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2014年2月奈良行き 2.京都からJR奈良駅へ 棚田嘉十郎碑
奈良線奈良行き各駅停車 (承前) さて、朝の6時過ぎに京都駅八条口に降り立った私は、まずはJR奈良線で奈良へ向かおうと9番線ホームから出発する奈良線奈良行き6時43分発に乗り込みました。車両は昔の国電型の103系、懐かしい!緑色の地にせんとくんや「古都奈良の文化財世界遺産登録15周年」の記念の塗装が施されている、なかなか賑やかな車両です。時間も時間なので車内は空いていました。

奈良線103系奈良線ラッピング<左写真はせんとくんと燦然と輝く(?)クハ103-226の表示。103系電車はJR東日本ではもう見られないみたいです。ちょっとおでこが広めで運転席窓がやや低い位置に付いているのが懐かしい。右写真は「古都奈良の文化財世界遺産登録15周年」と左から元興寺・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡の写真4連発。豪華です。>


 ところで途中の黄檗(おうばく)駅から、一人の女子高生が乗ってきました。他に同じ高校に通う子はないようで、それからもずっと一人です。制服をきちんと着てマフラーに顎を埋め、肩より少し長い黒髪、前髪は眉毛で切りそろえマスクをかけているので、切れ長の目ばかりが目立ちます。この年代の子にありがちな携帯をいじるでもなく、本を読むでもなく、ときどき車内を見渡しながらドアの脇に立ったまま思いにふける風情です。
変わった子だなぁ、と思いました。黄檗から京都方面へ向かうのならともかく、JR奈良線で奈良方面って、こんな方に高校あるのかなぁ・・・。どこまで乗っても同じ高校に通う友人らしき人物、それどころか男女問わず高校生そのものが一向に現れないし、しかし学校サボって遊びに行くならこんな田舎の方じゃなくて、やっぱり京都方面でしょ。だいたいそんな感じでもないし。
 結局この子は木津で降りました。木津は奈良線と関西本線(大和路線)と片町線(学研都市線)の分岐駅です。府立木津高校の生徒かも知れんし、ひょっとしたら学研都市線に乗り換えて、どこかええとこの高校に行くのかも知れん。しかし一人ぼっちの通学はつまらなくないかのかな。いやいやそういえば高校時代は自分もわりと一人で通学していたな、おかげで長篇小説なども苦もなく読んだっけ・・・などと自分の昔を思い出したりしているうちに、電車は早くも奈良駅に近づいて行きます。黄檗から木津までずっと一人ぼっちの不思議な女子高生、がんばりや!

JR奈良駅ホーム  そうそう、JR奈良駅も私が40年奈良にいない間に大きく変わりました。2002年から工事が始まって、2010年に高架駅になったのです。そうなる前はもちろん地上駅で、開業は1890(明治23)年。1934(昭和9)年に完成したお寺さんみたいな形の立派な駅舎で長く親しまれていました。その頃はこの奈良駅から木津方面へ南北方向に国鉄線(当時)が走っていたために、近鉄奈良駅から西へ大阪方面に向かう近鉄電車はこれを跨線橋で越えていて、その跨線橋上に油阪駅のホームがありました。わざわざそんな駅を構えたのは国鉄との乗換の便を図ったものでしょう。それにその頃は近鉄奈良駅も地上駅で、近鉄奈良から油阪の間の近鉄電車は、特急も各駅停車も6両編成も8両編成もみんな今の大宮通りを路面電車状態で走っていたのです。近鉄奈良駅が地下駅になり、近鉄電車が今の新大宮駅まで地下を走るようになったのは昭和45(1970)年の大阪万博がきっかけで、当時のことは私も記憶にあります。そして近鉄電車が地下に潜ってからも、大宮通りは国鉄線を高架で跨いで越えていました。ところが今はJRの連続高架化によって跨ぐものと跨がれるものの主客が逆転し、JRが大宮通り(とその地下の近鉄線)を跨いでいます。うーむ歴史って・・・。JR奈良駅改札口
<上左写真は高架になった奈良駅のホーム。木津方面を向いて撮ってます。右写真はホームから下へ降りたフロアにある改札口。まだピカピカです。上述のとおり私が奈良に住んでいた頃はまだ地上駅で旧駅舎が現役だったので、地下に潜った近鉄奈良駅がピカピカで、国鉄(当時)奈良駅はふるーいイメージでしたが、今は完全に逆転してますよ。>

JR奈良駅東口  これに伴い駅舎もリニューアルされましたが、あのお寺さんみたいな立派な旧駅舎は曳家によって18m動かされ、現在の位置で奈良市総合観光案内所として使われています。やっぱりこの旧駅舎も奈良のシンボルの一つなんやね。
<左写真の奥が旧駅舎。交差点に面して建っているのが春日大社参道を示す常夜灯と、今回の奈良行きの目的の一つである棚田嘉十郎の碑。>
 
