2011.09.02 Friday
私の野外飲み
家でくつろいで飲む酒も、お店でおいしい料理と飲む酒も、また居酒屋で気心の知れた仲間とわいわい言いながら飲む酒もそれぞれにおいしいものですが、野外で飲む酒、それもビヤガーデンとか川原のバーベキューとかではなく、そうした人臭い賑やかさから離れて、一人静かにあるいはせいぜい数人で、ちょっぴりほろ酔い加減に飲む酒もまたいいものです。
たとえば梅雨の頃、人気(ひとけ)のない御岳山(みたけさん:東京都青梅市)のロックガーデンの滴るような緑の中で一人飲んだ小瓶の白ワインとか・・・
たとえば会社の仲間二人と夜行日帰りで9月下旬の尾瀬ヶ原を堪能した後、鳩待峠の近くで開けたハーフボトルのロゼワインとか・・・
たとえば秋晴れの一日に外秩父の低山を歩いていて、眼下に広がる町の正午のサイレンを遠く聞きながら傾けたやはり小瓶の白ワインとか・・・
<写真はイメージで・・・はなく、御岳山ロックガーデンと外秩父のまさにその時のスライド。当時使っていた Nikon F2 フォトミックAS と Nikkor 35mm f2S で撮ったもの。フィルムはフジクローム100プロ RDPです。撮影が昭和61(1986)年とかですからもう四半世紀経ってますが、まだまだ鑑賞に耐えまっせ。尾瀬はネガカラーで写真撮りましたが、今ちょっと見つかりません。>
たとえば梅雨の頃、人気(ひとけ)のない御岳山(みたけさん:東京都青梅市)のロックガーデンの滴るような緑の中で一人飲んだ小瓶の白ワインとか・・・
たとえば会社の仲間二人と夜行日帰りで9月下旬の尾瀬ヶ原を堪能した後、鳩待峠の近くで開けたハーフボトルのロゼワインとか・・・
たとえば秋晴れの一日に外秩父の低山を歩いていて、眼下に広がる町の正午のサイレンを遠く聞きながら傾けたやはり小瓶の白ワインとか・・・
<写真はイメージで・・・はなく、御岳山ロックガーデンと外秩父のまさにその時のスライド。当時使っていた Nikon F2 フォトミックAS と Nikkor 35mm f2S で撮ったもの。フィルムはフジクローム100プロ RDPです。撮影が昭和61(1986)年とかですからもう四半世紀経ってますが、まだまだ鑑賞に耐えまっせ。尾瀬はネガカラーで写真撮りましたが、今ちょっと見つかりません。>
思い出す情景はいろいろありますが、要するに一人であるいは気心の知れた仲間せいぜい2〜3人で、静かに周りに溶けながらひっそりと飲むので、しかも「一杯一杯復一杯」(後出)の臨界の手前のほろ酔いに止めるところが急所です。つまりこの野外飲みは周囲の美しい自然や風情に一層深くのめり込み味わうのが目的であって、酒は自分をより周囲に開くために気分を高揚させる手段に留まるのです。
私がこういう飲み方を始めたのは尾崎喜八(おざき・きはち:詩人、1892-1974)の影響で、彼の詩や散文には山で酒を飲む場面を含むものがいくつかあります。それらの中で一番知られているのは詩文集『山の絵本』に収められた「一日の王」でしょう。
―――嚢(ふくろ)の中には巻パンと葡萄酒、愛読のシェーヌヴィエールの詩集一冊。
―――先ず揉革に包んだ切子のコップを取り出して、小壜に詰めた葡萄酒をそそいでぐっと飲む。旨い! もう一杯。気が大きくなる。それからフロマージュ入りの棒パンをかじりながら水筒の水を飲む。
念のために、この「一日の王」を含む『山の絵本』が出版されたのは昭和10(1935)年、今から75年も前、第二次世界大戦の前のことです。『山の絵本』は文庫本でも出ていますので、興味のわいた方はぜひご一読を。
尾崎喜八の山旅では、あるときはエビスビールを飲んだりもしたようですが、当時のビールは瓶ビールですからさぞ重かったことでしょう。
権現様へ臀(しり)を向けて、
しょい上げて来たエビスビールは抜くものの、
さすが越後の風は荒っぽいな。
