2007.08.28 Tuesday
雲と月と「ヨハネ受難曲」
昨日(8月27日)は帰宅したらまだ明るかったので、買い物がてら散歩に出ました。1時間ほど歩いてくるつもりだったので、mp3プレーヤーで音楽を聴きながら歩くことにしました。曲は土曜日に途中まで聴いてそのままになっているバッハの「ヨハネ受難曲」。いささか季節はずれではありますが、「マタイ受難曲」ほど聴き込んでいないのが気になって聴き始めたのです。
帰宅を急ぐ車が行き交う大通りを渡って大きな公園に入ると、とたんに人気(ひとけ)もなくなり、ツクツクボウシの声だけが響いてあたりは静かに暮れていきます。やがて公園を抜けて池のほとりに出ました。ふと右を見ると大きな円い月が出ています。空気がたっぷりと湿気を含んでいるせいで輪郭が少し滲んで、まるで東山魁夷の絵の月のようです。静かに満ち足りた月の姿です。
そこからさらに歩いて緩い下り坂にかかると前方の視界が開けました。すると正面の空のやや低いところに大きなレンズ状の雲の塊が現れました。そしてその雲の塊の中では気流が乱れて激しい運動が起きているらしく、頻繁に雷が発生しているのです。「ヨハネ受難曲」を止めて雷鳴を聞こうとしましたが、その雲の塊は相当遠くにあるらしく、音は全く聞こえません。ただ雲の塊のあちこちが毎秒一回、あるいはもっと頻繁に、オレンジがかった色に点滅するばかりで、しばらく見ていても近づいてくる気配はありません。
そこで私は少し安心して、その雲の塊を見ながら再び「ヨハネ受難曲」の続きを聴き始めました。先ほどまでやかましいほどに鳴いていたツクツクボウシはすっかり鳴き止んで、秋の虫たちの合唱が取って代わり、捕らえられたイエスはピラトの尋問を受けています。
そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。
イエスは答えられた。「あなたの言うとおり、わたしは王である。わた
しは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世に
きたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。
ピラトはイエスに言った。「真理とは何か」。
(日本聖書教会発行 新約聖書(1954年改訳) ヨハネによる福音書第18章37-38)
前方の彼方には乱流する大気の激しい運動を閉じ込めながら明滅する雲。右手には少し滲んだあくまでも静かな月。そんなにも対照的な現象を突きつけられながら「真理とは何か」とは。ひょっとして私がもっと霊感に満たされやすい性質(たち)であったならこの瞬間に何かの啓示を得たかも知れませんが、結局それは私には訪れませんでした。私は「ヨハネ受難曲」を止め、それでも何かしんみりした気持ちになって、今は秋の虫たちの声に満たされた公園を抜け、途中のスーパーで買い物をして帰りました。1時間半の散歩でした。
帰宅を急ぐ車が行き交う大通りを渡って大きな公園に入ると、とたんに人気(ひとけ)もなくなり、ツクツクボウシの声だけが響いてあたりは静かに暮れていきます。やがて公園を抜けて池のほとりに出ました。ふと右を見ると大きな円い月が出ています。空気がたっぷりと湿気を含んでいるせいで輪郭が少し滲んで、まるで東山魁夷の絵の月のようです。静かに満ち足りた月の姿です。
そこからさらに歩いて緩い下り坂にかかると前方の視界が開けました。すると正面の空のやや低いところに大きなレンズ状の雲の塊が現れました。そしてその雲の塊の中では気流が乱れて激しい運動が起きているらしく、頻繁に雷が発生しているのです。「ヨハネ受難曲」を止めて雷鳴を聞こうとしましたが、その雲の塊は相当遠くにあるらしく、音は全く聞こえません。ただ雲の塊のあちこちが毎秒一回、あるいはもっと頻繁に、オレンジがかった色に点滅するばかりで、しばらく見ていても近づいてくる気配はありません。
そこで私は少し安心して、その雲の塊を見ながら再び「ヨハネ受難曲」の続きを聴き始めました。先ほどまでやかましいほどに鳴いていたツクツクボウシはすっかり鳴き止んで、秋の虫たちの合唱が取って代わり、捕らえられたイエスはピラトの尋問を受けています。
そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。
イエスは答えられた。「あなたの言うとおり、わたしは王である。わた
しは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世に
きたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。
ピラトはイエスに言った。「真理とは何か」。
(日本聖書教会発行 新約聖書(1954年改訳) ヨハネによる福音書第18章37-38)
前方の彼方には乱流する大気の激しい運動を閉じ込めながら明滅する雲。右手には少し滲んだあくまでも静かな月。そんなにも対照的な現象を突きつけられながら「真理とは何か」とは。ひょっとして私がもっと霊感に満たされやすい性質(たち)であったならこの瞬間に何かの啓示を得たかも知れませんが、結局それは私には訪れませんでした。私は「ヨハネ受難曲」を止め、それでも何かしんみりした気持ちになって、今は秋の虫たちの声に満たされた公園を抜け、途中のスーパーで買い物をして帰りました。1時間半の散歩でした。