常夜灯と棚田嘉十郎碑正面常夜灯と棚田嘉十郎碑側面  さて、JR奈良駅東口の広場に今回の目的の一つである棚田嘉十郎の碑があります。駅の北側を奈良市の目抜き通りである三条通りが走っており、ここが春日大社への参道となっているため、東口広場の北端には春日大社参道入り口を示す高さ4m以上もありそうな大きな常夜灯が一対建っています。このうち北側の常夜灯に寄り添うように、これも高さ3mはあるだろう石の角柱が建っており、駅前広場に向いた面に「平城宮大極殿跡是より西乾(「是より」「西乾」はそれぞれ細字で二行に記す)二十丁」と筆太に刻まれており、その左側面には「明治四十三年三月建之 棚田嘉十郎」とやはり筆太に刻まれています。また右側面のやや下部には細字で「石工 浦西鹿蔵」と刻んであるようです。これが棚田嘉十郎の碑で、奈良駅の開業は前述のとおり明治23年ですので、それから20年後に建てられたものです。ちなみに碑文の「乾」は「いぬい」で、北西の方角を指します。乾いてるわけやあらへんで!
<左写真は碑文正面、右写真は右側面。比較対象物が写っていないので大きさがもうひとつわかりませんが、現物を見ると「でかい!」と圧倒されます。>

棚田嘉十郎碑正面棚田嘉十郎碑説明板  またこの碑の足元に「棚田嘉十郎建立平城宮跡碑保存会」が建てた御影石製の説明板があり(上の右写真の碑の左側足元に写っている)、表面に次のように刻まれています(■は写真で判読できなかった字、「/」は改行を示す)。
「この碑は特別史跡平城宮跡/の顕彰保存に■の生涯をかけ/赤貧のうちに自害した植木職/棚田嘉十郎氏が建立した/もので彼の偉業を後世に/伝えるためここに移転保存する
  昭和四十六年一月
    棚田嘉十郎建立平城
    宮跡碑保存会」
さらに裏面には
「小清水卓二 書

     世話人
      溝辺文和
      中本宏明
      萩原富男
      松井喜三」
と刻まれております。
 この説明板によると、この碑は元々は別の場所にあったのを昭和46(1971)年にここへ移転したもののようです。この前年には大阪で例の万博、「日本万国博覧会」が開かれており、それ関連で前述のとおり近鉄電車が地下へ潜ったりしているので、この碑の移転もそういった開発の余波を受けたものだったのでしょうか。
<上の左写真は碑文正面、右写真は説明板の表側。>

 棚田嘉十郎については、私が初めて彼のことを知った『大学的奈良ガイド――こだわりの歩き方』(奈良女子大学文学部なら学プロジェクト編 2009 昭和堂)から引用します。

「奈良公園の造成にもたずさわった添上郡東里村出身の植木職人棚田嘉十郎(東笹鉾町)が、明治三〇年代になると、まずは平城神宮建設運動に、次いで平城宮跡保存運動に挺身するようになるが、その成果がようやく現れ始めた一九二一(大正一〇)年、突然自刃してはててしまうのである。平城宮跡に今も立つ「平城宮阯保存紀念碑」を見れば、棚田嘉十郎が平城宮跡保存の自他共に認める功労者であったことは明らかである。その彼が、翌年には平城宮跡が国の史跡に指定されるというその段階になって、突如奇怪な死を遂げてしまうのである。何とも不可解な出来事ではないか。」(前掲書pp.17-18)

 植木職人の棚田は、奈良駅の乗降客から「平城宮跡はどこにあるのか」と尋ねられても此処と示すことができないのを悔しく思い、私費でこの碑を建てたと伝えられています。そして説明板の本文にもあったとおり一身をなげうち私財を注ぎこんで平城宮跡の保存顕彰に打ち込んだのでした。そんな彼の死については悪い人に騙されて一文無しになったためだ等様々な説とも噂ともつかぬものが流布していますが、彼の突然中断された生涯を思うとき、J.S.バッハの「フーガの技法」の最後の未完のフーガに聞くような、何とも言えない悲劇性と衝撃を感じずにはいられません。ちなみに前掲の引用箇所を書かれた小路田泰直(こじた・やすなお 奈良女子大学文学部教授)氏は、棚田の死について「結局想像を逞しくするしかないが」と断りつつも、棚田にとって平城宮跡の保存は単なる遺跡の保存ではなく「愛市心」涵養の場としての「平城神宮(祭神=聖武天皇)」としての保存でなければならず、「だから遷都一二〇〇年祭以降の、運動が単なる平城宮跡保存運動に矮小化していく様は、彼にとって堪えがたいことだったのだろう。」(前掲書pp.18-19)と示唆しておられます。そうかも知れないしそうでないかも知れないが、いずれにしても一昨年の2012年に平城遷都1300年を祝ったばかりの私たちと奈良の町は、棚田の目にはどのように映っているのか。

  平城宮跡顕彰の先覚者にして悲劇の人、棚田嘉十郎
  あなたの御魂(みたま)の安からんことを
  そして私たちの子々孫々の世まで
  奈良の人々とその暮らしを愛し嘉(よみ)し給わんことを

続く…


 
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