近頃飲んだ酒:カルムネールのワイン
カルムネールのワイン 初めてカルムネール carménère という品種のブドウで造ったワインを飲みました。寡聞にしてこの品種のことはまったく知らなかったのですが、ネットで調べてみるともともとフランスのボルドーで古くから作られていた品種で、特にメドック地区でよく使われたらしいのですが、フィロキセラ禍によってフランスから姿を消し、一時は絶滅したと思われていたらしい。

 ところがその後チリでメルローと間違われて、またイタリアではカベルネ・フランと間違われて栽培されていたことがわかり、特にチリでは大成功を収め、ドイツワインと言えばリースリング、オーストラリアワインと言えばシラーといわれるのと同じく、チリワインとカルムネールはほとんど同義語とされるに至ったのだと。うーむ、チリのカベルネ・ソーヴィニヨンはけっこう飲んでいたのだが(汗)。

 ところでこのワインはJR荒川沖駅東口のさんぱるに入っている「さんぱるリカーショップ」で50%OFFになっていたので購入したのですが、それでも1,500円弱だったので、もし50%OFFじゃなかったら絶対買ってないね(^^; 同じメーカーのカベルネ・ソーヴィニヨンとシラーもありましたが、いっちょ冒険して未知のブドウに挑戦してみようと思ったのもこの値段だったから。安いってありがたい。白ではシャブリも50%OFFになってたので買っちゃいましたが、ひょっとしてこれも震災の影響なんだろうか。

 初めて飲んだカルムネールのワイン、とても気に入りました。黒っぽい色調でタンニンがあまり強くなく、メルローやカベルネ・フランと間違われていたというのもある程度うなずけます。しかしそれらより果実味が強くて、むしろ私の好きなシラーとかマルベックに似てると思いました。これでお値段がいつも50%OFFならうれしいんだけどね(それは無理だろ)。

| 飲酒日誌 | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
近頃飲んだ酒:「南部美人」純米吟醸
 例の震災以後、私の身近な酒事情にも変化がありました。一番の変化は酒店の陳列と品揃え。それまで陳列棚に酒瓶がずらりと立ち並んでいたのが、毎日々々何度も繰り返す余震のため、横に寝かせたり木箱やケースに入れたまま棚に並んでいたり。そのようにして並べられた瓶にはラベルが汚れたり傷んだりしたものもあり、ところどころ空いている棚もあります。まだ日常には戻ってないな、という感じで、一時はこんな状況で呑気に酒飲んでていいのかなという気持ちにもなりました。
 そんな中で飲みたい背中を押してくれたのが、YouTubeで見た東北の酒屋さんの「お花見のお願い」でした。ハナサケ!ニッポン!の会では「南部美人」「あさ開」「月の輪」(以上岩手県)「栄川」(福島県)など東北各地の酒屋さんの「お花見のお願い」の動画を流していましたが、私が見たのは「南部美人」さんのものでした。

南部美人純米吟醸 というわけで「南部美人」です。木箱に入って棚に並んでいたもので、よく見るとラベルの右下がわずかにひっかいたように傷んでいます。そのせいでしょう、純米吟醸にもかかわらずお買い得価格でした。
 岩手といえば南部杜氏の本場。私が普段愛飲している「霧筑波」を造っているつくば市吉沼の浦里酒造店も南部杜氏が活躍している酒屋さんなので、おそらくそのせいでしょう、「南部美人」も私の中のスタンダードの上級品という感じで、とても飲みやすくておいしい。さらりと辛口で上品な中に、肴に何を当てても大丈夫みたいな力強さが感じられるお酒です。

 これからしばらくは、日本酒は東北・北関東のものを飲んでいこうと思っています。
| 飲酒日誌 | 16:45 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
腰から弾く

 4月24日(日)の土浦交響楽団の練習は、以前協奏曲のソロをお願いしたこともあるNHK交響楽団チェロ奏者の桑田歩(あゆむ)さんをトレーナーに迎えての弦分奏でした。シューマンの交響曲第3番「ライン」に続いてリムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」を見ていただいているときに、団員から第2曲 Variazioni の真ん中あたり、 コントラバス以外の弦楽器が重音でジャグジャグジャグ・・・とやる所(でわかるかなぁ(汗)、少しゆったりめのテンポで弓を返しながらたっぷりした重音を高低高低高低・・・と連続して弾いてる所です)の右手の使い方について質問があり、桑田さんに弾いていただきました。
 歩さんが肘を大きく使ってダイナミックに弾かれるのを見た団員から「手首より肘ですか」の声。歩さんは「そうですね、肘、と言うか」と答えて、さらに次のように続けました。

