昨日(8月23日)は多事でありまして、朝はちあきなおみの「喝采」に感動し、夜は夜で(先日の「大人の国高祭−新聞広告」でも触れましたが)大人の国高祭のTVCMが夜9時からの「たけしのTVタックル」(テレビ朝日系)で流れるというので、見ました。何でこの番組なのかな〜と思っていましたが、新聞広告にも出演された三宅久之氏が出演する番組だからなのでしょうかね。拙宅では旧態依然のビデオテープでしか撮れないので録画しませんでしたが、同窓生諸氏の中にはばっちりフルハイビジョンで録画された方もいることでしょう。
私は予め放映されることを知ってるから「あぁ、これなの」と思って見てましたが、知らないで見た方は「何これ?」と思われたのではないでしょうか。何かの覆面広告(ティーザー広告)じゃないか、とか。
その流れで、と言っては失礼ながら、番組そのものも見ましたが、僕はやっぱり青山さんのニュースウォッチ9見ますわ(笑)。
<録画はしてないけど画面をデジカメで撮ってみました。ただし十何インチだかのブラウン管テレビを斜めから撮ってるので、ははは…な結果になっております。ちなみに右は母校の正門でございます。>
ラジオを聴きながら車で通勤しているとときどき思いがけない曲がかかることがあって、感動したり発見があったりしてます。以前書いた「オバQ音頭」もそういう中のひとつでしたが、きのう(8月23日)の朝の一曲はちあきなおみの「喝采」でした。
この曲は1972年のレコード大賞受賞曲ですから、その前後には私もけっこう聞いていたはずで、曲も覚えています。しかし1972年というと当時の私は御年11歳。一見地味な曲だし小学生が聞いてわかる内容の歌でもないので、正直なところその時は「なんか悲しい歌らしい」くらいにしか思いませんでした。
数十年ぶりに聞きましたが、これ、すばらしい歌ですね。さすがは(昔の)レコ大曲!
まず歌詞がすばらしい。言葉がよく選ばれているためにひとつひとつのエピソードの情景が鮮やかで、「ひなびた町の昼下がり」のぽかんと空虚なうら寂しさもいいし、話し相手のない暗い待合室のBGMに自分が歌う恋の歌がかかっているという設定には凄味すら感じます。そして冒頭の「いつものように幕が開き」の情景を「幕が開く」と一字違えて再現し、「それでも」「今日も」恋の歌をうたっている「わたし」のたまらない寂しさ虚しさを際立たせるうまさ。ちょっと大伯皇女(おおくのひめみこ)の「見すべき君がありと言はなくに」の歌(万葉集第二巻 166番歌)を思い起こさせますね。
もちろん曲もすばらしい。全体はA(いつものように幕が開き…)-B(あれは三年前…)-A(ひなびた町の昼下がり…)のシンプルな三部形式ですが、最初のAと2回目のAはメロディーは同じでもコード進行が微妙に違うようです。仮に曲をC majorとすると、最初のAの「(黒い縁取りが)ありました」はおそらくF -(F minor?)- Cという進行、2回目のAの「(祈る言葉さえ)失くしてた」はF - G7 - Cという進行だったと思います。最初はIV-Iというややダイナミックなカデンツ、2回目はIV-V7-Iという安定したカデンツで、この安定感が「ああ、終わっちゃった」という一種の安堵感とわずかなぬくもりと、静かな虚しさを感じさせます。うまいなあ。それと2回目のAの「ひなびた町の昼下がり」(1番)「いつものように幕が開く」(2番)と歌われた直後に fp で弦のトレモロが入る、これがずきっと胸にこたえます。もうたまりませんね。
歌がすばらしいのは今さら言うまでもないので、言いません。38年ぶりに再会した「喝采」に感動しました。
しばらくぶりに復活したこの自転車は、まだ20年にはならないと思うがだいたいそれくらい前に購入したブリヂストンのトラベゾーン TRAVZONE というランドナー。「ランドナー」ですらっと通じる人は今ではあまり多くないようですが、ロードレーサーほど華奢でもなければスピード重視でもなく、MTBほどごつくもなければオフロード向きでもなく、お泊りに必要な荷物を積んで土や砂利の未舗装路も走るツーリング用の、つまりある程度頑丈で長距離を走れるタイプの自転車です。ツーリング用の自転車ですから、輪行(りんこう;分解して袋に入れて電車に持ち込める)仕様になっています。
「実物はこんなのですよ〜」と自分の自転車の写真を載せればいいのですが、約20年間手入れせず乗ってるためサビ、汚れ等で若干お見苦しいので(恥)、ネットで見つけた画像を拝借。これ、まさに私が乗ってるトラベゾーン(の新品当時)そのままで、色も同じオリーブグリーンなら仕様もほぼ同じ。強いて違いを探せば、私のにはさらにトークリップとストラップが付いてます。ちょっと昔っぽさがランドナーとマッチするんですよ。しかし自分のも磨くとこうなるんだ…。
