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アバド / ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集DVD
 以前拙ブログでちらっと触れましたが、土浦交響楽団でご一緒させていただいているヴィオラ奏者の榊原さんから、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集のDVDを貸していただき、先日ようやく全曲を視聴し終わりました。
 この全集は第1番から第8番までが2001年2月8日から14日にかけてローマのサンタ・チェチーリア音楽院で収録されたもの、第9番が2000年5月1日にベルリンのフィルハーモニーで収録された「ヨーロッパ・コンサート2000」のもので、いずれもライブです。

<写真のように交響曲全9曲を収録したDVD4枚セットが紙製ケースに収められています。なお同じ演奏会で演奏された序曲、協奏曲等は収録されていません。>

 実は2000年という年はアバドにとって大変重大な年でした。このDVDに収められた5月1日の「ヨーロッパ・コンサート」に続いて同じ5月にベルリン・フィルと南米演奏旅行を行った後、いくつかの演奏会をキャンセルして胃がんの手術を受けたのです。復帰は同年10月でした。つまりこのDVDセットにはアバドが胃がんに倒れる直前と復帰数ヶ月後の演奏が収められているのです。
 一度病に倒れて再起した演奏家の中には、たとえば指揮者のフェレンツ・フリッチャイのようにその前と後で演奏スタイルががらりと変わってしまった人もいます。このDVDで見るアバドも、手術前の「第九」に比べて復帰後は頬のあたりがこけているのがはっきりとわかります。しかし指揮ぶりはほとんど変わらず、復帰後の方が動きが軽く切れがよいようにも見えますし、演奏スタイルの違いも感じられず、むしろ「第九」とそれ以外の交響曲の作風の違いがはっきりと感じられました。

 この全集でのアバドのアプローチは、たとえばベルリン・フィルでの前任者のカラヤンのように大編成の豊穣な響きと迫力を前面に押し立てるものとは対照的に、小さい編成で奏者同士の室内楽的なアンサンブルによる生き生きとした音楽を目指すものです。第1番から第8番では第1ヴァイオリンが4プルトないし5プルト、コントラバス3本ないし4本、「第九」でも第1ヴァイオリンはおそらく5プルト、コントラバスは6本で、どの曲でも管楽器は各パート1本ずつです。テンポは速めで慣例的な「溜め」や大きなアゴーギクは基本的に避けられていて、自然な流れの中にベートーヴェンが仕組んだオフビートの sf や突然のダイナミクスの変化が目覚ましい効果を挙げています。
 古楽系の演奏スタイルが普及した今日ではこうしたスタイルによる演奏は珍しくありませんが、今から15年前に、しかもベルリン・フィルという超メジャーなビッグオーケストラを率いてこうした演奏を行ったことは、当時及びそれ以後の音楽界に相当な影響を与えたであろうと思われますし、この路線でさらに尖鋭化した演奏(たとえば今年NHK交響楽団の首席指揮者に就任したパーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンを指揮したものなど)も現れてきた今日では、中庸の美徳というか、大変上質な演奏を安心して聴くことができるという意味で貴重だと思います。勿論「平凡」ということではありませんよ。
 なお、前回拙ブログで第5番の第三楽章のトリオを取り上げた際に、本DVD全集の解説に「最近の演奏にはアバドはジョナサン・デル・マー校訂の新しいスコアを選んでいる。 For most recent performances he chose to use the new score by Jonathan Del Mar.」 とベーレンライター版の使用を示唆しているにもかかわらず、実際の演奏はベーレンライター版に従っていないと書きました。実はその後聞いた「第九」でも、第一楽章の81小節のフルートとオーボエの2つ目の音がベーレンライター版の d(レ)ではなく、ブライトコプフの全集版以来慣用されてきた bフラット(シのフラット)で演奏されていて、ベーレンライター版スコアをそのまま採用しているわけではないことが再び確認できました。

