カール・リヒター指揮のバッハ管弦楽組曲第4番の「改変」

 先日から聞いているカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団のアルバムで、衝撃事件2件目発生!(1件目はこちら)発生現場は管弦楽組曲第4番の序曲の終わりの方の第1オーボエです。
譜例1 バッハの管弦楽組曲の序曲は全てフランス風序曲で、(a) ゆっくり−(b) 速い−(c) ゆっくり の三つの部分からできています。今回「事件」が起きているのは組曲第4番の序曲の (c) の部分、序曲全体が終わる6小節前から4小節前にかけて、主調のニ長調から一瞬ニ短調の翳りを帯びる箇所です。左の譜例1をご参照ください。スコアは上から3段くくってあるのがトランペット1〜3、その下がティンパニで、これらはこの部分はずっとお休みです。その下に3段くくってあるのがオーボエ1〜3で、問題の事件はこのスコアの4小節目で起きているのです。
 この小節のオーボエ1の3拍目・4拍目の二分音符のド(譜例の青丸で囲った音符)は、曲全体がニ長調なので本来は Cis(ド#)なのですが、ここでは臨時記号のナチュラルが付いて C(ド)に変更されています。そしてよく見ると1拍目・2拍目の十六分音符の動きの中にもドの音があります(譜例の赤丸で囲った音符)が、これらは臨時記号のナチュラルより前にあるので Cis(ド#)のままです。ところがリヒター盤では、本来 Cis(ド#)であるはずの赤丸の音も C(ド)に変更して演奏しているのです。臨時記号の効果がそれ自身より前に及ぶなどということは楽典的にもあり得ないし、そもそも時間の関数である音楽という芸術の本質にも関わる大問題のはず。この赤丸の Cis を C で演奏するというのは、ありていに言えば「改変」です。

 これはですね〜、聞くとけっこう変ですよ。音符そのものの音がはっきりと違うので、その衝撃の大きさは以前書いたトリルの音がどうのこうのというのの比ではありませんし、周りの和音がニ短調を奏でている中に、まるで関係のない陽気なハ長調の旋律が闖入してくるみたいにも聞こえます。聞いたときには眩暈(めまい)がしました。

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カール・リヒター指揮のバッハ管弦楽組曲第2番のバスのトリル

 カール・リヒター(1926〜1981 指揮者・オルガニスト・チェンバリスト)が1950年代終わりから1970年代にかけて行ったバッハ作品の録音は、現在に至るまで高く評価されています。以前に書いたとおり私は中学生の頃からバロック音楽を好んで聴いていましたが、当時アルヒーフ・レーベルからLPで出ていたリヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団の録音は、価格からしてもモノの格からしても中学生風情には手の届かない高嶺の花でした。当時の私がかろうじて手にできたリヒターのLPは廉価で出た販促用のコンピレーションアルバムで、ドイツ・グラモフォンから発売されたためにジャケットは例のアルヒーフのデザインではなく、漆黒の地に横からとらえたリヒターの指揮姿がカラーで置かれ、横幅いっぱいに karl richter と大きな白抜き文字で書かれているものでした。この1枚に収められたトッカータとフーガやイタリア協奏曲の第一楽章、管弦楽組曲第3番のジーグ、ブランデンブルク協奏曲第5番の第一楽章、「マタイ受難曲」のイエスの死の場面、ヘンデルのハレルヤ・コーラス(ドイツ語版)、ハイドンの「時計」の第二楽章などを、中学生の私は繰り返し繰り返し盤面が荒れるまで聞いたものです。大学生になってようやく「クリスマス・オラトリオ」や「音楽の捧げもの」でリヒターの演奏の一端に触れることを得ましたが、リヒターのバッハ演奏の真髄とも言うべき「マタイ受難曲」(1958年録音)や教会カンタータを聞いたのはさらに後のことでした。

