リコーダーの持ち方
 11月22日にピアリコのコンサートを聞きに行ったときたまたま気づいたのですが、、じゅんこさんのリコーダーの持ち方が私と同じで、「あぁそうだこの方フルート吹きなんだっけ」と思いました。私もそうなんですが、演奏中に右手小指を音孔を押さえるのに使っていないときには、楽器に添えておくのです。

右手小指に注目 リコーダーの右手小指が音孔を押さえるのは、楽器の最低音(C管ならC、F管ならF)と、ダブルホールになっているその半音上(C#/F#)、最高音の半音下(C#/F#)、またバロック式なら最低音の4度上(F/B♭)の3つないし4つの音だけなので、リコーダーの標準的な音域である2オクターブ+1音の音階をさらっと吹いてみると、右手小指を使うのは27音中3音(バロック式なら4音)に過ぎません。つまり演奏中この指はほとんど遊んでいるのですよ。
<ちょっとわざとらしく指を上げてポーズしてますが(笑)、小指に注目してください。>

Esキー 一方、フルートの右手小指のEsキーは演奏中ほとんど押さえっぱなしになります。このキーは「押すと音孔が開く」ようにできているので、Esより上の音に対しては常にこのキーを押さえて音孔を開けておかなければならないからです。ところがフルートに慣れてしまうと、右手小指を長い間空中に保持する筋肉が衰えたり、演奏中右手小指が常に何かに触れていないと不安を感じる(笑)等の症状が出てきます。そしてこのような症状を抱えたフルート吹きがリコーダーを吹こうとすると、キーはないし、指穴を押さえるわけにもいかないので、とりあえず右手小指は管体の音孔のない部分につけておくことになります。そして最初はただ不安を鎮めるために(笑)管体につけていたこの指が、実は楽器を安定させるのにも役立っていたことに気づくのです。少なくとも私の場合は、そうでした。
<フルートのキーシステムは木管楽器の中で最もシンプルで、キーの数も一番少ない(あっそうだピッコロには負けるわ)のです。そんな中で3つのキーを操る右手小指の一角は一番キーが混んでる箇所。Esキーはいつもはバネの力で閉じていて、図の赤矢印の部分を押すと青矢印のキーが開きます。>
続きを読む >>
| オーケストラ活動と音楽のこと | 23:13 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ドラゴネッティ弓
 昨日アップしたアンデス25Fに続いて、最近見かけたちょっと珍しい楽器の話をもうひとつ。
 12月の定期演奏会に向けて土浦交響楽団のコントラバスのエキストラをお願いしたK氏は、私のように楽器に対して淡白なベース弾きとは一線を画す、こだわりの5弦弾きでいらっしゃいまして、楽器は当然最低音C(またはH)までカバーする5弦、しかも上3本は生ガット弦ですよ!また私などがポジション移動に四苦八苦しているパッセージは親指ポジションを縦横に駆使して鼻歌まじりに乗り切り、ウィーン調弦なども試みていらっしゃるらしい。そのK氏の今回の新機軸が「ドラゴネッティ・ボウ(弓)」。私ゃとにかく楽器に対する取り組みが淡白なもので、そういうものの存在すら知らなかったですよ(^^;

続きを読む >>
| オーケストラ活動と音楽のこと | 19:59 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
「アンデス」が来た!

 ここで言ってる「アンデス」とは、あのさつまいも色したジャガイモや「安心です」のアンデスメロンじゃなくて、先週行ったコンサート「なんてすてきなピアリコと」で初めてその存在を知った鍵盤付き笛「アンデス25F」のこと。「鍵盤付きハーモニカがあるなら鍵盤付き笛があってもいいじゃないか」という、傍から見るとノリで開発されたような楽器で、こちらの写真を見ると機構的には鍵盤付きパンフルートのようですね。
 このアンデス、初代のアンデス25は1985年に発売されたものの成功せず雌伏23年、2007年に復刻版の25Fが発売されたそうです。製作元の鈴木楽器製作所のホームページも参考になります。

元箱<初代の25にはプラスチック製のオリジナルケースがあったらしいですが、25Fにはケースはなく、保管と持ち運びはこの箱で行うことになります。この中に袋状のプチプチに入った25Fと付属品一式が収まってます。>

