自分が出た演奏会:東京サロンオーケストラ 第34回リハ並木祭特別演奏会
リハ並木祭ポスター 毎年恒例となっている、国立障害者リハビリテーションセンター・国立職業リハビリテーションセンターで行われる「リハ並木祭」での東京サロンオーケストラの特別演奏会。今年も例年どおり行われました。今回は私にとってもちょっと特別な演奏会でした。

第34回リハ並木祭 東京サロンオーケストラ特別演奏会
日時:2013年10月19日(土)15:00〜16:00
場所:国立障害者リハビリテーションセンター 本館講堂(埼玉県所沢市)
曲目:ワルツ「春の声」(J.シュトラウスII世)
   ポルカ「雷鳴と電光」(J.シュトラウスII世)
   歌劇「ジャンニ・スキッキ」より アリア「私のお父さん」(プッチーニ)
   歌劇「椿姫」より 乾杯の歌(ヴェルディ)
   <指揮者コーナー> 歌劇「カルメン」より 第一幕への前奏曲(ビゼー)
   <生オケコーナー> 帰れソレントへ(デ・クルティス)
             世界に一つだけの花(作詞・作曲:槇原敬之)
   映画「風の谷のナウシカ」より(久石譲)
   <アンコール> ミュージカル「オペラ座の怪人」より(A.ロイド・ウェッバー)
指揮:中林昭博 
独唱:貝塚寛子(「私のお父さん」・乾杯の歌) 金田 誠(乾杯の歌)
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飛鳥山と恵比寿逍遥〜後編 アメリカ橋、ビール坂・・・
 2013年10月12日(土)の午後、東京都北区の飛鳥山公園にある渋沢史料館で開かれていた「祭魚洞祭」を見た私は、その後の待ち合わせまでの時間を使って、今を去ること34、5年前にお世話になっていた渋谷区恵比寿3丁目の某銀行子弟寮を訪ねてみることにしたのです(以上は前編のあらまし)。
 私の父親は某都市銀行の銀行員で、全国を転勤して歩いていました。だいたい2〜3年ごとに転勤があり、近い店への転勤ならいいですが、県をまたぐような転勤だと家族も引っ越すことになります。私が小学校2校、中学校3校を転校して歩いていたのはそのせいでした。ところが高校生になると転校が面倒なので、私はまず母方の親戚の家に身を寄せ、その後父の銀行の子弟寮に入れてもらいました。子弟寮はもともと都内の大学に通う大学生対象(男子のみ)で、高校生だった私は特例扱いだったようです。
 渋谷区恵比寿3丁目にあったこの寮は鉄筋コンクリートの白い3階建てだったと思います。1階が食堂、浴場、洗濯室などの共用スペース、2階から上が居室で、一人につき一部屋の個室があてがわれ、食事(朝は毎日、夕食は予約)は1階の食堂で日替わりの定食が出ました。確か22時が門限で、遅くなる時にはあらかじめ管理人さんに言って裏口の鍵を開けておいてもらうのですが、うっかりそれを忘れると玄関も裏口も施錠されてしまいます。ある夜遅く、2階にある私の部屋の窓を外から叩く音がするので窓を開けると、下に寮生の某さんが物干し竿を手に立っていて、鍵を開けて入れてあげたこともありました(笑)。父が勤めていた銀行も今では合併のため名前がなくなってしまいましたが、あの寮はどうなっているのかな?
 当時はサッポロビールの工場がまだ稼働していて、寮から恵比寿駅まで行く間に工場の近くを通ると、甘いような独特の香りが漂っていました。駅の西口側には広場があり賑わっていましたが、寮のある東口側はちょっと取り残されたように静かで、駅前からまっすぐ東へ走るやや繁華な通りを外れると個人商店や古めのアパートなどがどことなく下町っぽい感じを醸し出し、しかし右手の高台へ坂を上っていくと大きめのお家や低層マンションが続いてなんとなく山の手っぽい雰囲気もし、という地域でした。
 その後サッポロビールの工場が恵比寿ガーデンプレイスになってからしばらく経った頃、一度だけウェスティンホテル東京を利用する機会があり、周辺の変貌ぶり(とホテルの朝食のお高さ)に目を見張ったものですが、その時は仕事だったので、寮のあたりまでぶらぶらする時間はなかったのです。
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飛鳥山と恵比寿逍遥〜前編 祭魚洞祭
 私の非常に乱暴な理解では、日本民俗学の初期には大きく二つの流れがありました。一つは柳田國男を源とするもので、もう一つが渋沢敬三の「アチック・ミューゼアム」に端を発する流れ。実際には渋沢敬三も柳田國男の影響を受けて庶民の文化に目を向けたので、おおもとを尋ねれば柳田に行きつくのではありますが、柳田が常民の心意に注目していったのに対して、渋沢敬三が始めた「アチック・ミューゼアム」は庶民の暮らしを支える民具や漁業技術などといった社会経済的な面に注目していきました。マルクス的に言えば柳田が上部構造に、アチックが下部構造に着目したということになりましょうか…いや本当に乱暴な理解で申し訳ありませんが、要するに「庶民はどうやって日々の暮らしを立ててきたか」という下世話な方面に注目し、その資料を収集・整理し、上部構造的な柳田民俗学とは毛色の違う民俗学研究を行ったのがアチック・ミューゼアム系の学者たち、たとえば橋浦泰雄(はしうら・やすお)、桜田勝徳(さくらだ・かつのり)、宮本常一(みやもと・つねいち)、宮本馨太郎(みやもと・けいたろう)らであったかと思うのですね。
 渋沢敬三は「日本近代資本主義の父」といわれた渋沢栄一の孫で、表の顔は栄一の後継者としての銀行家・実業家のそれで、そちらの方が多忙でもありました。したがって彼の学問上の業績は、自らの研究(「日本魚名集覧」「日本釣魚技術史小考」など)もさることながら、それよりはむしろ多くの研究者・学者たちを書生・研究員として抱え、あるいはスポンサーとなって、彼らの研究活動を経済的・精神的に援助し続けた点にあると言えるでしょう。敬三自身はもともと博物学者を志しており、旧制二高(現・東北大学)の農科を志望していたところ、祖父・栄一が羽織・袴の正装に容(かたち)を改め頭を下げて自分の後継者になるよう敬三に頼み込み、悩んだ敬三は結局農科受験を諦めて英法科に進み、その後東京帝大を経て銀行家への道を歩んだというのですが、学問への興味・熱意は生涯冷めることがなかったのです。
 しかしいくら偉いお祖父様から羽織袴で頭下げて頼まれたからって、それまでの志望学科を変更して二高にあっさり入って東大へ進み、さらに日銀総裁、大蔵大臣ですよ。デキる人は違うなぁ。もっともそれくらいだからお祖父様から目をつけられたのでしょうが。

