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最近読んだ本:『日本道徳思想史』(家永三郎 1954(初版)1977(改版) 岩波全書194)
 このところ、海外から大量に日本に押しかける観光客の、日本人の目には傍若無人で非礼に映る行動に関する報道を目にする機会が増えました。これらの人々だって、わざわざ日本人に迷惑をかけ自国の面目を貶(おとし)めようとしてこうした振舞をするわけではないのでしょうが、どうも彼我の公衆道徳には大きな違いがあるようです。そこでまずは我ら日本人の道徳律のよって来るところを考えてみようと、本書を繙(ひもと)きました。例によってまずは目次を掲げます。

改版にあたって
はしがき
序 章 日本道徳思想史とは何か
第一章 原始社会人の道徳思想
第二章 氏姓階級の道徳思想
宗教思想
政治思想
階級意識
家族道徳思想
人生観
第三章 貴族の道徳思想(上)
政治思想
階級意識
家族道徳思想
宗教思想
第四章 貴族の道徳思想(下)
階級意識および政治思想
生活目標
家族道徳思想
宗教意識
第五章 僧侶の道徳思想
出家意識
出家精神の喪失
第六章 武士の道徳思想(上)
主従道徳
家族道徳思想
政治思想
階級意識
宗教思想
第七章 武士の道徳思想(下)
封建意識
家族道徳思想
政治思想
経済思想
武士道
宗教思想
封建道徳の伝統
第八章 町人の道徳思想
階級的自覚
家族道徳思想
経済思想
宗教思想
享楽主義
封建思想
町人精神の伝統
第九章 農民の道徳思想
政治思想および社会意識
人生観
家族道徳思想
参考文献補遺
時代一覧
年表
書名索引
人名索引

 本書は基本的には時代区分に従って原始時代(先史時代)から江戸時代とその直後の明治時代あたりまでを扱いながら、僧侶と農民に関しては時代で区分せず通史的に扱っています。町人(商人と職人を含むが、主に商人)についても時代区分でなく独立した章を立てていますが、これは主に江戸時代の道徳思想を武家のそれと町人のそれに分けた、その町人の分で、従って江戸時代の町人を扱っています。巻末の「時代一覧」が時代区分と本書の構成を一覧できる表になっていますので、これを下に掲げます。
 序章に本書の成り立ちや方法論が述べられています。
 まず著者は「日本道徳思想史という書名から、ひとはまず日本倫理学説史のようなものを思い浮べるかもしれない」が「しかし、私は道徳思想を倫理学説と同一視したくはない。たしかに倫理学説も道徳思想の重要な一部を成すものではあろうが、道徳思想というものはもっと広い意味をもつものであると思う。」(以上 p.1)と述べ、さらに「私は道徳をきわめて広義に解釈する。もし、真善美という価値の三分法が今でも多少の意味をもち、それに対応する人間のはたらきを学問・道徳・芸術と考えることが許されるならば、道徳とは学問と芸術とを除いたすべての人間のはたらきを包含することに」(p.2)なり、その中には政治、経済、宗教も含まれるとし、「政治や経済や宗教に関する思想がそれぞれの専門的立場から史的考察の対称となることはもちろんであるけれど、それらが人間の生き方の中心に触れてくる限りにおいて、道徳思想史を構成する重要な分子と見なさないわけには行かないのである。」と言っています(このあたりは昔の歴史学の古臭いセクショナリズムの残存を感じさせるところで、今ならこんなエクスキューズは必要ないでしょう)。そして本書は「抽象的な善悪の基準論などには大きな関心を示し得ない。それよりも、それぞれの時代に我々の祖先が、例えば、親子や夫婦の関係をどんな風に考えていたか(家族道徳思想)、民族全体の福祉についてどのような考慮を払ったか(政治思想)、自分たちと違った階級に属する同胞に対してどいういう態度をとったか(階級思想)、現世の人間生活にどれだけの価値を認めたか(宗教思想)、人生における財貨の意義をどのように理解したか(経済思想)、といった類の切実な実践的思惟の方に興味を集中する。」(p.3)と宣言して、本書で扱う「道徳思想」の範囲と取り扱い方を述べています。
 一方、日本道徳思想史の「史」の取り扱いについては「各時代において指導的な機能を演じた階層の思想を考え、諸階層の思想をそれぞれ一つの単位として、その交替の系列の中に日本人の道徳思想発展の基本的な動きをよみとろうと企てた。」と述べ、、「各時代を代表すると考えられるいくつかの階層を拾い、さらに補うべきものを補い、細分すべきものを細分した上で、整理排列した結果、目次に見られるとおりの日本道徳思想史の範疇構成ができ上がったのであった。」(以上 p.4)と本書の構成を説明し、さらに「右のような体系の中でも、優れた思想家の理論が無視されるようなことは決してない。ただそれを個人の思想体系として分析するかわりに、その社会的母胎との連簡において考察されるだけのちがいである。またこのような体系によれば、まったく無名の庶民の道徳思想も歴史の上に大きな位置を占めることができるのであって(中略)これまでの道徳思想史では、歴史を動かす大衆から遊離した孤立的道徳思想が過当に重視されてきた傾があったが、我々は反対にこれまで不当に軽視されてきた無名の民衆の思潮にその当然占むべき公正な地位を回復させようとするのである。」(p.5)とそのメリットを述べています。
 さらに本書の研究の方法論については「研究の資料としては、単に道徳を論じた思想的著作ばかりでなく、もっと広汎に多種類の文献を利用する方針をとった。ことに、一般人の日常の生活意識を比較的豊富に記録する文芸作品を主要な史料に用い、また思想史の史料として十分に活用されていない記録古文書等の活用にも心がけた。」(pp.5-6)と述べていて、実際に平安時代の女流文学や中世の戦記物、江戸時代の歌舞伎、川柳、商家の家訓などが豊富に引かれています。
 こうした「範疇構成」や方法論は、既に確立された学問分野の縄張りによって研究範囲や採用する史料を限り、既に確立された時代区分に機械的に従って叙述するようなやり方からは明らかに一線を画していて、1954年という本書初版の執筆時にはおそらく新鮮で目新しいものであったのでしょう。この序章自体が、今では史料としての価値を持つのではないかと思われました。

