今日出会ったふだんとちょっと違う生き物たち
 今日はふだんとちょっと違う生き物たちとの出会いがありました。

 まず、朝出勤のため家を出ようとドアを開けた途端、小さな生き物がすばやく侵入!
 ときどき玄関先でひなたぼっこしてるカナヘビかと思ったら、ヤモリでした。体長10cmくらい。全体にうす茶色で、先がまるくなった五本指をパーに開いてるところがかわいい。以前我が家の窓に張り付いていたのを室内から、つまりお腹側から見たことがありましたが、今朝のと同じやつかどうかはわかりません。
 餌になる虫はどう見ても屋内より屋外の方が多いので、つかまえて表に出てもらいました。守宮・家守というくらいで益虫、というか益・爬虫類ですから大事にしないとね。
 出勤前だしあまりに突然だったので、残念ながら写真は撮れませんでした。やもちゃん、よかったらまたおいで。

かたつむり さて会社に出勤してみると、こんどはカタツムリ発見。指の爪くらいしかない小さいやつです。ここんとこ雨模様の日が続いたからこんな開けたところ(物置の扉)まで出てきたのでしょうか。こいつにしては大冒険じゃないか?

キアゲハ1 そして帰宅してみたら、今度は玄関脇のヤブカラシの花にキアゲハが止まって雨宿り。近寄って写真を撮ってもまったく逃げる気配がありません。写真は明るく写っていますが、実際には雨がしとしと降って薄暗い午後6時過ぎ。ISOを800に上げてはありますが、これほどきれいに撮れているのはキアゲハが静止してポーズを決めてくれたおかげで、ブレてるのは100%手ブレです(コンパクトタイプのデジカメなので、ファインダーを使っての額・左手・右手の三点支持ができなかった)。

キアゲハ2 しかも横に回ってみると「じゃ、こっちも撮って」といわんばかりに翅を閉じて裏側を見せてくれました。「きれいだよ」と心の中でつぶやきながら撮りました。ちょっと不思議なキアゲハでした。


| 身近な自然 | 20:21 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
これでも届きました!
 今日職場に届いた郵便物にびっくり。写真ではわかりにくいですが、A4の書類を一時的に分類したり、折れたりしわになるのを防ぐために使う、コシのある樹脂でできた、いわゆるクリアフォルダですね。それに会社のダイレクトメールをはさみ、開いている2辺のうち長辺(タテ)の一箇所だけセロハンテープでちょいと止めて、宛名ラベル貼って、切手もクリアフォルダに直接貼って郵便ポストに投函したらしい。
 一応切手には消印されてますが、切手からはみ出したところのスタンプインクはこすれて落ちちゃってます。似たものにビニール袋にパックされたDMや雑誌がありますが、コレは明らかに封筒じゃないし、しかも一箇所テープで止めただけでほとんど開封状態ですよ。これでも配達してくれるんだね〜。勉強になりました。
| 暮らしの中から | 21:43 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
素麺と冷麦
 夏になると冷たい麺が食べたくなりますね。家庭で食べる冷たい麺といえば蕎麦に素麺(そうめん)、冷麦(ひやむぎ)、冷やし中華などが代表的なものでしょう。素麺や冷麦は乾麺から茹でるので台所は暑くて大変ですが、それでもさっぱりと涼しい食感には代え難く、母や祖母は「暑い暑い」と言いながらもよく作っていました。
 ところでこのうち冷麦は素麺より少し太目の小麦粉の麺ですが、昔は赤や黄色の色がついた麺が一把に数本混じっていました。子供の頃この色のついた麺は味が違うのかと思ってそれ一本だけ食べてみましたが、味は違わないようでした。一説には素麺も冷麦も白い細い麺なので、見分けやすいように冷麦には色麺を入れる慣わしだったと言います。
 しかし冷麦の方が若干太めとはいえ、所詮はどちらも冷やして食べる小麦粉の細麺なのに、わざわざ色麺を入れてまで二つを区別し食べ分けていたのはなぜなのでしょうか。素麺と冷麦、色麺の有無とわずかな太さ以外に何が違うのかね?

