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自転車で行った栄・小田集落
 先週4月1日に北条からつくば道を歩いて旧筑波山郵便局まで行きました。その帰りに北条からつくばセンターまで「つくバス」(つくば市のコミュニティーバス)の小田シャトルを利用したところ、バスで通った小田集落と中根・栄集落周辺がなかなか趣深かったのと、その後「アースデイつくば実行委員会」作成の地図「歩いて発見!金田(こんだ)・桜川マップ」「歩いて発見!小田マップ」を入手したので、これらの地図を頼りにバスより自由のきく自転車で訪れてみようと、4月8日(火)の午前9時少し前に自宅から自転車で出発しました。今日も穏やかに晴れ上がり風もほとんどなく、予報によると最高気温は20度を超えてくるであろうとのこと。出歩くにはいい時期になりました。

クリックで拡大  筑波研究学園都市の中心を南北に貫く歩行者・自転車専用道路「つくば公園通り」を走ってつくばセンターまで行き、その後途中まで「つくバス」小田シャトルと同じルートを辿りますが、途中から左へ分かれて、つくば市の桜窓口センター(旧・桜村役場)の下を通る「七曲り」を走ります(左写真)。何の変哲もない谷津田の縁をうねうねと曲がりながら走る道ですが、前述の「歩いて発見!金田(こんだ)・桜川マップ」によると、時宗の遊行上人(一遍上人、または時宗総本山遊行寺の法主)が通ったことから上人道(しょうにんみち)とも呼ばれる、とあり、途中に「馬頭観世音」と刻んだ石碑が建っています(右写真)。
クリックで拡大  この馬頭観音は「明治廿八年旧四月三日」の日付をもち、中央に「馬頭観世音」と行書で大書し、その左右に「右一ノ矢道 / 左やたへ道」と書き、さらにその下部に左右に振り分けて「世ハ人 念佛中 / 大字東岡/小神野為蔵/倉田藤十郎」と刻んであります。日本では明治6(1873)年1月1日に新暦(グレゴリオ暦)を採用しましたが、この碑の「旧四月三日」という書きぶりからは、このあたりでは明治28(1895)年にも旧暦の方が好んで使われていたらしいことがうかがえます。また道標としての機能を持たせていることから、この「馬頭観世音」は斃馬とは直接関係なく、行旅の安全を守るものとして建てられたのではないかと思われます(なお碑文はもちろん旧字体で彫られていますが、判読した内容は新字体で紹介します。以下も同じ)。

 「七曲り」から金田(こんだ)の西坪集落を経て水田を横切りますが、「歩いて発見!金田(こんだ)・桜川マップ」を見ると、この周辺にも金田官衙遺跡や金田条里といった古代の遺跡や、室町時代に小田氏の出城として築かれた金田城跡などがあり、かなり古くからその時々の人々の暮らしが営まれていたようです。