 文体はやや古いものの叙述は簡明端的で、史料からの引用が多く内容が具体的である本書はなかなか面白く読め、多くの示唆を受けました。特に「出家意識」の指摘とそれが次第に失われていくさまを描き出した「僧侶の道徳思想」や、文芸資料を活用して武士のそれと鋭く対立する町人独自の道徳思想を活き活きと描き出した「町人の道徳思想」は出色の出来であると思います。
 ただ著者は所詮は文献史学の人で、本書には民俗学や文化人類学の研究成果は全くといってよいほど利用されていません。もっとも文化人類学については初版執筆当時の1954年にはまだ一般に受け入れられるほどの研究成果を収めていなかったという事情も考慮すべきですが、民俗学に関しては、著者は本書第九章「農民の道徳思想」の初めに「農民の生活意識を研究する場合、民俗学的資料を用いる必要が多いが」とその意義に言及しながら、それに続けて「民俗学的資料といえども、必ずしも農民の意識の全面を伝えるわけではなく、またその性質上、それを歴史的認識の史料とするにはいろいろの危険が伴う。」と述べ、民俗学的資料という文献以外の資料を用いる方法やその準備がない歴史学の、「学としての限界」を露呈しています。そして「ことに著者は農民史についてまったく門外漢であり、農民の道徳思想について自信ある叙述をなし得ないのであるが」と、資料不足と文献史学自体のこの分野における立ち遅れに対する予防線のごとき前振りをした上で、「日本道徳思想史の体系に欠くことのできぬ項目であるから、文献資料の範囲で理解し得た限りの事実を概観して置くことにした。」(以上 pp.208-9)と述べ、結局のところは文献史学の内側に立てこもってしまうのです。つまり本書序章で披露された範疇構成や方法論の清新さにもかかわらず、著者の意識の中には、隣接学問である民俗学の資料はたとえその意義は認識できても利用はできないという、学問的セクショナリズムとその余弊が厳然として存在しているわけで、せっかく倫理学説史でない道徳思想史を打ち立て、その中に農民というカテゴリーまで設けておきながら、方法論的なこの偏狭さは残念と言わざるを得ません。

 さらに残念なのは、本書の扱う範囲がせいぜい明治時代までに限られていることで、この点については本書の「はしがき」に
日本道徳思想史の体系を具備するためには、昭和20年代の今日までの発展過程を叙すべきであるが、私の専門的な勉強は今のところ明治の範囲にとどまっているので、本書では、特別の場合以外は、明治の終ごろまでで筆をとめ、大正以後に関しては他日を期することとした。(p.viii)
と述べられています。しかも「武士の道徳思想(下)」を受け継ぐべき維新の志士ないし官僚の道徳思想についてはほとんど触れられていないので、「特別の場合以外は、明治の終ごろまで」という箇所は羊頭狗肉の謗りを免れますまい。冒頭に書いた私自身の問題意識からはもっと現在に近いところまで見たい、少なくとも「教育勅語(教育ニ関スル勅語 明治23年)」と戦後民主主義は落とせないと思われるのですが、初版の執筆時期から見て後者が扱われていないのは仕方がないとしても、戦前の国民教育の基礎をなした「教育勅語」が本書で全く取り扱われていないのは実に遺憾です。ただ本書にも、たとえば「かつては記紀の説話の中に完全な国民的統一の理念を見ようとし、その意味でこれらの古典を国民道徳の聖典たらしめようとする教説が横行したのであるが、そのような考え方は記紀の政治思想の階級的構造を見失った―否、おそらく故意に無視したところの主観的命題に過ぎなかったのであった。」(p.18)といった叙述が見られ、これなどは「教育勅語」や「國體の本義(文部省思想局 昭和12年)」等を念頭に置いて書かれたものかと思われます。戦後民主主義はともかく、戦前の国民教育を支えた明治・大正・昭和の道徳思想は、当然のことながら江戸時代以前の道徳思想からも多くのものを受け継いでおり、さらに明治以降に流入した欧米の思想の影響も受けていますが(「國體の本義」緒言)、これらの分析は結局のところ宿題として今日の私たちに残された形となっています。今後も引き続き精進いたしましょう(<自分自身への確認)。
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