 大学で日本の食物史などをひもとくようになり、ようやく私にもこの二つの違いがわかるようになりました。日本の麺には「捏ね粉を引き伸ばして作る」ものと「捏ね粉をのしてたたんで切って作る」ものがあり、素麺は前者、冷麦は後者なのです。つまり製法が違うので同じにはできない、ということなのですね。
 素麺は小麦粉に塩水を加えて捏ね、円盤状の大きな塊にしたものに渦巻状に包丁を入れて、太い一本の紐がとぐろを巻いているような形にします。この捏ね粉の紐を、乾燥とお互いにくっつくのを防ぐため表面に綿実油、胡麻油などの植物油を塗りながら手で伸ばしていき、ある程度の長さになったら二本の竿の間にかけて引っ張って伸ばし、最終的に製品の太さになるにまで伸ばして乾燥させます。秋田の稲庭(いなにわ)うどんや宮城県白石(しろいし)市の温麺(うーめん)も同様に伸ばして作りますが、これらは油を使わず打ち粉を使って麺線同士がくっつくのを防ぎます。
 冷麦はやはり小麦粉に塩水を加えて捏ねたものを、大きく薄く延ばして打ち粉を振って折りたたみ、小口から細く切って作ります。蕎麦や讃岐うどんなどの作り方と基本的に同じです。のして切らずに素麺のように延ばして作る「手延べ冷麦」というものもあるそうですが、切って麺にするのが冷麦の本旨でありましょう。と言うのは、冷麦はおそらくうどんの古名の一つ「切り麦」を冷やして食べることからそう呼ばれるようになったと思われるからで、もともとはうどんを冷やして食べたのでしょうが、細い方が速く冷えるので次第に細く切るようになったのであろうと思います。火の通りを速くして光熱費を抑えるために札幌ラーメンの麺が細くなったと言われるのと似たような話ですかね。
 要するに素麺が細く長く引き伸ばされた一本の捏ね粉の紐であるのに対し、冷麦は捏ね粉をのしてたたんで切った、いわば細うどんであるという点が違うのです。見た目は同じようでも、それぞれ違う系統に属する食品であると言えるでしょう。ちなみに蕎麦も冷やし中華の中華麺も、麺線の製法としては捏ね粉をのしてたたんで切る、冷麦=うどん型の麺です。
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| 飲み食い、料理 | 21:54 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
トラヴェルソに挑戦 その3
 仕事でも何でもそうですが、正しい結果を効率よく出すには、よく知っている人に聞くのが一番です。楽器もそうで、上達の早道はよい先生につくこと。私のように教則本相手にマイペースで試行錯誤していると、時間はかかるし上達できるかどうかも定かではありません。私だってもし近々演奏会があってトラヴェルソを吹くのであれば、たとえ東京まで出たってレッスンに通わなければならなかったでしょう。しかし幸いなことに私はコントラバス弾きで、フルート吹きでもトラヴェルソ吹きでもないので、こんなに悠長に構えていることが許されるのです。だからトラヴェルソの効率的なマスターを志す方々は私の真似をしてはいけません(笑)。

 さて、前回に引き続きアンブシュアについて。私が小学生の頃音楽のM先生からお借りしていた黄色い表紙の「アルテ」には、フルートのリッププレートは下唇と顎の間のくぼみにつけよ、というふうに書いてあったと覚えており、私はそれ以来約40年間そのようにしてきました。で、トラヴェルソもそれと同じように顎のくぼみに当てて吹いてみると、音が出るには出るのですが、どうもCDで聞くトラヴェルソの音とは違うのです。CDで聞く音は軽くふんわりと、少しくぐもったようなまぁるい音ですが、私が吹く音は張りのないフルートみたいな、中途半端な音になってしまいます。うーん、こりゃ絶対違うよな、と思い、前回紹介したビデオやクヴァンツの「試論」などを注意してみると、トラヴェルソでは楽器の位置がもっと高く、embouchure hole と唇の距離がもっと近くなるらしいことがわかりました。
 たとえばクヴァンツの「試論」には次のようにあります。

「フルートを口のところにおく場合、唇が平らになるように先ず頬を引き締めなさい。それから、上唇を歌口の縁にのせなさい。下唇を上唇に押しつけ、歌口の最も下の縁が下唇の真中にきていると感ずるまで下唇を上から歌口の方へ引きおろす。そうすると、フルートが先ず廻されて上唇から離れ、歌口の穴は下唇で半分おおわれる。」