 そんなわけで、私は長らくリヒターの演奏するブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲を聞いたことがなかったのですが、先日ようやく入手して聞き始めました。この二つの名曲群とチェンバロ協奏曲から復元された三重協奏曲が3枚のCDに収められ、価格は私の中学生当時にLPで買うのに必要だった金額の数分の一です。もっともあの頃のアルヒーフのLPセットは、収められた音以外にLPの品質や丁寧な包装、曲目や録音の詳細なデータ(カルテ)、付属のブックレットに収録された論文等まで含めてこのCD3枚組とは比べ物にならないクオリティと価値を持ち、金額では測れない豊かさを味わわせてくれたはずです。いろいろな意味でおそろしい世の中になったものです。
 6曲のブランデンブルク協奏曲と4曲の管弦楽組曲、それに三重協奏曲を前にして、さてどれから聞こうかと贅沢な迷いのひと時をしばらく楽しんでから、私は管弦楽組曲第2番を聞き始めました。今ちょうどリコーダーアンサンブルでこの曲の序曲に取り組んでいるところだったので。
 定規で直線を引くようなきっぱりとした付点リズムの扱い、厳しく引き締まった表情、音価いっぱいに豊かに弾ききられる音符たち ― 現在の古楽の演奏スタイルとは違う、しかし確信に満ちた説得力の強い演奏がくり広げられていきます。自分の注意力・集中力が否応なく、しかし無理なく自然に引き出され引きつけられていく心地よさに身を委ねていると ― !突然衝撃的な音が耳に飛び込んできました。えっ、その音、違うんじゃない!?

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 19:22 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
シリーズ六条豆腐 - 補遺2 『御膳本草』

生文研年報 先日このシリーズの補遺1に書いたとおり、「るくじゅう」が塩で締め堅めたものだという記述を『大琉球料理帖』で見てしまって以来、その記述の根拠となった『御膳本草』の原文を確認したくてたまりません。幸い7月16日(月・海の日)に時間が空いたので、埼玉県比企郡にある国立女性教育会館(東武東上線「武蔵嵐山(むさしらんざん)」駅から徒歩12分)の資料室に出かけました。事前調査によると、ここに『御膳本草』の翻刻とその索引を掲載したノートルダム清心女子大学生活文化研究所年報第1輯、第2輯が収蔵されていて、しかも私のような市井の物好きの一見さんでも閲覧が容易みたいなのです。

<これを見るために2時間半も電車に揺られてここまでやってきたのだよ!ノートルダム清心女子大学生活文化研究所年報第1輯、第2輯。『御膳本草』の翻刻本文と比較校訂表が第1輯に、索引が第2輯に、それぞれ収められている。>

 国立女性教育会館についてはまた改めて書くとして、さっそく翻刻された『御膳本草』の原文を確認すると、そこにはこうありました。

四十三 一 ろくじうハ 豆腐乾(タウフカン)也豆腐の性と同し けれともしほを入りせめかためまたハこはきになるゆへ脾胃に入りて化しかたし冷食尤忌むへし別て諸病に是禁止すへし

 原文に句読を打ち漢字を当てなどして読みやすくし、合わせて現代語訳をつけると、次のようになります。

四十三 一 「ろくじう」は豆腐乾(タウフカン)也。豆腐の性と同じけれども塩を入りせめ固め、又は硬(こは)きになるゆへ、脾胃に入りて化し難し。冷食尤も忌むべし。別(わけ)て諸病に是禁止すべし。
現代語訳:「ろくじゅう」は豆腐乾(とうふかん)である。豆腐の性質と同じだが、塩を入れて固め、また硬くなるので消化がよくない。冷たいまま食べるのは最もよくない。特に何か病気にかかっているときには食べてはいけない。


御膳本草のろくじう<上掲の原文のあるページ。「ろくじう」は25裏、つまり底本の25枚目の裏に書かれているわけですが、本文の「・・・豆腐の性と同じ」と「けれともしほを入り・・・」の間にあるかぎかっこが表と裏の間を示しているので、正確には「・・・豆腐の性と同じ」までは25枚目の表に、「けれともしほを入り・・・」以下が25枚目の裏に書かれているということになります。字の右にバッテンが付いているのは、底本の中城本と校訂に用いた末吉本で異同がある字で、校訂表を見ると「入り」は末吉本では「入」、「またハ」は「又ハ」、「是禁止」は「是を禁止」となっているとのこと。いずれも内容には影響ありません。>