 「みなさんは右手の手首、肘、肩までは意識しているが、実はその先は肩甲骨、さらには腰まで続いているのです。どうぞ腰から、腰を入れて弾いてください。」
「オーケストラは座奏ですから、腰を意識すると楽器を弾く姿勢がよくなる。深く腰掛けて後ろにもたれるような姿勢ではなく、すぐ立ち上がれるくらいの姿勢です。」
「腰から肩甲骨、肩、肘、手首、指までの力と動きの配分、バランスが大事です。」

 「ではやってみましょう」と全員でそのとおりやってみると、おお、音が出てる出てる!さっきと全然違う!

 立奏だと全身を使って弾くけれど、座奏だと極端な話、後ろにもたれてどーんと足を投げちゃってても、上半身だけで楽器を構えて弾くことはできちゃいますからね。
 でも腰を意識すると、本当に音が全然違いました。ストロークの大きさや弓への腕の重さの乗り方なんかが変わったのだろうか。

| オーケストラ活動と音楽のこと | 20:05 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
今日の筑波大学
 今日は日曜日ですが、私の母校・筑波大学の中央図書館まで自転車でひとっ走りして、論文をコピーしてきました。ここの図書館は基本的に開架式で、学外者は住所・氏名を書いて利用できるし、私費でコピーをとることもできるので、時々利用させてもらってます。

 午前中はとてもよい天気で、大学構内の池のほとりでは学内のサークルのライブをやってました。キャンパス内にも筑波研究学園都市内を縦横に結ぶ歩行者・自転車専用道「ペデ」(ペデストリアンデッキ)にも新緑があふれて、震災で遅れていた講義も始まって、これから梅雨前までが一年のうちで大学が一番輝く時期ですよ。

ライブの風景<野外ライブ。缶ビールでも片手にのんびり聞きたいところですが、たとえ自転車でも飲酒運転はご法度なのだ。>

ループ道路<右はキャンパス内をぐるっと一周する、通称「ループ道路」のケヤキ並木。この時期は一面の新緑、夏は一面のセミ時雨、秋は一面の黄葉。>

ペデ<こんな箇所ばかりではありませんが、研究学園都市内に縦横に張り巡らされているペデ(私もその全貌は未だに極められず ^^;)>も新緑におおわれて、さわやかな緑の散歩道になっていました。>


| 暮らしの中から | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
国立のぶどう園〜澤登晴雄氏のこと〜
 もう5年ほど前になるでしょうか、春の日の暮れ方に高校時代の友人たちと国立の桜を愛でながら歩いていたときのこと。さくら通りを矢川方面へ歩き、途中で右に折れて北の方へ歩いていくと、「ぶどう園東(いや、西だったかな?)」というバス停がありました。「ぶどう園?こんな所に?」と不思議に思いましたが、それっきり忘れていました。その後地元にお住まいのsafoさんから「葡萄農園があるのです・・・バス停からはよく見えませんが、裏からだと入れます。」という情報を本ブログの記事へのコメントでいただいたのが2年前ですが、その時にはもう葡萄園のことは私の記憶からほとんど飛んでいたのです。

 ところが今月10日に国立に行ったとき先行発売でゲットした「多摩ら・び」67号(国立特集号)に、このぶどう園の記事が出てました。54・55ページの見開きを使った「土地に眠る物語 ブドウとキウイの園 国立市西二丁目」がその記事で、このぶどう園は“山ブドウワインの父”故・澤登晴雄(さわのぼり・はるお)氏がぶどうやその他の果樹の育種を行っていた所だそうです。ぶどう園というと甲府盆地を埋め尽くす緑のじゅうたんみたいなイメージですが、なるほど育種なら町中でも大丈夫だな。
 この記事によると、澤登氏は山梨の山村の農家に生まれ、師範学校を卒業して郷里近くの尋常小学校の教師になったものの、生徒の家の貧しさを見て「日本の農村を豊かにしたい」との思いを抱き、生食用のブドウに比べ価格が安定していて手間が少なく、痩せた土地でも作ることができるワイン用のぶどうや果樹に取り組むようになったとのこと。また国立のぶどう園はもともと大正末期に旧・興銀(日本興業銀行、現在はみずほコーポレート銀行に再編)が建てたゲストハウスだったものを、終戦直後に氏が興銀の調査部長から「戦後の模範農場として食料増産の基点にしてほしい」と言われて引き受けたもので、氏はここで「農業科学化研究所」という看板を掲げ、育種の研究と研修生の受け入れを行い、北海道池田町の「十勝ワイン」や山形県(旧)朝日村の「月山ワイン」、岩手県葛巻町の「くずまきワイン」等々、いくつもの日本のワイナリーが澤登氏の教えによって誕生したという・・・いや〜、こりゃすごい人がすごいことをやってた、すごい所だったんだ!