 このとおりにしてみると、フルートのリッププレートに相当する部分の頭部管の管体は、顎のくぼみではなく下唇につけることになります。ビデオを見てもやはりそうで、中村先生の上下の唇の間の線が embouchure hole の演奏者から見て手前側のエッジのすぐ上くらいに来ているように見えます。顎のくぼみに当てて構えれば embouchure hole には下唇の下側が触れることになり、中村先生のような形にはなりません。なるほど、アンブシュアが違うから音が違うのか・・・

 というわけで、トラヴェルソをトラヴェルソの音で吹くためには、新しいアンブシュアを身に付けなければならないらしいということがわかりました。これはね、たぶん時間かかりますよ。私の場合ゼロからのスタートというより、なまじ顎のくぼみにつけて吹いてきた経験の分だけマイナスからのスタートになっちゃうかも。
 しかしここで思わぬ事態が!偶然見つけた YouTube の動画で、かの名フルート奏者ジェイムズ・ゴールウェイ氏のアンブシュアも顎のくぼみでなく下唇につけるものであることがわかったのです。

 私はもうフルートを吹くことはほとんどないのですが、ゴールウェイ氏の映像の意味するところは、トラヴェルソで下唇につけるアンブシュアを習得すると、それがフルートにも応用できる可能性がある、ってことなのです。
 ・・・この際「顎のくぼみ」式から「下唇」式へ、全面的にアンブシュア改造しようかなぁ。改造にどれくらいかかるかわからないけど、別に2ヶ月や3ヶ月まともな音が出せなくなったって別に困らないんだし、先は長いんだし・・・
| オーケストラ活動と音楽のこと | 22:32 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
トラヴェルソに挑戦 その2
 挑戦その1では主にフルートとトラヴェルソの構造上の違いについて書きましたが、やはり最大の問題はアンブシュア(embouchure)。アンブシュアとは音を出すための口の構えのことで、トラヴェルソの発音原理はフルートと全く同じなので、フルートと同じに吹けばよさそうですが、これが意外と難物なのです。
 フルートの頭部管を見ると、唇を当てるリッププレートの真ん中に息を吹き込む穴 embouchure hole / blow hole が開いています。この穴はほぼ長円形で、私が使っていた楽器(Sankyo Silversonic)の場合横12mm、縦10mmほどの寸法があります。一方トラヴェルソの穴は円形に近く、横10mm、縦9mmほど。フルートに比べて縦・横ともに小さく、面積では3/4しかありません。

フルート頭部トラヴェルソ頭部<左がフルート、右がトラヴェルソの頭部。同じ倍率で撮ってるわけではないので embouchure hole の大きさの違いが直感的にわかりづらいですが(汗)、実際は結構違うのですよ。>

 フルートの embouchure hole がトラヴェルソに比べて大きいのは、多くの息を入れて音量を増すための改良の結果ですが、その副産物として、いい加減なアンブシュアに対する許容度も大きくなっているのではないかと思います。乱れのない息の柱を embouchure hole のエッジによい角度で当てるのがアンブシュアの理想ですが、embouchure hole の大きいフルートは、多少いい加減な、効率の悪いアンブシュアでも、力で吹けてしまうところがあります。太く乱れた息の柱で当てずっぽうに吹いたとしても、幅と奥行きのある embouchure hole がふところ深く受け止めてくれるのですね(もちろんいい音にはなりませんが)。ところがトラヴェルソの小さい embouchure hole だとそうはいきません。細くて乱れのない息の柱を、狙い澄ましてエッジに当てなければ音にならないのです。

