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JR蓮田駅(埼玉県蓮田市)から30分ぶらぶら散歩

 年明け早々の土曜日(2017年1月7日)、オーケストラのメンバーと埼玉県蓮田市の清龍酒造の酒蔵見学ツアーに行きました。私は蓮田という所にはこれまで行ったことがないので、待ち合わせ時間より約1時間早めに着いて、30分ほどぶらぶらしてみました。快晴でしたが冷え込みが強く、マフラーとニットの帽子が手放せません。

 

 今回は東京駅から上野東京ライン・宇都宮線の直通を利用。570円奮発してグリーン車に乗ってみました。2階建て車両の2階は車窓の眺めもよく、グリーン車にはモーターがついてないので静かで快適。何だか旅行気分。

<左写真は蓮田駅でグリーン車から下りたときに撮りました。乗ったのは4号車でしたが少し進行方向に歩いてから撮ったので5号車が写っています。右写真は2階進行方向左側の車窓からの眺め。団地萌えです(笑)>

 

 蓮田駅は改札が一つで出口が東口と西口の二つ。東口の方が国道122号に面して賑やかなようなので、今回は東口側をぶらーりすることに。地図を持たないぶらぶら歩きながら、一応駅の東にある元荒川を目指します。広い幹線道路よりも一本入った静かな通りの方が「物件」が見つかりそうな気がするので、嗅覚の導くままに蓮田駅前からまっすぐ元荒川方面へ伸びる道の一本東側の道へ入り込みました。

 最初の「物件」は、左写真の緑の斜め縞の入った板付きの信号機。これを見て「そう言われてみれば」的に思い出しましたが、私が子供の頃の信号機はだいたいみんなこの板が付いていました。しかしその後、おそらくは電球の性能アップやLED化によって明るいところでも信号が見やすくなったからでしょう、今では後ろに板のない信号機が主流です。もっともこの交差点でも前方を横切る側の信号機は板なしの今どきのタイプなので、この信号機の入れ替えは時間の問題かも。

 

 その後しばらくは特に注目すべきものはありませんでしたが、この道が国道122号にぶつかる交差点で本日二つ目の「物件」を発見。おそらく青面金剛(しょうめんこんごう)かと思われる像が彫られた石塔です。真新しい紙垂(しで)付きの縄がかけられ、幣束(へいそく:御幣ともいう)、みかん、小さな鏡餅等が供えられているところをみると、この石塔は忘れられうち捨てられているわけではなく、立派に現役ですね。像は元荒川の方角、つまり東を向いています。
 ところでこの像の向かって右側の面、つまり北に向いた面に何か字が彫られています。そこで北側へ回ってみます。

 

 北側の面には上端に「北」とあり、その下は縦に大きく3列に分かれます。右の列には一番上に漢字で「右」、その下に変体仮名で地名と思われる字がありますが、私にはちょっと読めません。左の列も同様に漢字の「左」の下にやはり変体仮名の地名らしい字があります。どうやらこの青面金剛石塔は簡易な道標も兼ねていたようです。
 そして中央の列には「安永四乙未年十一月吉日」と彫られ、その左右に分けて右側には「武州埼玉郡 / 上蓮田村講中 / 同村中」( / は改行)、左側には「願主 / 長谷部藤次郎」と刻まれています。
 安永四年は西暦では1775年で江戸時代の中・後期に当たり、「乙未」はその年の干支(十干と十二支を組み合わせる)。つまりこの石塔は今から240年ほど前に建てられたものであることがわかります。「武州(=武蔵国)埼玉郡」は現在の蓮田市周辺が属していた当時の行政区分。次の「上蓮田村講中 / 同村中」はこの石塔が(旧)上蓮田村の村民によって建てられたことを示していますが、そのうち「講中」はおそらく「庚申講」に属していた人々を指し、庚申講に属さず石塔建立には加わった有志が「同村中」と表されているのであろうと思います。

 

 「講」は信仰を同じくする人々の集まりを指し、信仰対象や信仰内容によって「大師講」「えびす講」「念仏講」「富士講」などいくつもの種類がありました。「庚申講」もそれらのうちの一つで、「人間の体内にいる三尸(さんし)の虫が、庚申の日(年と同じく日も干支で表すことができる)の夜にその人が寝てから天に上って天帝にその人の悪事を告げる」という中国道教の説に基き、三尸の虫を天に上らせないために庚申の日の夜に集まって飲食したり本尊を供養したりしながら朝まで眠らずに過ごすというものです。そして庚申信仰の本尊はこの石塔に彫られている青面金剛でした。そこから逆にこの青面金剛が彫ってある石塔を建立した「講中」とは「庚申講」であろうと推測できるわけです。「願主」の長谷部藤次郎は「講中」と「同村中」の取りまとめ役で、村の有力者と思われます。
 こうした石塔を建てることは、現代の私たちから見ると馬鹿馬鹿しい行いのようにも見えますが、240年前の人々にとってはこの石塔建立がいろいろな形で(たとえば信仰面から、あるいはご近所づきあいの面から、ひょっとすると見栄の張り合いから等々)幸福な生活とリアルに結びついていたに違いありません。

 

 なおこの石塔の他の面を見てみると、南の面にも「右 ○○○ 左 ○○○」と地名がいくつか刻まれていますが、彫りが浅いのか日差しがほぼ正面から当たってほとんど影ができないせいか、北の面よりもっと読めません。また西の面には何も刻まれていないようでした。

