2007.03.29 Thursday
「擬古楽派」参上!
この前の日曜日の「N響アワー」でサー・ロジャー・ノリントン指揮、石坂団十郎のチェロによるエルガーの「チェロ協奏曲」第一楽章の一部が放送されましたが、この演奏は聞いていて居心地の悪いものでした。部分的にしか放送されなかったのですが、その原因の大半は、オケだけでなくソロまでほとんどノン・ヴィブラートで演奏して(させられて?)いたことにあります。その後に同じくノリントン指揮で庄司紗矢香がソロを弾いたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が流れ、やはりほとんどノン・ヴィブラートでの演奏でしたが、こちらは違和感がありません。ベートーヴェンの音楽自体がこうしたピリオド系の奏法に合っているから、あるいは我々がピリオド系の演奏によるベートーヴェンになじみ、受け容れているからです。
一方、石坂のエルガーは、怪しい音程と咽喉が詰まったように苦しそうな音のために音楽が壊れる瞬間があちこちにありました。音量が必要な大ホールだったこと、あまり弓を返せないフレーズの長い音楽だったことなど、チェロのノン・ヴィブラート奏法には不利な条件が揃っていたのは確かで、もっと小さいホールで演奏すれば余裕をもって細やかな表現ができたのではないでしょうか。
しかしながらもっと大きな、というか今日的な問題は、この曲を敢えてノン・ヴィブラートで演奏するという、そのこと自体にあります。
<エルガー自身の指揮によるCD<表>
<エルガー自身の指揮によるCD 裏>
一方、石坂のエルガーは、怪しい音程と咽喉が詰まったように苦しそうな音のために音楽が壊れる瞬間があちこちにありました。音量が必要な大ホールだったこと、あまり弓を返せないフレーズの長い音楽だったことなど、チェロのノン・ヴィブラート奏法には不利な条件が揃っていたのは確かで、もっと小さいホールで演奏すれば余裕をもって細やかな表現ができたのではないでしょうか。
しかしながらもっと大きな、というか今日的な問題は、この曲を敢えてノン・ヴィブラートで演奏するという、そのこと自体にあります。
<エルガー自身の指揮によるCD<表>
<エルガー自身の指揮によるCD 裏>