 思い起こせば私とフルートとの出会いは今から40年ほど前、岡山県は倉敷市のとある小学校で、音楽のM先生から「ほーほ君はフルートとクラリネットとどっちがいい?」と聞かれたときに始まります。その小学校にはアコーディオンを中心にした合奏部があり、前の年の二学期に奈良から転校してきた私は、そこでリコーダー(アルト)を吹いていたのですが、M先生は合奏に大変熱心で、既に導入済みのコントラバスやトランペットに加えて、木管楽器も入れようと企てたようなのです。先生は「同じ笛だからフルートがいいだろう」と決めると、ご自分でヤマハの YFL-31 というモデルをお買いになり、「僕が教えるわけにはいかないけど、これは日本で一番いい教則本だからこのとおりに練習しなさい」と言って、日本フルートクラブ訳の黄色い表紙の「アルテ」と一緒に私に貸してくださいました。感激したほーほ少年は先生の指令を忠実に守り、黄色い表紙の「アルテ」を相手にフルートを独習したのです。40年前の倉敷だって、探せばフルートの先生はいたかも知れませんが、裕福ではなかったほーほ家ではとても先生について習うことはできませんでした。先生から貸していただいた楽器と「アルテ」で練習したほーほ少年は、その年の秋の岡山県器楽合奏大会で一年下のあきよちゃんと二人並んで最前列の真ん中でフルートを吹き、めでたく金賞をいただきましたとさ。
 ちなみにこのときの曲はグルックの歌劇「アウリスのイフィゲニア」序曲で、今日ではほとんど演奏されないモーツァルトのコーダ(明るく華やかに終わる)付きでした。M先生、マニアですなぁ(今日一般的に演奏されているのは静かにほの暗く終わるワーグナーのコーダ)。

 というわけで、私はフルートを先生について習ったことがありません。黄色い表紙の「アルテ」が先生代わりでしたが、いくら日本一の教則本(M先生談)だって小学六年生が独習することを念頭において書かれてはいないし、そもそも「アルテ」自体に「ちゃんと先生につきなさい」と書いてあったような気もします。しかも中学で吹奏楽部に入るまでは、私の周りでフルートを吹いている人は一年下のあきよちゃんしかいなくて、そのあきよちゃんも初心者だったのですから、今にして思えば相当無茶な習得であったと思いますね〜(汗)
 そんな無茶がまかり通ったのも embouchure hole が大きくてふところの深い現代フルートならではのこと。その延長でトラヴェルソはそら無理ですわ・・・
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| オーケストラ活動と音楽のこと | 21:25 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
トラヴェルソに挑戦 その1
 トラヴェルソはフラウト・トラヴェルソ flauto traverso(横向きの笛)の略称。バロック時代に用いられていた横笛で、現在のフルートの祖先に当たります。見た目は現在のフルートからキーを取り去っただけみたいな格好をしてますが、それ以外にもいろいろと違いがあります。実はこのたびアウロス(トヤマ楽器:小学校で習うリコーダーのメーカーとして有名ですね)の樹脂製トラヴェルソを入手したので、トラヴェルソとはどんな楽器なのか、かつてフルートを吹いたことがあるトラヴェルソ超初心者の目でもって紹介いたしましょう。

 なぜトラヴェルソに挑戦することになったかというと、 以前ヘンデルの「水上の音楽」に使われている flauto piccolo という楽器を巡って勘違いをしてしまったときに、半ば冗談で「罪滅ぼしにトラヴェルソ始めようかなぁ」と書いたのが発端といえば発端で、さらに以前から東京サロンオーケストラを呼んでいただいている月島第一小学校・幼稚園さんから今年もお声がかかり、「それならトラヴェルソとフルートを比べて、木管楽器のキーの仕組みのお話ができるんじゃないか!」と思いつき、にわかにトラヴェルソ購入計画が現実味を帯びてきたというわけ。

traverso_vs_flute アウロスの樹脂製トラヴェルソで評価が高いのは、日本の古楽界を代表するトラヴェルソ奏者有田正広氏の製作指導になる、英国のステインズビー・ジュニア作の象牙製楽器のコピー AF-3(全体に白いので「蛍光灯」などと呼ばれることもある)ですが、私が入手したのはドレスデンの製作者グレンザーの楽器を模した R.Cameron氏設計の AF-2 で、元の楽器が黒檀製だったのでしょう、黒っぽい色をしています。なぜ評判のよいステインズビー・モデル AF-3 でなくこちらを選んだかというと、ステインズビー・モデルはコピーだけあって、いわゆるバロックピッチ(A=415Hz)なのに対し、グレンザー・モデル AF-2 は今日の標準的なピッチ A=440Hz で設計されているので、もしもある程度吹けるようになったら他の楽器と合わせられると思ったからです。
分解したところ
<上の写真は組み立てた状態でフルートと並べてみたところ。ご覧のとおりフルートの方がちょっと長いのは、トラヴェルソがD管で最低音がレなのに対してフルートはその一音下のドまで出るので、その分長いのです。
右の写真は分解したところ。フルートが3本継ぎなのに対してこのトラヴェルソは4本継ぎのタイプなので、一番上のソフトケースに収まります。トラヴェルソが4本継ぎなのは、胴部管を上下に分割し上の管を違う長さの替え管に取り替えることで、当時国や地域によってさまざまだったピッチに対応するためと言われていますが、この楽器は別に替え管はないので、もっぱら携帯に便利なためでしょう。3本継ぎのトラヴェルソも作られていました。>