クリックで拡大  水田を横切ってしばらく進み、突き当りの丁字路を左へ曲がって栄の集落に入りいくらも行かないうちに、まるで木造校舎のようなお家が目に入ります。珍しい造りですが個人のお宅のようで、例のマップにも情報はありません。このお家のこと、知りたいです(左写真:この日は植木屋さんがトラックで入って庭木の剪定をしていたので、正面からの写真は撮れませんでした)。
 やがて道の両側にお店が立ち並ぶようになり、中根前商店街に入りますが、まだお店が開いてなくて閑散とした感じなので、ここには帰りにもう一度通ることにして小田を目指します。
  目指す小田は北東を流れる桜川の対岸にあるので、この先の栗原にある桜橋で川を渡ることにします。中根前商店街を抜けた道が上り坂にかかる手前に右へ分かれる道があり、これを通って上境(かみざかい)集落を抜けると栗原方面へ行けるようなのでこの道に入ります(栗原は「歩いて発見!金田(こんだ)・桜川マップ」の範囲外)。
 上境は西側の台地の裾と東側の桜川の氾濫原の際につけられた道の両側に展開する静かな集落です。集落の入り口にほど近い体見(すがたみ)神社について、「歩いて発見!金田(こんだ)・桜川マップ」には「菅田郷の大宮としての信仰が厚い。ご神体の一つは戦国末期の作とされる。」と紹介されています。この菅田郷(すがたごう)は、明治30(1897)年刊の細谷益見編『茨城県町村沿革誌』(昭和51影印版 崙書房)の新治(にいはり)郡栄村の条に「◎沿革 本村ノ内 中根、松塚、金田、横町、土器屋、上境ノ六ヶ村ハ共ニ往古常陸国河内郡菅田郷ニ属シ年暦不詳新治郡ト為リ近世此数村ヲ境郷ト称ス」とあります。つまり菅田(すがた)郷の体(すがた)見神社は少なくとも近世の境郷成立前にはあったわけで、これを斎(いつ)く上境集落もまた相応に古い歴史を秘めているということになりますね。今回は体見神社は通過してしまったので機会を見つけてまた来たい。

 栗原から桜橋を渡ってしばらく行くと、道は筑波鉄道筑波線の線路跡を利用した自転車道「つくばりんりんロード」を高架で越えます。これをそのまま行って国道125号を走ってもいいのですが、交通量の多い道を車に追い越されながら走るのは気分があまりよろしくないので、ここから小田までりんりんロードを走ることにしました。休日は派手なウェアにゴーグル、ヘルメット姿でロードバイクですっ飛ばすサイクリストでにぎわっていますが、平日はのんびりしたもので、ランドナーのほーほ号でゆったり気分で走れます。

クリックで拡大  やがて小田城址まで来たので北東側の小田の集落の方へ曲がり込み、つくバスの「小田東」停留所のある交差点に着きました(「歩いて発見!小田マップ」では「つくバス 小田中央」となっている)。ここは小田城の北側を南北に貫き土浦から北条へと続いている道と、小田城の東側を南北に走る「大町」と呼ばれる通りが交差する所で、大きな案内板があります(左写真:自転車はほーほ号)。

クリックで拡大<右写真はこの交差点の角に庚申塔があったので、そちらへ渡ってこの看板を横から見たところ。写真を左右に横切っているのが土浦から北条へ続いている道です(右へ行くと土浦、左が北条方面)。>

クリックで拡大  この「大町」は道の両側に水路があり、家並みもどことなく風格があります(左写真)。「歩いて発見!小田マップ」に「通りの南端の三叉路には、三宝荒神(さんぽうこうじん)の石碑があり、土浦へ続く街道と城へ続く細道に分かれる。城に続く道でありながら細道なのは、攻略に備えたものだと思われる。」とあるとおりで、おそらくこの道は土浦から北条方面へ続く道から城へ向かう正面玄関であったのではないかと思われます。なお写真の正面の山は筑波山から続く尾根に連なる宝筐山(ほうきょうざん)で、小田からハイキングコースが出ています。
 この界隈を少し歩いた後、土浦-北条道を北条方向へ走りました。

クリックで拡大<右写真はこの道を進んだところに立っているもう一つの案内看板。主に宝筐山へのハイキングコースが載っています。この看板のある角を南へ入ると筑波鉄道の常陸小田駅に着きます。>

クリックで拡大<筑波鉄道が廃線になった後、常陸小田駅の駅舎は完全に取り壊されて今では何もありません。ただ駅前広場の一隅に「右小田城址」と大書した石碑が立っています。小田城址を目当てに当駅で降りたお客さんへの道案内だったのでしょう。ホームの基壇は残されています(左写真)が、そこへ着く列車はなく、「つくばりんりんロード」を走るサイクリストが通過するばかり。>

