自分が出た演奏会:茨城大学管弦楽団第37回サマーコンサート
茨大サマコンプログラム 梅雨空の一日となった6月16日(土)、茨城大学管弦楽団の第37回サマーコンサートにエキストラで出演しました。茨大管弦へのトラ出演も今年で15年目、大学生の皆さんにとっては親の世代の私ですが、それでも毎年呼んでいただいているのはうれしいことです。アマチュアオーケストラはだいたいコントラバスは不足気味で、特に学生オケはメンバーの入れ替わりがあるため、毎年アタマが痛いのです。今年の茨大のコントラバスも客員1人(私)とOB2人を含めて7人、現役は各学年に1人ずつ。台所事情はなかなか厳しいのでした。

 今回の会場はひたちなか市文化会館で、水戸からは車で20分くらい離れています。昨年の震災で水戸市内のホールが軒並み被災、水戸芸術館は再開しましたが、県立県民文化センター大ホールは今年夏ごろの再開を目指して現在復旧工事中、そして茨大管弦が利用していた水戸市民会館大ホールは現在も閉鎖中で復旧の見込みは立っていないようです。そのせいで昨年のサマーコンサートは小美玉市生涯学習センター「コスモス」、昨年末の定期演奏会は龍ヶ崎市文化会館と、地元を離れて演奏会を行ってきて、今回ようやく水戸市の隣まで戻ってきましたが、12月15日(土)の次回の演奏会もこのひたちなか市文化会館大ホールで行う予定。水戸市内に戻れるのはいつの日か・・・

茨城大学管弦楽団 第37回サマーコンサート
日時:2012年6月16日(土) 14:00開演
場所:ひたちなか市分化会館大ホール(茨城県ひたちなか市)
曲目:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲(ベートーヴェン)
   「ペール・ギュント」組曲より(グリーグ)
   交響曲第7番(ベートーヴェン)
    アンコール曲
   ポルカ「雷鳴と電光」(J.シュトラウスII世)
指揮:古荘 恭啓(ふるしょう たかひろ)
続きを読む >>
| 自分が出演した演奏会 | 19:55 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
ピアッツァ・アルテ音楽教室発表会2012に出演
発表会プログラム 六浄豆腐の連載と、先週土曜日の本番(これについては近日中にアップ予定)に取り組んでいて報告が遅れましたが、6月9日(土)・10日(日)に地元つくば市のピアッツァ・アルテ音楽教室の発表があり、私もリコーダーアンサンブルのメンバーとして出演しました。
 リコーダーは高校生の頃は暇さえあれば、校舎と別棟のコンクリートブロック造りの物置のような生徒会執行部室(今はもうないみたい)で友人と吹いてましたが、その後はオーケストラ活動がメインになって、リコーダーは時々一人で吹く程度になっていました。ところが先月急にリコーダーが吹きたくなり、以前からお付き合いのあるピアッツァ・アルテ音楽教室の堀部先生に「どこか週末とか平日の夜やってるアンサンブルないですか?」と聞いてみたところ、ちょうど月曜日の夜に練習しているグループがあるということで、早速混ぜていただきました。堀部先生は声楽が専門ですが、リコーダーの指導もしているのです。
 このグループ「バードリコーダーアンサンブル」はリコーダー四重奏のグループで、堀部先生自らバスリコーダーを吹いていたのを私が横取りするような形で、堀部先生には指導に専念していただく体制になりました。私以外は皆さん主婦です。
続きを読む >>
| 自分が出演した演奏会 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
シリーズ六条豆腐 - 5(完) 尚順男爵の天下の珍味(沖縄編・下)
前回で沖縄には2種類のルクジューがあったことがわかりました。それは

1) 紅型(びんがた)の型を彫るときの下敷に使うルクジュー。製法・性状は本土の六条豆腐に酷似しているが、製造工程で塩を加えない。
2) 豆腐を切って一晩空気にさらし、軽い発酵を起こさせたものを焼いて食べる「るくじゅう」。本土の六条豆腐とは共通点がないが、私は紅型用のルクジューの製造工程から食用に分化したものと考えている。