 確かに AF-3 が「オリジナルと比べてもひけを取らない」等の高い評価を得ているのに対し、AF-2 は吹きづらいとかプラスチックの音がするとか、まあ値段相当の評価を受けておりますよ(AF-3は4万円台、AF-2は2万円台)。でもバロックピッチで気軽にアンサンブルできる環境が私の周りにはないのです。バロックピッチは今日普通のピッチより約半音低いので、ピアノや他の管楽器とはちょっと合わせられないし、弦楽器は半音低くチューニングしてもらえば何とかなりそうだけど、絶対音感のある人は見ている音符の音と実際に出てくる音が半音ずれるので、相当キモチ悪いらしい・・・私はそういうややこしい才能には恵まれてないので全然平気なんですが、万一上手くなってしまった時に、周りに合わせてくれる人が誰もいないって淋しいじゃないですか。だから A=440Hz の AF-2 にしました。
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| オーケストラ活動と音楽のこと | 10:50 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
ピアノで弾くバロック〜ヒューイットのヘンデル

ヒューイットのヘンデル 「ピアノで弾くバロック」のコーナー、今回が最終回です(早っ!)。今回はアンジェラ・ヒューイットの弾くヘンデルのご紹介。
 ヘンデルのチェンバロ曲というと、私が小学生のときに「調子のよいかじや」という曲が音楽の授業の鑑賞曲で、このとき初めてチェンバロ(いや教科書ではハープシコードだったかな?)の音を聞いたものです。が、今回のアルバムにはこの「調子のよいかじや」は収録されてなくて、全部初めて聞く曲ばかりでした。

 これまでクープランとラモーを聞いてきましたが、ヘンデルはがらっと雰囲気が変わります。収録されているのがシャコンヌ ト長調 HWV435 と組曲二つ(ヘ長調 HWV427 / ヘ短調 HWV433)で、クープランやラモーのようなイメージを喚起する曲名を持った小曲の花束(たとえ組曲であっても)という作りではなく、またクープランのファンタジーやラモーの民謡のような素朴さとは違って手堅く律儀に書かれた曲を、これまた手堅く律儀に演奏している、という感じがしました。したがって作曲者や曲の性格の違いをきちんと弾き分けているという意味ではよい演奏ですが、クープランやラモーと比べると地味な印象を受けることもまた事実。これまで聞いたクープラン、ラモー、ヘンデルのうちでは、私はラモーに一番手が伸びるだろうなあ。
 なお楽器はラモーでも使われていたツィオリのピアノです。私が好きなベーゼンドルファーのガリッとした音よりはスタインウェイに近い感じの音ですが、中音域から高音域にかけてのパリッとした響きが独特なような気がします。

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| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
わすれぐさ再び
 猛暑と節電と放射能の今年の夏にも、あの「わすれぐさ」(ヤブカンゾウ)が咲きました、という記事の続編です。同時に昨年書いた「わすれぐさを付けるのはなぜ」という記事の続編でもあります。
 「わすれぐさを付けるのはなぜ」の大意は、万葉集巻三の334番歌の読みと歌意について、折口信夫・佐佐木信綱らが「わすれぐさ わが紐に付く 香具山の 故(ふ)りにし里を 忘れぬがため」と訓み、飛鳥の旧都を「忘れられないので」わすれぐさを付けて忘れようとしている、と解いているのに対し、中西進・伊藤博(はく)らが同じ歌を「故(ふ)りにし里を 忘れむがため」と訓み、飛鳥の旧都を「忘れるために」わすれぐさを付ける、と解く、その違いに注目し、同じ歌が異なる訓と解を持つ理由が本文校定にあること、具体的には両者とも「萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 不忘之為」という本文を持つ底本に拠りながら、中西・伊藤らは沢瀉久孝(おもだか・ひさたか)が「万葉集注釈」で復元した「萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為」という原文を採用したことによるものだ、ということを知り、それについていささかの感慨を述べたものです。

