世の中がまだ昭和であった頃、大学を卒業後東京の会社に就職して数年経ち暮らしにも若干余裕が出てきた私には、多摩の御岳山(みたけさん)が気に入って、違ったルートで何回も登ったり降りたりしていた時期がありました。そんなある日、御岳山から南の方へ、馬頭刈(まずかり)尾根をたどって五日市(いつかいち)に降りたことがありましたが、そのときはどこでどう間違ったものかルートを外れてしまい、目の下に見える林道めがけて小さな崖をへずり下り、夕方になってようやく五日市の街に入ったものの、街の外れにある国鉄(現・JR東日本)の駅までがひどく遠く感じられたことを思い出します。
本書を読むことになった直接のきっかけは、先日送られてきた母校の高校の同窓会紙に、母校の大先輩にあたる著者が近著である本書をご紹介されていたからですが、あの時の体験から「ほう、五日市がねえ」と書名に反応したせいもあります。
明治の自由民権運動の高まりの中で、全国で数々の私擬憲法が作られたことは、私も高校の日本史レベルでは承知していましたが、本書は当時の日本や五日市の社会的・政治的な状況を背景に、数ある私擬憲法の中でも特色ある「五日市憲法」の発見からその特徴、さらに起草者である千葉卓三郎の生きざまをたどったものです。以下、目次を転載します。
はじめに
第一章 「開かずの蔵」からの発見
第一節 明治百年と色川ゼミ
一九六八年/バラ色論との対峙/開かずの蔵
第二節 自由民権の村/五日市
『利光鶴丸翁手記』/勧能学校/深沢家の蔵書
第三節 憲法草案との出会い
いよいよ土蔵の中へ/知らずに草案を手に取る/「日本帝国憲法」って何だ?/急転直下のテーマ変更
第四節 憲法草案を読み解く
墨書史料の状態/どれとも一致しない!/幻の草案が発見される/なぜ同じ土蔵の中に?/嚶鳴社草案との比較検討
第二章 五日市憲法とは何か
草案の概要
第一篇 国帝
帝位相続/摂政官/国帝の権利
第二篇 公法
国民の権利/地方自治/教育の自由
第三篇 立法権
民撰議院/元老議院/国会の職権/国会の開閉/国憲の改正
第四篇 行政権
第五篇 司法権
第三章 憲法の時代
第一節 憲法への道
憲法はどう受け止められたか/ヘボクレ書生の書上の理屈
第二節 民権結社の取り組み
結社の時代/国会期成同盟の呼びかけ/各地での起草の動き/容易ならざる起草作業
第三節 五日市の民権運動
五日市学芸講談会/五日市学術討論会/討論題集
第四章 千葉卓三郎 探索の旅へ
第一節 卓三郎追跡
やり残した課題/雑文書に目を向けよ
第二節 戸籍を求めて
仙台へ/志波姫町へ/転籍先をたどる
第三節 子孫との対面がかなう
そして、神戸/敏雄さんからの手紙/病室での対面
第四節 履歴書の真否
卓三郎の足跡/砂上の楼閣/履歴書の足跡をたどる
第五章 自由民権不羈郡浩然ノ気村貴重番智――千葉卓三郎の生涯
第一節 敗者の生きざま
生い立ち/敗北経験/故郷を出る
第二節 ペトル千葉として
ニコライ堂での出会い/布教活動/明らかになる来歴/突然の変心/ラテン学校/初めて教壇に立つ/広通社
第三節 五日市へ
村は小なりといえども精神は大きく/民権教師として
第四節 五日市憲法の「法の精神」
逆境のなかでの起草作業/卓三郎死す/遺品の整理/浄書綴りのゆくえ/卓三郎の「法の精神」
終章 五日市憲法のその後
「五日市憲法」命名のいきさつ/名称への批判/歴史の伏流にたどり着く
むすびにかえて
参考文献
付録 五日市憲法草案
以上の目次からもうかがわれますが、本書の特色は「五日市憲法」の内容とその特徴の解説だけではなく、その発見から起草者・千葉卓三郎の生涯の探索行に及び、さらに現代のわれわれ自身と憲法との関わりに説き及ぶ広い目配りにあると思います。著者自身「むすびにかえて」の中で
あるいは本書は、もっと「五日市憲法」そのものを語る本にすべきだったのかもしれない。しかし、草案の綴りを最初に手にした私が、その史料とどのように格闘してきたか、私自身の体験を抜きにしては語れないと思い、いま振り返ると恥ずかしい体験も含め、「研究自分史」を織り込むことにした。その体験がどれだけ私を成長させてくれたか、私自身が自覚しているからこそ語っておきたい。そんな願望が執筆中に芽生えたことを白状しておきたい。と同時に、歴史研究のダイナミズムと醍醐味を私だけにとどめず、読者のみなさんと少しでも共有できればとの思いも強くはたらいた。拙い卒論の話にまでさかのぼって語った理由でもある。」(pp. 189-190)
と書かれているとおり、第一章「開かずの蔵からの発見」及び第四章「千葉卓三郎 探索の旅へ」の「研究自分史」は著者でなければ語れないもので、その迫力は文字通り「巻擱く能わず」でした。逆に言うならば、「「五日市憲法」そのものを語る本」を目指すならこれら以外の第二・第三・第五章をより詳細に説けば足りたのでしょうが、それらの前提をなす第一章と第四章が間にあるおかげで、読者である私も著者とともにダイナミックな知的興奮を味わい、その結果「「五日市憲法」そのものを語る」諸章をより印象深く納得しながら読むことができるわけで、短時日で読み通すことができました
また同じ「むすびにかえて」中の
日本の近現代史百五十年の中で、憲法というものに国民の関心が集まった時代が三度ある。(中略)
第一の時代は、日本がまだ憲法を持たなかった、幕末維新期から大日本帝国憲法発布までの二十数年間である。(中略)本書で取り上げた五日市憲法を産み落とした時代である。「創憲の時代」ともいわれている。(中略)
第二の時代は、アジア・太平洋戦争が終結した一九四五年八月から、日本国憲法公布までの一年あまりである。(中略)
第三の時代は、現在進行形である。(中略)
昨今は「護憲」や「改憲」にとどまらず、「加憲」「創憲」といった言葉も使われるようになり、憲法をめぐる報道や議論も日常的になってきた感がある。いずれにしても、私たちは日本の近現代史のなかで、すでに第一の時代と第二の時代を経験し、いまふたたび憲法と向き合う第三の時代にいることを自覚したい。私たちが生活のなかで、どれだけ憲法を意識できているかが問われているのである。
そんなとき、私はいつも日本国憲法の第一二条を思い出すことにしている。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない
私自身、「不断の努力」をしているかと問われれば正直なところ心許ない。しかし、第三の時代の渦中にあって、私たちはあらためて歴史に学ぶことが求められているのではなかろうか。(pp. 187-189)
という部分も、本書の大事な結論であるといわなければなりません。
個人的には巻末の著者略歴中に「1944年東京都に生まれる 1963年東京都立国立高校卒業、1969年東京経済大学経済学部卒業」と、出身大学と並んで高校の名前も載せていることに感動しました。私も本書いたら載せようっと!(なぁに書かないって〜笑)