出典は青木正児(あおき・まさる)著『華国風味』に収める「愛餅(ピン)の説」。入手しやすい岩波文庫本から引用します。
著者が北京に滞在していた一年間(おそらく大正十四年から十五年にかけての中国留学の時のことと思われる)に親しんだ餅(ピン:小麦粉製品)のうちにロウ・スル・ヂュアンと呼ばれるものがあり、それは「烙餅(ロウピン)の一種で、その形状はあたかも子供が廻わす独楽(こま)に麻紐の巻かれてあるようだとでも言おうか、北野の一本饂飩(うどん)にふくらかし粉を入れて、渦巻線香のようにぐるぐる巻いて蒸焼きにしたらこのような形が出来るかも知れぬとでも説明しようか、つまり工妙(ママ)精緻なる渦巻パンである。」とのこと。著者はその起源を探るうちに、どうやらそれらしいと思われるものに行き当たります。
「ただ一つそれらしいのが、清初の顧仲清(こちゅうせい)の『養小録』に見当った。即ち「晋府千層油旋烙餅」(油旋烙餅に圏点)というのがそれで、その製法は白麺(うどんこ;「麺」は原文は正字、以下も同じ)一斤、白糖二両(二十匁)これは水で解いておく、香油(ごまあぶら)四両をいれ麺(こな)をねりまぜてつくねる、それを麺棒で打ち広げ再び油を入れてつくねる、また打ち広げ再び油を入れてつくねる、かくすること七度、火にかけて烙(や)く、非常に美味である、と説明されている。」
著者はこの後に「千層」と「油旋烙餅」を古書に照らしてその用法を検討しつつ、「油旋烙餅とはけだし「油を入れてぐるぐる捲いて焼いた餅」という意味に解せられる」とし、「そこで再び「千層」の名にもどるが、油旋烙餅の場合は饅頭と違って、それが幾重にも幾重にも、ぐるぐると捲かれてある状(さま)を言ったものらしい。」と結論します。
青木説では「千層」はぐるぐる巻いた巻き数が多いのを形容した語と解かれているようですが、私はそれだけではないと思います。ここに「油を入れてつくねる」と訳されたのがどのような操作を表すのか、原文が引かれていないので明らかではありませんが、これを何度も繰り返していることから、折りパイまたは練りパイの製法と類似の操作なんではないかと疑われます。もしそうであれば、この操作を加えた生地を焼けばぐるぐる巻いた巻き数以上に層が増えると考えられ、著者の「工妙(ママ)精緻なる」という形容も、薄い層が普通に考えられる巻き数以上に重なっていることを言っているのではないかと。
これは中華のパイっぽいでぇ。
私の母校が創立70周年とやらで、文化祭形式の大同窓会をやるのです。私の同級生数十人は地元OBの献身的な活動により母校のすぐ近くで毎年お花見やってるし(今年も立ち寄りました)、中には子供も国高生という人もいて、ゆる〜くながら母校とつながってる感がありますが、卒業以来すっかりご無沙汰という卒業生も多いのだろうなぁ。一紙とはいえ全国に広告打って、23日にはTVCMも打つそうな。
同窓会もさることながら、やはり母校が順調に発展してほしいものです。
以前からアルビノーニ(1671-1751)というイタリア・バロックの作曲家が気になっていました。この人はJ.S.バッハ(1685-1750)とほぼ同じ時期にイタリアで活躍し、オーボエ協奏曲や「アルビノーニのアダージョ」で知られています。ただし後者は Wikipedia によるとこの人の作品ではなく、編曲者と伝えられてきたレーモ・ジャゾットのオリジナル作品らしいですが。
私がこの人に興味を持ったのは、彼が自ら「ヴェネツィアのディレッタント」と名乗っていたという話をいつかどこかで聞いてからでした。ディレッタントは日本語では「好事家(こうずか)」などと訳されますが、要するにある分野について非常に堪能だがプロではない人のこと。しかし聞かれもしないのに自分からわざわざ「オレはプロじゃないよ」と名乗ったというのはどういうことなのか。よほど作品に自信があって、しかも「いやぁあんなのはほんのタシナミですよ、ハッハハハ」と一見謙遜実は大自慢みたいな人物だったのか、あるいは自分の音楽を金で売ったりはしないんだというような一種の矜持を持った人物だったのか、とにかく何か主張があったらしいことと、アマチュアではなくディレッタントという言葉を使ったことが頭に残っていました。ただこの人の作品はコレルリやヴィヴァルディの作品の陰に隠れがちで、以前は上述の2曲くらいしか聞くことができず、私の興味もついついかすみ勝ちでした。
ところが先日たまたま見かけたCDのレビューでこの人の作品1のトリオソナタ集のCDの存在を知り、早速取り寄せました。そしてその解説(Franz Blaschkoによる独語版と、Susan Marie Praederによるその英訳)に例のエピソードに触れた部分があり、そのおかげでもう少し詳しい内容を知ることができたのです。
それによると、トマゾ・アルビノーニはヴェニスのトランプ / カード製造業者アントニオ・アルビノーニの長男で、1708年に父が死去するまでは家業に従事しており、その時期に自作のタイトル・ページに
「Dilettante veneto ヴェネツィアのディレッタント」と記していたということです。しかし父親の死後、音楽が彼の本業になると「musico di violino ヴァイオリンの音楽家」とだけ称したということで、この記述が事実なら、ディレッタントという自称は「家業(トランプ / カード製造業)が本業で音楽は副業なんですよ」という単なる事実を述べたにすぎないわけだ…(苦笑)。
ただ、解説を書いているBlaschko氏は「(アルビノーニは自らを)プロの音楽家と対照させて(im Gegensatz zu den Berufsmusikern / in contrast to professional musicians)ヴェネツィアのディレッタントと称した」と述べた上で、わざわざ「18世紀にはディレッタントという語は否定的な意味合いで用いられてはいなかった」と付け加えています。つまり彼はプロの音楽家に遠慮して、あるいは卑下してディレッタントと称したわけではなく、プロフェッショナルとディレッタントはいわば対等の立場であったということらしい。
<写真はアルビノーニの作品1のCD(cpo 999 770-2)。cpoはドイツのレーベルで、バッハの偽作カンタータ集など、ちょっと変わったCDも出しています。このCD、曲も演奏も気に入りました。なおジャケットに使われている絵はモネの「ヴェニスの日没」。>
そういう構図の中で見ていくと何かわかるかなぁと思って考えてみている謎がありまして、それは「ペール・ギュント」の看板曲とも言うべき「朝の気分」。第一組曲の1曲目でもあり、また土浦交響楽団が合宿に使っている「茨城県立中央青年の家」をはじめ各種研修施設の起床の音楽としておそらく採用実績No.1(いや、確認はしてませんが…)を誇り、たとえ曲名や作曲者はわからなくても、聞けば誰もが「ああ、これね!」と了解するであろう大名曲ですが、この旋律は実はドヴレ山の魔王の娘の動機から出ている、というかほとんどそのものと言ってもいいくらいなのです。
<左は「朝の気分」の冒頭。さわやかなフルートのソロで始まります。>
<右は第二幕第5場の「ペール・ギュントと緑の服の女」。ひとしきり前奏が終わった後オーボエに出るのが緑の服の女=魔王の娘の旋律。アウフタクトで始まるので少し分かりにくいが、「朝の気分」のフルートの旋律の、特に前半はこの旋律と酷似しており、これが「朝の気分」の旋律の元になっていることは明白。それに続いて最下段のチェロとバスにでる付点音符のリズミックな動機は「婚礼」の動機で、ペールが魔王の娘と結ばれることを示している。>
<上はルード盤のボックス表、右は裏。SACD2枚に解説・歌詞対訳と「ペール・ギュント」のいくつかの舞台公演の小写真集がカートンボックスに収められています。ボックス裏の記述によると、このCDに収められたコンサート・ヴァージョンは2003年にベルゲンで上演された semi-staged concert version に拠っているとのこと。また小写真集を見ると、さすがに1876年の初演の写真はないけれど、2004年、1896年、1936年、1975年、2005年、1969年、1921年、1948年、2004年(写真掲載順)の舞台写真が収められ、グリーグだけでなく Arne Nordheim, Michael Galasso, Harald Saeverud, Ennio Morricone などの作曲家がペール・ギュントのための音楽を書いていることがわかります。そういえばシチェドリンもバレエ用にペール・ギュントの音楽を書いてますね。初演から130年以上経つ今でもペール・ギュントは生き続け、今日の我々になお問題を投げかけ続けているのだ!>
第三幕の第4場で、ペールは子どもの頃によくやっていた馬車ごっこの真似をしながら、母オーゼを馬車に乗せて天国へ連れて行く話をし、オーゼはペールの語る天国の様子を聞きながら静かに息絶えるのですが、今回のネタはこのペールの空想の馬車を引く馬の名前。今回私が購入した原作では
「はいどう! 黒よ! 走れよ走れ!
(中略)
黒が駆け出した。」
と訳されていますが、実はこの馬名「黒」は訳し過ぎ。原文は
「Hypp! Vil du rappe dig, Svarten!
(中略)
nar Grane laegger ivej!」(nar の a は上に○が付く字、laegger の ae は一文字)
となっていて、和訳の「はいどう! 黒よ!」の「黒」はよいのですが(Svarten はドイツ語の Schwarz と同語)、「黒が駆け出した」の「黒」は原文の Grane のまま「グラーネ」とするべき。全曲版CDのヤルヴィ盤のブックレットの和訳も同じ毛利三弥(「弥」は正しくは正字)氏なのですが、ブックレットの方ではちゃんと「グラーネ」になっています。
なぜ Grane を「黒」と訳してはいけないかというと、実は Grane という馬はただの馬ではないのです。思い当たる方もあるでしょう、「ニーベルングの指輪」四部作(ワーグナー)でヴァルキューレの一人ブリュンヒルデが乗っている馬が Grane なのです。
Grane という馬名は北欧神話に出てくる馬 Grani から来ているらしく、したがってこの名を持つ馬はその辺のクロやアオとは違う、特別な馬なのですね。特別な馬だからこそブリュンヒルデとともにジークフリートを包む炎に飛び込んで主に殉じ、また普通の老婆にすぎないオーゼかあちゃんを天国へ連れて行ってもくれる(と信じられる)のです。日本で言えば磨墨(するすみ)や生食(いけづき)といったところか?だから Grane はそのまま「グラーネ」としないと、そこに込められた含意とそこからくる有難味がなくなっちゃいます。
<上は里中満智子「ニーベルングの指輪」(下)の「神々の黄昏」より、ジークフリートがブリュンヒルデと別れてラインへの旅に出る場面。ジークフリートは二人の愛の証しとしてブリュンヒルデにラインの黄金で作った指輪を渡し、ブリュンヒルデは愛馬グラーネをジークフリートに与える。ワーグナーの音楽では「ジークフリートのラインへの旅」の場面です。里中版「指輪」はストーリーがたどりやすく、お勧め。>
というわけで、さっそく第一組曲の2「オーゼの死」の「はしがき」の後半を見てみましょう。曰く
「劇中で「オーゼの死」は2度奏でられる。最初はオーゼの部屋で、次は舞台裏からで、彼女が息をひきとった時にペールのせりふをのせて奏でられる。」
太字で示したとおり、問題点は二つ。まず「最初はオーゼの部屋で the first in Aase's room」が意味不明。舞台上のオーゼの部屋のセットの中で演奏されるということ? しかし全曲版ではこの曲はまず第三幕の前奏曲として演奏されることになっていて、グリーグは奏者の場所を特定してはいませんし、続く第1場はイングリードとヘッグスタ農場を敵に回したペールが村に戻れず、仕方なく雪の降る森の奥で自分の小屋を建てている場面で、オーゼの部屋のセットは出てません。またイプセンのト書きにも演奏者がどこでどうしろなんて一言も書いてありません。じゃあオーゼの部屋って、どこ? それってひょっとして、2度めの演奏の場面(第4場 オーゼの部屋)と混同してません? でもそのときは楽隊は「舞台裏から」とスコアに指定されてるし・・・やっぱり意味不明。
<写真は「オーゼの死」全曲版スコアの表題部。「オーゼの死」(第三幕の前奏曲)という表記に続いて 「この曲は(pp、舞台裏で)第4場のペール・ギュントのセリフ「はいどう!走れ黒よ!」から「つまらぬ騒ぎは止めなさい。オーゼは好きに入るがよい!」までの間でもう一度演奏される」と記されている。>
次に「息をひきとった時に」は、息をひきとるのと音楽の演奏のタイミングの問題からみて、あまりよろしくない。PREFACEの文は when she dies. で、「息をひきとる時に」の方がよい。実際この曲が2度目に演奏されるのは第4場、オーゼの部屋の場面で、オーゼはペールの語る天国の話を聞きながら眠るように息絶えますが、そのペールの語りの伴奏としてこの曲がずっと流れているのです。「ひきとった時に」では、息をひきとったその時から演奏が始まるように受け取られかねませんが、この曲はオーゼが死んだことに対して演奏される追悼の音楽ではありません。息をひきとるかなり前から、ペールと会話しているときから演奏されていて、眠るように死んでいく母親を静かに見送る音楽なのです。
<私の修正案>
「劇中で「オーゼの死」は2度奏でられる。最初はオーゼの部屋で第三幕の前奏曲として、次は舞台裏から同じ幕の第4場で、彼女がペールの語る天国の話を聞きながら息をひきとった時ひきとる場面で、ペールのせりふをのせて奏でられる。」