タイトルからは何のことかわかりませんので、話をわかりやすくするために、まずは文例をご覧ください。
文例1
まだあげ初(そ)めし 前髪の
林檎(りんご)のもとに 見えしとき
前にさしたる 花櫛の
花ある君と 思ひけり (島崎藤村「初恋」より)
文例2
富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町(ぽんとちょう)に 降る雪も
雪に変わりは ないじゃなし
融けて流れりゃ 皆同じ (作詞者不詳「お座敷小唄」より)
両方ともいわゆる「七五調」といわれる形をとっていますが、音読してみるとこの二つは拍節構造が違います。最近私は七五調の文章においては、文章全体の調子が最初の句の冒頭の休拍の有無に反映される傾向があることに気づきました。文例1の「初恋」のような個人的、内省的、シリアスな内容の文章の最初の句の冒頭には休拍が来ない傾向があり、逆に文例2の「お座敷小唄」のように(個人性を捨象したという意味での)匿名的集団的、開放的、C調(死語(汗)「調子いい」をひっくり返した俗語です、念のため)な内容の文章の最初の句の冒頭には休拍が来る傾向があるのです。これを知っていると知らないとでは七五調の文章を作るとき差が出るぞ〜。(そりゃいいけど、だいたい七五調の文章なんて作るのか?(笑))以下詳述します。
和歌(短歌、長歌、旋頭歌等)や俳句、川柳、都々逸、小唄など、日本の古くからの詩形は五音と七音の組み合わせからできています。しかし私が思うにこれらの詩形の拍節の基本単位は4拍×2で、その結果七音の句は1拍、五音の句は3拍の休拍を伴います。たとえば、休拍を○で表して短歌と都々逸の読みを示すと次のようになります。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山(百人一首2番 持統天皇)
//はるすぎ/て○○○//なつきに/けらし○//
//しろたえ/の○○○//○ころも/ほすちょう//あまのか/ぐやま○//
(末2句を語の切れ目と合わせて、//○あまの/かぐやま//という読みもあり得ます。)
信州信濃の 新蕎麦よりも 私ゃあなたの そばが良い(都々逸)
//○しんしゅ/しなのの//しんそば/よりも○//
//○わたしゃ/あなたの//そばがよ/い○○○//
この方法で文例1、文例2の読みを示すと次のようになります。
文例1 //まだあげ/そめし○//まえがみ/の○○○//
//りんごの/もとに○//みえしと/き○○○//
//○まえに/さしたる//はなぐし/の○○○//
//はなある/きみと○//おもいけ/り○○○//
文例2 //○ふじの/たかねに//ふるゆき/も○○○//
//○きょうと/ぽンとちょウに//ふるゆき/も○○○//
//○ゆきに/かわりは//ないじゃな/し○○○//
//○とけて/ながれりゃ//みなおな/じ○○○//
(カタカナは前の音と合わせて一音節になることを表します。)
ここで注目したいのは、文例1の七音句の拍節は基本的に//音音音音/音音音○//、すなわち4音+3音となっているのに対し、文例2の七音句は全て//○音音音/音音音音//、すなわち頭に休拍が来る3音+4音となっているということです。そして七音句である以上、拍節の基本単位である4拍×2の中に必然的に休拍をひとつ含むので、4音+3音と3音+4音との根本的な相違は、休拍が頭にあるか否かという点なのです。
ここでは後の便宜のために、頭に休拍を持たない4音+3音のパターンを「初恋型」、頭に休拍を持つ3音+4音のパターンを「お座敷型」と呼ぶことにしますが、私が気づいたのは、七五調の文章の場合、その文章全体の調子によって最初の句が「初恋型」か「お座敷型」かがほぼ決まってしまうらしいということです。つまりこの「初恋型」と「お座敷型」にはそれぞれが表現する内容に向き不向きがあるらしく、「初恋型」はシリアスで内省的、内向的な内容を、「お座敷型」は外向的でC調(既出)な内容、あるいは前近代な情緒を表現することに向いているらしいということなのです。
