もう5年ほど前になるでしょうか、春の日の暮れ方に高校時代の友人たちと国立の桜を愛でながら歩いていたときのこと。さくら通りを矢川方面へ歩き、途中で右に折れて北の方へ歩いていくと、「ぶどう園東(いや、西だったかな?)」というバス停がありました。「ぶどう園?こんな所に?」と不思議に思いましたが、それっきり忘れていました。その後地元にお住まいのsafoさんから「葡萄農園があるのです・・・バス停からはよく見えませんが、裏からだと入れます。」という情報を本ブログの記事へのコメントでいただいたのが2年前ですが、その時にはもう葡萄園のことは私の記憶からほとんど飛んでいたのです。
ところが今月10日に国立に行ったとき先行発売でゲットした「多摩ら・び」67号(国立特集号)に、このぶどう園の記事が出てました。54・55ページの見開きを使った「土地に眠る物語 ブドウとキウイの園 国立市西二丁目」がその記事で、このぶどう園は“山ブドウワインの父”故・澤登晴雄(さわのぼり・はるお)氏がぶどうやその他の果樹の育種を行っていた所だそうです。ぶどう園というと甲府盆地を埋め尽くす緑のじゅうたんみたいなイメージですが、なるほど育種なら町中でも大丈夫だな。
この記事によると、澤登氏は山梨の山村の農家に生まれ、師範学校を卒業して郷里近くの尋常小学校の教師になったものの、生徒の家の貧しさを見て「日本の農村を豊かにしたい」との思いを抱き、生食用のブドウに比べ価格が安定していて手間が少なく、痩せた土地でも作ることができるワイン用のぶどうや果樹に取り組むようになったとのこと。また国立のぶどう園はもともと大正末期に旧・興銀(日本興業銀行、現在はみずほコーポレート銀行に再編)が建てたゲストハウスだったものを、終戦直後に氏が興銀の調査部長から「戦後の模範農場として食料増産の基点にしてほしい」と言われて引き受けたもので、氏はここで「農業科学化研究所」という看板を掲げ、育種の研究と研修生の受け入れを行い、北海道池田町の「十勝ワイン」や山形県(旧)朝日村の「月山ワイン」、岩手県葛巻町の「くずまきワイン」等々、いくつもの日本のワイナリーが澤登氏の教えによって誕生したという・・・いや〜、こりゃすごい人がすごいことをやってた、すごい所だったんだ!
国立のぶどう園の歴史と澤登氏の事績に感動した私は、澤登氏の著書を読んでみたいと思いました。この記事には「ワイン&山ブドウ源流考」(と元・池田町町長の丸谷金保氏の「ワイン町長奮戦記」)が文末に参考文献として掲げられ、それとは別に「国産&手作りワイン教本」が写真入りで紹介されています。ところが調べてみると「ワイン&山ブドウ源流考」(ふたばらいふ新書)は絶版、「国産&手作りワイン教本」(創森社)も品切れ中で、ネット通販に出ている古書だと前者は約5,000円、後者も3,500円くらいする(汗)・・・んじゃ〜この際安い方で、と後者を購入(ケチ)。ところがこの本、創森社の[遊び尽くしシリーズ]中の一冊とあって見た目は柔らかいし文章も読みやすいのですが、内容はすごかった。私はまた感動してしまいましたよ。