 

 未踏の地での行き当たりばったりの散策で安永四年建立の青面金剛石塔という大物の「物件」に出会うことができて満足し、昼近くにもなったので、駅前にあった牛丼屋でメシを食おうと駅方面に戻りかけると、歩道上に輝く物体発見!マンホールの蓋です。
 マンホールの蓋というと昔はただの格子模様とか幾何学模様が素っ気なく散りばめられただけのものが多かったのですが、昨今は全国各地でご当地ならではのオリジナルのデザインに力を入れており、そうした蓋の採集者(もちろん現物ではなく写真)も増えつつあります。路上観察では重要な「物件」の一つです。
 一口にマンホール(人孔)といっても種類があり、この蓋は一番上に「お」とあるので、おそらく分流式下水道の「汚水(おすい)」(トイレから出る汚水と台所、洗面所、浴室等から出る雑排水を合わて流す下水道)の蓋と思われます。一番下には「市の木 はなみずき」とあり、マンホール全体に花をつけたハナミズキ(アメリカハナミズキ)の木が描かれています。

 分流式下水道にはもう一つ「雨水(うすい)」(文字通り雨水を流す下水道)があるはずですが、その蓋はまた違ったデザインなのか、またはデザインは同じで「お」と「う」が違っているだけなのか・・・そこは見てないので何とも言えません。

 

 ところで蓮田市の市の木はこの蓋にあるとおり「はなみずき」ですが、市の花はてっきり「はす」だろうと思ったら「すいれん」だそうです。ハス(蓮)とスイレン(睡蓮)はしばしば混同されますが、違う植物です。ハスは葉も花も水面から高く立ち上がりますが、スイレンは葉も花も水面から離れません。またハスの花には中心に蜂の巣みたいな形の花托があって、ここからハスの古名「はちす(蜂・巣)」が出たという説があります。
 蓮田周辺の地形を見てみると、関東平野の真っ只中を流れる荒川の氾濫原(現在の元荒川はもともと荒川の本流で、荒川はその名の通り荒れる川だった)や後背湿地で、湧水等は期待できず、したがってさざ波の立つ水面になよやかに漂うスイレンは、ため池を作るなどしかるべく灌漑して植え込んでやれば生きていけるでしょうが、人の手を借りず自生するには厳しい環境と思われます。この地にはむしろ、荒ぶる川・荒川がぶちまけた泥の中からすっくりと立ち上がり汚れを知らぬ清浄そのものの花をぽっかりと夢のように開くハスの方こそふさわしいのではなかろうか、と通りすがりの者は思うのでありました。

 

 さて駅前に戻ってくると、「はすだの散策」という大きな案内板がありました。これにはいわゆる名所旧跡が紹介されていますが、私が喜ぶような板付き信号機や路傍の石塔やマンホールの蓋等々は紹介されていません。まあそれはそれでいいんです、「物件」は自分自身の足と目で見つけるものですからね。
 しかしこの案内板の端っこの方に私の興味をそそるものがありました。それは見沼代用水(みぬまだいようすい)の「伏越(ふせごし)」です。

 

 案内板の全景で見られるとおり、蓮田市域は基本的に元荒川とその支流の綾瀬川の流域で、特にその北半分(案内板では左が北西)は元荒川と綾瀬川に挟まれています。この元荒川という川は上述のとおりもとの荒川の本流で、寛永6(1629)年に「荒川の西遷」と呼ばれる河流の付替え工事で今の荒川から切り離されたとはいえ、今に至るまで現役の一級河川。また綾瀬川は荒川の支流で、いずれも太古からここを流れていた川です。ところで案内板を見ると、北から南へもう1本川が流れています。それが見沼代用水です。
 この見沼代用水は、それまで貯水池として利用されていた見沼という沼を干拓して新田とし、見沼からの水に代わる用水を確保するために、享保12(1727)年に開削された用水で、利根川の水を現在の利根大堰(埼玉県行田市)の近くから取り(現在は利根大堰から取っている)、現在の東京都足立区まで84.5kmに及ぶ用水です。
 ところでこの新参者の見沼代用水を行田から足立区まで引く途中には、(元)荒川や綾瀬川など既存の河川が行く手を遮っており、見沼代用水はこうした既存の河川を越えていかなければなりません。その既存の川を越える方法の一つが「伏越」で、既存の河川の下をくぐらせます。江戸時代にはこういう技術が既に確立されていたのです。案内板によると、蓮田市の北の方で元荒川と、南の方で綾瀬川と、それぞれ伏越を構えて見沼代用水を立体交差させているようです。勿論当時の設備が現在もそのまま使われているはずはありませんが、これは見たいなあ。いずれ見に来よう!

<左写真は見沼代用水と元荒川との伏越で、「はすだの散策」の地図のほぼ左端すなわち市の北端にあり、右写真は見沼代用水と綾瀬川との伏越で、地図のほぼ右端すなわち市の南端にあります(赤丸で囲ったのが交差地点)。別の川ですがやはり江戸時代に行われた川の立体交差を見に行ったときのレポートがこちらにあります。なお見沼代用水についてはこちらのページがよくまとまっていますので、ぜひご覧ください。>

 

 というわけで、以上が蓮田駅周辺30分のお散歩の成果および将来の課題(笑)です。

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