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「カントリー・ロード」の歌詞
 11月に行う予定の小学校での演奏会で「カントリー・ロード」を演奏することになりました。私は基本的に映画見ない人なので知らなかったのですが、ジブリ映画でこの曲が日本語の歌詞付きで使われて人気が出たそうです。演奏をバックに学校のみんなが歌ってくれるのかな?
 私らの世代ですとこの曲はジョン・デンバーの歌でおなじみ。洋楽に疎い私でもサビの部分くらい(だけ)は口ずさむことができますともさ。

Country roads, take me home
to the place I belong
West Virginia, Mountain Momma,
take me home, country roads.

カントリーロード、俺を故郷へ連れて行け
「俺はここの者だ」と言える、あの場所へ
ウェストバージニア、マウンテン・マンマ、
故郷へ連れて行け、カントリーロード

 ところでネットでも話題になってますが、映画で使われた日本語版の歌詞はオリジナルの英語の歌詞の内容とかなり違うのですね。オリジナルの歌詞は上のとおり「故郷に帰るぞ!」という内容ですが、日本語の歌詞は故郷に帰りたいけど帰らないぞ、と言ってるのです。以下その箇所を引用しますと、

カントリー・ロード この道 
故郷へつづいても
僕は 行かないさ
行けない カントリー・ロード

カントリー・ロード 明日は
いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード

 オリジナルの「Take me home, country roads」ではジョン・デンバーが「俺は帰るぞ、懐かしい故郷へ!畜生、なんでもっと早くそう思わなかったんだ!」と開けっぴろげに明るく叫ぶのに対し、日本語歌詞の「カントリー・ロード」は「帰りたい 帰れない さよなら」ですから、ずいぶん違いますね。なぜ帰りたいけど帰れなくて帰らないのかは映画を見るとわかるのかも知れませんが、私はこの歌を単独で聞いて、正直「何て古臭い歌詞!」と思ってしまいました。今の時代に受けてる歌だから「古臭い」は当たってないかも知れませんが、ひょっとして一回りして追いついたみたいな感じなのかな?なんて。以下は私(50歳男性)の言いたい放題です。

 私がこの歌を聞いて最初に思い浮かべたのは、谷山浩子の「ねこの森には帰れない」(1977年)でした。

ねこの森には帰れない 帰る道だっておぼえてない
ねこの森には帰れない なくした歌は うたえない

 もっとも「ねこ森」の歌詞は懐かしさもあるけどもっとふっ切れてて、「思い出すなんてしたくないの 淋しいのはいやだから」なんていうあたり、「カントリー・ロード」より明るくて前向きかな、と思います。
 しかし「帰りたい 帰れない」またはこれに類似の「〜たいけど〜できない・しない・諦める」という葛藤−抑圧パターンの歌詞世界は本来演歌の得意とするところだし、遡って井沢八郎の「ああ上野駅」(1964年)なんかも故郷を離れて都会で頑張る歌だし、故郷を離れて頑張るといえば万葉集の防人の歌なんかもそうだし・・・と思いはどんどん時代を遡り、もはや「古臭い」を通り越して、これはもう日本人の心性に根ざした情緒につながっているのではないかというところまで行ってしまいました(笑)。「ゴレンジャー」に始まる戦隊ものシリーズが今日まで続いているのは歌舞伎の「白浪五人男」を踏襲しているからである、という話を聞いたことがありますが、「帰りたい 帰れない」もそういう歴史的な根っこを持つものゆえに、今日受けているのかも。

 しかしそれはそれとして、私が「カントリー・ロード」を聞いて反射的に「古臭い」と感じたもう一つの理由は、もう二度と帰らないつもりで故郷を出て都会で一人で頑張って強がって・・・という生き方を積極的に肯定し称賛するのは、1960年代からバブルまでの高度経済成長期の感覚じゃないか、と感じたからです。近年では同じ故郷を離れて頑張る歌でも、成底(なりそこ)ゆう子の「ふるさとからの声」(2008年)のように「母なる流れの宮良川(みやらがわ)よ 父なる姿の於茂登岳(おもとだけ) 心の道は変わらない景色」と素直に故郷を称え思いを馳せる歌もあるのに、そんなに頑なに強がって、故郷から目を背けて、避けて、結果として捨てて、それで結局都会も田舎もこの国全体もよくなったか?という思いが私にはあるのです。そもそも原曲の「Take me home, country roads」自体が素直に故郷を称え思いを馳せる歌なので、余計に違和感がありますね。
 最初に書いたとおり私はこの歌の付いた映画を見てないので、なぜこういう歌詞になってしまったのかわからないのですが、映画から切り離して歌だけで聞く場合、そんなわけでこの日本語歌詞、率直に言って私は好きではありません。

 それと、少なくとも Wikipedia ではこの歌詞が「日本語訳:鈴木麻実子」となっていますが、旋律は同じでも詞の内容も世界観もオリジナルとは別物と言わざるを得ないほど違っているので、これは「訳」ではなくふつうに「作詞」とするべきと思います。

 原詞はちょっと難しいのですが、「内容も世界観も別物」と言ってしまった手前、試みに訳しておきます。ポイントは故郷である West Virginia を擬人化し、Virginia という名前から女性として扱っている点。ちなみに West Virginia 州は海に面していません。


まるで天国のようさ ウェストバージニア
ブルーリッジ山脈、シェナンドー川
年はけっこうとってるね 木々よりも年上で
でも山々よりは若く、そよ風のように年を重ねてる