の2種類です。
 このうち 2)の「るくじゅう」に関してさらに資料を探したところ、究極の「るくじゅう」とでも言うべき尤物(ゆうぶつ)に出会いました。それは琉球王国最後の王尚泰(しょう・たい)の四男で男爵であった尚順(しょう・じゅん 1873-1945)の著作「鷺泉随筆(一) 豆腐の礼讃」(1938年発表)に見える「イタミ六十(るくじゅう)」というものです。尚順は琉球新報、沖縄銀行の創立者でありまた貴族院議員としても活躍、さらに博学多識の趣味人、食通としても知られ、その邸宅(そこに住む当人も)は「松山御殿(まちやまうどぅん)」と呼ばれていました。なお鷺泉(ろせん)は彼の号です。

(以下引用)
 先ず豆腐で作る珍味の中では、第一豆腐を発酵させて種々の調理に用いるのが主位であるが、本朝の豆腐料理には、私の調べた範囲では此発酵味を利用して作る料理はない。然し支那と沖縄では古くから盛んに作られているのである。(中略)沖縄で此発酵した豆腐で作った調理の中に「イタミ六十」というのがあり、又此を豚の油で揚てからりとして、塩煎餅の様なものに「干六十揚」というのがある。古くは御昼の弁当によく使い、此が上手下手は随分食通の評判にもなって上手の家には此「六十揚」を所望して押しかけたものである。此は殊の外(ことのほか)食欲を増進させるので、酒の妻にも此「揚六十」は愛重されたものである。次には「イタミ六十」と申して老人などが多く嗜んだものであるが、此がうまく熟した時の味といったら、真に天下の美味と申しても差支えないのである。又茶受にも宜しく、粥と一緒に喰ったら外のものはどんな物でも欲しくない味覚を起こすのである。
 まだ一つ珍品がある。それは前記の「イタミ豆腐」を以て作る琉球料理の「チャンプル」だが、調理には普通のチャンプルを作るのとは何等変りはないが、只少し炒り過ぎると思う位がよい。此豆腐の実際理想的に熟した場合なら、これ又中山(ちゅうざん)第一、否世界第一と云ってはずかしからぬ珍味である。
 以上は豆腐の真価に対する一、二の例を述べたに過ぎないが、扨(さて)六ヶ敷(むつかしき)のものは豆腐を発酵させる加減にして此は文章で説明出来ない事もないけれども、矢張り実際で経験するのが早道と思う。(中略)後日真に礼讃者が多く出た時に又精しく書く事にしよう。
 実は此から九月頃までは此珍味を製造する好時季なるに因り殊に此稿を物した。
(『月刊琉球』昭和十三年六月)
(以上引用終了)
続きを読む >>
| 飲み食い、料理 | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
シリーズ六条豆腐 - 4 2種類のルクジュー(沖縄編・上)
 さて、『料理物語』と『古事類苑』『豆腐集説』に見られる六条豆腐の歴史的な姿は前回総括したとおりですが、先月に紅型(びんがた)の型彫りの下敷に使われるルクジューの存在を知って調べているうちに、六条豆腐が沖縄で独自の展開を遂げていたらしいことがわかってきました。これは私にとってうれしい驚きであったので、資料を引用しながらやや詳しく見ていくことにしましょう。

