15.6gの「指輪」終了

 ここ数週間聞き続けていた朝比奈盤の「ニーベルングの指輪」全曲、今日ようやく聞き終わりました。最後の方は正直息切れ気味で、「う〜ん今日はパス・・・」なんていう日もありまして、当然のことながらできれば4日できっちりと、そうでなくてもできるだけ短期間で聞き終わる方が、ドラマの理解のみならず精神衛生上もよろしいようです(笑)。何週間も「指輪」しか聞かない(実はここがディスプレイを持たないiPod shuffleの致命的な弱みで、途中で別のトラックの曲を聞いちゃうと、「指輪」のもとのところに戻るには「確かこんな歌だったっけ」という記憶に頼るしかなく、それが面倒で事実上「指輪」しか聞けないのだ)のも、つれーぜぇ・・・。

 それと、やっぱり「今何をやってるのかちゃんとわかりたい!」という欲も出てくるもので、特に「ヴァルキューレ」と「神々の黄昏」は最低でも歌詞対訳は必須でしょうね。できればDVDで字幕が出れば大満足に違いない。

 全曲を聞き終わって思うのは、ライン河の偉大さがこのドラマ全体を流れている大テーマなんじゃないかということ。ライン河の水底に眠る魔性の黄金のエピソードで始まった物語が、欲望と恨みと愛がいっぱいに詰まった黄金の指輪を呑み込んでなお何事もなかったかのように静かに流れるライン河の情景で閉じられるとき、日本人だと「行く川のながれは絶えずして しかももとの水にあらず」の無常の流れを思い浮かべてしまうけど、それじゃあ小せえ小せえ。ドイツ人なら100人いれば100人とも、中世の古城を点綴しつつローレライの峡谷をえぐり、フランスとの境を画して滔々と北海へ注ぐ大河「父なるライン」の偉大さを思って打たれるのではないか?ワーグナーの音楽もライン河を描く場面でひときわ冴えているように思います。

 さぁ〜て、ちっとモーツァルトでも聞いて戻し入れっかな(喜)。

| オーケストラ活動と音楽のこと | 21:27 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
15.6gの「指輪」
「指輪」朝比奈盤  土浦のオケで「ニーベルングの指輪」(ワーグナー)から「ヴァルキューレの騎行」「ジークフリートのラインへの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」の3曲をやることになったのを機会に、ずっと前から積ん読というか、積ん聞き状態だった朝比奈隆 / 新日フィルの「指輪」全曲を聞いてみることにしました。これは演奏会形式で毎年楽劇一つずつ、4年間(1984年から1987年)をかけた公演のライブ録音で、 オール日本人キャストによる初の「指輪」ということでも話題になりました。
 現在ではコンパクトな紙ケースに入ってCD12枚10,000円とお手頃価格(ただし歌詞対訳がついていないらしい・・・そりゃイタい、相当コアなマニアにしか売れないのでは?)ですが、その昔私が購入したのは山野楽器創立100周年記念として発売されたLPサイズの豪華カートンボックス入り。歌詞対訳はもちろん解説とライトモティーフ一覧表もついて金五萬圓だかでした。 解説書にはワーグナーの指定どおりハープが6台並んでる写真も。うわ、かっちょえ〜。
<金五萬圓也の「指輪」朝比奈盤。LPサイズのカートンボックスの中に各楽劇の3枚組セットが田の字型に収められているのだ!>

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 22:08 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
酒粕の食べ方

  土浦のオケの団員に酒蔵に勤めている人がいて、その蔵は寒造りなので、彼は秋から春先までは蔵にこもっていて練習に出てこられません。で、その彼が以前「酒粕いりませんか〜?」と団内で触れ回っていたのを思い出しました。確かに酒を造れば副産物として酒粕もできるわけで、しかも短期間にまとまった量ができてしまうので、蔵としては持て余し気味と見たね。

