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「女学生」って誰?
 

女学生 以前ちらっと触れましたが、ワルトトイフェルのワルツ「女学生」という曲名は誤訳であろうという件について。
 ワルトトイフェルはストラスブール出身のフランスの作曲家。しかしこの曲の原題は Estudiantina で、スペイン語です。なぜフランスの作曲家の曲がスペイン語の曲名を持ち、しかもそれが誤訳されるに至ったのか、調べてみました。
<図は「現今女学生の遊戯」。本当にこういう曲なのか?ちなみに本論のテーマには全く関係ないが、この二人の女学生の間に角帽をかぶった男子学生の上半身のシルエットが現れている点にも注目すべし!>

曲名がスペイン語なのはなぜ?
 実はこの曲、ワルトトイフェルのオリジナルではなく、 こちらにあるように Paul Jean-Jacques Lacômeというフランスの作曲家の、スペインの旋律による二重唱曲 Estudiantina が原曲で、ワルトトイフェルは出版社 Enoch の求めにより、この曲を Lacômeの他の作品やスペイン民謡とつなぎ合わせて1曲のワルツに仕立てたらしい。つまり、Estudiantina というスペイン語の曲名はワルトトイフェルがつけたものではなく、本歌(もとうた)のそれだったのですね。

Estudiantina って何?
 それでは Estudiantina とはそもそも何なのか。手元の「プログレッシブ スペイン語辞典 第2版」(小学館 2000)に「(伝統的な衣装でセレナーデを歌い歩く)学生の一団」となっていることは以前書きましたが、これだけではあまりイメージがわかないのでネットでググってみたら、面白い記事がありました。これはスペインではなくメキシコの Estudiantina ですが、辞書の訳語ともほぼ合ってるし、Lacômeの曲に歌われていたのもおそらくこういうものだったのではないでしょうか。それにしてもこれ、すごく楽しそうですね!
 というわけで、ワルトトイフェルのこのワルツは、Estudiantina と呼ばれる学生バンドが、同名の曲をはじめスペイン風の曲を次々と演奏しながら流していく、その楽しげな様子をワルツのシークエンスで表現したものと見てよろしいのではないでしょうか。


なぜ「女学生」に?
 ではこの Estudiantina がなぜ「女学生」になってしまったのか。おそらく中途半端にスペイン語を知ってた誰かが、推測を交えて「作曲」してしまったのだと思う。試みにその思考プロセスを辿るならば、多分こうだったのでは。
 1. Estudiante は「学生」という意味である
 2. スペイン語には -ino(-ina)という縮小辞がある
 3. この語は -a で終わっているから女性名詞である
 4. よって Estudiantina は可愛い女の学生、すなわち「女学生」である
 ・・・確かに上の1, 2, 3, すなわち個々の前提はそれぞれ間違ってないんですけどね〜、これが「合成の誤謬」ってやつですか・・・いやいや、本来一語である Estudiantina を、たまたま知っていた Estudiante に引きずられて Estudiante + -ina に分けたところで勝負はついてしまったわけで、「不思議の国のアリス」に出てくる公爵夫人ふうに言うなら、「ええと、その教訓はね ― 『辞書はまめに引け』よ!」
 ちなみに Wikipedia の英語版によると、英語では「学生バンドのワルツ」(Band of Students Waltz)と訳されていて「女学生」なんて誤訳は犯してないのですが、面白いことにアメリカではこのワルツに歌詞がついて Rheingold Beer jingle、すなわち Rheingold (ラインの黄金:え、それって「ニーベルングの指輪」に出てくる、あれでっか?)という銘柄のビールの歌として知られているんですと。

 この一件を調べてみて、日本の音楽関係者って怠け者なんだなぁと思う。「女学生」なんて訳した方もいい加減だけど、それを聞いたり演奏したりする方も、このワルツのどこが「女学生」なんだか、特に考えてみることもしない(みたい)。楽しく聞ければ / 演奏できれば、曲名なんかどうだっていいじゃないか、と開き直ってしまえばそれまでだけど、ほんとにそんなことでいいんかい?だいたい間違いが間違いのままで何の疑いもなくまかり通ってるという状況は、全然よろしくないですよ。
 名曲解説事典の類とか演奏会のプログラムの曲目解説には「この曲はこれまで「女学生」という名前で広く知られてきたがそれは誤りで、実は昔の楽士のコスプレで歌い歩く、楽しい学生バンドのことなのだ」云々という注釈をぜひ載せていただきたいものです。たとえばこの曲のつもりで Schoolgirl Waltz とか Female Students Waltz、あるいは Studentin-Walzer なんて言ったり書いたりしてみても、しょせん日本以外では通用しないんだし、こんな誤りは百害あって一利なし!