 さて、一度は自分の中で片付いたこの件ですが、今年もまたヤブカンゾウの花を目にして、この歌の原文が「万葉集注釈」の説のとおり「忘之為」であったのなら、なぜそれがそのまま伝わらず「不」という否定の字が付いた形で流布するに至ったのか、にわかに納得できんなぁ、という思いがわいてきました。写すときに誤って字を落とすならともかく、字を加える、しかもどちらかというと歌意がすらりと通じにくくなるような字を加えるということはあり得るのかね、というわけです。
 そこで、これはひとつ原文見直しのもととなった「万葉集注釈」の当該部分を読まねばなるまい、と思ったのですが、こういうときに頼りになる筑波大学の図書館は7月1日から8月31日まで大学の夏休み期間中で、開館時間が平日の9時から5時のみで土日祝は休み(医学図書館だけは平日土日祝9時-20時開館ですが、「万葉集注釈」は置いてないんだよな〜、ま、そりゃそうだろう)なので、サラリーマンには利用できません。参ったね・・・と思ったら、つくば市立中央図書館に全巻あることがわかりました。やるなぁつくば市!

 というわけで「万葉集注釈」(以下「注釈」)に当たってみると、さすがは沢瀉先生、「不」字が後から加わったと考える理由についても説明されていました。
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| 国語・国文 | 09:59 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
猛暑と節電と放射能の夏の生き物たち
 先週の土曜日(7/9)に梅雨明けが発表された関東地方。「梅雨明け10日」と言われるとおり、それ以来雨らしい雨も降らず、茨城県南の土浦でも35度を超す猛暑日となるなど、暑い毎日が続いています。しかも今年は6月のうちから暑く、6月29日には各地で真夏日・猛暑日となり6月の最高気温を更新したのでした。
 一方で3月11日の震災による福島第一原発の事故に端を発する電力不足と放射能汚染はいまだ解決のめどが立たず、放射能汚染は牛肉問題など逆に広がりを見せているという・・・今年の夏は猛暑と節電と放射能の夏です。う〜んつらいなぁ・・・(汗)

 さて、そんな夏でも夏の花は夏に咲き、夏の虫は夏に出ます。まずはここ数日当社を訪れた、というか会社に飛んで来た夏の虫、カミキリムシの仲間をご紹介。

ゴマダラカミキリ 左はゴマダラカミキリです。おなじみのカミキリムシで、この辺でもよく出ます。

ラミーカミキリ 右はコマダラカミキリより二回りくらい小さい、初めて見るカミキリムシ。調べてみるとラミーカミキリのようです。明治初期に中国大陸から輸入されたラミーという植物と一緒に入ってきたらしいとのこと。
 ラミーといえば、一部の方には減価償却資産の耐用年数表でおなじみ、というか名前は知っているが実態がよくわからない資産の、まあトップ10には間違いなく入るんじゃなかろうかと思われますが、繊維をとる植物で日本のカラムシ(イラクサ科)の仲間だそうです。ラミーカミキリも日本のカラムシを食べているらしい。

シュレーゲルアオガエル 次はカエルです。あまりの暑さに日陰の葉の上でお昼寝中。大きさ、色ともにアマガエル(ニホンアマガエル)によく似ていますが、体側に茶色い帯がなさそうなので、おそらくシュレーゲルアオガエルでしょう。横文字名前ですが日本固有種のカエルです。シュレーゲルはオランダのライデン大学の先生でこのカエル(の標本)を研究した人の名前だそうです。

 続いてこの時期に目に付く植物をご紹介。

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| 身近な自然 | 22:42 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
ピアノで弾くバロック〜ヒューイットのラモー
 さあ、「ピアノで弾くバロック」のコーナーです!前回のクープランに続いて、今回はアンジェラ・ヒューイットの弾くラモーを取り上げます。今回はタローさんとの聞き比べはありません。

