。
<左写真は京都に到着したバス>

続く

 
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最近読んだ本:『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(川口マーン恵美 2008 新潮選書)
証言・フルトヴェングラーかカラヤンか  私はLPの時代からフルトヴェングラーもカラヤンもあまり聞いてきませんでした。この人たちのLPはいつまでも廉価盤にならず、同じ値段で廉価盤を2枚買った方がいいと思ったからです。CD時代になってからはぼちぼち手を出すようになりましたが、それでもそれぞれ5、6枚程度にとどまっています。当然この二人に対する興味関心も薄く、評判になったヴェルナー・テーリヒェン著『フルトヴェングラーかカラヤンか』(1995 音楽之友社)も読んでいません。
 そんな私が本書に手を出したのは、ひとえに著者が川口マーン恵美さんだったからで、この方の著書は以前本ブログでも紹介した『ドイツ料理万歳!』(2009 平凡社新書)と『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(2013 講談社+α新書)を読みましたが、いずれも事実を端的に、ご自分の意見を率直に述べたもので、私は好感と信頼感を持っています。そして著者の日大芸術学部ピアノ科卒業・シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了という経歴も、本書の題材にうってつけであろうと思われました。

 本書はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でフルトヴェングラーとカラヤンの下で演奏していた元団員たちを訪ねて、二人の指揮者について行ったインタビューをまとめたもので、『フルトヴェングラーかカラヤンか』を書いたテーリヒェンとカラヤンとの、また他の団員たちとの関係もサブテーマのように扱われています。ここに著者がインタビューした元団員を以下にまとめておきます。複数回インタビューを行ったメンバーにはその回数を、またカラヤン時代になってからベルリン・フィルに入団したためフルトヴェングラーを知らないメンバーには「Kのみ」と注しておきます。

ヴェルナー・テーリヒェン(ティンパニ)*2回
ハンス・バスティアーン(ヴァイオリン)
エーリッヒ・ハルトマン(コントラバス)*3回
ギュンター・ピースク(ファゴット)
ディートリッヒ・ゲアハルト(ヴィオラ)*Kのみ
カール・ライスター(クラリネット)*Kのみ
ルドルフ・ヴァッツェル(コントラバス)*Kのみ
ルドルフ・ヴァインスハイマー(チェロ)*Kのみ
ライナー・ツェペリッツ(コントラバス)
エーバーハルト・フィンケ(チェロ)
オズヴァルト・フォーグラー(ティンパニ)*Kのみ

・・・うーむ、錚々たる人たちですね。
 
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