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角海浜を追って新潟へ(1) 巻郷土資料館
 越後毒消し売りの発祥の地と伝えられ、しかし最後には東北電力の巻(まき)原子力発電所の建設予定地に選定されて廃村となった角海浜(かくみはま)村について、以前「角海浜村のこと 〜長塚節「弥彦山」から−2〜」に書きました。原発予定地となって離村・廃村化を余儀なくされた上に村の跡地は原発建設に備えて全く何の跡も留めず整地され、しかもその原発は結局地元の反対によって建設されなかったのですから、考えようによっては「消され損」みたいな話のようでもありますが、少し調べてみるとこの村は、たとえ原発がやって来なくても、遅かれ早かれ衰退せざるを得なかった宿命を負っていたようにも思われます。耕地となるべき平地は少なく灌漑の水利もほとんどなく、港も持たず、町場にも遠く、しかも数十年に一度村を襲うという激しい海岸浸食「マクリダシ」によって住居の安定すら脅かされざるを得なかったこの村に、最後の止めをさしたのは確かに原発建設予定地の選定であったけれども、たとえそれがなかったとしても、この村が永続し再び栄えることは難しかったのではないか。少なくとも現地を踏まず、旧版地形図や限られた資料の上からだけ見ていると、そのように思われるのです。
 この角海浜村についてもう少し知りたいと思い、2011年8月13日(土)に巻郷土資料館を訪れ、さらに角海浜村の故地を訪ねてみました。以下、現地報告です。

 当初の予定では燕三条駅で上越新幹線から弥彦線に乗り換え、吉田駅で越後線に乗り換えて巻駅に向かうつもりでした(弥彦線・越後線はいずれも未乗区間なので ♪)が、結局は新潟駅から越後線で巻駅へ向かったので、今回新たに乗った区間は越後線の越後赤塚〜越後曽根〜巻間にとどまりました。次回は弥彦線ルートで行くぞ!

角田山と弥彦山<しかし新潟方面から巻へ行くことには利点もありました。進行方向右側の車窓から角田山(写真右の山)と弥彦山(写真左の山)を二つながら見ることができるのです。角海浜はこの二つの山の間の峠を越えた向こう側にありました。そしてこの山の姿は、毒消し売りの女たちが故郷へ戻ってくるときに見た景色でもあったはず。>

蒲原平野<一方、進行方向左側の車窓からは一面の水田が広がる蒲原平野が見渡せます。いずれ触れることになると思いますが、低湿で深田が広がっていた蒲原平野をこのような美田に変える過程で、実は角海浜が一役買っていました。>
 巻は現在は新潟市西蒲区(にしかんく)に属しますが、2005年10月10日の合併前は西蒲原郡巻町でした。一方角海浜村は1901(明治34)年に隣の五ヶ浜村と合併して浦浜村となり、この浦浜村は1955年に巻町及び周辺町村と合併したので、角海浜村の史料は巻郷土資料館に収蔵されることとなったのです。

巻駅<左の写真は巻駅。この日はお盆の期間だったせいか人少な。しかしここには写っていませんが、駅前広場には旅館「梅屋旅館」や酒楼「花喜楼」が健在で、多くの人々が行き交うさまがしのばれます。>

西蒲区役所<巻は新潟市西蒲区の中心地なので区役所があります。が、右の写真に見られるとおり、玄関の左側にはいまだに「巻町役場」と彫った石も残されています。>

諏訪神社古跡<今回の旅行の目的とは全く関係ないのですが、たまたま西蒲区役所の近くで見かけた「諏訪神社古跡」の碑。諏訪神社は言わずと知れた長野県諏訪にある神社で、狩猟の神様。巻のある蒲原平野は現在では上の写真に見るとおり一大稲作地帯ですが、そうなる以前は狩猟も行っていたのでしょうか。あるいは信州方面から諏訪さまを斎(いつ)く集団がやってきてこの辺りを拓いたとか。>

マンホール蓋<右は巻町らしいマンホールの蓋。鯛車は巻の郷土玩具で、盆の夕方に浴衣姿の子供たちがロウソクを灯して町内を引いて歩くのだそうです。何かいい感じですね。巻のシンボルとして商店街の復興にも一役買っています。>

鯛車<左は巻郷土資料館に飾られていた鯛車の実物。>

郷土資料館外観 郷土資料館は消防署の建物を転用しており、この日はお盆とあって、訪れたときにはお客は私と家内だけでしたが、それが幸いしてか、思いがけず館所蔵の「のぞきからくり」を実演していただきました。この「のぞきからくり」について、館の案内パンフレットから摘記します。