(『高原詩抄』(昭和17 [1942]年)より「三国峠」)
<写真左は私が尾崎喜八の詩と出会うきっかけとなった新潮文庫版の『尾崎喜八詩集』(昭和28)。学生時代、古文書実習に参加するため伊那に行く途中に立ち寄った茅野の町の古本屋で何気なく手に取ったもの。巻末の三好達治の解説まで全て旧字旧かな。
写真右は創文社版「尾崎喜八詩文集」(全10巻)の4『山の絵本』(昭和34)。ケースは旧字、帯は新字だが本文は新字新かな。大学を卒業して就職したばかりの頃、神田の東京堂書店に全巻揃いがあるのを見つけ、毎月1、2冊ずつ半年以上かけて買い揃えた私の宝物。>
さらにもうひとつ伏線があって、それは唐の詩人李白の詩です。「両人対酌山花開 一杯一杯復一杯」(「山中与幽人対酌」)や「花間一壺酒 独酌無相親」(「月下独酌」)は酒人が愛誦して止まない千古の名句。彼も野外で楽しく飲んだようです。
しかしそこは李白、既に一杯一杯復一杯、止められない止まらない臨界状態に達していて、その結果眠くなって寝てしまったり(「山中与幽人対酌」)、月の光を浴びて一人踊り狂ったり(「月下独酌」)するので、その辺りは私の野外飲みとは違います。山歩いててそこまで飲んじゃったらもう山道を上りたくなくなっちゃうし、山に限らず海でも川でもどこでも危険極まりない。くれぐれもほろ酔いを超えてはなりませぬ。
私がこういう飲み方を始めたのは尾崎喜八(おざき・きはち:詩人、1892-1974)の影響で、彼の詩や散文には山で酒を飲む場面を含むものがいくつかあります。それらの中で一番知られているのは詩文集『山の絵本』に収められた「一日の王」でしょう。
―――嚢(ふくろ)の中には巻パンと葡萄酒、愛読のシェーヌヴィエールの詩集一冊。
―――先ず揉革に包んだ切子のコップを取り出して、小壜に詰めた葡萄酒をそそいでぐっと飲む。旨い! もう一杯。気が大きくなる。それからフロマージュ入りの棒パンをかじりながら水筒の水を飲む。
念のために、この「一日の王」を含む『山の絵本』が出版されたのは昭和10(1935)年、今から75年も前、第二次世界大戦の前のことです。『山の絵本』は文庫本でも出ていますので、興味のわいた方はぜひご一読を。
尾崎喜八の山旅では、あるときはエビスビールを飲んだりもしたようですが、当時のビールは瓶ビールですからさぞ重かったことでしょう。
権現様へ臀(しり)を向けて、
しょい上げて来たエビスビールは抜くものの、
さすが越後の風は荒っぽいな。
(『高原詩抄』(昭和17 [1942]年)より「三国峠」)
<写真左は私が尾崎喜八の詩と出会うきっかけとなった新潮文庫版の『尾崎喜八詩集』(昭和28)。学生時代、古文書実習に参加するため伊那に行く途中に立ち寄った茅野の町の古本屋で何気なく手に取ったもの。巻末の三好達治の解説まで全て旧字旧かな。
写真右は創文社版「尾崎喜八詩文集」(全10巻)の4『山の絵本』(昭和34)。ケースは旧字、帯は新字だが本文は新字新かな。大学を卒業して就職したばかりの頃、神田の東京堂書店に全巻揃いがあるのを見つけ、毎月1、2冊ずつ半年以上かけて買い揃えた私の宝物。>
さらにもうひとつ伏線があって、それは唐の詩人李白の詩です。「両人対酌山花開 一杯一杯復一杯」(「山中与幽人対酌」)や「花間一壺酒 独酌無相親」(「月下独酌」)は酒人が愛誦して止まない千古の名句。彼も野外で楽しく飲んだようです。
しかしそこは李白、既に一杯一杯復一杯、止められない止まらない臨界状態に達していて、その結果眠くなって寝てしまったり(「山中与幽人対酌」)、月の光を浴びて一人踊り狂ったり(「月下独酌」)するので、その辺りは私の野外飲みとは違います。山歩いててそこまで飲んじゃったらもう山道を上りたくなくなっちゃうし、山に限らず海でも川でもどこでも危険極まりない。くれぐれもほろ酔いを超えてはなりませぬ。