祭魚洞祭 さて、自分自身の頭の中の整理も兼ねて渋沢敬三についてつらつらと書いてきたのには訳がありまして、というのは東京北区のJR王子駅近くの飛鳥山(あすかやま)公園にある渋沢史料館で、8月25日から11月24日まで「渋沢敬三没後50年 企画展 祭魚洞祭(さいぎょどう・まつり)」という催しが開かれていて、先日これを見に行ったのです。飛鳥山は桜の名所らしいのですが、私はこれまでついぞ行ったことがありません。そこでかねて
からお名前だけは耳にしていた渋沢敬三の人となりに多少とも触れ、併せて未踏の江都の名所も訪ぬべく、2013年10月12日(土)のお昼過ぎ、つくば駅からつくばエクスプレス(TX)の客となりました。
 ちなみに祭魚洞(さいぎょどう)は渋沢敬三の雅号。祭魚とは魚を捕えてもすぐには食べずにまず川岸に並べるというカワウソの習性(これが先祖を祭る供物のように見えるので「祭魚(うおをまつる)」という)をさし、出典は二十四節気の下の七十二候にある「獺祭魚(だつ、うおをまつる)」。魚や漁業に興味造詣の深い敬三が、自らの書斎をカワウソの巣になぞらえて「祭魚洞書屋」と読んでいたことに由来するそうです。蛇足ながら「獺祭(だっさい)」はやはり「獺祭魚」に基づく日本酒の銘柄で、山口県岩国市の旭酒造が製する純米大吟醸酒。また正岡子規の別号「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」もこれに基づくもので、病臥する枕元に多くの資料を並べているさまを獺祭魚に見立てたものといいます。かつてはずいぶん人々に親しまれていたのですな、カワウソ。
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最近読んだ本:『マロニエの花咲かば 〜文京区めぐり〜』(中山怜子 2011 日本文学館)