クリックで拡大  北条方面へ向かうと、小田の集落の外れに「後生車(ごしょうぐるま)」というものがあります(右写真)。高い石柱の真ん中あたりに細長い穴を穿(うが)って石製の円板を取り付けたもので、円板には軸が付いていて手で回せます。「歩いて発見!小田マップ」によると、これを一回転させるとお経を一回読んだことになり、そのようにして死者の供養や後生を祈ったものだそうです。車を回す時に立つであろう通りに面した面を正面とすると、背面に「明治三十三年六月」と刻まれてあり、意外と新しいなと思いました。
 正面には梵字の種字5字に続いて「爰立輪塔者為有無両縁離苦得楽矣」(爰(ここ)に輪塔を立つる者(は)有無の両縁苦を離れ楽を得んが為(ため)矣(なり))、
その左面には梵字の種字5字に続いて「若人来仏恵 通達菩提心」(若(も)し人来たらば仏恵み 菩提心に通達せん)、
右面には梵字の種字5字に続いて「父母所生身 速證大覚位」(父母により所生(うまれ)し身 速やかに大覚位を證せん)とそれぞれ刻まれています。なお( )内は私の試読で、誤読を畏れず出しておきます。
 またこの後生車の後方には庚申塔、青面金剛(しょうめんこんごう)庚申碑などが十数基集められていて壮観です。

 さて、ここまで来れば今日の一応の目的は果たしたことになります。欲を言えば、せっかく「歩いて発見!小田マップ」を持っているのだから、自転車をどこかに置いて集落内を歩き回りながら細かく見たいところですが、今回は自転車を置くのに適した所、たとえば公民館とかスーパーの駐輪場とかが見つかりませんでした。そう言えば栄の集落に入ってからここまで、どの集落でもコンビニやチェーンストアのスーパーをまったく見ていません。ある程度の集客が見込めないと出店しない店側の都合のせいでもありましょうが、またそうした業態の店がなくてもよい暮らしが営まれているのか、あるいは車でどこへでも行くのか・・・どうなんでしょうか。

クリックで拡大  まあせっかくここまで来たので、4月1日につくば道を歩いたときに見残した北条大池の桜を見ていくことにしました(左写真)。平日の午前中とあって人出は少なく、道端の露店ものんびりと出店準備をしています。確かに筑波山や宝筐山(ほうきょうさん)を眺めながら開けた水面に映る桜並木を見るのも気分のいいものです。

クリックで拡大<上の写真はこの日メインで使ったニコマートFT2 というフィルム用カメラに準広角レンズのニッコール35f2(Ai)を付けて撮ったものですが、実は中望遠レンズのタムロンSP90f2.5という、優秀だが重たいレンズも持ってきていたので、せっかく持ってきたんだから使おうと撮ったのが右の写真。左側に中途半端に写っている前ボケの桜はいっそない方がよかったと反省。90个任老覿匹海琉賈腓靴撮らなかった・・・。>

クリックで拡大  北条大池で短い休みをとった後、帰りは小田の常陸小田駅跡からつくばりんりんロードを走って、来た道を戻ります(左写真はりんりんロード脇に植えられた枝垂れ桜がきれいだったので、自転車を降りて常陸小田駅の方を振り返って撮った一枚)。

クリックで拡大 途中小田城跡を通りますが、本丸跡などの整備が進んでいるところで、そこはまだ立ち入り禁止でした。しかし筑波鉄道が走っていた頃とは隔世の感があります(右写真:写真左側が本丸跡、りんりんロードの右側は堀跡。停まっている自転車はほーほ号)。

クリックで拡大 と言うのは、筑波鉄道の線路はほぼ正方形の城跡の対角線上をまっすぐ走り抜けていたのです。そういうことを気にしない時代だったのでしょうね(左写真:小田城址を振り返って土浦側から撮ったもので、正面の城址の土壇に突き当たったりんりんロードは左へ折れて城址を迂回している。筑波鉄道の線路は土壇を堀割って一直線に走っていた)。