 酒粕は酒を搾った残りだから、材料は磨いた米においしい仕込み水、選び抜かれた麹と酵母。どれも飛び切り上質だし、おかしな添加物の心配もない。日本酒は米のデンプンを麹が糖化し、その糖分を酵母がアルコールに変えるという二つの過程が並行して行われるところが特徴なので、酒粕には酵母が作った糖分や酵母が作ったアルコールが含まれている上に、発酵過程で産生されたアミノ酸やビタミン、ミネラルなども含まれている。それに酒は搾った後に火入れ(殺菌)するけど酒粕は火入れしないので、麹や酵母が活性を失っていない。だから利用のしかたによってはすぐれた食料になり得るはず。もとが米なんだし、食べらんないのかね?と思うわけです。

 問題はアルコールが相当量含まれていることで、8%くらいとも言うからビールより高い。したがってそのままでは食べにくいし、酔います。「子どもの頃おやつがわりに焼いて食べた」という話を聞いたか読んだかした記憶がありますが、焼けばアルコールを飛ばせるのかな。一度試してみたい。食感はどんなもんなんでしょうか。

 酒粕の一般的な利用方法にはパターンがあって、
- 粕汁、粕鍋など汁物の調味料として(コロイド状の食感もポイント、洋風にも応用可)
- 粕漬け、奈良漬などの漬け床として(応用編として調味した粕となじませたわさび漬けも)
- パン、チャパティなどの発酵材として
- 溶かして暖めて甘酒に
あたりが主なところと思われます。いずれも酒粕の特徴をうまく生かしていますが、「酒粕を固形のまま食べる」という感じではありません。蔵で持て余し気味なんだったら、なるべくそれ自体を直接食べるのが量もはけて一番いいと思うんだけど、残念ながら今のところはそういう利用はあまりされてないようですね。

 素朴にしょうゆ味で「焼き粕」とか、「粕天」「粕フライ」はどうか。そのまま煮ると溶けるけど、レンコンのすりおろしと混ぜて団子にして揚げれば煮物に使えるかもよ。同じ副産物の「おから」とのコラボなんかも面白いのでは(オトナのソイ○イ、みたいのとかね〜 ←できるんか?)
 いずれにしても一番のポイントはアルコールの処理だろうなぁ。それと、麹が糖化してる分どうも相当甘いのではないか。もしそうだったら期待はお菓子系?(やっぱオトナのソイ○イ?)

| 飲み食い、料理 | 19:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
春の音楽
  今年は2月4日が立春だったので、暦の上ではもう春。
 ところで、古今集に「春立ちける日よめる」として収める

 袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つ今日の風やとくらむ(紀貫之)

という、古来名歌の誉れ高い歌がありますが、この歌は「風やとくらむ」(風が融かすだろうか)という物言いからもわかるとおり、実景を見ての歌ではありません。万葉集ファンの私は若い頃この歌を、たとえば「岩走(いはばし)る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(万葉集1422 志貴皇子)のような歌に比べるといかにも理に落ちて弱々しく、見劣りすると思っていましたが、この頃はこの歌に対してもだんだん同情的になってきましたね(笑)。一首に夏冬春の三季を詠み込んだ理屈っぽさと実景を直接見ていないひ弱さの裏には、その場に立って見届けたいけれどもそれが叶わぬ作者の切ない焦がれが淡く重ねられている。和歌はこの「淡く重ねる」方向に過度に進んで病んでいくわけですが、それはこの歌よりも後の話だし、このくらいまではまあ許すか、みたいな(生意気〜)。

 閑話休題、先日「春という字は三人の日」をアップして、やっぱり「春の音楽」も書いとこう、という気になりました。というわけでいきなりですが、私が春を感じる音楽いきまっす!

ロジェヴェンの3番<ブルックナーのCDには珍しく春らしい配色なので貼ってみましたが、キリル文字のブルックナーはインパクトありますなぁ・・・。ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団のブルックナー交響曲第3番(BMG BVCX-38005-6)。
「異形のブルックナー」なんていう評を見かけたことがありますが、確かに朝比奈隆やドイツ系の指揮者たちによる演奏に比べると表現が生々しかったりバランスが変わってる箇所が見受けられます。私はふだんはチェリビダッケ / ミュンヘン・フィル(EMI)やシューリヒト / ウィーン・フィル(EMI)を聞いてますが、この盤は配色が春らしい(笑)のと1876年稿アダージョが聞けるのが貴重。>

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 21:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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