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ミュンシュのブランデンブルク協奏曲
 最近シャルル・ミュンシュがボストン交響楽団を指揮したバッハのブランデンブルク協奏曲全曲(1957年録音)のCDを入手しました。今では交響楽団のような大きい編成のオーケストラがバッハを演奏する習慣は管弦楽組曲第3番の「エア」(「G線上のアリア」の原曲)や「マタイ受難曲」などの一部の例外を除いてほとんどなくなってしまいましたが、1960年代頃までは「管弦楽組曲」や「ブランデンブルク協奏曲」などがオーケストラの演奏会で演奏されることがあったのです。
 バッハを始めとするバロック音楽の演奏主体はここ数十年の間に大編成のオーケストラから室内管弦楽団のような小編成のアンサンブルへ、さらに作曲当時の楽器や編成による古楽専門の団体へと移ってきたのですが、私見ではこうした経過をたどるうちに古楽というジャンルは次第に学問的な色彩を強め、演奏者も聴き手もともに高度に専門化し、テクストがどうの楽器がどうの演奏様式の細部がどうのという能書きが重視され、「ふつう」のクラシック音楽からの差別化が進んでいきました。そして「ふつう」からの差別化が先鋭化した結果、ノン・ヴィブラートに象徴されるような古楽特有の美しさ・美意識を「ふつう」のクラシック音楽のそれに対置し並立させようとする「擬古楽派」が生まれてきて今日に至る、というのが今のところの私の古楽受容史理解の大筋です。そうした流れを踏まえて、古楽専門ではないオールラウンドの指揮者とオーケストラによるちょっと昔の演奏を聞いてみると、まだバッハやヘンデルが「ふつう」のクラシック音楽の文脈の中にあって、今日の古楽の演奏様式からすればあり得ないような、おおらかなやり方で演奏されながら、「ふつう」のクラシック音楽の聴き手を楽しませていた様子がうかがえて興味深いのです。ミュンシュ/ボストン響のブランデンブルク協奏曲も、やはりおおらかな演奏で楽しめるものでした。

 全6曲の中で、そういう意味で最も楽しめたのは第5番でした。この曲はふつう通奏低音グループの一員として縁の下の力持ちに甘んじているチェンバロをフルート、ヴァイオリンとともに独奏楽器の地位に引き上げ、しかも第一楽章の終わりには長大かつ技巧的なカデンツァを割り当てている画期的な名曲ですが、この録音ではこのチェンバロのパートがピアノで弾かれています。しかもそのピアノを弾いているのは作曲家・指揮者として知られている(つまりピアニストとしては知られていない)ルーカス・フォス。チェンバロが普及する以前にはこのパートがピアノで弾かれていたという話は聞いていましたが、実際に聞いたのはこれが初めてです。しかも1957年当時のタングルウッドにチェンバロがなかったのかというとそうではなく、第5番以外の曲の通奏低音はしっかりチェンバロで弾かれているのです。つまりチェンバロが使えたにもかかわらず、ミュンシュかフォスかその他の誰かかはわかりませんが、とにかく誰かが敢えてピアノで弾くことを選択したのです。これはこの当時ならではのことで、つまりチェンバロが普及しておらずピアノしか選択肢がなかった時期と、チェンバロが普及したのでそれ以外の選択肢の必要がなくなった時期とにはさまれたほんのこの一時期だけに、ピアノとチェンバロを等価のものとしてどちらでも選択できるという状況があったのでした。
 チェンバロに比べてピアノの方が純音に近く音程が聞き取りやすいので、チェンバロだと「なんかジャラジャラいってるな〜」としか(特にうちの安い&古い再生装置では)聞こえない旋律線がしっかり聞こえるのと、フォスが声部を実にたくみに弾き分けてくれているおかげで、チェンバロのパートがすごく新鮮でおもしろく聞こえてくることは特筆すべきでしょう。この録音を聞く限りフォスは間違いなく名手です。明快で均質な音、落ち着いたテンポと行き届いた目配り、そして何より決して騒がしくならず控えめでしかも背筋の伸びた音楽の作りが実に魅力的です。彼のピアノはピアノならではの技巧や美音を聞かせる「目的としてのピアノ」ではなく、多声部を明確に表現するための「手段としてのピアノ」に徹しているのです。第一楽章のカデンツァも、少しもピアノピアノした嫌らしさがなく立派ですし、三つのソロ楽器だけ(トリオ・ソナタと見てチェンバロ左手のバス声部にチェロを重ねることもありますが、この盤では3人のソリストだけが演奏)が歌い交わす第二楽章では、チェンバロにはないふくらみと潤いが新鮮。たとえば黄葉で明るい古城の部屋に一人いて、磨き込まれた木象嵌の床板に窓越しの午後の日が射したり翳ったりするのをじっと見ているような、からりと乾いた哀しみを感じさせるチェンバロよりは、もう少し人懐かしいとでも言ったらいいのか。20世紀−21世紀人としては、オリジナルとは別物と承知しながらも、ピアノで聞くバッハも悪くないと改めて感じた次第です。このピアノが聴けただけでも、このセットを買った甲斐がありました。

 とは言いながら、第5番でのピアノの使用以外にも今の感覚とは違う強弱やテンポの動かし方、田舎っぽいというか洗練されていないというか、今と比べるとずいぶんもっさりした当時のボストン響のアンサンブルなど、ユニークな聴き所いっぱいのミュンシュのブランデンブルク。1957年といえば既に古楽演奏の草分け的存在であるバーゼル・スコラ・カントルムやアーノンクール率いるコンツェントゥス・ムジクス・ヴィーンが活動を始めていた時期ですが、ミュンシュ盤では当時圧倒的に多数であった「ふつう」のクラシック音楽ファンがおおらかに楽しんでいたバッハ像を垣間見ることができるのです。
| オーケストラ活動と音楽のこと | 21:06 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
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協奏曲がいっぱい
アシュケナージさんと、このルービンシュタインさんの演奏が私のお気に入りです。・◇クラシック音楽舘◇カラヤン:ヘンデル合奏協奏曲作品6・[音楽][クラシック]「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」ラフマニノフ・[そのほか][クラシック音楽]ドラマ版のだめ第5話とラフマニノ
| クラシックがいっぱい | 2007/05/02 5:11 PM |

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