クリックで拡大  帰りは上境集落をバイパスして中根前商店街に入りました。しばらく行くと道が二股になった所に石の角柱の道標と二十三夜塔と馬頭観世音碑が一か所にまとめられています(右写真:手前が中根前商店街方面、奥へ行くと上境への分岐に至る)。
 石の道標には二股に面した面に「右当村字中根横町大(数字不明)中(不明)村及 土浦ニ至ル/(ずっと不明)旭(不明)村及 吉沼下妻町方面ニ至ル」その右側面には「中根村青年会中」とあるようですが、彫りの線が細くて浅い上に石の表面が荒れていて、とても読みにくい。おそらく明治以降のものと思われます。
 二十三夜塔は一番上に大きく梵字の種字があり、中央に「二十三夜塔」と大書し、その右側に「弘化二乙巳年 右つくは かち道 惣村中」左側に「■月吉祥日 左大そね 志もつま 願主 平嶋利右エ門 同茂右エ門 同加右エ門」と、これは明瞭に読み取れます(「■」はちょうど綱がかかった下になっていて読めなかった字)。
 馬頭観世音碑は中央に「馬頭観世音」と大書し、右側に「惣村中」、左側にも何か字がありますがよく読めず、中央の下部に「平島(不明)右衛門(不明)平島源兵衛」等の人名がいくつか書かれていますが、正直このあたりになってくると疲れて根気が続かずギブアップしました・・・また来よう(恥)。
 行きの「七曲り」では馬頭観音が道標を兼ねていましたが、ここでは二十三夜塔が道標を兼ねる例を見ることができました。弘化2年は1845年にあたります。

クリックで拡大  少し進むと八竜神社があり、境内に遊具やベンチがあったので、ここでもう一休み(左写真)。奥の桜はもう盛りを過ぎて、ひっきりなしに散っていき、花びらが風に乗ってこちらへ飛んでます。時刻はちょうど正午です。
 この神社の鳥居には「文化九壬申年二月吉日 惣村氏子中」と刻まれて赤が注してあり読みやすくなっていました。文化九年は1812年にあたります。

クリックで拡大<右:朝は開店前だった中根前商店街のお店も開きました。>

 ここから後は来た道をそのまま、ほぼノンストップで走り帰宅しました。うぁ〜腹減った・・・でもこの日もいろいろと発見があってよかった。近いうちに上境の体見(すがたみ)神社にお参りしなくちゃ。
 ちなみにこの日はつくば市内の小中学校の入学式がいっせいに行われていて、お昼過ぎの街を走っていると着飾った親子がたくさん歩いていました。中には着物のお母さんもいたし、ご両親そろっての姿もけっこう見ました。気合入ってるな〜。天気もよし桜も咲いて、絶好の入学式日和でしたね。しかし平日(火曜日)なのにお父さんお仕事大丈夫なんですか・・・って、他人の心配する前に自分の心配しろよ(爆)
| 地域とくらし、旅 | 10:39 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
通りすがりにHP拝見しました。茨城の歴史好きです!
つくば市栄にある学校の様な建物は昔の病院なんです。私はその建物で産まれました。病院の後、産婦人科になり、婦長さんがお産婆さんしてましたが40年近く前に閉院してます!
| あい | 2017/04/21 11:22 PM |
あいさん、コメントありがとうございます。
なるほど、あの建物は病院だったのですか。普通のお家の建物とは違う雰囲気があって気になったのですが、すっきりしました。あいさんがそこでお生まれになったというのもびっくりです。昔はこのあたりの人々にとって貴重で大切な病院だったのでしょうね。
閉院してから相当な年数が経っても、あの建物が残っていたおかげで、地域の歴史の小さな、でも大事なかけらが一つ掘り起こされたと思います。ありがとうございました!
| ほーほ | 2017/04/22 9:26 AM |
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