「・・・中でも新潟市指定文化財の「のぞきからくり」一式は、明治・大正時代の放浪芸の一つで、縁日の見せ物として使われていたものであり、全国にも西蒲区巻地区のものを含め三台しか残っていない。特に巻地区のものは当時の姿を完全な保存状態で、かつ、口上師による実演可能な「のぞきからくり」としては、全国で唯一の貴重なものとなっている。」

のぞきからくり この全国で唯一の貴重なのぞきからくりを、館の学芸員さんの口上(語り+節)付きで、貸し切り状態で実演していただきました。さらに、現在完全な形で実演できるのは「幽霊乃継子以志゛免(ゆうれいのままこいじめ)」一作ですが、別に7枚だけ残されている中ネタを紙芝居に仕立てた「八百屋お七」も実演していただきました。
 日本広しといえども、いや世界中探したって他では見られない「のぞきからくり」がここに収蔵されていることは知っていましたが、まさか突然の訪問で実演していただけるとは思ってもいませんでした。ありがたいことです。

<写真は「のぞきからくり」(案内パンフレットより転載)。高さは3mくらいあろうかというかなり大きなものですが、分解・折りたたみ式で大き目の箱3つに収めて運搬可能。館では倒れないように、後ろ側に水を入れたポリの1斗缶3つくらいを置き、本体へロープを張って支えていましたが、屋外では立ち木等を利用したのであろうとのこと。しかし電球やレンズなど最新技術を応用した精密な造りの「のぞきからくり」は、当時の家一軒分の値段がしたそうです。昔のライカ並みだ(笑)。
 脇に立っているのぼりの「り」の字の高さに覗き用のレンズがぐるりと付いていて、これは大人用。そのやや下に子供用の覗きレンズがやはりぐるりとついています。子供はともかく、大人はかなり腰をかがめて覗く感じになりますが、一緒に覗いている子供と「うわ〜怖いね〜」なんてひそひそ話しながら覗くにはいい高さかも。
 中の絵は押し絵で、上下に分割されて切り替わるようになっており、横幅がかなり広いので、正面のレンズから覗くと左右にぐるぐるっと見回さないと全体が見えません。一方、脇の方のレンズから覗くと絵を斜めから見ることになり、一目で全体が見えて奥行きも出るので、必ずしも正面が一番いい席とは限らないのだそうな。さらに電球が入っていてさまざまな効果を出します。
 押し絵なので絵自体に立体感があるのと、単玉レンズの収差がまた微妙かつ絶妙な効果を醸し出し、今流行りの3D映画を先取りしていましたですね。>

 ところで私としては角海浜と越後の毒消し関係の資料も拝見したかったので、お願いして毒消し売りの装束のマネキンや薬研等の製薬用具、毒消しの包装などの展示物を見せていただき、さらに毒消し売りの女性数人が駅のホームのベンチで休んでいる写真のコピーも見せていただくことができました。館の案内パンフレットによるとこれらの「越後毒消しコレクション」約330点他は、特別展で順次公開されているそうなので、ぜひ特別展見たいです。
 また角海浜で製塩が行われていたことも知ることができました。村の娘たちは、毒消し売りに出る年齢になるまでは製塩の手伝いをしたそうです。これは私にとっては新しい知見でした。

お宝 さらに2階の廊下でブツを発見!これはですね、茶箱に入って燻蒸までされてるあたりからして、上掲のパンフレットで「その他の収蔵品」として挙がっている「旧角海浜村関係古文書」を含む古文書類でしょう。茶箱は防湿性が高いので、古い文書の保存に適しているのです。もちろん他所者の一見さんにほいほい見せてくれるものではありませんが、番号が振られているということは一度は整理されているわけで、写真とかコピーとか書き起こしとか、何か他所者でも利用できる形になっていると有難い・・・。また上掲パンフレットによると「旧角海浜や鎧潟(よろいがた)関係の歴史、民俗、考古資料および記録写真」も収蔵されているらしい。ぜひまた来よう!