内容物<箱から出したアンデス25F本体と付属品一式。これ以外に取説(コレがなななんと日本語と英語のバイリンガル仕様!輸出するかえ!?)と前述のプチプチ袋が入ってます。>

立奏用セット<立奏用のセット。ストラップと歌口をセットし、首からかけて右上部の切り欠きになっているところを左手で持ち、右手で演奏します。プラスチックj製とはいえそこそこ重量があり、立奏はストラップがマストです。>

座奏用セット<座奏用のセッティング。パイプをつないだ楽器を机上/台上に置いて演奏します。両手が使えます。でもなぜか私は立奏の方が「正しい」使い方のような気がしてます・・・。なお立奏用の歌口と座奏用のパイプは同社の鍵盤付きハーモニカ「メロディオン」用と互換だそうです。>

続きを読む >>
| オーケストラ活動と音楽のこと | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「なんてすてきなピアリコと」を聞きました
ピアリコプログラム 勤労感謝の日の前日の11月22日(月)、会社をちょっとばかり早く上がって、福島県いわき市のいわき芸術文化交流館「アリオス」で行われたコンサート「なんてすてきなピアリコと」を聞いてきました。
 鍵盤ハーモニカ(商品名ピアニカ)とリコーダーのアンサンブルユニット「ピアリコ」のことを知ったのは昨年の5月のこと。このブログにもしばしばコメントを下さるOKAR様のブログで「ピアリコ2 ピアニカとリコーダーの音楽会!」というコンサートがあったという記事を拝見したのです。で、それに触発されてソプラノリコーダーを買ったよ、という記事を書いたところ、なんと当のピアリコのメンバー様からコメントをいただき、そのご縁で今回のコンサートのご案内をいただいたのでした。

 鍵盤ハーモニカとリコーダーはいずれも小学校の授業で習う、つまり子どもにとっても大人にとっても「ああ、あれね」とピンと来るおなじみの楽器なわけで、そういう二つの楽器によるコンサートならきっと肩ひじ張らない気楽で楽しいものなはずだし、自分が学校でオーケストラの演奏会をやるときの参考にもなるんじゃないかと思われて、このコンサートは大変楽しみにしていました。
 そして会場がアリオスというのももうひとつの楽しみだったわけで、実は私はここの大ホールのオープン直前の2008年3月に行われた「いわきアリオス 音響テストコンサート」にいわき交響楽団のトラとして参加していたのです。その当時アリオスはまだ全体が完成してはいなくて、今の中劇場のあたりは工事現場そのものだったような記憶が・・・。しかしその後ここを訪れる機会がないまま約2年9ヶ月が経ちました。自分がその誕生にちょっとだけですが関わったアリオスが今どんな風になっているか、この機会に見たかったのです。

 さてピアリコのコンサートですが、今回はゲストにチェロ奏者の嶋田拓夫氏、構成・演出(加えて総合司会とピアノ演奏も)に「山椒魚」こと岩間恵氏を迎えて、約2時間の堂々たるコンサートでありました。私は勝手にピアニカ1人リコーダー1人計2名と思い込んでいたのですが、実際はメンバーは4人で、しかも全員がリコーダーとピアニカ持ち替え、ピアノもフルートも入るというマルチなユニット。恐れ入りました・・・(^^;;

続きを読む >>
| オーケストラ活動と音楽のこと | 23:32 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
ガッテン恐るべし!
 以前このブログに何気なく「酒粕って食べられないのかね」という記事を書いたのですが、昨日(2010/11/24)のNHK「ためしてガッテン」で酒粕が取り上げられてから、その記事に対するアクセスが急増!といっても2日間で35(今のところ)というのは、人気ブログから見れば全然たいしたことない数でしょうが、人目につかずひっそり地味ぃ〜なこのブログにしてみれば、これは驚きのハイペースなのですよ。
 皆さん「酒粕 食べ方」等のキーワードで検索してその記事にたどり着いていらっしゃるのですが、実はその記事というのは酒粕の具体的な食べ方は全然提案してなくて、ただ「酒粕ってどうすれば食べられるんでしょうかね〜」という感慨で終わっております・・・うぅ、申し訳ございません・・・
 まあ、それはそれとして(^^;;、「ガッテン恐るべし」という点については、皆さんガッテンしていただけましたでしょうか?
                  ガッテン! ガッテン! ガッテン! p(^-^)
・・・いや〜、ほんとびっくりした。
| 暮らしの中から | 18:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ペール・ギュントの歌詞対訳を作ってみたら
 次回の土浦交響楽団の定期演奏会で取り上げる「ペール・ギュント」関連の話題がしばらく途切れてますが、いよいよ本番が1ヶ月先に迫ってきました。ナレーションと歌との第1回目の合わせも終わり、今週末(あら、もう今日だわ)は歌との2回目の合わせ。さらに私は演奏会プログラムに載せる曲解説と歌詞の対訳も書かなくちゃ、というわけで、バタバタしててこっちに書く暇がなかなかありませんでした。

