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ブラームスの交響曲第3番 〜闘争と和解の交響曲〜

 今、土浦交響楽団でブラームスの交響曲第3番に取り組んでいます。最近この交響曲のテーマを「闘争と和解」と妄想(あぁ懲りないヤツ!)しましたので、その場合の全体の構成を記しておきます。

 

【第1楽章】

第1楽章は全曲の序章である。この楽章はブラームスが座右銘としていたという Frei aber Froh(自由に、しかも朗らかに)を表すモットー主題 F-A/As-F によって、ある人物像―ここではこの曲を初演した指揮者のハンス・リヒターに倣って「英雄」と呼ぼう―を提示する。第一楽章はこの「英雄」が人生の荒波を乗り切って現在に至ったさまを描写する。極めてドラマティックであり充実した楽章だが、全曲の中では序章にすぎない。

【第2楽章】

第2楽章は重要な楽章である。第1楽章で人生の荒波を乗り切ってきた「英雄」は、ここでひとときの休息を得る。クラリネットが提示する長い歌謡的な主題の各節ごとにヴィオラ以下の弦楽器群がその語尾を繰り返すのが古風な聖歌のような効果を挙げ、この楽章にやや厳粛で内省的な雰囲気をもたらす。

 

 主題の提示が終わると第24小節(練習番号B)から波打つような音型が導入され、全体の音色も明るさと暖かさを加えて、あたかも「英雄」が散策するかのような流れとなる。しかし「英雄」の歩みに伴うこの波打つような音型は第33小節でVc、Cbにより急に減速され、第37小節でその動きはさらに緩慢となり、やがて「英雄」は立ち止まる。

 

 立ち止まった「英雄」の心中に第41小節(練習番号C)から提示される主題が去来する。これは過去に果たさなかった誰かとの約束か、何かに対する後悔か、ある種の疑念か、とにかくネガティヴな感情である。「英雄」は「それ」を押し殺す(第51小節以下)。しかし「それ」は消え去ることなく「英雄」の心中でささやき続ける(第57小節以下)。「英雄」は「それ」を無理にも忘れてしまおうと、再び散策の主題を取り戻そうとする(第63小節(練習番号D)以下)。不安と戦いながら自分自身を叱咤して力ずくであの波打つ音型を取り戻す(第77小節以下)と、やがて不安は遠のいてゆき、「英雄」はようやく散策の歩みを取り戻す(第86小節以下)。

 

 散策を続けた「英雄」はようやく眼下に塵労の町並みを見下ろす高台に至って歩みを緩め、自分が乗り切ってきた人生の荒波のあれこれを思いながら感慨にふける(第108小節(練習番号F)以下)。しかしその最中に再び「それ」が頭をもたげる(第116小節(練習番号G)以下)。「英雄」は「それ」との対決が避けられないことを悟るが、今は対決を先送りし、ゆっくりと家路をたどる。かすかな緊張をはらんだまま日が暮れてゆく(第122小節以下最後まで)。

 

【第3楽章】

 第3楽章は一種の間奏曲である。

 

【第4楽章】

第4楽章で「英雄」は「それ」と対決する。ソナタ形式の第一主題(第1から第8小節)が提示され、若干のためらいを帯びつつ(第9から第18小節;提示より2小節伸びる)確保される。

 

 

 

 

 

するとそれに続いて「それ」が不気味に変容して現れる(第19から29小節)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は第一主題が展開され、自らを鼓舞するような長調のテーマ=ソナタ形式の第二主題がエピソード的にはさまれる(第52小節(練習番号C)以下)が、再び戦いが繰り広げられ、第107小節でソナタ形式の提示部を終わる。

 第108小節からは展開部が始まるように見えるが、実はこれは再現部の始まりである。つまりこの楽章は楽式的には「展開部のないソナタ形式」で書かれているのである。もちろんこの再現部は単なる再現ではなく、大掛かりな展開を含んでいることは言うまでもない。

 

 展開を含む再現部は第一主題の展開に始まり、それが次第に沈潜してゆくが、やがて恐怖とも混乱ともつかない感情の爆発(第142小節以下)に続いて「それ」が圧倒的な力と仰ぎ見るような巨大さで立ち現れ(第149小節(練習番号I)以下;なお第149小節1拍めの2分休符は事実上の Generalpuse(全休止)で、巨大な力が込められた深淵、万物を呑み込んだブラックホールであり、次の瞬間にはそこから途方もない力と音楽が止めようもなく奔騰する!)「英雄」を圧倒し去ろうとし、弦楽器群に散りばめられた8分音符の連鎖がこれに対する「英雄」の奮闘を表す。両者の戦いは第172小節(練習番号K)でクライマックスを迎え、ここからは大規模な展開をすることなく提示部の推移から第二主題、結尾部を再現し、第253小節からコーダに入る。

 

 

 

 

 

 

 コーダではヴィオラに三度(みたび)第一主題が取り上げられるが、その後感情のさざ波(弦楽器の16分音符のパッセージ)を伴いながらも、第267小節でそれまでのヘ短調からヘ長調に転じるとともに次第に静まっていき、やがて F-A-F(自由に、しかも朗らかに)のモットー主題が回想される(第273・274小節のオーボエ、第277・278小節のホルン)と、「それ」が今は穏やかで柔和な表情を伴って現れ(第280小節以下)、今や「英雄」が「それ」を受容し克服して、両者が和解したことが示される。

 やがて辺りは嵐の後の荘厳な落日に彩られ、モットー主題と第一主題の断片がこだまする中、第301小節から弦楽器群のさざ波の中に第1楽章の第一主題がひそやかに立ち現れ(それは今や「英雄」が元のメンタリティとヴァイタリティを取り戻したことを暗示する)、全曲は大きな円環がまどかに閉じられるように静かに終わる。

<譜例は第301小節からの弦楽器群。赤丸で囲った音をつなげていくと、16分音符のさざ波の中にファ−ド−ラ−ソ−ファという第1楽章第一主題が隠れていることがわかる。>
 

 

 

| オーケストラ活動と音楽のこと | 09:31 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
ほーほさんの生存確認^_^ご無沙汰しております。ブラ3ですか。ブラームスの交響曲全般に&#10084;ですが、こういうことであったとは&#129325;。半世紀以上過ぎて知る事実に感動です。
| とらのすけ | 2017/12/09 6:50 PM |
とらのすけさん、コメントありがとうございます。残念ながら一部文字化けしていますが、幸い意味はほぼ通じます。
ちなみに本論の解釈は私一個のものであって、「感想には個人差があります」(← 通販のサプリメント等の広告で紹介される使用者からのお便りの後に必ず付け加えられるご注意のコメント)。実際、現在の指揮者は練習の内容から察するに、私のような解釈を取っていないようです ^^;; まあ、「みんなちがって みんないい」(金子みすず)のでありましょう。
| ぼーほ | 2017/12/10 11:58 AM |
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