澤登氏の記事と本 国立のぶどう園の歴史と澤登氏の事績に感動した私は、澤登氏の著書を読んでみたいと思いました。この記事には「ワイン&山ブドウ源流考」(と元・池田町町長の丸谷金保氏の「ワイン町長奮戦記」)が文末に参考文献として掲げられ、それとは別に「国産&手作りワイン教本」が写真入りで紹介されています。ところが調べてみると「ワイン&山ブドウ源流考」(ふたばらいふ新書)は絶版、「国産&手作りワイン教本」(創森社)も品切れ中で、ネット通販に出ている古書だと前者は約5,000円、後者も3,500円くらいする(汗)・・・んじゃ〜この際安い方で、と後者を購入(ケチ)。ところがこの本、創森社の[遊び尽くしシリーズ]中の一冊とあって見た目は柔らかいし文章も読みやすいのですが、内容はすごかった。私はまた感動してしまいましたよ。
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| - | 09:19 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
和本リテラシー

 日本文学研究者の中野三敏(なかの・みつとし)氏の「勿体ない話」というエッセイが4月17日(日)の日本経済新聞文化面に載っていて、大変おもしろく読みました。氏は江戸時代の文字メディアについて「多分、十八世紀前後としては世界一の達成度を示して、社会万般の事柄を集約した写本・刊本交々の書物化を果たしている。その数は優に百万点を下るまい。」とし、しかし当時の文字は「明治三十三年の官報で、現行の一音一字の平仮名字体に統一される迄の凡てに用いられて」いた「草書体の漢字と所謂(いわゆる)「くずし字」の平仮名」で、「従ってそれを読む能力(私は「和本リテラシー」と称している)を備えない限り、明治三十三年以前の書物の内容に通じるチャンネルは持ち得ないことになる。」と指摘しています。
 確かに江戸時代の手書きの文字は勿論、印刷された刊本の字もミミズがのたくったような連綿体で、どこからどこまでが一字なのかすらわからないこともあります。氏はさらに続けて「そのチャンネルを持つ日本人は、多く見積もっても五千人を下回る数にしかなるまい。」と言っています。うーむ、そんなもんですか・・・。

 ところで、実は私も今から30年くらい前の学生の頃、「草書体の漢字と所謂(いわゆる)「くずし字」の平仮名」を読むトレーニングを受けたことがあります。日本史とその関連分野を専攻する学生がやる「古文書(こもんじょ)演習」というやつです。最初は後ろに解答がついている問題集みたいのを読み、次に実際の文書のコピーを読み、ある程度読めるようになると「古文書(こもんじょ)実習」を受けさせてもらえます。この実習、私のときは信州伊那の箕輪村(現在の長野県上伊那郡南箕輪村と思う)に3日くらい泊まり込み、主に現地の地方文書(じかたもんじょ:村役人が作成した行政上の文書)の実物を読みました。「実物は墨色の微妙な違いがわかるからコピーより読みやすいぞ」と言われましたが、そうかといって劇的に読みやすいわけではありません。
 それでも地方文書は行政文書なので、定型的なものなら数字と人名以外はほとんど様式どおりであまり苦労せず読めますし、そうでないものも語彙や構成はだいたい決まっていますから、ある程度決め打ちできるところはあります。これが私信(手紙)などになると、読みにくいひらがなが多くなるし、語彙も内容も千差万別で、浅学の身ではほとんど歯が立ちませんでした。