ここで「初恋型」と「お座敷型」の例を、思いつくままにいくつか見てみることにします。
<初恋型>
1.ああ弟よ 君を泣く 君死にたまふ ことなかれ
末に生まれし 君なれば 親のなさけは まさりしも
親は刃(やいば)を にぎらせて 人を殺せと をしへ(教え)しや
人を殺して 死ねよとて 二十四までを そだてしや
(与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」より)
2.この世の名残(なごり)、夜も名残、
死にに行く身を たとふれば、
あだしが原の 道の霜、
一足づつに 消えて行く、
夢の夢こそ あはれなれ。
あれ数ふれば 暁の、
七つの時が 六つ鳴りて、
残る一つが 今生(こんじょう)の、
鐘の響きの 聞き納め、
寂滅為楽(じゃくめついらく)と 響くなり
(近松門左衛門「曾根崎心中」より)
<お座敷型>
3.春のうららの 隅田川
上り下りの 舟人(ふなびと)が
櫂(かい)の雫(しずく)も 花と散る
眺めを何に たとふべき
(武島羽衣「花」より)
4.春は早(はよ)うから 川辺の葦(あし)に
蟹(かに)が店出し 床屋(とこや)でござる
(北原白秋「あわて床屋」より)
5.二人してさす 一張(ひとはり)の
傘に姿を つつむとも
情(なさけ)の雨の ふりしきり
かわく間(ま)もなき たもとかな
(島崎藤村「傘のうち」より)
音読してみますと、「初恋型」は冒頭に休拍がないために、どちらかというと平板で勢いのない、その分中身の詰まった音の連なりになります。一方の「お座敷型」は「(ん)たらららららら…」と頭に休拍があるために、読んだ場合に軽みと勢いが出やすいし、場合によっては逆に休拍で「タメ」を作って見得を切ることもできます。「初恋型」は静的、「お座敷型」は動的と言い換えることもできそうです。そして文章の第一印象を決めるのは最初の一句なのですから、その一句を「初恋型」で始めるのか「お座敷型」で始めるのかは、作者にとっておろそかにできないことのはずなのです。
ちなみに1.の「君死にたまふことなかれ」など、七音句の初めの2つだけが「初恋型」で後は「お座敷型」ですが、冒頭の「ああ」という万感こもる重い吐き出しと「君」で一度ぶっ切っておいて「死にたまふことなかれ」と一気にたたみかける激しさが全体の基調を決定しており、後に「お座敷型」の口説きが続いてもびくともしません。ちなみにここに引用したのは第一聯ですが、この詩は全体で5聯から成り、各聯の初句は全て「初恋型」で押さえてあります。さすがです。
また2.の延々と続く「初恋型」による念仏のように単調でいて荘重な、死を覚悟した足取りと、その中にはさまれた「○のこる/ひとつが」の頭の休拍、ここで道行きの歩みがふと止まる、その動きが見えるようです。実に名手です。
「お座敷型」の5.は「初恋」と同じ藤村の「若菜集」から引いていますが、生真面目にして初々しい「初恋」に対して、歌舞伎の舞台を彷彿とさせるような纏綿たる情緒が「お座敷型」を採用させたものと思われます。
ところで「お座敷型」は頭に休拍があるので、西洋クラシック音楽でいうところのアウフタクトで始まるリズムパターンということになるわけです。アウフタクトで始まる曲のパターンは大きく分けて2通りあり、ひとつはこの「お座敷型」、つまり最初の1拍が欠けるパターンで、もうひとつは「モルダウ」のように、前に1拍はみ出すパターンです。この「モルダウ型」の旋律はクラシックにもポピュラーにもいっぱいあるのですが、日本の定型詩でこれに当てはまるものがちょっと思いつきません。一方クラシックで「お座敷型」の曲といえば、なんといってもあの「ジャジャジャジャーン」、そう、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」にとどめをさします。日本では誰も知らない者がないくらいこの曲が人気があるのは、小唄・端唄・都々逸などを通じて日本人の血の中に連綿と伝えられている「お座敷型」DNAのせいかも知れませんね。