 まずは紅型の型を彫る際の下敷きとして使われるルクジューについて。ネット上にもさまざまな情報がありますが、ここでは沖縄県立博物館の紀要第4号(1978年3月)に掲載された渡名喜 明氏の論文「紅型の型紙と型彫り―城間栄喜ノートをもとにして―」の記述から、ルクジューに関連する部分を紹介します。論文のサブタイトルに名前が挙がっている城間栄喜(しろま・えいき)氏は、琉球王府の紅型三宗家の一つである城間家の継承者で、琉球処分や戦争等のために途絶えそうになった紅型を復興した大恩人・大功労者。また「城間栄喜ノート」とは沖縄県立博物館が1977年度から始めた城間栄喜氏からの聞き書きの記録のことで、その内容は琉球王府時代の伝統と戦後復興後の状況の両方に通じた当事者から直接聞き取ったものであり、貴重な一次資料であると言えましょう。なお沖縄県立博物館の紀要・年報・総合調査報告書等はホームページで公開されています。今回ありがたく利用させていただきました。
続きを読む >>
| 飲み食い、料理 | 01:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
シリーズ六条豆腐 - 3 『豆腐集説』と歴史上の六条豆腐総括
 前回(第2回)は『翻刻 江戸時代料理本集成』に収められた『料理物語』原文に当たって、その製法が今日まで伝わっているのと違っていることを発見したことを書きました。
 さて、この『翻刻 江戸時代料理本集成』のある棚をつらつら眺めていると、『とうふの本』(阿部孤柳・辻重光 昭和49 柴田書店)という本が目につきました。取り出してパラパラめくってみると、中に次のように書かれているのを発見しました。

六浄(條)豆腐(鹿茸豆腐) 『豆腐集説』(四八ページ参照)によると、六浄豆腐の製法には二種があり、一法は水に塩を入れて煮た中に豆腐を適当の大きさに切って入れた後、煮て串にさして乾燥させたもので、これは『料理物語』に書かれている古い方法だという。別の方法は、切った豆腐の周りに塩を塗って晴天の日に干し、その後稲藁で編んで吊して乾燥させる方法で、『和漢三才図会』『料理指南抄』などに出ている方法である。薄く削って精進だし汁を造るのに用いられたが、味がよいので削ったものを酒の肴などにすることもあった。
 昔はその名が示すように京都の六條あたりで造っていたらしいが、現在では需要が殆どないので造らなくなり、わずかに片倉貞美氏(山形県西村山郡西川町岩根沢三八二)が家伝として製造している。これは豆腐に塩を塗って干し、五個を一連として藁で編んで吊ったものである。(pp.55-56)

 おっと、これは参った。私が今見たばかりの『料理物語』や、『古事類苑』にも引かれていた『和漢三才図会』等を織り交ぜて、古法から現在の製法までコンパクトにうまくまとまっているではありませんか。Nothing new under the sun とはよく言ったもので、やはり何事にも先達はいるものです。
 ちなみに上の引用文の見出しの(鹿茸豆腐)の「鹿茸(ろくじょう)」とは、鹿の袋角(生えかわったばかりのまだ柔らかい角)を切って乾燥させたもので、漢方薬の材料の一つ。『古事類苑』に引かれた『雍州府志』の記事には「(鹿茸豆腐とは)其の始めの形色鹿茸に似る。故に之を名とす」と言ってます。また「京都の六條あたりで造っていたらしいが」という記述は、やはり『古事類苑』に引く『書言字考節用集』の「蓋し京師(京都の別称)六條邊りの人始めて制する所、故に名づく」や、『雍州府志』の「一説に六條邊りの人始めて之を製す。六條と鹿茸、倭語相同じ。故に彼此互いに之を称す」という記事あたりを参考にしたものでしょう。このうち『雍州府志』という史料は1682年から1686年にかけて刊行された当時の京都の地誌で、『古事類苑』に引かれている記事はその「六 土産」(「みやげ」じゃなくて文字通り「土地の産物」)の部にあるものなので、六條が発祥の地かどうかはともかく、当時の京都で六条豆腐を作っていたことは間違いないでしょう。また「片倉貞美氏」とは例の「六浄豆腐」製造元「六浄本舗」の当時のご当主でありましょう。
 いやー、何だかこれで六条豆腐の歴史は一気にかたづいた感じになってしまいました。
続きを読む >>
| 飲み食い、料理 | 06:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
シリーズ六条豆腐 - 2 「料理物語」での発見

 前回では六条豆腐に関する史料を求めて『古事類苑』をひもといてみたところ、六条豆腐に関する最も古い史料とされる『料理物語』は収載されていなかったところまで紹介しました。

