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2014年7月30日に日立市大甕(おおみか)めぐり(その2)
3.水木海水浴場
 日立市大甕めぐりの「その1」では大甕神社と泉が森・泉神社を歩きました。さて泉が森から海の方へ歩くと水木海水浴場へ出ます。日立市の沿岸は海面から10〜25メートルほどの台地が海に迫っていて、その末端の崖下にある白砂の砂浜が海水浴場となっています。水木海水浴場から海岸に沿って南へ歩くと、そうした地形の特徴がよくわかります。

<左写真:泉が森から水木海水浴場への道を歩くとやがて前方に海が見えてきますが、この写真からわかるとおり、台地の末端は急に切れて海に落ち込んでいます。日立市では東日本大震災の津波被害を教訓として、多くの場所にその地点の標高を表示しており、地形散歩にもこれが便利。この辺りの台地の標高は12mです。>

<右写真:しかし12mの崖が切り立っていたのでは海に下りられず海水浴場になりませんから、傾斜のゆるい所に道をつけて海岸へ車で下りられるようにしてあります。>

<左写真:水木海水浴場。海へ向かって突き出した突堤の南側、奥行数十m、幅50mほどの砂浜が海水浴場になっていて、この日は平日だったせいもあり比較的すいていました・・・というか、海の家も大音量の音楽もないここは主に地元の方々御用達のローカルビーチで、休日でもゆったりのんびりした雰囲気で過ごせるのではないかと想像しますが、どうでしょうか。
 この写真の海水浴場の突き当りにもっこりとした森が見えますが、これも台地で、比高は20mくらいあります。そのさらに向こうに上面が平らで海に突き出している岬があり、この辺りではこのように海へ突出している岬状の地形を「○○鼻」と呼んでいます。ここから見えているのはこれから目指す田楽鼻(でんがくばな)です。>

<右写真:水木海水浴場の突堤の北側の海岸。突堤の南側と同じように砂浜が広がり、台地の高さ、つまり崖の比高も北側の方が低くて、むしろ南側よりも海水浴場向きのように思われますが、海岸には波消しブロックが積まれています。この海岸は見かけによらず波が高いのかも知れません。水、きれいですね。>

 
4.田楽鼻
 水木海水浴場から台地上に戻って南へ進むとすぐに急な上り坂となり、なおも南へ歩くとやがて田楽鼻に着きます。ここには三角点があってその標高は21.9m。水木海水浴場では10m程度だった比高が、ここでは20m以上になっていることがわかります。

 ここ田楽鼻には江戸時代に水戸藩が設けた海防施設「水木異国船遠見番所」がありました。日立市が設置した「江戸時代の海防施設」という案内板に説明がありましたので、これも転載いたします。なお案内文の本文に( )が使われているので、案内文にあるふりがなは[ ]で示します。
<左写真:田楽鼻の上は公園のように整備されており、奥まった所に土壇状の盛り土があります。この上に上ると海が見えます。なお案内板はここには写ってませんが、写真の右外側後方あたりにあります。>

江戸時代の海防施設
水木異国船遠見番所跡[みずきいこくせんとおみばんしょあと]
                                          (日立市水木町一丁目 旧水木村)
 江戸時代、水戸藩は初代藩主頼房[よりふさ]の時代を皮切りに、幕末までに助川海防城[すけがわかいぼうじょう](助川館[すけがわやかた])と共に七つの海防施設を設けて、異国船(外国船)に対する海岸防備を行ってきた。
 公園脇はその一つ、水木異国船遠見番所(外国船を見張る番所)跡である。
 鎖国令が出されて間もなくの正保二年(一六四五)頃に頼房の命により、異国船に乗った切支丹[きりしたん]が上陸するのを防ぐため、ここに見張り場を設けて遠眼鏡で海上を監視した。
 天保七年(一八三六)大沼村に異国船御番陣屋(外国船を見張る役所)建設後は、異国船が発見されると早馬で大沼村へ急報したと伝えられている。
 ここ田楽鼻[でんがくばな]の広場では、文久二年(一八六二)金砂大祭礼の時に田楽が催された。