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| 飲み食い、料理 | 00:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
メンデルスゾーン「スコットランド」速い演奏・遅い演奏
 私が所属する土浦交響楽団の次回の演奏会でメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」を演奏することになり、例によってイメージ作りのためにCDをいくつか聞いています。こういう曲ではそれほど特異な演奏というのもなさそうに思われますが、やはり特徴のある演奏はあるもので、今回は私の聞いた中で一番速い演奏と一番遅い演奏について書いてみようと思います。

 まずは速い方から。
Arnold Oestman 指揮 Radio Kamerorkest(BRILLIANT 99926)
 白状しますが、これはかなーり以前に値段に惹かれて買ったセットの中の1枚です。第1番から第5番までの交響曲全部(オケは2番が Radio Filharmonisch Orkest、それ以外は Radio Kamerorkest、指揮は1番/4番がフランス・ブリュッヘン、2番がエド・デ・ワールト、5番がジョス・ファン・イマーゼル)と、メンデルスゾーンが若い頃に書いた弦楽器のための交響曲全12曲(演奏はクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)を収めた7枚組のボックスで、いくらだったか忘れましたが、とにかくえらくお買い得な値段でした。しかしそういう邪心から買ったCDというのは積極的に聞かれることなくCDラックの肥やしになりやすい。このセットもまたそのとおりで、「スコットランド」は今回初めて聞きました。

mendelssohn3<今回聞いたCD。上段左が速い演奏 Oestman / Radio Kamerorkest 盤を含む7枚セット、上段右は遅い演奏 Klemperer / SO des Bayerischer Rundfunk 盤。下段はクレンペラーの演奏の海賊盤>

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 07:19 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
シリーズ六条豆腐 - 補遺1 『大琉球料理帖』
 沖縄のルクジューについての続報です。沖縄のルクジューには 1) 豆腐を茶色く堅くなるまで乾燥させて紅型の型紙を彫る際の下敷に使うルクジュー(以下「ルクジュー」と書きます)と 2) 豆腐を軽く発酵させた食品であるルクジュー(以下「るくじゅう」と書きます) の二種類があります。私がこの二種類のルクジューについて、

1) 本土の六條(六条豆腐:豆腐に塩をまぶし茶色くカチカチに堅くなるまで乾燥させた保存食品)の組織が密で刃物の傷が残りにくく、刃を自由に動かす障害となる繊維もない等の性質に着目した工人によって、まず紅型の下敷として沖縄に移入され、その時点で刃物の錆を防ぐため無塩化された。
2) その後、下敷としての「ルクジュー」用の豆腐を無塩のまま比較的高温多湿の気候化で乾燥させる工程で起きる発酵が、「豆腐よう」のような豆腐の発酵製品に対する嗜好を持つ人々に受け入れられ、食品として賞味されるようになった。これを図式にすると次のようになる。
本土の六條       紅型用の「ルクジュー」   食用の「るくじゅう」
有塩・乾燥・食用  →   無塩・乾燥・非食用  →   無塩・発酵・食用

という仮説を立てたことは以前ブログに書きました(詳しくはこちら)。

 ところで、食品としての「るくじゅう」について調べていた時に『御膳本草』(ごぜんほんぞう)という史料に行き当たりました。『御膳本草』は王命により中国の北京で学んで帰国した渡嘉敷親雲上通寛(とかしき・ぺーちん・つうかん:親雲上(ぺーちん)は琉球王国の氏族の称号の一つ)が1832年に著した食医学書です。聞くところによると本書には食材ごとにその性質や料理法が記されていて、その中に「るくじゅう」もあるらしい。これは見たい!と思いましたが、残念なことにこの史料は例の『古事類苑』や『群書類従』にも採られておらず、出版されたものはわずかに二つしか見当たりません。
 その一つは當間清弘編の和装本で、1964年に私家版のような形で首里で出版されたもの。原文そのままではなく読みやすくわかりやすくリライトしてあります。もう一つはノートルダム清心女子大学の生活文化研究所年報第1輯(1987)に「翻刻史料 琉球国食療書『御膳本草』(付 校訂比較表)」(横山學)として収載されたもので、これは原文をそのとおり活字にしたものと思われます。このうち當間版は沖縄県立図書館と沖縄県内の古書店にあることはわかりましたが、国立国会図書館にもないようで、1万数千円払って沖縄県内の古書店から取り寄せない限り本土で見ることは難しそう。一方のノートルダム清心女子大生文研年報なら筑波大学図書館にもある・・・のですが、残念なことに第7輯以降しかなく、しかも第1輯から持っている公共図書館・大学図書館は関東地方には少ないのです。

