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山田和樹指揮・東混・東響の「土の歌・筑後川」を聞いて

土の歌・筑後川 iTunes で他の曲の音源を漁っていてたまたまこのCDが目に付きました。「筑後川」の第四曲「川の祭」や終曲「河口」、「土の歌」の終曲「大地讃頌」は人気曲で、私の高校の音楽部(混声合唱)も歌っていたし、私も「大地讃頌」は歌ったことがあります。もちろんいずれもピアノ伴奏で。
 「筑後川」のオーケストラ伴奏版は作曲者の團伊玖磨が指揮した福岡合唱連盟合唱団・九州交響楽団による演奏をエアチェックのカセットテープで持っていますが、当然もっといい音で聞きたいし、「土の歌」はピアノ伴奏の「大地讃頌」以外は未聴なので、さっそくダウンロードしました。

 私はここ十数年、いやもっとかな、プロの合唱団の演奏を聞いていなかったので、この録音を聞いて驚きましたね。昔のLPやCDでなじんでいた東京混声合唱団の発声や響かせ方とは違って、今風というか、力まずしなやかな発声でビブラートも抑制され、一昔前のクレヨンでぐいと描いたような力強くみっちり詰まった響きやカンタービレな歌いこみ方ではなく、もっと透明で柔軟で、ちょっと古楽の合唱っぽい感じになっているように思いました。特に弱音の部分の透明さが際立って美しい!オーケストラに古楽奏法が取り入れられつつあるように、私がずっとオーケストラや器楽方面にかまけていた間に、合唱界にもそうした動きが進んでいたのでしょうか。

 指揮者の山田和樹はオーケストラにもそうした傾向の音を求めたようで、全体として美しい響きを基本に彫琢を凝らし磨きぬいて、すべての曲を豊かに充実した音楽作品として提示しているという印象を受けました。音楽的に聞き応え十分で、東混のレベルの高さも堪能でき、聞いてよかったと思いました。
 しかしそれと同時に「筑後川」の演奏については、これはこの曲のまさに2011年3月3日(演奏・収録日)の姿であり、かつて作曲者自身の演奏で聞いた姿からかなり違っていることに驚きました。それが良いとか悪いとかではなく、作品が作曲者の手を離れ後代に受け継がれていく上で不可避に被る変容の現場に、私は立ち会ったのかも知れないなぁ、と感じたのです。

 「筑後川」は1968年(オーケストラ版は1970年)、経済的には高度成長期で、今は苦しくても努力すれば必ず明るい将来が待っていると信じることができ、それが漸く実現してきた時期に書かれ、歌われてきた曲です。そして1961年生まれの私もそのような時代の空気の中でこれらの曲を聞いてきました。
 バブルの発生からその崩壊(1980年代後半から1990年代初め)までにはまだ間があったこの時代、私が親しんだ演奏には明るい熱気がこもっていました。基本、元気に生き生きと、大きな声で気持ちよく歌う、って感じでしょうか。ビブラートだってかけたいだけかけて、思いを込めて歌いこんでいくスタイルです。
 試しに上述の作曲者自身の指揮による「筑後川」のカセットテープを久々々々に取り出して聞いてみました。演奏・録音時期は、放送の音源がおそらく東芝のLPなので調べればわかるのでしょうが、1970年代初頭と思われます。
 エアチェックのカセットテープの貧弱な音では演奏の細部はわかりませんが、演奏の技術的なレベルや音楽的な彫琢という点では團盤は山田盤の比ではないでしょう。山田盤はスケール大きくじっくりと歌い込んだ誠に立派な演奏だし、その一方で「みなかみ」や「銀の魚」の冒頭の弱音も本当に美しい。しかしざわざわぴちぴちキラキラした動きや幸せな熱や光や風に満ち、筑後平野の人々の生活の幸への祈りすら抱いているはずの「筑後川」の姿が、山田盤ではあたかもハイキーでしかも諧調豊かな極上のモノクロプリントのようにしか浮かび上がってこないのです。1970年代の「筑後川」が持っていた鮮やかな色や生き生きとした動き、そしてあの「熱気」が、2010年代の「筑後川」から伝わってこないのはなぜなのか。