マロニエの花咲かば 表紙 本ブログにも以前登場したことがある文京区小石川の古書店「大亜堂書店」で本書を見つけ、購入しました。古書店で買ったのに新刊書です。預かり販売だそうです。
 本書は文京区主催「第四回文の京文芸賞」最優秀賞候補作になった『文京区史跡めぐり』を訂正加筆して改題したものだそうで、本書の帯に印刷されたその際の選評(東京大学文学部・大学院人文社会系研究科教授の沼野充義氏による)が本書の内容を簡潔に言い表しているので、まずはその一部を引用させていただきます。

「(前略)文京区在住の主婦がみずから訪ね歩いた文京区の史跡をめぐる、連作エッセイ集である。著者はもう孫もいるというお年なのに、珍しい史跡を見ればその来歴を熱心に調べたがる「知りたがり虫」である。また思い立ったらすぐに筑波山にでも行ってしまう行動力の持ち主でもある。日常的な視線と素直な思いがそのまま文章になっているため、文学には今一歩といったところだが、このような文章を熱心に書いている区民は地域の宝ではないかと感激した。(後略)」

マロニエの花咲かば 地図 ところで「文京区めぐり」というサブタイトルや、上の選評にある「みずから訪ね歩いた文京区の史跡」というくだりから、本書は区内の史跡あるいは名所旧跡の案内本ではないかと思われるかも知れませんが、そうではありません。巻頭の地図(右図)に示されている各篇のタイトルからも想像されるとおり、本書で紹介されているものの中には、小石川後楽園や六義園、湯島聖堂や小石川植物園といった、押しも押されもせぬ堂々たる大史跡もあれば、東大正門前のマンションの植え込みの中にあるという良寛の「天上大風」を刻んだ東京大学戦没同窓生之碑や、江戸川乱歩が二人の弟と営んだ「三人書房」という古本屋の跡地(現在は駐車場)といった、通り一遍の名所案内には出てこない、しかし味わい深い小史跡もあり、さらにはご近所のスーパーや不思議な名前の洋品店や著者の職場にあった本やバス停わきのビルの金網にはうカズラの花といった、どう見ても史跡や名所旧跡の類いとは言えないものも含まれているのです。
 それはあるいはオリジナルの『文京区史跡めぐり』への訂正加筆の結果かも知れませんが、本書は「まず名所旧跡ありき」のガイド本ではなく、筆者の注意を引き、興味関心をそそるさまざまなものに豊かに囲まれて暮らす日々の感興をつづったエッセイ集なのです。それはあたかも「ふとしたことに興味を引かれ、その先へ分け入っていくと思いがけなく豊かな世界が展開する」というグラウンド・バスの上に繰り返し、しかしその都度違ったふうに変奏されるパッサカリアのようなもので、各篇で扱われる事物そのものよりも、それに触発されて自在に縦横に羽ばたきあふれ出す筆者の素直で温かい思いが主役となっています。
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最近読んだ本:「カレワラ タリナ」(坂井玲子訳 1979 第三文明社 レグルス文庫118)
カレワラ タリナ シベリウスの音楽には「カレワラ」から題材を取った曲が多く、いつかは「カレワラ」を読みたいと学生時代からずっと思ってはいるのですが、比較的手に取りやすい岩波文庫本でもそれぞれ500ページ近い上下2巻組みというボリュームに恐れをなし、今日に至るまでその志を果たしておりません。そんなある日、例のつちうら古書倶楽部で本書に巡り合いました。
 本書「まえがき」等によると、本書は詩人でもあるフィンランド学士院会員で元ヘルシンキ大学教授の故マルッティ・ハーヴィオ博士 Martti Haavio が「カレワラ」の原詩に基づいて散文でつづり、1966年に刊行したカレワラ物語「カレワラン・タリナット」Kalevalan tarinat を、10年間フィンランドに滞在しヘルシンキ大学でフィンランド語・民俗学・伝承文学を聴講した坂井玲子氏が訳したもので、もともとは第三文明社から昭和49(1974)年に単行本として出版されたのだそうです。上述のとおり文庫版で上下1000ページになんなんとする内容が新書版188ページ(本文のみ)にまとめられています。これは「買い」でしょ!

