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論語のフレージング 〜學則不固〜

 最近思うところあって「論語」の通読に挑戦し始めました。高校生の頃に買った岩波文庫の『論語』(金谷治・訳注 1963:以下「金谷本」という)をテキストにして、大学生の時に買った影コウ(王へんに黄)川呉氏仿宋刊本(返点付)『論語集注』(朱熹・著 昭和34 書籍文物流通會:以下、その内容を指す場合は「集注」、特に本書を指す場合は『論語集注』という)を参照しつつ読んでいます*。
 金谷本は巻頭の「凡例」に「解釈では、魏(ぎ)の何晏(かあん)の「集解」(古注)、宋の朱熹(しゅき)の「集注」(新注)のほか、主として清の劉宝楠(りゅうほうなん)の「正義」、潘維城の「古注集箋」、王歩青の「匯参」(かいさん)、わが伊藤仁斎の「古義」、荻生徂徠の「徴」を参考し、つとめて穏妥を旨とした。重要な異説は注として伝えた。」(カッコで包んだひらがなは原文にあるルビ)とあるとおり、古今の主要な説を通観斟酌して穏便妥当な解釈を立てたもので、そのプロセスで既に「集注」も参照されているのですが、一つには漢文読解力の維持と、さらには江戸幕府公認の、したがって江戸時代を通じてのスタンダードとして大きな影響力を持った朱子学の解釈を見たいがために、返点付とはいえ漢文の『論語集注』を敢えて対照することにしました。

 

 上述のとおりテキストにした金谷本は、朱熹の「集注」の説を参考にしながらも必ずしもそれに従っているとは限らず、解釈が「集注」のそれと時々食い違うことがあります。まだ読み始めたばかりですが、早くも面白い食い違いに出会いました。それは学而第一の第八章についてのものです。

 問題の学而第一第八章の原文と金谷本の読み下し・現代語訳は次のとおりです。なお( )内は原文にあるふりがなです。

 

(原文)子曰 君子不重則不威 學則不固 主忠信 無友不如己者 過則勿憚改

(読み下し)子の曰(のたま)わく、君子(くんし)、重からざれば則ち威(い)あらず。学べば則ち固(こ)ならず。忠信を主とし、己(おの)れに如かざる者を友とすること無かれ。過(あやま)てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ。

(現代語訳)先生がいわれた、「君子(くんし)はおもおもしくなければ威厳(いげん)がない。学問すれば頑固(がんこ)でなくなる。〔まごころの徳である〕忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友だちにはするな。あやまちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ。」

 

金谷本の読み下しや現代語訳を読むと、この章は
・君子は重々しくなければ威厳がない
・学問すれば頑固でなくなる
・忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友だちにはするな
・あやまちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ
という4つのアフォリズムを羅列したもののように見えます。それは金谷本が原文を次のように区切って、各章句を解釈しているからです。

 

子曰|君子不重則不威|學則不固|主忠信 無友不如己者|過則勿憚改

 

 さて、もう一方の「集注」はというと、まず論語の原文を章句ごとに区切って掲出し、その後にその章句の解釈を割注で入れるという体裁を取っています。そこで「集注:の章句の区切り方を見ると、次のようになっています。

 

子曰|君子不重則不威 學則不固|主忠信|無友不如己者|過則勿憚改

 

 これを金谷本の区切り方と見比べると、1)金谷本がそれぞれ別の章句とした「君子不重則不威」と「學則不固」を「集注」では一続きの章句とし、2)一方で金谷本が一連の章句とした「主忠信」と「無友不如己者」」を「集注」はそれぞれ独立の章句としている、という2点が異なります。このうち興味深いのは 1)の異同で、「學則不固」を独立させる(金谷本)か、前句につなげる(「集注」)かによって、この句の「固」字の意味がまったく変わってしまうのです。

 

 「學則不固」を独立の章句と見る金谷本では、その現代語訳から察するに、ここの「固」は頑固の固で、ネガティブなニュアンスでとらえられており、その結果この章句は「学問することによって考え方が固定化することを免れ、柔軟になる」と解釈されています。
 それでは「學則不固」をその前句「君子不重則不威」と一連のものと見る「集注」の解釈はどういうものでしょうか。『論語集注』に施された返点を頼りに割注、すなわち「集注」の本文を訓んでみると、次のようになります(画像参照)。

 

重は厚重、威は威厳、固は堅固なり。外に軽き者は必ず内に堅なる能(あた)わず。故に厚重ならざるは則ち威厳無くして、学ぶ所亦(また)堅固ならざるなり。

 

 つまり「集注」はこの章句を「厚重でない者は内面がうわついている(不能堅)ので、威厳もなければ学んだものも身につかない(不堅固)」と解釈していて、この場合の「學則不固」の「固」は堅固の固、確固の固であり、ポジティブな意味合いでとらえられています。この解釈で論語の本文を読み下すなら、次のようになるでしょう。

 

(読み下し)子の曰(のたま)わく、君子(くんし)重からざれば則ち威(い)あらず、学びても則ち固(こ)ならず。

 

 「學則不固」の句を「学べば固定化・固着を免れる」とする金谷本と、「学んでも身につかない」とする「集注」は、その解釈において鋭く対立しています。その原因は「固」の字を「頑固」とネガティブにとらえる金谷本と「堅固」とポジティブにとらえる「集注」とのそれぞれの態度の違いにありますが、それは結局「學則不固」句を独立の章句とするか(金谷本)、前句と一連の章句とするか(「集注」)という句読の違いから来たものだったのです。

 音楽をしている人なら、このことが、ある楽曲を演奏しようとするときに、フレージングの違いによって楽句の音楽的意味が異なってくるのと似ていると思うのではないでしょうか。「君子不重則不威」で一度切って「學則不固」はまた別の楽句とするのか、それとも「君子不重則不威 學則不固」と大きくフレージングして一連の楽句とするのかによって、それぞれの楽句、ひいては楽曲全体の意味が変わってくる、それと同じだと。この文章のタイトルを「論語のフレージング」とした所以です。
 委曲を尽くした文章であればこのようなことは起きないのでしょうが、テクストが極端に簡潔な「論語」であればこそこのように多様な読み方ができ、そしてそれが許され、テクストの解釈を豊かにしていく。それも古典というものの一つのあり方なのでしょう。その点でもバッハやモーツァルトの作品のような音楽上の古典のあり方と共通したものを感じます。

 

 

* ここで用いた『論語集注』には解説・解題の類が一切なく、テクストの素性を語るのは「 影コウ川呉氏仿宋刊本 (返点付)」という標注めいたものだけしかありません。おそらく「コウ川呉という人が宋代の刊本を模刻したもの(ここまでは中国出来)の影印本に誰か邦人が返点を付したもの(したがって最終的には日本で出版か?)」という意味ではないかと思います。もしそうであれば、著者の朱熹も宋代(南宋)の人なので、著者の時代と時期が近い刊本に基づいているという点で良いテクストかと。

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