 以上が本文で、水戸藩が日立市内に設けた海防施設8か所を落とした地図があります。8か所とは、北から順に
1) 友部異国船御番所陣屋跡[ともべいこくせんごばんしょじんやあと](十王町友部)
2) 川尻(折笠)異国船遠見番所台場跡[かわじり(おりがさ)いこくせんとおみばんしょだいばあと](川尻町1丁目)
3) 初崎台場跡[はつざきだいばあと](相賀町)
4) 河原子台場跡[かわらごだいばあと](河原子町2丁目)
5) 大沼異国船御番陣屋跡[おおぬまいこくせんごばんじんやあと](東大沼町1丁目)
6) 水木異国船遠見番所跡(水木町1丁目)
7) 久慈台場跡[くじだいばあと](久慈町1丁目)
の7つの海防施設と
8) 助川海防城跡(助川町5丁目)
の計8つです。

<右写真:公園内の土壇状盛り土の上から海を見る。番人はここから茫洋とした水平線上にいつ現れるかわからない幻のような外国船の影を見張り、あるいは朝な夕なに行きつ戻りつする漁船の中に不審な動きをするものがないかどうか目を凝らしていたのでしょう。>

 また案内文の最後に金砂大祭礼(かなさだいさいれい)に関しての言及がありましたが、この金砂大祭礼とは金砂神社磯出大祭礼(かなさじんじゃいそでだいさいれい)のことで、旧・金砂郷町(現・常陸太田市)の西金砂神社と旧・水府村(現・常陸太田市)の東金砂神社の神輿が72年に一回、この水木浜へ渡御する祭礼のこと。72年に一回というスパンの長さといい、約75劼箸發い錣譴觜堋をそれぞれの神社の神輿が一週間かけて往復するという規模の大きさといい、まさに大祭礼です。しかも面白いことに西金砂神社の神輿が出御してから3日めに東金砂神社の神輿が出御することになっていて(最近行われた平成15(2003)年の第17回大祭礼では西金砂神社が出御3月22日〜還御28日、東金砂神社が出御3月25日〜還御31日という日程)、二つの神輿が同時に同じ場所にいることはないのです。詳しいことはこちら等をごらんください。
<写真は公園内にある2003年3月の大祭礼の記念モニュメント。次回は2075年です。がんばって長生きしてもちょっと見られないかな〜・・・>

 続いて田楽鼻からさらに南に望める鼻、古房地(こぼうち)鼻を目指します。古房地鼻は古房地公園として整備され、白亜の日立灯台が立っています。
<右写真は田楽鼻から古房地鼻を望んだところ。突き出した岬の突端に灯台が見えます。>

<田楽鼻から古房地鼻へ向かう途中、国道245号線に合流する直前の急な坂道を下っていると、足元にスカシユリが咲いていました。>

<田楽鼻と古房地鼻の中間点あたりの国道245号線から眺めた古房鼻。このあたりは中だるみのように標高が少し下がっていて、地形図を見ると台地と海の比高は15m前後のようです。崖の下には白くてきれいな砂浜が広がっていますが、やはり波消しブロックが積まれていて遊泳禁止。だいたいあの浜まで下りて行く道がないんだわ。>

<同じく中間点から振り返って田楽鼻を見たところ。>

5.古房地鼻
 国道245号線に面したレストランの後ろ側へ回り込み海沿いの道をたどるうちに公園らしい雰囲気になってきます。途中に松林がありますが、松の木がみんな南側へなびいていて、冬の季節風がなかなか烈しいことをうかがわせます(右写真)。

 やがてあたりが開けると、白亜のデザイン灯台である日立灯台が目に入ります(左写真)。灯台のそばに案内版が立っていましたので、その案内文を転載いたします。

日立(ひたち)灯台
〜沖行く船を見守る日立灯台〜
 日立灯台は、日立港の開港に合わせて港に出入りする船舶や沿岸を航行する船舶の道しるべとして古房地(こぼうち)公園内に建設され、昭和42年3月31日に初点灯しました。
 この灯台は、海を見渡せる展望台が併設されており、日立港や久慈浜海水浴場などが見渡せます。
位置 北緯 36度30分34秒
東経 140度37分56秒
光り方 群閃白光 毎25秒に3閃光
光の強さ 21万カンデラ
光の届く距離 12.5海里(約23キロメートル)
高さ 地上から灯台頂部 約25メートル
水面から灯火 約42メートル
管理事務所 茨城海上保安部 交通課
電話 029-262-4106