 私は、團盤が山田盤を凌いでいるのは「歌詞の世界の描写・表出」という点においてであろうと思います。團盤の演奏は基本のテンポが山田盤より速めなせいもあり、音楽が全体に明るく幸せに聞こえ、それが基本的に肯定的で明るい「筑後川」の歌詞世界と非常によく合っている。これに対して山田盤のアプローチと演奏様式は音楽的な表現は精緻だが、歌詞の世界を描出することにかけてはいささか淡白なのではないでしょうか。
 團伊玖磨は作曲の過程で否応なしに歌詞世界と深く関わらざるを得なかったはずで、自演にも自らが対峙した歌詞への思いが反映されていたかも知れません。それに対して山田和樹は当然のことながら最初から楽譜になっている「筑後川」に向かい合ったわけで、そこに違いが出てくることは自然だし不可避とも考えられる。あるいは山田盤の現代的な演奏様式・演奏傾向と1960年代の歌詞世界との相性の問題かも知れません。いずれにしてもこの演奏は、自演盤を聞いている私にとっては、歌詞世界の表現という点で不満の残るものでした。
 しかしこれがこれから歌われていく「筑後川」の姿だとすれば、それを受け入れるしかありません。あの幸せな熱と光は「古い様式 ars antiqua」として封じられてしまうのでしょうか。うーん年齢を感じるなぁ・・・

 「土の歌」においては、山田盤は「筑後川」の場合よりもはるかに成功しています。もちろんもっと昂揚した表情での、そう、ars antiqua な演奏もあり得るでしょう。しかしこの曲に関しては、山田盤の時に聖歌のように聞こえる清澄あるいは重厚な響きがもたらす表情と歌詞世界との齟齬はあまり感じられず、「地上の祈り」の最後の響きが消えたあと、抑えたテンポと最弱音で遠くから湧き上がるように「大地讃頌」が始まるあたりの劇性は私の中ではマーラーの「復活」を凌ぎ、思わず涙があふれました。かつて自分たちの歌った「大地讃頌」がいかに脳天気に思えたことか!
 それにしても佐藤眞の合唱組曲の終曲って、「大地讃頌」も「早春(「蔵王」)」も「行こうふたたび(「旅」)」も、そう言っちゃなんですがどれも似たような作りなのに、何回聞いても歌ってもやっぱり感動してしまう。悔しい。けど、降参です。

 もうひとつ、このアルバムの冒頭に収められている「鴎」について。混声合唱曲集「夢みたものは」には無伴奏で収められているそうですが、これはオーケストラ伴奏付き。私はこの曲を初めて聞きましたが、三好達治が終戦の翌年の昭和21年に書いた詩に基づいているそうで、すると何回も繰り返される「ついに自由は彼らのものだ」というフレーズは戦争が終わった喜びを表しているかとも思われますが、戦死してようやく自由になった兵士達の魂を歌ったという解釈もあり、自由が「我らのもの」ではなく「彼らのものだ」とされていることからして後者の解釈がより妥当するようであり、曲想も後者をより強く支持しているように感じられます。切なく美しい、いい歌にめぐり会うことができました。

| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 20:18 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
「土の歌」をオケで弾いた経験がある者としては、なかなか興味津々です。iTunes、漁ってみようっと。
教えて頂いてありがとうございます!
| OKAR | 2012/03/13 11:20 PM |
おお、「土の歌」をオケでお弾きになったとは!
これ、普通のCDでも出ていますから、おそらくそちらをお買いになった方が演奏や録音に関する情報が豊かでよいのではないかと思いますよ。私は今さら普通のCDは買えない(二重の出費になってしまふ・・・)ので、実はちょっと後悔してます。
| ほーほ | 2012/03/14 7:52 PM |
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