 白状しますが、私はフランスのバロック音楽についてはあまり知らない、というか、取り組みが怠惰だったのですなぁ・・・フランスのバロック音楽の作曲家としてはリュリ、ラモー、クープランあたりが真っ先に思い浮かびますが、そもそもこのお三方がそれぞれいつ頃活躍されたのか、先後関係がわかってません。というわけで、この機会に整理してみましょう。

ジャン=バティスト・リュリ 1632-1687(もとイタリア人、1661年に帰化)
フランソワ・クープラン   1668-1733(大クープラン)
ジャン=フィリップ・ラモー 1683-1764

 なるほどー、ラモーの方がクープランより後なんだ・・・いや、私は漠然とクープランの方が後かなぁと思っていたのです。というのは、前回のヒューイットやタローのアルバムでもそうなのですが、クープランの曲は和音が充実していて、時に「えッこの時代にそれ、あり?」みたいな四音和音、五音和音を使っているのに対して、ラモーの曲はそれほど凝った和音は使ってなくて、縦の和声より二声なり三声なりの動きがよく見える曲が多い印象があったからなのですね。でも実際にはラモーの方が15年ほど後に生まれていますから、クープランの方が後のような気がしたのは、時代が進むほど和音が複雑になるという私の単純な思い込みのせいだったようです。

ラモー さて、ヒューイットのラモーです。これもクープラン同様すてきです。ピアノで弾いていながらクラヴサン曲としてのわきまえがあると言いますか、要はクープランの時と基本的に同じアプローチです。前述のとおりラモーの曲はクープランより風通しのいい作りの音楽なので、とりわけ疲れてる時や元気のない時はクープランよりも耳になじみやすいです。BGM風にぼんやり聞き流しても気持ちいいですし(う、うわぁそんな贅沢な!)、気を入れて聞けばおもしろいことがいっぱい起きています。
 曲目のことを言うと、私が大好きな「ため息 Les Soupirs」という曲が含まれていないのは残念です。しかし私の敬愛する指揮者オットー・クレンペラーがオーケストラ用に編曲しているガヴォットと6つのドゥブルの原曲が含まれていて、クレンペラーが原曲にかなり忠実にオーケストラに置き換えていることがわかったのは収穫でした。
 クレンペラーはバッハのマタイ受難曲、ロ短調ミサ曲、ブランデンブルク協奏曲と管弦楽組曲の全曲、ヘンデルの「メサイア」や合奏協奏曲などバロック音楽の名曲の録音を残しており、しかもそれは彼が功成り名遂げてからの余暇のすさびではなく、1946年には高音トランペットの代りにソプラノサックス(!)を使ってまでブランデンブルク協奏曲第2番を録音してますから、早い時期からバロック音楽の紹介に努めていたのです。しかしこの話は長くなるので、またいずれ。

<写真は私が持っているラモーのLPとヒューイット盤。LPはブリジット・オドブール Brigitte Haudebourg というフランスの女流奏者が弾いた1枚ものの選集で、使用楽器はクロード・メルシエ=イティエが復元したジャン=アンリ・エムシュ Jean-Henri Hemsch が1751年に製作したもの。日本コロムビア OW-7865-AR 原盤はARION。ジャケットは小さくて狭っ苦しいCDのそれとは比べ物にならない風格の漂うもので、ARION原盤のオリジナルのものと思いたいが、残念なことに左下のクラブサン製作者アンリ・エムシュのアンリの綴りがぁぁぁ・・・フランスのレーベルならソコは間違えないでしょ、たぶん。>

 最後にヒューイットの録音に使われている楽器について。クープランではスタインウェイでしたが、このラモーではファツィオリというイタリアのメーカーの楽器が使われています。私みたいに車の中で聞いたり iPod とイヤホンで聞いたりしていると、「そう言われるとなんか違うような気がする」程度でその違いがよくわかりませんが、このメーカーのピアノはとても音が美しいらしい。確かに私のような聞き方でも軽やかで繊細で美しい音です。きちんとした再生装置で聞かれる方はその辺もお楽しみに。

 次回はヒューイットの弾くヘンデルです。

| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 22:50 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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