 以上です。展望台というのは根元のはかまみたいな部分のことらしく、なるほどここは灯台本体の外なので自由に上り下りできます。

<右写真:その展望台に上って海方向を見通してみました。芝生に落ちた灯台の影がおもしろい形です。ここへ来た時には30台くらいの男性が二人ここに立って、でも海なんか見ないでちょっと深刻な様子で、たぶん仕事の話かな、をしてましたが、私が上がって行くと入れ替わるようにどこかへ行ってしまいました。公園内にはベンチがいくつかあるけれども日陰は灯台の裏側にしかなくて、他の所では長話はできない感じでした。お邪魔して悪かったかな。>

6.久慈浜海水浴場
 古房地公園からさらに南へ歩いて行くと、眼下に久慈浜海水浴場が広がります(左写真)。この辺りは台地の標高が再び25m前後になっており、海水浴に来る人(ほとんどは自家用利用)は国道をもっと先まで行って浜へ下りるのですが、歩きの私はそんな先の方まで行くつもりはなく、この辺で浜まで下りられないのなら下りなくてもいいや、という気持ちでしたが・・・

 そこに私を誘うように階段出現!上の写真の右下隅にも手すりが写ってますね。しかし25mというとビルの5階か6階分くらいは優にありそうな・・・まあこの際だから、下りちゃえ!
<右写真は下から階段の全景を撮ったもの。浜からあのてっぺんの松の木の所まで登るんです。やっぱりけっこう高かったね。>

 上の写真を見るとわかりますが、この日は平日とあって駐車場も海水浴場もガラガラでした。ここは水木海水浴場より広くて開放的で、海の家もあるし、適度な音量で音楽もかかってるし、海水浴場としてはいい感じなんですけどね。駐車場には栃木や埼玉など県外ナンバーの車もちらほら見かけられましたが、まだまだ少数。近県の皆様ぜひ水のきれいな茨城の海へどうぞ!

<左写真:久慈浜海水浴場から北側を見る。青い海と空、白い砂、白亜の日立灯台。海水浴場の遊泳範囲からは外れてますが、日の出を見ながらこの浜辺を逍遥するなんて気持ちよさそう。>

7.大甕駅周辺
 さて、もうそろそろ駅へ戻ろうと例の階段を上り、国道245号線へ出て北へ歩いて古房地鼻まで戻り、大甕駅前から東へ真っ直ぐ伸びる道を、途中の食品スーパーでサザコーヒー(ひたちなか市に本店があるコーヒー店で、茨城放送の「ラテンフォルクローレをご一緒に」のスポンサー)の無糖アイスコーヒー1リットルパックなんていう、つくばでは見かけたことがない商品を発見したりしながら、のんびり歩いてようやく駅に着きました。駅は東側にしか開いていません。

<右写真:大甕駅前にある案内板。左の風神?はとりあえず措いといて、右の「大みか案内マップ」を見ていて、ここに挙がっているスポットは、日立研究所と風神山以外は今日一日で回ってしまったことに気づきました。そして左の風神が風神山のキャラクター?であることも判明。よし海側は今日みんな回ってしまったから、次は風神山だな。風神様待っててくださいね。>

<本日最後のスポット。大甕駅前の道を南へ入ってすぐの所にある謎の洋館。左写真は駅側(北側)から、右写真は南側から撮ってます。右写真の大谷石の蔵みたいのもこの洋館に付属している模様。看板等が見当たらないのでこの洋館の正体はわかりませんでした。>

 この日は気温はそこそこありましたがからっとしていて風が心地よく、ほとんど暑さを感じないで歩くことができました。次回の大甕ツアーは大甕神社の補充踏査と風神山を巡ります。いつになるかはわかりませんが(笑)。





 
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