 その歌詞対訳、大抵の場合はCDに付いている歌詞対訳を、さすがに直接パクリはしませんが、ものすご〜く参考にさせていただいて作ります(^^;)。ところが「ペール・ギュント」の場合はちょっと特別な事情があって、その「大抵の場合」のやり方が使えませんでした。
 というのは、「ペール・ギュント」の歌のナンバーには、ノルウェー以外の劇場でも上演しやすいようにという配慮からか、ノルウェー語とドイツ語の2種類の歌詞が付いているのです。そして私の持っている3種類のCDは全部ノルウェー語の歌詞で歌っているので、CD付属の歌詞対訳もノルウェー語/日本語、またはノルウェー語/英語ですが、今回土響で歌っていただく歌手さんはドイツ語の歌詞で歌います。ということは、CDに付いているノルウェー語からの歌詞対訳は、そのままでは使えないかも知れない。もちろんノルウェー語の歌詞もドイツ語の歌詞も内容は基本的に同じはずだけど、ノルウェー語がわからない私には、ほんとに両者が同じなのかそれとも違うのか、違っててもどこがどう違っているのかがわからない。よって今回はCDのノルウェー語からの歌詞対訳はあくまでも参考にとどめ、自力でドイツ語の歌詞から訳していくことにしました。

続きを読む >>
| オーケストラ活動と音楽のこと | 07:23 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
FED量産!?

FED量産 今朝(2010/11/17)の日経の紙面を見て一瞬「えっ、FEDを量産?何で今どき?誰が使うの?しかも台湾で?」と思ったアナタは、そう、カメラファン以外ではあり得ない(笑)。


FED2FEDってこんなの(右写真:これはFED-2型)。

 私は所有してませんが、35mm判レンジファインダー式(いわゆるライカタイプ)のロシアンカメラです。現在のウクライナのハリコフにあった孤児・浮浪者の矯正施設FED(この名前は初代KGB議長であったフェリックス・エドムンドヴィッチ・ジェルジンスキー Feliks Edmundovich Dzerzhinskii の頭文字をとったもの)が1934年にライカII型のデッドコピーの生産を始め、その後FED-5まで西側のそれとは一線を画して独自の発展を遂げたらしい。

  ところで今朝の日経のこの記事は、ほんとは電界放出ディスプレイ Field Emission Display についてのもので、ロシアンカメラの量産の予定はないみたいですよ〜。お間違いのないように(…って、ふつう間違えねぇよ…)

| 写真とカメラ | 19:55 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
トウクリップ折れちゃった!(泣)

 あきずに自転車ネタです。
 例によって昼休みに颯爽とランドナーで乗り出した私。今日もやっぱり霞ヶ浦が見たいかな、と台地の坂を下って湖畔へ下る途中、ちょっと止まって木々の間からちらりと見える湖面の写真を撮り、さてまた下るか、と利き足の右つま先でトウクリップを探りつつぐっと踏み込んだその瞬間、トウクリップを引っかけ損なって、ペダルの裏面からトウクリップを路面に押し付けたまま引きずってしまいました。

 「ほーほ号」に付けているのはプラスチック製のトウクリップで、素材そのものにある程度弾力があるので、以前なら多少路面に付けてしまっても擦り傷が付くだけで何とかしなって耐えてくれてたのですが、さすがに16年物ともなるとプラスチックそのものの劣化もあるだろうし、さらに自転車が動き始めていたために押し付けたまま引きずってしまったのが致命傷となり、パキッ!と折れてしまいました。あーあ、やっちゃった・・・