 中野氏はさらに続けて「恐らく、多くの方々は、それでも必要な書物の大半は活字化されていると御思いなのではなかろうか。とんでもない誤解である。確たる数字は把握出来ないが・・・その数は一万点に届くかどうか。これでは前述した通り百万点の一%に過ぎぬ。・・・読めない本はゴミに等しい。文化国家日本は何とも太っ腹な国で、自らの文化遺産の九十九%を平然とゴミ同然に放置しているのである。」と書いています。つまりはそれがこのエッセイのタイトルである「勿体ない話」だ、というわけですが、ということは「和本リテラシー」を身につければ、これまでに活字化されているものの99倍という、ほとんど汲めども尽きぬ楽しみに手が届くということでもあるわけだよね。

 昔取った杵柄、いっちょ「和本リテラシー」所有者の5001人目に挑戦してみようかな。

| 国語・国文 | 23:38 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
2011/4/10 国立で花見・午後の部
午前の部より続く)
 さて、いつもの会場に着いてみるとそこにいたのは地元の幹事2名(いずれも男性)のみ。まあ出だしはこんなもんだろうと、とりあえず乾き物と缶ビールで3人で乾杯。話題はおのずと地震とその後の被害のことに。国立はさすがに茨城ほどの被害は出なかったものの、計画停電は3回ほど実施されたそうです。
 やがて人が集まり出し、差し入れの酒や食べ物でだんだんと花見らしくなってきましたが、今年はやはり人が少ない。けっきょく集まったのは10人足らずでした。午前の部でも触れたとおりこのお花見は例年土曜日に行われているので、あらかじめ土曜日で予定を組んでいた人もいたし、世の中の自粛ムードの影響もあったかもしれません。いつもよりこじんまりとした花見になりました。

<花見の会場は母校にほど近い、大学通りにかかる唯一の歩道橋が目印。というわけで、母校です。日曜日でしたが、吹奏楽部他いくつか活動中でした。やるのぉ、後輩たち。>

<花見会場の目印、大学通りにかかる唯一の歩道橋。桜のシーズンはご覧のとおりの状態になります。でも今年は人出少なめでした。
この歩道橋からの眺めは右のような感じで、大学通りの両側の桜を一望できます。もっと橋の真ん中まで行けば真正面に国立駅を据えた、典型的な一点透視図法の絵が得られますが、消失点にあるのが以前の三角屋根の国立駅ではなくなってしまったので、私は別に見なくてもいいや・・・そういえば午前の部で紹介した
「多摩ら・び」67号の表紙の写真でも、消失点にあるはずの現在の国立駅は巧みにというか露骨にというか隠されていますね。以前の国立駅を知っている人には、現在の国立駅はあまり好かれていないようです。まあ建物の魅力から言って、それも無理はないと思う。>

<というわけで、私にあまり好かれていない現在の国立駅です。あれ、確か去年の今頃も駅前工事中だったけど、まだ何かやってるの?。せめてこの工事の囲いが取れないと、消失点にはしてもらえないだろうね。>

<大学通りには数は少ないがソメイヨシノ以外の桜もあって、これは一橋大学近くの色の濃い枝垂れっぽい桜。きれいです。>

<もちろんソメイヨシノもきれいです。>

 この日の天気は終日晴れたり曇ったりで、風が吹くたび満開の桜が散り、なかなかの風情でありました。

 今年うれしかったのは、クラスは違う(確か3100だったと思う)が同じ学年で一緒に国高祭の記録報道委員会で仕事したしるこ(下の名前「知子」からこう呼ばれていた)他総勢3名の女性陣が立ち寄ってくれたこと。来年の花見はぜひ合同開催したいね〜。ちなみに私は記録報道委員会の副委員長で、しるこは委員長だったので、もとの上司なんです(笑)。32年ぶりの再会でしたが、お互い変わるところは変わったけど変わらないところは変わらないよね。

 というわけで、お花見そのものはお昼から夕方までゆるく長く続き、その後有志は国立駅前に繰り出して・・・だったのですが、私は昼の部でちょっと飲み過ぎてしまって、夜の部は早々に失礼して帰宅しました。残念じゃ。

 記事の分量だけ見ると、花見本番の午後の部より午前の部の方が多事かつ充実していたかのように見えますが、私の中ではやはりメインは花見です。来年も参加できるといいなぁ。

| 暮らしの中から | 11:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2011/4/10 国立で花見・午前の部 谷保天満宮から下の川、国立駅へ
 私が高校を卒業したのが昭和54(1979)年3月ですからもう32年も前になります。それ以来毎年同窓会のように行われている国立高校54年卒3600(3年6組)の花見が、今年も国立の大学通りの母校近くで行われました。
 この花見、例年は土曜日に行っていて、当初の予定では4月9日(土)開催でしたが、9日は天気が悪そうだということで直前に10日(日)に変更されたのです。私は9日は出勤日だったので「今年は参加できないな〜」と思っていましたが、変更されたおかげで参加できることになりました。ありがたや。