<左の譜例はジョナサン・デル・マー校訂のベーレンライター版「第九」の第一楽章80〜83小節。赤枠で囲った第一フルートと第一オーボエはオクターブ違いでいずれも d(レ)。右の譜例は古いブライトコプフ版スコアの同じ箇所で、同じく赤枠で囲った第一フルートと第一オーボエはオクターブ違いでいずれも bフラット(シのフラット)になっています。このDVDでアバドが演奏しているのは右の譜例の音。>

 実はこの音はかなり早くから問題になっていたもので、たとえば1991年6月に録音されたニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団盤(TELDEC)でもこの音は d で演奏されています。ベーレンライター版の校訂報告 Critical Commentary によると、この音は自筆スコア、版下用スコアを含む全ての一次資料において d で、「ブライトコプフのスコアの bフラットは明らかに270/86小節、346小節からの類推によって捏造されたものである。ベートーヴェンは資料A(自筆スコア)において両方の楽器に d を書いているのだから、間違いではあり得ない。」と断定されております。ベーレンライター版のスコアと校訂報告は1996年に出版されたので、アバドはその気になれば2000年5月1日の演奏の前にこれらを見ることができたのですし、バーンスタインとアーノンクールには頑なにベルリン・フィルを振らせなかったというカラヤンとは違って、アバドは1995年頃からアーノンクールにベルリン・フィルを振らせていて、アーノンクールにアレルギーがあった(笑)わけでもなさそうなのですが、このDVDに収録された演奏ではアーノンクールのレコーディングやベーレンライター版の「成果」を無視する形で、ベートーヴェンが書かなかった音で演奏しているのです。
 他の交響曲でベーレンライター版との違いをしらみつぶしに探し出すような無粋な真似をするつもりはありませんが、今となってはこの解説書の most recent performances というのがいつ頃の演奏を指すのか、このDVDに収録されている2000年/2001年の演奏を含むのか、それともこのDVDが発売された2011年時点での most recent なのか、疑問がわいてきましたね。ちなみにこのDVDに収められたのと同じ映像がオンラインの Berliner Philharmoniker Digital Concert Hall でも有料で公開されていて(ただし Conductor Camera(アバドだけを狙ったカメラ)の映像はDVDだけでしか見られない)、その日本語解説にも「ここでは、イギリスの音楽学者ジョナサン・デル・マーが校訂したベーレンライター版を使用する等、最新の研究成果を取り入れた演奏となっています。」(第1番から第8番)「なおこの演奏では、イギリスの音楽学者ジョナサン・デル・マーが新しく校訂したベーレンライター版スコアを使用しています。」(第9番)とあるのですが・・・これ、ちゃんと演奏聞いて書いたのか?怪しいなあ。クラシック業界の人って昔っからいい加減だからなあ。

<ベルリン・フィルの Digital Concert Hall の解説文。実際には上に書いたとおり、一から十までベーレンライター版スコアどおりに演奏しているわけではないのです。>

 DVDなので映像が見られるのは楽しいですね。アバドやベルリン・フィルのメンバーの表情、どこで指揮者をガン見してるか、弦楽器のボウイングやポジション等々見どころ満載です。
 面白いのはベルリン・フィルに在籍する日本人女性奏者の町田琴和さん(1Vn.)と清水直子さん(Va.)が結構よく画面に映るのです。まあ私がついつい贔屓目でそう見ているのかも知れませんが、清水さんは2000年5月の「第九」には間に合ってないものの、まさにこのローマへのツアーの年、2001年2月からヴィオラの首席奏者(ベルリン・フィルでは女性が弦楽器の首席につくのは珍しかったらしい)となったので、そういう意味で注目されてもいたでしょうし、1997年からベルリン・フィルに在籍されている町田さんは、最近はショートヘアでメガネをかけてらっしゃいますが、当時はストレートの黒髪を長く垂らしていて、アチラの方にはさぞエキゾチックなクールビューティーに映ったことでしょう。もちろんこの一連のコンサートでコンサートマスターやフォアシュピーラーを務めている安永徹さんもよく映ります。日本人としては嬉しい限り。
| オーケストラ活動と音楽のこと | 14:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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