トウクリップ(正立)<トウクリップとは如何なるものかの説明は本文の続きにありますが、その姿・構造は左の写真のとおり。これは折れずに残っている左ペダルのもので、アルミ製のペダルの先につま先を上下から挟むもの(トウクリップ本体)が付き、さらに挟んだつま先をしっかり固定するためにストラップできゅっと締め上げる構造になっています。もっとも街乗りでは信号や交差点で止まるたびにつま先を抜かないと、足を地面につけなくて自転車と一体のまま転んでしまう(この転び方を「立ち転び」という)ので、つま先がすぐに抜けるよう、ストラップは締めないでゆるいままにしておきます。
 ちなみに写真はペダルを手で支えてトウクリップを正立させていますが、当然のことながらトウクリップが付いている面の方が重いので、自転車をこぎ始めるときのペダルはトウクリップのある面が下、裏側が上になっています。そこで足先でペダルをくりっと回してトウクリップの面が上に来た瞬間につま先をすっと突っ込む、というワザを使います。これ、足をついて止まってるときに利き足側だけ先にはめてからスタートするのが安全なのですが、だんだん横着になってきて、地面をけって動き出してからくりっと回してすっとはめることの方が多かった。今回はこの横着がアダになったわけで、反省・・・
 なおネットでは「トゥークリップ」という表記が多いようですが、字としてはtoe(つま先)なんで、表記としては「トウクリップ」か「トークリップ」の方がいいんじゃなかろうか、と思います。トゥーじゃtwoみたいだべ。>

続きを読む >>
| 自転車 | 21:10 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ランドナーの昼休み

 16年ぶりにオーバーホールして復活したランドナー「ほーほ号」ですが、この時期になるともう退勤時に会社を出るときから暗いので、帰宅してから乗るのはいやだし、土・日・祝日は出勤になったり演奏会本番や練習でつぶれてしまうこともあり、せっかくオーバーホールしたのに出動する機会が思ったより少ないのです。これはいかんなぁ、と考えて、会社の昼休みにこれまでの散歩に代えて乗ることにしました。
 これまでもときどき紹介しているとおり、会社のまわりはとにかく田舎なので車もほとんど通らないし、地形的には清明川とその支流が台地を開析してできた、いわゆる谷戸(やと)・谷津田(やつだ)で、台地を縁取る道は屈曲は多いが低平で走りやすく、その気になれば台地の上へ上がる、短いけれども様々な斜度の坂へ取り付くこともできます。ランドナーとはいえ走ればそれなりのスピードが出るので、これまでのように花一輪、虫一匹ずつの観察はできませんが、行動範囲は大きく広がりますね。
 というわけで、今日は清明川が霞ヶ浦へ注ぐ河口まで一走りしてきました。ほーほ号には計器類が付いてないので走行距離はわかりかねますが、地図でざっと見ると往復10〜12Kmほど、所要時間は約40分ですから、平均15〜18km/hで走ったことになりますか。

続きを読む >>
| 自転車 | 18:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
新宿区若葉の絵本塾ホール近辺を歩いてみた

 別稿のアンサンブル・ゴンベェの演奏会で、11月3日朝に新宿区若葉の絵本塾ホールに行ったとき、例によって早めに着いて、あたりを30分ばかりぶらぶらしてみました。このホールはJR/地下鉄の四ツ谷駅から徒歩7分、迎賓館や学習院初等科にも近いけど、車がすれ違えない細い道が絡み合い(しかも一方通行ではない)、坂の多いところにあるんです。さて、この辺にはどんな見所があるのかな?

鉄砲坂
鉄砲坂標柱 ホールには駐車場がないので、ホールの前の坂を下りたところにある有料駐車場に車を置き、ついでにその向かいのスーパーのお弁当屋さんでお昼用にお弁当を買います。この坂が「鉄砲坂」。写真の標柱に曰く

鉄砲坂(てっぽうざか)
江戸時代、この辺りに御持筒組屋敷があり、屋敷内に鉄砲稽古場があったため、鉄砲坂と呼ばれるようになった。また以前は、この地に赤坂の鈴振(すずふり)稲荷があったため、稲荷坂と呼ばれていた(『御府内備考』)。

 こちらの「鉄砲坂 新宿区若葉」の項に示されている切絵図に「テツホウサカ」とあるのがそれですね。ちなみに駐車場はこの絵図の「テツホウサカ」の左側の、逆立ちしてる「御持クミ」の「クミ」のあたりで、お弁当買うスーパーはその下側のグレーの「谷丁」一帯、そして絵本塾ホールは「テツホウサカ」の右斜め上の「松平館(の異体字?)三郎」さん家(ち)か、隣の「雨宮」さん家じゃないかな、たぶん。