※しかし今回この件を調べていて感じたのですが、大学図書館って基本的に内向きで、私みたいな学外の一見さんには冷たいのね〜。もちろん大学にもよりますが、基本的に学外者へのサービスは手薄で、入館すら難しいところもあります。そこへいくとわが筑波大学図書館なんて、サンダル履きでぷらっと行ってカウンターで住所・氏名・連絡先だけ書けば閲覧し放題、学外からでも図書館内でも蔵書・資料検索し放題、コピーだって所定の用紙に資料名と当該ページを書いてボックスに入れれば(有料で)取り放題ですよ。しかもほぼ全面開架だし、私のような在野の物好きの知識欲を満たすのには非常に具合がよろしい。このことは塀も門も持たない開かれた大学の図書館として、大いに誇っていいことだと思う(これは私がOBだから特別扱いを受けているわけではなくて、学外者に対して一律にそうなのです。何か然るべき手続きをしてOB用のカードを作れば、閲覧だけでなく貸し出しを受けたり他の図書館との相互利用サービスが使えたりするようですが、私は面倒でその手続きをしてないので、いつもただの通りすがりの者として利用してます)。

 閑話休題、そんなわけで『御膳本草』を見るのは時間・手間・お金がかかりそうなので、その時には参照しませんでした。ところがその後、この『御膳本草』に基づいて料理を再現したという『大琉球料理帖』(高木凛 2009 新潮社(とんぼの本))の存在を知り、職場近くの阿見町立図書館にあることがわかったので、ある日仕事帰りに図書館に立ち寄ってぱらぱらとページをめくって見ると、・・・おおっ、何と衝撃の記述が!

『大琉球料理帖』<『大琉球料理帖』の表紙。「衝撃の記述」の衝撃があまりに強かったので、結局買っちゃいました。>

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| 飲み食い、料理 | 22:28 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
「沖縄 復帰40周年記念 紅型 BINGATA 琉球王朝のいろとかたち」展
美術館入口 高校の同級生で沖縄で芭蕉布を織っている工房風苧(ふう)の平山ふさえさんが5月に沖縄県立博物館・美術館で見て感動したという「沖縄復帰40周年記念 紅型 BINGATA 琉球王朝のいろとかたち」展が東京に回ってきたので、6月29日(土)にサントリー美術館へ見に行きました。紅型そのもの以外に、このところ追いかけていたルクジュー(紅型の型を彫る際の下敷に使われる乾燥した豆腐)についての情報が何か得られるかもしれないという期待もありました。
<写真はサントリー美術館入り口。この展覧会の会期は7月22日までで、東京ミッドタウン内の対象ショップで紅型展の入場券の半券を提示するとお得なサービスを受けられるというタイアップ企画実施中。>

 紅型には正直言ってこれまであまり関心がなかったのですが、大変美しいものですね。王族の色である黄色地や白地のものが特に気に入りました。また紅型の型紙も美しいものでした。

 会場の一角にルクジューの現物が展示されていました。ガラスケースに入っていたので触ることはできませんが、ちょうど切り餅くらいの大きさのミルクコーヒー色の塊でした。
 また会場内で紅型の製作過程を紹介するビデオが上映されていますが、これは必見です。会場に展示されている型紙には縦横に細い線が見られ、紅型には全く素人の私は「この線は何だろう」と不思議に思っていましたが、これが「糸掛け」の糸であること、さらに現在では「糸掛け」は行われていないことを知ることができました。またルクジュー作りの映像も入っていて、食パンの3斤棒くらいありそうな豆腐を分厚く切り、防腐剤を塗りながら乾燥させる様子を見ることができました。「あの大きな一切れがこんなに縮むのか!」と驚きました。
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| 美術に関すること | 20:33 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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