私がバロック音楽を好んで聞くようになったのは中学生になった頃ですから、もう35年以上も前ですか。CDやDVDはまだこの世に存在せず、LPは1枚2,500円程度で、ようやく「廉価盤」といわれる1枚1,000円〜1,300円のシリーズが出始めた時期です。
そんな当時のバロック音楽のチャンピオンレーベルは、何と言ってもカール・リヒター、ヘルムート・ヴァルヒャらを擁するアルヒーフでした。ところが今では何てことない普通のレーベルですが、当時のアルヒーフのLPは「これは中学生ゴトキが手を出してよいモノではないよ」という一種独特の雰囲気を漂わせながら、お店の一番奥の方の一角にかためて置かれていたような気がします。
そういうオトナな雰囲気の原因はまずはその外見。一枚ものはグレーの濃淡をベースにほとんど文字だけでデザインされ、赤や青の線描をアクセントに置いた薄いボール紙みたいな紙質の見開きジャケットに収められていたし、組み物は生成り木綿っぽいクロスを貼り、銀地に青字の四角いラベルを真ん中に置いたカートンボックス入りで、いずれも素っ気無いほど地味ながらどこか格調高く、研究報や学術書を思わせる姿だったのです。ちょっと中学生には手が出せない感じです。
<ネットで発見した一枚もののジャケットの例。タスキの「ドイツ直輸入盤」が右から書いてあるぞ!>
<左は上のものより前の世代のジャケット。やはりネットで発見しました。私がバロック音楽を聴き始めた頃にはこのタイプのジャケットはほとんど見なかった気がします。
レーベルのロゴの下にはいきなり「IX Forschungsbereich / Das Schaffen Johann Sebastian Bachs 第10研究部門 ヨハン・セバスティアン・バッハの作品」とあり、その下に小さい字で「SERIE K: INSTRUMENTALKONZERTE シリーズK;器楽協奏曲」とあり、その下にようやく曲名・演奏者が表示されて、しかも全部ドイツ語ですよ。レコード屋さんに置いてなかったらちょっとLPとは思えません。>
<右はカートンボックスの例。やはりネットで発見。この生成り木綿の雰囲気はCDにも一部引き継がれています。真ん中のラベルのシルバーと青は、いわばアルヒーフレーベルのシンボルカラーですね。LPの真ん中のまぁるいラベルもシルバーと青でした。>
そしてそのジャケット/ボックスの中には、青く縁取りしたグレーの厚紙に「作曲者」「作品」「使用楽譜」「録音」「研究部門(上でみたとおりJ.S.バッハの作品は第IX研究部門)」等についての詳細なデータがドイツ語でタイプされた「カルテ」が同封されていました。
<これもネットで見つけた「カルテ」。なつかし〜!後述しますが、私は持っていたアルヒーフのLPをほとんど処分してしまったので、ジャケットやボックス、カルテが手元にないのです。馬鹿なことをしたものです・・・。>
またバッハの大作などには、音楽学者によるその作品に関する論文を何本か収録した立派な欧文ブックレット(といってもLPサイズだから30cm×30cmの大きなもの)が付き、国内発売盤にはそれに加えて角倉一朗氏らの論文を載せた和文ブックレット(大きさ同じ)まで併せて同梱されるという、もうめちゃめちゃ硬派で学術的で、外見は全く飾らず、しかしてその内容は豪華絢爛という、世俗を超越した孤高のレーベルでありました。私も以前リヒター指揮のバッハ「クリスマス・オラトリオ」(LP3枚組カートンボックス入り)などの、そういう硬派で飾らずその実絢爛豪華なアルヒーフのLPを少数(だって高かったんだもん)ながら持っていたのですが、何を血迷ったかみな処分してしまい、今でも激しく後悔しています。
学術的な性格を前面に出した素っ気無いデザイン、組み物に同梱された持ち重りのする欧文ブックレットの厚手でコシの強い用紙の手触り、余白をたっぷり取ってゆったりとしたレイアウト、丁寧に紙とポリで二重になった内袋、音の良さを直感させる硬くて密度の高い盤質・・・ああいうものは、これからはもう二度と出ないでしょうね(遠い目)。
アルヒーフ・レーベルに関連して「アルヒーフ友の会」という組織があって、これに入会すると季刊だか隔月刊だったか忘れたが、学術的な内容の論文が何本かと新譜情報等が載った「アルヒーフ」という小冊子が定期的に送られてきました。アルヒーフのLPはおいそれとは買えない中学生でもこの会費は何とかなったので、私も会員になって「アルヒーフ」を購読してました。今でも覚えているのはチェンバリストの故・鍋島元子さんが書かれた「ア・リーヴル・ウーヴェール à livre ouvert(フランス語の綴り自信なし・・・間違っていたら誰か教えて〜 ;)」という論文で、それは演奏者は暗譜ではなく譜面を見ながら、しかし必ずしも譜面どおりではなく、要所々々でふさわしい装飾を加えながら即興的な楽しみに満ちた演奏をするのですよ、という内容のもので、これを読んだ中学生はものすごく感動しましたね。またベートーヴェンの交響曲第2番の室内楽編成への編曲版の存在なども、この「アルヒーフ」で知ったものでした。
しかしこういう啓蒙的で地味な組織は商業的に存続が難しくなったと見えて、やがて親レーベルのドイツ・グラモフォンとそのグループのLP情報を提供する「グラモフォン・レコード・クラブ」へ発展的解消を遂げ、私もしばらくはその会員になって「季刊GRC」という機関紙を購読しましたが、「ア・リーヴル・ウーヴェール」のような感動的な論文にはなかなかめぐり合うことができず(それまでにこちらが相当な耳年増になっていたせいかも)、ほどなく退会してしまいました。
またこの頃にはアルヒーフ・レーベルもそれまでの超硬派路線から相当大きく舵を切り始めていたように思います。私が高校生になって買ったエドゥアルト・メルクス / カペラ・アカデミカ・ウィーンのバッハ「ヴァイオリン協奏曲集」のジャケットは、基本的にはグレー濃淡でほとんど文字だけの従来どおりのデザインでしたが、使用楽器のカラー写真(!)が印刷され、例の「カルテ」もなくなっていました。この頃には「研究部門」制度も廃していたのでしょうかね。さらにアルヒーフ(1955年?)から少し遅れて1958年にスタートしたダス・アルテ・ヴェルク(テレフンケン=テルデックのサブレーベルで、アーノンクール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、グスタフ・レオンハルト、フランス・ブリュッヘンらを擁した)をはじめ古楽を専門に扱うレーベルがどんどん出てきて、今やアルヒーフはそうしたレーベルの one of them となっています。ジャケットやカートンボックスのデザインも、今は他とあまり変わりませんしね。
・・・えーと、これはもともと別の話の前振りのつもりで書き始めたのですが、何だか話がふくらんじゃったので、これはこれでまとめちゃおう。予定されていた本論は別稿にしまーす。