(リフレイン)
カントリーロード、俺を故郷へ連れて行け
「俺はここの者だ」と言える、あの場所へ
ウェストバージニア、マウンテン・マンマ、
故郷へ連れて行け、カントリーロード

思い出すのは 彼女のことばかり
鉱夫たちの憧れの淑女、でも青い海は知らない
暗くて埃っぽくて、でもばっちり化粧して
不味い密造ウィスキー 涙が出ちゃうよ

(リフレイン)略

今朝彼女の声が聞こえた 俺を呼んでいるのが
そのラジオ番組のおかげで 遠く離れた故郷を思い出した
そして車を走らせながら思ったんだ
なぜもっと早く帰らなかったのか、もっと早く、って

(リフレイン)略


 まあ私の訳も意訳っちゃけっこうな意訳ですが、これをどう「訳」すとあの「日本語訳」になるんだか・・・あれはやはり「作詞」ですよ。

(訳余贅語)
 2番(思い出すのは〜)に painted on the sky という歌詞があるのを「でもばっちり化粧して」と訳したのは勢いというもので、ここは間違っているかも知れません(汗)。painted on the skin なら「(肌に)厚化粧して」とこじつけられるかな、と思い、さらにその後の「涙が出ちゃうよ teardrop in my eye」と韻を合わせるために skin を sky に変えたのではないかと邪推して、このような訳をしております。もともと生身の女性のことじゃないわけですから「虚空に厚化粧」もなかなか迫力があってよろしいかと(笑)。
 それから1番の「そよ風のように年を重ねてる」という箇所の原文は growin' like a breezeで、like a breeze は「やすやすと、簡単に」といった意味のフレーズなので、「やすやすと成長している」が語義としては正解と思いますが、その前の「木々よりも年上で older than the trees」と韻を合わせるために breeze を持ってきたのかな、とも思ったので、そちらの方を生かして敢えて「誤訳」しています。「そよ風のように年をとる」って、意味はわからないけど(笑)何となく詩的でいいじゃないですか。
 なお、オリビア・ニュートン=ジョンのカバーで馴染んでいる方もいらっしゃると思いますが、これはジョン・デンバーをイメージして男言葉で訳してあります。

※これを書いた後に、Take me home, country roads の歌詞についてここに載せた訳の訂正と補足を兼ねた文をアップしました(2011/9/14)
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 21:43 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
しずくー、オレ、イタリアの修行から帰ってきたらお前と結婚するから。待っててくれ。
ハイッ!
| オレオレ | 2011/08/31 11:01 PM |
オレオレ様、コメントありがとうございます。
ネタバレはナシで〜・・・(笑)
| ほーほ | 2011/09/01 12:40 PM |
ほーほさん。ここで私はひじょーに考えてしまいましたよ。つまり、「こうしたい・こうできたらいいなあ」という自分の意思がある、だけど、「何らかの外的理由でそれはできない」っていう心理的構造。これこそが私を日々(といってもシティに出る月曜日だけ)苦しめる日本人的心根です。意思はあるのにしない。なぜこうなるの?「何らかの外的理由」それは、古代の防人においては租税、ひいては、税金を納めなければ死、だったかもしれませんが、これに値する現代の「租税」は何でありましょう。自分の属するグループの村八分かな。目立ちたくない、といって、自分ひとりだけで「故郷に帰らない」人々。もしかすると、ほかの人もそう思っているかもしれないのに、また、帰ったからといってその人が無能ということではありますまいに。さらに言うと、帰ることこそがその人を特徴付ける決断かもしれないのに。。。考え始めると、深い泥沼にはまりそうです。
| とらのすけ | 2011/09/04 12:40 PM |
うーん、日本人的心根の背景には何があるのでしょうか。私も考えてみたのですが、ひとつ思い当たるのは、日本人は自分の考えよりも「正しいこと」を優先する傾向が顕著であるということです。
私の経験ではありませんが、インタビューで「〜についてどう思いますか」というタイプの、○×式でなく記述式の質問をすると、回答者の中には答えてくれた後に「(自分の答えは)これで合ってます?」と聞いてくる人がいるらしい。つまり「自分の実態」ではなく「質問者が望む結果」を推測して答えたり、回答者が「世間的に正しい」と考えているものを答えたりする傾向があるというのです。
ですから質問紙を送って回答を書いてもらうアンケートでは実態はわからない、面接して内実を聞き出したり、写真や測定値など実態を示すデータと突き合わせて裏をとらないとアンケート結果は使えない、ということになりつつあるのだそうです。アンケート結果は「回答者の考え、意見」ではなく、「回答者が正解と考えていること」を示しているというわけです。個人の考えや意見といった正解のないものに対しても「これで合ってます?」と聞いてしまう・・・そんなことって、西欧文化圏での生活が長いとらのすけさんや外資系勤務の経験がある私が理解しているところの西欧的な考え方や感覚からは理解不能、ナンセンス、crazy ですよね。
そこでこの日本語歌詞に戻ると、彼または彼女自身は帰りたいのだが、それが「正しい」とは考えていない、だから帰れないのです。なぜ帰らないことが「正しい」と彼または彼女は考えるのかはちょっと今わかりませんが、自分の「帰りたい」よりも「正解=帰らない」を優先するので帰れないのです。
何が正解でなぜそう考えられているのか、それは私にもわかりませんが・・・
| ほーほ | 2011/09/04 7:34 PM |
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