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ペール・ギュント組曲版スコアの「はしがき」〜第一組曲の1「朝の気分」
 さて、「ペール・ギュント」シリーズ行きますよ〜 d(^^)。前編でも書いたとおりグリーグの「ペール・ギュント」は、作曲者自身による2つの組曲の形で最も親しまれています。この曲のスコアはPeters版のミニアチュア・スコア(ポケットスコア)が音楽之友社から国内版で出ていて入手しやすいので、持っている方も多いことでしょう。
 出版元のPetersも音楽之友社も国内外の一流の音楽出版社だし、それだけに内容も安心…と言いたいところですが、実はこのスコアの「はしがき」(と英語のPREFACE)は内容的にいささか問題アリ。イプセンの原作や全曲版と矛盾してたり、「それはどうだか…」と首を傾げざるを得ない点がところどころにあって、残念なことですが丸々そのままは信用できません。一流の出版社による人気曲の入手しやすいスコアだけに、これは困った問題です。
 以下「はしがき/PREFACE」の内容の問題点を組曲の各曲ごとに見ていきます。日本語の「はしがき」も英語のPREFACEも書かれている内容は同じなので、以下特に必要のない限り日本語の「はしがき」で内容を検討することにします。

朝の気分(全曲版) まずは第一組曲の冒頭、いの一番にして「ペール・ギュント」全体の看板曲とも言うべき「朝の気分」(第一組曲の1)。研修施設の起床の音楽にけっこう使われているようなので、他の曲は知らなくてもこの曲は聞いたことがある、という方も多いでしょう。
 この曲の「はしがき」にはこうあります。

ペールは心機一転、アフリカに赴き、新しい人生を開拓しようとする。最初の場面はモロッコだが、この音楽ではアレグレット・パストラーレにより、朝のすがすがしい気分で始まる。高い山々の1日の始まりを、日の出と森のざわめきの印象によって情感豊かに表している。

 この曲は全曲版では写真のとおり第四幕の前奏曲とされていて、普通ならその直後の第1場の場面につながっていくのが自然。ところが第1場の舞台は「はしがき」にあるとおりモロッコなのですが、イプセンの原作のト書きは次のとおり。

モロッコの西海岸。海辺の椰子林の宴。テーブルの上には食物が並べられている。日よけ、トウシングサの敷物、林の奥にハンモックがつってある。陸から離れたところに、ノルウェーとアメリカの旗を立てた蒸気快速船が碇泊している。岸にはボート。日没近くである。給仕たちが忙しげに食事の給仕をしている。(以下略)」

 あれれ、これはおかしい。曲名は全曲版でも組曲版でも「朝の気分」で、全曲版には「第四幕への前奏曲」と明示されているのに、直後の第1場のイプセンのト書きは上述のとおり「日没近く」なので、幕の前奏曲(朝)と直後の第1場(日没近く)の時間設定が食い違っています。そもそもモロッコの西海岸では「高い山々」でもないぞ。
<写真は全曲版の「朝の気分」の表題部。「第四幕への前奏曲」と明示されている。>

 これについて前回紹介した全曲版のCDのヤルヴィ盤(DG)の解説を書いているアンソニー・バートンは「この曲は、もともとは午後の出来事を描いた第1場への前奏曲ではなく、夜明けの出来事を描いた第5場の導入として考えられていた。従って、ここで描かれているのは、この曲を初めて聞いた時誰もが思い描くであろうノルウェーの山のすがすがしい、春の朝の情景ではなく、サハラ砂漠の日の出である。」と述べています(CD添付のブックレットから)。バートンが「第5場への導入として考えられていた」とするその根拠はそこには述べられていないのですが、第5場の原作のト書きを見ると次のようになっています。

早朝、砂漠を見渡す岩場。一方は崖にほら穴。泥棒と盗品買いが、皇帝の馬をつれ衣類を持って崖に立っている。(以下略)」

 全曲版で「朝の気分」の次に置かれているのがまさにこの場面のための「泥棒と盗品買い」という曲なので、前述のバートンの記述もあり得ないことではないと思われます。もっとも「第1場から第4場までは曲を書いていないため、その結果としてたまたま前奏曲と第5場がつながって見えるだけなのではないか」とも言えそうです。しかしこの砂漠はアニトラとの絡みの舞台であり、物語の展開にとって重要な場所なので、この場面の音楽を(直後の第1場の設定と食い違うにもかかわらず)あえて第四幕全体の前奏曲に格上げしたと言われれば許せる気もするし・・・バートン説の根拠が知りたいですね。
 いずれにしてもバートン説を踏まえてみると、「はしがき」の「高い山々の1日の始まりを」云々は、バートンの言う「この曲を初めて聞いた時誰もが思い描くであろう」レベルの単なる印象、感想に過ぎず、イプセンの原作ともグリーグの音楽とも矛盾するということになります。
 ここでひとたびバートン説から離れて、原作の第四幕の各場の設定を概観してみると、次の通りです。

第1場:上述のとおり「日没近く」、
第2場:第1場の続きなので第1場と同じ
第3場:夜、砂漠との境にあるモロッコの陣営
第4場:夜明け。アカシアと椰子の木の群れ。ペール・ギュントは木の上で枝を手に、猿の群れを追い散らしている。
第5場:上述のとおり「早朝、砂漠を見渡す岩場」
第6場:オアシスの中のアラブ部族首長のテント。歌と踊り。
第7場:月夜
第8場:キャラバンの道。遠く後方にオアシスが見える。
第9場:第8場の続きで第8場と同じ
第10場:夏の日、北国の山上高く。大きな森の中の小屋。(中略)金髪の、見目のよい中年の女が外に座って、日の光にあたりながら糸を紡いでいる。
第11場:エジプト。朝明け。砂の上にメムノン像が立っている。
第12場:ギゼーの町のスフィンクス像。遠くにカイロの塔や尖柱が見える。
第13場:カイロ。高い壁に囲まれた中庭。格子窓。

 この中で「朝の気分」という標題に時間的に当てはまるのは第4、第5、第11の各場ですが、それらはいずれも「はしがき」にいうような「高い山々の1日の始まり」ではありません。
 逆に「高い山々」との関連で注目されるのは第10場で、ここで舞台は砂漠から一瞬にしてソルヴェイグの待つノルウェーの山小屋に移り、あの「ソルヴェイグの歌」が歌われます。この場が朝の情景なら「はしがき」の記述にうまく当てはまりそうですが、ト書きの感じは日がかなり上がってからのことのような印象ですし、仮にこの場が早朝だとしても、この場は印象は強烈ながら、その内容は要するに第9場でペールをたぶらかして身ぐるみ剥いた挙句砂漠に置き去りにしたアニトラと、何年もペールの帰りを待ち続けるソルヴェイグを鋭く対照させているだけに過ぎず、時間的には数分(「ソルヴェイグの歌」の演奏時間にほぼ等しい)だし、ストーリーの展開にも全く関係ありません。よって仮に「朝の気分」がこの場面のための音楽だったとしても、それをあえて第四幕全体の前奏曲に格上げするというのは、バートン説に比べて説得力が弱い気がします。
以上の検討から、私としてはバートン説、すなわちこの曲の朝は「高い山々」のそれではなく、砂漠の朝であるという説に惹かれます。

 もうひとつ、細かいことを言いますと、「はしがき」で「最初の場面はモロッコだが、この音楽では」となっている箇所はPREFACEでは「The first scene is Morocco. Here, the music begins...」といったん切れているのです。これがなぜ「モロッコである。」ではなく「モロッコだが、」と続けて、しかも逆接に訳されたか。私の単なる推測ですが、Peters版のPREFACEを訳した人は、原作の内容を予め承知していて、「朝の気分」と第1場の「日没近く」がうまくつながらないこと、さらに「高い山々」云々はモロッコのことではないことに気づいていたのではないかと思うのです。原文にあるので訳さないわけにはいかないが、この人はこれらの矛盾に目をつぶって原文どおり淡々と訳すことができなかった、英語から日本語への忠実なる「置換者」になり切れなかったのではないか。淡々と原文どおり訳したのでは「高い山々」云々もモロッコのことになってしまう。だから窮余の一策として「モロッコだが、」と逆接でつないでモロッコがかかる範囲をぼやかした…もしそうであれば、さぞ心苦しかったことだろうとお察しします。

 まあ私の単なる想像はどうでもいいのですが、とにかくこの「はしがき/PREFACE」の「高い山々」以下の文は、曲を聞く人の素朴な印象には合致しているが、それだけに第四幕全体がモロッコの高い山々で展開するかのような誤った印象を与えかねません。この曲を聞く人は一人残らず第四幕を正しく理解しなければイカン!などと言うつもりはありませんが、「高い山々」以下の一文は、少なくとも無益かつ余計であると言いたいですね。

<私の修正案>
ペールは心機一転、アフリカに赴き、新しい人生を開拓しようとする。最初の場面はモロッコだが、この音楽ではアレグレット・パストラーレにより、朝のすがすがしい気分で始まる。高い山々の1日の始まりを、日の出と森のざわめきの印象によって情感豊かに表している。
「高い山々の・・・」以下は削除します。

 「朝の気分」だけでずいぶん長くなってしまったので、他の曲については稿を改めます。

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