 花見はお昼からなので、午前中を使って国立市の南端にある東日本最古の天満宮・谷保(やほ・やぼ どちらも可)天満宮にお参りかたがた、このあたりの特徴である段丘の崖線(がいせん)沿いの湧水を集めて流れる小川を実見する、ちょっとした小旅行を試みることにしました。以前「地図で歩いた小平市小川町周辺」で書いたとおり、武蔵野の台地上は水が得られないので、耕地の開発や集落の形成には玉川上水の開鑿を待たなければなりませんでしたが、多摩川沿いの河岸段丘の崖線沿いには台地に降った雨が湧き出し、古くから水が得られていたのです。

 つくばからつくばエクスプレスで南流山へ、武蔵野線に乗り換えて終点の府中本町まで行き、南武線で谷保(やほ)駅に着いたのが午前9時半ごろ。高校1年の間は小田急線の玉川学園から登戸で南武線に乗り換えて谷保で降りて高校まで歩いていたのでこの駅はおなじみなのですが、高校は駅の北側、谷保天満宮は駅の南側なので、南側に降りたのはこの日が初めてでした。橋上の改札を出て南側に下りるとすぐに小さな公園のようになっていて、桜が満開です。

<谷保駅南口の小公園には、あたりが薄暗くなるほど満開の桜・・・いやまあ確かに桜も満開なのですが、実はこの日の午前中は曇っていたのでちょっと薄暗く写ってしまいました。>





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| 地域とくらし、旅 | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水戸市三の丸の桜
 今日の午前中、所用で水戸を訪れました。用事が予定より早く済んだので、午前11時頃から30分ばかり三の丸界隈をぶらぶらしてみました。
 震源地に近い分、水戸では3月11日の大地震とその余震の影響がつくばより大きく、でこぼこと波打った道や瓦が落ちたり壁が崩れかけた家などが目に付きましたが、折しもソメイヨシノは満開、天気も上々で暖かく、ほんの束の間ですが水戸の桜を満喫しました。

三の丸歴史ロード<左:ぶらぶらしたのは水戸市立三の丸小学校の正門から反時計回りに弘道館、三の丸庁舎まで。道沿いにこの道標が立っています。>

瓦が落ちた塀<右:三の丸小学校は弘道館に隣接しています。学校の外側を弘道館の方へ歩いていくと、塀の瓦が崩れているのが目に付きました。3月11日に落ちたのを一ヶ月以上も放置してあるとも思えず、大きい余震が襲うたびに少しづつ崩れているのでしょうか。早く余震が収まってくれないと、危なくて修理もできないのでは。>

講道館は閉館中<左:塀が上のような状況なのである程度予想された事態ではありましたが、弘道館は閉館中でした。もとより時間がないので見学するつもりはありませんでしたが、観光で訪れた方々はがっかりかもねぇ。>

 しかし残念なところばかり見ていては元気が出ません。せっかくここまで来たんだから、三の丸庁舎の桜を見に行こうっと。
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| 地域とくらし、旅 | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
好きな家
 ひとさまの家に特に興味はないのですが、出会うと思わず「ああ、いいなあ」と立ち止まって見入ってしまうタイプの家があります。それは黒っぽい板壁で、窓枠や雨樋などが真っ白な洋風の家。私自身はそういう家に住んだこともないし、基本的に無精者なので板壁の防水や窓枠の白ペンキの手入れなどまめにやるとも思えないので、住むには向いてないと自分でも思います。でもそういう家を見るのが好きで、そういう家を維持しつつ住んでいる人はきっと慎ましく実直ですてきな人に違いないなどと、妄想をたくましくしたりするのです。

中村彝アトリエ<(この画像はクリックしても大きくなりません。)私の好きなタイプの家のイメージはこういうのです。屋根は赤でなくても構いませんが、黒い板壁と白い窓枠は必須。
ちなみに、この建物は茨城県立近代美術館(茨城県水戸市)に新築復元されている水戸出身の洋画家・中村彝(なかむら・つね)のアトリエです。移築ではなく新築復元、レプリカですね。本物は東京都新宿区下落合に現存しているそうです。>


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| 暮らしの中から | 06:06 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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