 さて、『料理物語』のように『古事類苑』に引かれていない史料や、『古事類苑』に引かれている史料でも引用部分の前後の原文も見たい、といった場合に便利なのが、前出の『群書類従(正・続)』。江戸時代の盲目の国学者塙保己一(はなわ・ほきいち)が国史・国文学関係の文献を収集・編纂した一大叢書で、正編の『群書類従』と、弟子が引き継いで完成させた続編の『続群書類従』合わせて3千種以上の文献を収める膨大なシリーズゆえ、多少名の通った文献であれば大抵は収録されています。『古事類苑』が項目ごとに史料からの引用文を示すのに対し、『群書類従』は個々の史料別にその全文を収めます。配列は『古事類苑』と同様、25に分かれた部門別となっています。ただし残念なことに、あまりにも膨大なために『古事類苑』のように電子化はされていないようです。うん、こりゃーいよいよ大学の図書館に行くしかないな。『料理物語』への道はなかなか遠いぞ・・・。


 というわけで、まずは自宅から筑波大学附属図書館のオンライン検索システム「Tulips」で調べたところ、『料理物語』は『続群書類従』の第19輯下 飲食部に収められているらしいことがわかりました。しかし同時に中央図書館所蔵のこの巻は貸出中であることも判明。さすがに筑波大学はそこそこの規模の総合大学なので、『群書類従』ほどの基礎的な資料が大学じゅう探してもこの1冊しかないなんてことはなくて、たとえば春日キャンパスの図書館情報図書館(旧・図書館情報大学附属図書館)など別の区域の図書館の本なら見られるのですが、万一「料理物語」を見てから関連する別の資料も見たくなった時には、蔵書が充実している中央図書館にいた方が断然有利。というわけで、今回は『続群書類従』ではなく、中央図書館にある別の叢書、すなわち江戸時代の料理本を集めて翻刻した臨川書店の『翻刻 江戸時代料理本集成』(全10巻・別巻1)の第一巻に収められた『料理物語』を見ることにしました。ちなみに「翻刻」とは原書を現行の活字で出版することをいいます。

続きを読む >>
| 飲み食い、料理 | 09:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
シリーズ六条豆腐 - 1 「古事類苑」
 沖縄の紅型(びんがた)製作に使われる「ルクジュー」は六条豆腐であろうと考えたことは前に述べました。私はかつて六条(浄)豆腐の現物を食べたことがあるので、六条豆腐には何となく親近感を感じています。しかし考えてみると、かつて本ブログで六条豆腐を紹介した際に「江戸時代初めの「料理物語」(寛永20年=1643年刊)に出ているほど歴史のある食材」などと書いているくせに『料理物語』そのものを読んだこともなく、六条豆腐とは如何なるものかについてまとまった勉強をしたわけでもないのです。
 そこでこの機会に六条豆腐について若干調べてみたところをまとめてみました。あちこち脱線しながら進むためにやたら長いので(汗)、何回かに分けてアップします。

 まずは六条豆腐の現状について、これまでに私が知っていることを整理しておきましょう。
1) 豆腐を適当な厚さに切り、表面に塩を塗って飴色に固くなるまで乾燥させたもの。
2) あまりに固いのでそのままでは食べられず、カンナで薄く削って利用する。
3) 削ったものに湯を注ぐと白く柔らかくなり、吸い物にしたり和え物にしたりする。
4) 精進料理で削り節の代用とされることから「精進節」とも呼ばれる。
5) 早くは江戸時代の料理書『料理物語』(1643)に出ている歴史のある食材だが、現在では「六浄豆腐」という商品名で山形県西村山郡西川町岩根沢の「六浄本舗」が製造・販売しているだけになっている。
6) 沖縄で紅型(びんがた)の型を彫る際の下敷きとして利用されている「ルクジュー」も、おそらく六条豆腐から出たものであろう。これは豆腐に塩をせず、そのまま乾燥させて作られる。

 さて、六条豆腐の現状を確認したところで、次に『料理物語』を初めとする古い文献、史料に出ている六条豆腐の姿を見てみようと思います。
続きを読む >>
| 飲み食い、料理 | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

CALENDAR

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2012 >>

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH