山のあなたの空とほく

 最近はごぶさたですが、以前はオケのトラやら仕事やらで福島県いわき市に行く機会がしばしばありました。つくばからは常磐高速で一本なので時間はそれほどかかりませんが、いわきの南あたりで平野の向こうに山が連なっている景色が見えてくると、筑波山以外に山の見えない関東平野とは違う「異郷」に来たのだな、という感じがします。子供の頃には神戸や奈良といった周囲に山の見えるところに住んでいたせいか、私はやはり山が連なっている景色が好き。その向こう側に自分の知らない素敵な所がありそうで、わくわくします。
 いわきからの帰り、連なる山々が茜色の空をバックに濃い紫に暮れなずんでいくのを見るたびに、「ああ、あの向こう側へ行ってみたい!」と思ったものです。

 昨年のいつ頃だったか、いわき湯本から西の方へ平野を横切り山へ分け入る「御斉所街道」(ごさいしょかいどう)と呼ばれる道があるのを知りました。現在はいわき湯本から石川郡石川町を結ぶ県道14号いわき石川線が主にこう呼ばれていますが、もとはさらにその先、白河まで続いていたようです。福島県的にいうと、浜通りと中通りを結ぶ街道の一つであったわけですね。
 御斉所街道の名は、途中で御斉所山(いわき市遠野町)とその対岸の御斉所峠を通るところから来たと思われますが、この「ごさいしょ」という言葉の優しい響きが何とも奥ゆかしくて惹かれます。またこのあたりの地形図には「遠野、上遠野、入遠野」「才ノ神」「鍛冶屋作」「鍛治内」「塩ノ本」「塩ノ平」「天ノ川」「斉道」など興味をそそられる地名が見られ、御斉所山の頂上(392m)と相対する御斉所峠の旧道脇とにはそれぞれ熊野神社があります。「御斉所」という名がこの街道によって浜通りにも中通りにも伝えられてきたのは、いわゆる「塩の道」の途中にあるこの御斉所山・御斉所峠一帯が、たとえばある種の信仰の発信地ないし中継地の役割を果たしていたからではないでしょうか。
 いずれ機会があれば、御斉所街道をたどってここを訪ねてみたいと思っています。

| 地域とくらし、旅 | 19:06 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
今年も残り少なくなり・・いやいや残り多いんさ
 今年もあと1ヶ月と1週間を残すのみとなった今の時期になって、やってきましたよ本番ラッシュ!自分のオケとトラと合わせて、演奏会の本番が今週末から4週間にわたって連続します。仕事より忙しい!年賀状はいつ書くんだぁ〜!

茨城交響楽団第99回定期演奏会
日時:2009年11月29日(日)14時開演
場所:茨城県民文化センター(水戸市)
曲目:祝典序曲(ショスタコーヴィチ)
   ヴァイオリン協奏曲(チャイコフスキー)
   交響曲第6番「悲愴」(チャイコフスキー)
指揮:曽我大介
独奏:井上静香
 急に出演が決まった演奏会。幸い今年の春から夏にかけて演奏した曲ばかりなので、少ない練習でも何とかなりそう。コンチェルトはまだ一度も合わせてないので、前日と当日午前の練習でしっかりタイミングを飲み込もう。

茨城大学管弦楽団第35回定期演奏会
日時:2009年12月5日(土)14時開演
場所:ひたちなか市文化会館(ひたちなか市)
曲目:歌劇「ナブッコ」序曲(ヴェルディ)
   「アルルの女」第2組曲(ビゼー)
   交響曲第5番(ショスタコーヴィチ)
指揮;工藤俊幸
 もちろんトラで出るわけですが、曲(ショスタコーヴィチ)も曲だし、学生さんはとにかく練習してるから、自分のオケよりも実はこっちの演奏会の方がプレッシャー大。少ない練習回数を経験(今度が3回目かな?)と要領(あはは〜…)で補いながら、いかに省エネ奏法で乗り切れるかが結果を左右するでありましょう。

土浦交響楽団第59回定期演奏会
日時:2009年12月13日(日)14時開演
場所:土浦市民会館大ホール(土浦市)
曲目:序曲「フィンガルの洞窟」(メンデルスゾーン)
   バレエ「コッペリア」より(ドリーブ)
   交響曲第2番(ブラームス)
指揮:田崎瑞博
 やはり自分のオケの演奏会が一番安心して演奏できる気がします。

 最後は12月19日(土)の東京サロンオーケストラの老人ホーム慰問演奏会。時節柄心から暖まっていただけるとうれしい・・・とか言いながら、私は当日ぶっつけ本番なんで、はたしてそんな余裕があるんだろうか(怖)

 ついでに鬼が笑う話をすると、来年早々にデュカスの「魔法使いの弟子」の下振りの予定があって、この曲は譜面の発想記号等が(イタリア語でなく)おフランス語で書いてあるので、その辺の資料もできれば年内に団員に渡しておきたいところ。しかし手元にあるこの曲のスコア(某NHN楽譜製)は、9/16拍子であるべきところがしっかり8/16と印刷されてたり、La♭がL♭になってて一瞬何の音かわからなかったり(英語・ドイツ語音名で使われるのはAからHまでで、Lなんて音はないのよ)、とにかくお茶目。このスコアで下棒振れんのか?<自分・・・

 そうそう、お時間のある方はぜひ上記の演奏会にお出でくださいね。差し入れ大歓迎!できれば花束等より飲食物希望!(笑)

| オーケストラ活動と音楽のこと | 21:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ペットボトルのボージョレー・ヌーヴォー
 毎年ボージョレー・ヌーヴォーの解禁日というのがやってきて、ヌーヴォーでない AOC Beaujolais なんてふだんは飲まない、いやひょっとすると一度も飲んだことがないかも知れない私も、この日ばかりはにわかボージョレー・ファンに豹変(笑)。今年もいただきました、ボージョレー・ヌーヴォー。色合いはいつもより赤みが勝っているようで、味わいはいつもより酸味が強いように思いました。ボージョレー・ヌーヴォーについては、毎年々々「今年は(も)最高の当たり年!」という類の前評判を聞かされているような気もしますが、それはひとまず酒屋さんの営業戦略と割り切って、「ああまたこの日が来て、今年も無事に飲めたね」という感慨とともに、自分なりに楽しむってことでよろしいのでは。

 ところで今年のボージョレー・ヌーヴォーの話題というと、何と言ってもペットボトル入りが発売されたことでしょう。私ももの珍しさ半分、安さ半分でペットボトル入りを購入してみました。容器が軽量なため輸送費が節約できて、お財布にも環境にも優しいということですが、本国のワイン統制委員会にはすこぶる評判が悪いようで、ひょっとするともう二度と見られないかも知れませんね。

 ペットボトルとはいいながら、デザインは基本的に通常のボトル入りと変わらないようで、見た目はそれほどチャチじゃないです。確かに軽いし、スクリューキャップで簡単に開けられるので、わいわい言いながら紙コップで飲むような気軽なパーティーなんかには、ボトル入りよりこちらの方が確実にコストパフォーマンスいいですね。
 逆にビル・エヴァンスか何かが低く流れる中、お互いの瞳を見つめあいながら静かにグラスで娯しもうという向きには、ボトルのつもりで容器の胴体をわしっとつかむと、そこが指先に微妙な感覚を伝えつつ変形する(つまり、ぷよっと凹む)ので、男が思わず「!・・・(苦笑い)」となったその瞬間、女が一緒にふっと微笑むか、露骨にシラけるか、カンラカラカラと高笑いするかが今宵の恋の分かれ目よん、みたいな(笑)。ボトルの首(ネック)の部分はつかんでも変形しませんが、一升瓶じゃあるまいし、そんな注ぎ方もないだろ、というわけで、要するにそういう用途にはペットボトル入りは全然向いてませんです。

 味は瓶のと変わらないということですが、飲み比べていないのでそこはなんともいえません。外気温の伝わり方とか透過する光の周波数分布とか耐酸性とか耐アルコール性とか、実際にはいろいろ瓶との違いがあるんじゃないかと、漠然とそんな気もしますが、ボージョレー・ヌーヴォーって何ヶ月も何年も置いとくものではないので、事実上大きな影響はないのでは。
 だいたいヌーヴォーなんて、そんなにぐだぐだ御託を並べてニヒルに飲むもんじゃないでしょ。季節の収穫を喜び、素直に楽しんで飲みましょうよ。
<ペットボトルはこんなええことあんねんで、とアピールするタグがついてます。>





| 飲み食い、料理 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ラマルティーヌ

 東京サロンオーケストラの来年の演奏会で、リストの交響詩「レ・プレリュード Les Préludes」(「前奏曲」とも呼ばれる;通称「レプレ」)をやることになりました。
 この曲はラマルティーヌ(アルフォンス・ド 1790〜1869)の「瞑想詩集」から採られた詩をもとに作られたということで、スコアの最初にも

われわれの人生は、その厳粛なる第1音が死によって奏でられる未知の歌への一連の前奏曲(une série de Préludes)でなくて何であろうか?

で始まるその詩が載っています。リストはそれに続く人生の諸相の描写に基づいてこの曲を作ったので、「私たちの人生」みたいなタイトルの方がまだ曲の内容がわかりやすかったんだけど、それじゃ何だか子どもの作文みたいでさえないので、詩の中で「われわれの人生=死後の世界への前奏曲」とされているのにちなんで「レ・プレリュード Les Préludes」という謎めいたタイトルにしたのでしょう。
 つまりこの詩の内容や曲との関係がわかってないとタイトルの意味すらわからず、「これって何の前奏曲(しかも複数形)なのよ?」などと戸惑ってしまうわけで、そのへんが交響詩の交響詩たるゆえんというか何というか、他の標題音楽よりも「詩的」なのね。「私たちの人生」なんていう散文的なタイトルでは、はなっから全然ダメなのだ。

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ロマン派三者三様 〜バッハのシャコンヌの受容を通じて〜
 ブラームスの交響曲第4番第四楽章に関して資料を漁っているうちに、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 BWV1004の終曲のシャコンヌの
- メンデルスゾーンによる伴奏つきの譜面
- シューマンによる伴奏つきのCD
- ブラームスによるピアノ左手用編曲の譜面およびCD
という、興味深い資料が見つかりました。

 ピアノ用編曲はともかくとして、無伴奏のシャコンヌの伴奏つきとは何かというと、シャコンヌを含む無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、もともと伴奏無しのヴァイオリン1本だけで演奏するように書かれましたが、バッハを筆頭にバロック音楽が復興し始めた19世紀にはそのような演奏スタイルはあり得ないと思われたらしく、ピアノ伴奏をつけて演奏されたそうで、これらはその時代の産物なのです。
 ところでこの伴奏をつけるという作業、またピアノ用に編曲する作業は、ヴァイオリン1本だけという制約ゆえに譜面に書かれていない隠れた声部や和声を実際の音として提示することになり、そこに編曲者のその曲に対する理解の仕方が否応なしに表れます。そこで今回はシャコンヌの中に2回ある転調の処理の仕方に注目してみました。この転調の扱いに編曲者の思いが端的に表れているのです。

 まずは原曲を見てみましょう。この曲は4小節単位のグラウンド・バス(またはバッソ・オスティナート:赤枠内)の上に変奏が展開されていきますが、譜例に見るとおりフレーズは3拍子の2拍めから始まります。このアウフタクトから始まるフレージングは全曲を通して維持され、16分音符や32分音符に譜割りが細かくなっても、小節の最初の音符は常に前の小節のフレーズの最後の音です。

 さて、この曲にはニ短調からニ長調へと、ニ長調からニ短調への2回の転調があり、バッハはこの2箇所をそれぞれ譜例のように書いています。 
 ここで注目すべきことは、さきほど指摘したとおり小節の最初の音はその前の小節のフレーズの最後の音だから、フレーズは2小節にまたがっているのに対して、譜面上の転調はちょうど小節線のところで行われているということ。すなわち転調は譜面の上ではフレーズの途中で行われているのです。
 ところが赤枠で囲った転調直後の音=前のフレーズの最後の音を含む和音は、たまたまか意図的かはわかりませんが、2回とも主音(ニ音:D)のみで、調性を決める第3音(ヘ音:Fまたは嬰ヘ音:F#)を欠いているために、長調とも短調とも決まらず、それゆえにこの音はどっちにも通用しちゃう。つまりこの音の直前で短調と長調との間の転調を行っても、その影響を受ける第3音が含まれていないので、この音には転調の効果が及ばないのです。
 では実際にこの音がどう聞こえるかというと、譜例に示したとおり、この音が属するフレーズの調、すなわち(直前に転調の指示があるもののこの音には効果を及ぼさないので、結果として)転調が行われる前の調のまま聞こえます。そして転調の効果が実際にあらわれるのはその次の音、すなわち次のフレーズの始まりからなので、実質的には転調がフレーズ単位で行われているように聞こえるのです。小節線上、つまりフレーズの途中に転調の指示があることは、譜面を見なければわからないでしょう。
 
<譜例は左が1回目、右が2回目の転調箇所>

 バッハがなぜこのような両義的な書き方をしたのか、今のところ私にはわかりませんが、ドイツ・ロマン派を代表するといってもよいであろう上記の3人にとっては、この書き方が躓きの石だった・・・というのは冗談としても、この転調部分の処理の仕方は三者三様で、そこに各人の特徴が表れているのが興味深いところです。
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| オーケストラ活動と音楽のこと | 22:37 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ブラームスの交響曲第4番第四楽章 〜パッサカリア、シャコンヌとの関連〜

 東京サロンオーケストラの来年の演奏会でブラームスの交響曲第4番を取り上げることになりました。自分のパート(コントラバス)は何回か弾いたことがありますが、練習でワンポイントの下振りをやることになったのを機会に改めて本業に差し支えない程度まじめにスコアを見てみると、いろんなことがいーっぱい書いてある!もちろん音符もいっぱい書いてあるんだけど、なぜそう書いてあるのか、どう演奏してほしいのか考え始めると次第に深みにはまっていき、本業に差し支えかねない感じになってきて(^^;;; とりあえず先週で私の下振りの練習は終わったので、正直ほっとしてます。さぁ仕事しよ(笑)。

 ところで、この曲の解説などを見ると、たいてい「第四楽章はパッサカリア(またはシャコンヌ)の形式によっていて」云々と書いてある。ふんふんなるほど、とさらっと過ぎてしまえばそれまでで、私も今までそうしてきましたが、今回は「それってどういうことじゃ?」ともう少し突っ込んでみました。

 パッサカリアは3拍子の古い舞曲に起源を持つ器楽曲の形式で、バッソ・オスティナートとかグラウンド・バスと呼ばれる4小節から8小節程度の一定のパターンを持ったバスが最初から最後まで繰り返され、その上にさまざまな旋律が展開する一種の変奏曲です。ただ普通の変奏曲のように「調子のよい鍛冶屋」(ヘンデル)とか「ます」(シューベルト)とか、あるいは「○○の主題による」といった、これから展開されるべき特定の主題(旋律)を持ってはおらず、旋律の展開はグラウンド・バスの進行にはまっていさえすればよい。むしろグラウンド・バスの方がよほど主題っぽいが、これはオスティナート(頑固な、執拗な)といわれるくらいのもので、最初から最後まで同じことをひたすら繰り返すだけ。音型が多少変わったり声部を移ったりすることはあっても、展開されることはありません。
 一方、シャコンヌ(チャコーナ)ももとは3拍子の古い舞曲で、グラウンド・バスの上に旋律が展開されるところもパッサカリアと全く同じ。この二つはもともとは曲調その他で区別があったらしいのですが、後期バロックあたりではその区別が非常に曖昧になり、さらにはこれらの形式自体が廃れてしまいます。
 ここではブラームスがこれら一度は廃れてしまった古い形式をどのように再発見し、それをどのように再構成して自作に持ち込んだか、豊かな想像(笑)を交えて見てみたいと思います。

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 21:38 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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