 この後私たちは角海浜を目指したのですが、その話は(2)で。


  そうそう、新潟から巻へ向かう途中に発見したおまけをひとつ。

越後線ドア「あつい!」 新潟から越後線に乗ってドアが閉まると、扉の下の方に赤字で「あつい!」と書いてあります。そりゃー8月の半ばだもんまだまだ暑いわな、しかしそれってわざわざステッカー貼るようなことか?と思ってよく見ると、これは冬用の表示でした。曰く「冬季間はドアレールにヒーターが入りますので注意してください」と。私は寒冷地に暮らしたことがないのでよくわかりませんが、日本海から吹き付ける雪が凍りついてドアが開かなくなるのを防ぐためにドアレールにヒーターを入れて氷雪を融かすのだが、それが熱いのでうっかり触ったり近づきすぎたりすると危ないよ、ということではないでしょうか。こういうローカルカラーあふれる表示を見つけるとうれしくなっちゃいます。
| 地域とくらし、旅 | 20:41 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
はじめまして、私は建築を学ぶ大学生です。
今建物の設計をおこなう(実際に建つわけではなく想定ですが)課題で
角海浜を敷地に建築の設計を行おうと考えていて、このブログの情報を参考にさせていただいています。

角海浜という場所は現在の状況に至るまでに様々な歴史や背景を抱えていることがよくわかりました。
しかし現在のままでは人々に忘れ去られ荒廃して行くのではないかと思います。
そのような場所を私は建築を計画することでなんとかしたいと、人々にこの場所、歴史を忘れないで欲しいと考え角海浜という場所を課題の対象敷地として選びました。
この場所は人に「自然と人の在り方」を考える場所性を持っていると思います。
角海浜に思いを馳せることからここに訪れた人それぞれの人生において様々なことを考えてもらえるような建物を考えています。

そこで角海浜をよくご存知の方にご意見を聞きたくコメントさせていただきました。
この角海浜がこれからどういう場所であってほしいと思いますか?
どういう建築が建つとこの場所は救われ、豊かになると思いますか?
具体的に歴史資料館や美術館などと答えていただいてもかまいませんし、イメージする雰囲気(人でにぎわっている、落ち着いている)などでもかまいません。
また、何も建たないでほしい、このままで良いというものでもいいです。


いきなりこのような質問をして失礼だとは思いますが何かコメントいただけると幸いです。
説明が下手ですみません。。。
言っていることがわからなければ無視していただいてかまいません。

失礼致します。
| 建築学生 | 2012/06/07 9:36 PM |
建築学生様、コメントありがとうございます。
私自身は角海浜に何か関係があるわけではなく、ただの通りすがりがたまたま興味を持ってしまったという程度ですが、そんな私が考えるこの地域の特徴は
1) マクリダシによってつねに海岸が浸食され続けてきた
2) 集落の後ろの山を越えれば、北陸道を通じて全国に開かれていた
3) 原発の候補地になったために集落として捨てられた上に、原発建設が住民投票で否決されたために原発建設予定地としても捨てられた、二重に捨てられた場所である
といったところです。そんなこの地域の歴史と運命を知ることができる資料館みたいなものがあればいいなあと思います。なんか普通ですね・・・(笑)
私が勝手に思うところでは、角海浜は二重に捨てられた場所、墓標が2本立っている場所なのです。だから宅地に開発されて人々が無邪気に幸せにふつうの暮らしをするようになったりするのはちょっと違うなぁと思います。建物の土台が波に浸食されつつある2本の墓標型の、常駐している職員がいない無人の歴史資料館なんてどうでしょう。
ほんとに勝手なコメントですみません。

| ほーほ | 2012/06/09 10:50 AM |
ほーほさん

お返事ありがとうございました。
ご意見とても嬉しいです!
私も宅地に開発され角海浜のもつ雰囲気を失うようなことはいけないと考えています。
またひと気がないこともこの場所性を助長させると思います。
土台が浸食されつつある2本の墓標型というのも今の自分にはなかった発想で想像がふくらみました。

建築は人のために建つべきものだと考えているので独りよがりで設計を考えているとどうしても自己中心的なものになってしまい、いろんな人の意見を聞くことはとても大事なことなんです。
なので本当にご意見きかせていただきありがとうございました。

昨日実際に角海浜に行ってきました。
とても美しい場所でした。
これからもっとよくこの場所を分析して建築に落とし込んでいきたいです。

本当にご協力ありがとうございました。
| 建築学生 | 2012/06/10 11:09 PM |
建築学生様、角海浜へいらっしゃったのですか。やはり現地を見ることがイメージをはっきりさせてくれると思います。私はなかなか現地へ行けないので妄想が膨らんではいきますが(私のコメントもかなりの程度妄想の産物です)、やはり現地の空気を感じることが大事ですね。良い作品ができることをお祈りしています。
| ほーほ | 2012/06/11 8:48 PM |
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