オテル・ドゥ・ミクニ
オテル・ドゥ・ミクニ ご存知、三國清三(みくに・きよみ)シェフのレストラン。三國シェフは食育活動や食文化に対する造詣の深さでも知られていて、拙ブログでもこちらの記事の最後の方で、三國シェフが監修された『子どもの味覚を育てる−ピュイゼ・メソッドのすべて』を紹介したことがあります・・・しまった、まだ読み終わってないぞ(汗)。さらに服部幸應氏との共著『味覚を磨く』(角川oneテーマ21 2006)も買ってしまったがまだ開いてもないぞ(汗汗)。だいたい三國シェフのお料理を頂いたこともないぞ・・・こんど何かいいことあったら、ここ来てみようか。

四谷見附公園のトイレ
瓦葺のトイレ 迎賓館の正門前にある若葉東公園の、道路をはさんで西側、学習院初等科の並びにもう一つ小さな公園(四谷見附公園と呼ばれているらしい)があります。この公園の北の端で見つけたトイレは瓦葺。その上「ご婦人用」と「殿方用」の表示の絵が髷(まげ)ですよ。私はたぶん初めて見ましたが、この表示は東京ではよくあるんでしょうか?

LadiesGentllemen<左の写真がご婦人用、右が殿方用。海外から見えた方、わかりますかね?たぶん「ご婦人用」の絵の方が「オー、コッチ女ネ」とわかりやすいんじゃなかろうか。>

われらの記念樹
われらの記念樹 同じく四谷見附公園の、こちらは南端に近いあたりで発見。大きな銀杏の木の根方に石の碑が建ってます。写真では碑面が光って見えませんが、表側には次のように彫られています。

われらの記念樹
大正五年(一九一六)三月学習院初等科卒業生四十九名は同年五月六日この銀杏の苗木を卒業記念として四谷仲町の院の一隅に植えた。
大正十五年その若木は鉄道省四谷駅信濃町駅間隧道新設工事のため(こ)の地に移植され生長を続けている
昭和四十九年(一九七四)九月古稀を超えた二十四名の生存者は恩師九十三翁岡崎常太郎先生と共に銀杏の由緒を永く後世に伝えるためこの碑を建てるものである


 ということは、この銀杏は当年取って94歳ですか・・・でもまだまだ元気そうですよ。JR中央線は四ツ谷駅を出ると緩やかに右へカーブしながら学習院初等科の敷地の端をかすめるようにトンネルでくぐっていますから、そのトンネル工事のときに移植されたものでしょう。なお上の碑文の(こ)は表面が剥落してよく見えなかった字を推定で補いました。
 ところで私はこの時には見なかったのですが、その後この記念樹を調べてみると、この碑の裏面にその「二十四名の生存者」のお名前が彫られているそうで、それがこちらの記事の最後の方に転載されていますが・・・うーむ、見覚え聞き覚えのある苗字、お父上やお祖父様から一字戴いて付けたと思しき名前など、なかなかでございます。さすが昔の学習院・・・え、今もなんですか?私はその辺詳しくは存じ上げませんが。

学習院初等科
学習院初等科正門 というわけで、ここが「われらの記念樹」の本家です。立派な門ですね。
 ところで四ツ谷駅から絵本塾ホールなりオテル・ドゥ・ミクニなりに向かうには、この正門までは来ないで、その手前で先ほどの四谷見附公園を突っ切り、初等科の校舎と小ぶりで好もしい雰囲気の教会との間の道を入ります。すると自然に校舎に沿って歩くことになるのですが、この校舎、どことなくモダニズムの香りが感じられるように思うのは私だけでしょうか。現在の校舎は1940年に完成したものらしいので、時代的にもOKだし。いずれにしてもちょっといい雰囲気ですよ。

学習院初等科側面<右の写真が校舎側面。白壁に大き目の窓を開け、おそらく階段室でしょう、整然と並んだ小さな窓がアクセントになっていて、このあたりのリズム感が清新な感じ。>

 さーて、そろそろリハーサルかな・・・ホールに戻ろっと♪

| 地域とくらし、旅 | 11:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

CALENDAR

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< November 2010 >>

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH