それ以外にも、私が40年前に住んでいた鶴舞団地はここ数年で大規模なリニューアルがかかっているようだし、あやめ池遊園地や奈良ドリームランドなど幼い日々を過ごした施設も数年前に相次いで閉園したし、奈良公園の鹿は「肉を売ったら金になると聞いた」という不心得者にボウガンで撃たれて死んじゃうしで、景色も世相もいろいろと変わってきているようですね・・・
そんなことを考えているうちに思い出したのが、今はなくなってしまった近鉄奈良線の「油阪(あぶらさか)」駅のこと。今の近鉄奈良駅は地下駅で、ここから電車に乗るとしばらく地下を走り、地上に出るとすぐ次の駅は新大宮(しんおおみや)です。しかし私が子どもの頃、大阪万博の前まではそうではありませんでした。
まず近鉄奈良駅は地上駅でした。そして電車は駅を出ると、しばらく路面電車状態で大宮通り(国道369号線)を西へ走ったのです。ところがその先には関西本線が南北方向に交差する形で走っていて、大阪方面に行くにはこの線路を越えなければなりません。現在は前述のとおり地下を潜って越えていますが、地下化する前の近鉄は関西本線の線路を高架で跨いで越えていました。しかもただ越えるだけでなく、関西本線を跨ぐその高架上に駅がありました。それが油阪駅だったのです。
この駅で乗り降りしたことは一度もなかったけれど、空中に駅があることが子ども心に不思議で、しかも子ども目線だとものすごく高いような気がして、ちょっと怖かったものです。電車もこの区間はゆっくり走ったので、よけいに特別な感じがしたものでした。ネットを探してみたら画像がいくつか上がっています(たとえば、こちら)。うーん、懐かしい!でも今見ると「ものすごく高い」わけではないね・・・
このあたりはいわゆる奈良町(ならまち)からはちょっと外れますが、今度奈良へ行く機会があったら、子どもの頃には一度もご縁のなかった、それなのに今も心に残っているこの界隈を、ぶらぶら歩いてみたいです。