<古書で入手したので多少カバーが傷んでいますが、中は書き込み・マーキング等なく快適そのもの。もっとも古書の書き込みの中には趣き深いものもあり、それはそれでまたよろしいものですが。1979年当時の定価480円の本書を300円で入手。>
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最近読んだ本:「サステイナビリティ学への挑戦」(小宮山宏・編 2007 岩波書店 岩波科学ライブラリー137)
サステイナビリティ学への挑戦 この本、2007年11月6日付の初版第1刷という奥付が示すとおり、ずいぶん前に買って積ん読になっていたのです。今になって思うのは、東日本大震災と日本・中国・韓国の関係悪化の前に、要するに買ってすぐに読んでおけばよかったな、ということ。これらは本書の刊行後に起こったことなので本書の内容には当然反映されていませんが、今の時点で地球の持続可能な開発 sustainable development を考えるのであれば、東日本大震災とそれに伴う福島第一原発からの放射性物質放出の問題と教訓は避けては通れないはずですし、本書で東アジア地域のサステイナビリティを論じる上で暗黙かつ当然の前提となっていた日・中・韓の連携・協働は、今では暗黙でも当然でもなくなっているので、本書に収録されている論文のうちのいくつかは out of date 感が漂っていると思われたからです。

 とは言いながら、「国際政治のバイアスから自由に、限られた地球資源の南北間をまたぐ持続的利用と、世代を超えた地球環境の持続的維持という観点からの、既存の学問領域を横断した世界的な普遍性をもつ新たな学術としてのサステイナビリティ学の創生が求められている。」(本書p.3)という問題意識から生まれたこの新しい学問の多面性・多様性を一瞥しようとするとき、A5判より一回り小さく本文197ページという本書のコンパクトさは魅力です。日本のサステイナビリティ学の中核となっている「サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)」が発足して間もない時期に編まれたために、総花的だったり具体性の空虚な理念先行の議論も若干目立ちますが、そこは割り引いておかないと酷というものかと。

 その後の研究活動やその成果は、たとえば東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)のホームページ等から見ることができます。しかしたとえばTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)とか中国の大気汚染とかいった我々にとって旬な話題にサステイナビリティという語が出てこないところなどを見ると、この学を含む「持続可能な開発」という理念を実体化させる試みは、まだまだ我々の日常生活や政治の場での影響力を持ってはいないのかなあという一抹の寂しさを感じてしまう今日この頃…。私は「サステイナブルな社会の構築に実践的に貢献できる人を育てる」(本書p.115)というサステイナビリティ教育に期待します。
| 本のこと | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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