| オーケストラ活動と音楽のこと | 22:19 | comments(7) | trackbacks(1) | pookmark |
コメント
ほーほ様
はじめまして、cennetと申します。
随分前に、あたしのブログにコメントを残していただいたものです。
ありがとうございました。
気づくのが遅くて申し訳ありません。

あたしもメキシコ料理が大好きで、日本に戻ってからも何度も食べに行きました。
でも、メヒコで出会った料理で食べたい物に出会うことが、日本のレストランでは難しいです。

メキシコ、とっても楽しかったですよ。
機会があったらおすすめです。
| cennet | 2010/05/22 2:53 AM |
cennet様、コメントありがとうございます。
cennet様のブログにEstudiantinaの実例がとてもいきいきと書かれていたので、リンクさせていただきました。その節はありがとうございました。

日本で食べられるメキシコ料理にはアメリカでアレンジされたものが多いという話を聞いたことがありますが、やはり現地のものとは違うのでしょうか。機会があれば、私もぜひ現地の味を確かめてみたいです。そうそう、Estudiantinaも。
| ほーほ | 2010/05/23 6:43 PM |
初めてコメントさせて頂きます。
この度はトラックバック有り難うございました。
自分のブログで、ワルトトイフェルの当該作品の事を取り上げた際、「そう言えば、このタイトルって、誤訳だったんだよなぁ‥」と思いつつも、それが何故そう言う誤謬が流布するに至ったかの詳しい事情までは知りませんでしたので、Web検索をしてみたところ、「ほーほ」さんのブログに行き当たり、とても分かり易く記述されていました故、引かせて頂いた次第です。
これとやや似たケースとしては、同じく通俗小品のH.ネッケの「クシコスの郵便馬車」が、原題の「Csikos Post」と言うのは単に「郵便馬車」と言う意味しか持たないハンガリー語であり、他国語に訳される際に地名と勘違いされたと言う事らしいですよね。
この曲もまた、未だに訂正される事が無い様ですから、これもまた我が国の音楽関係者の「怠慢」の証しでしょうか。

プロフを拝見すると、ご正業の傍ら、ディレッタントとして音楽活動をされておいでの由。
或る意味では理想的な音楽との関わり方だと思います。
指揮台にも上られるとの事で、若い頃、身の程知らずにも指揮者か作曲家になりたかった私には羨ましい限りです。
「ほーほ」さんのブログは、クラシック志向であった私にとりまして、興味深いお話が多々ある様です。
これからも時折、お邪魔してアーカイブなども拝読しようかと思いますので、宜しくお願い致します。
| ターニャ | 2010/05/25 9:43 AM |
 ターニャ様、こちらこそ愚説を拾っていただいてありがとうございます。本文にも書きましたが、誤訳するに至る過程は「多分こうだったのでは」という推測で、確認された事実ではないのです。曲名の由来について昔の名曲解説全集なんかでちらっとでも触れてあれば証拠になるんですが、余暇の手すさびでもあり、そこまで調べる根性は・・・(笑)。

 「クシコスの郵便馬車」も誤訳だったとは知りませんでした。ご教示ありがとうございます。
 これまた単なる推測ですが、これはドイツ語に堪能な好楽家が、ドイツ語の Post が単独で「郵便馬車」を表すことから類推してこじつけちゃったのではないでしょうか。私がクラシック関係の Post で真っ先に思い出すのは、「冬の旅」(シューベルト)の「郵便馬車 Die Post」ですし、きっとその人も同じだったのでは。
Die Post bringt keinen Brief fur dich(郵便馬車はお前宛の手紙なんか運んで来やしないよ)・・・うーん切ない。

 ターニャ様とあーにゃ様の音楽ユニット[μ'z(みゅ〜ず)]のブログ「猫と音楽の日々(仮)」も拝見しました。なかなかシゲキテキな活動をされてるのですね。私のブログの音楽関係はクラシックがほとんどで、時々歌謡曲とフォーク系くらいですが、ご覧いただけるとうれしいです。よろしくお願いします。
| ほーほ | 2010/05/26 8:10 PM |
初めまして。1941年生まれの石渡と申します。
ワルトトイフェルのこのワルツに歌詞がついていて、小学校5,6年のころ歌った覚えがあります。切れ切れに覚えているのは「森のほとり楽しく舞い踊るのは誰」「高く青い空をかろく漂う白い雲のような清い乙女ら」程度です。
全部の歌詞をぜひ知りたいと調べていつのですが、手掛かりがありません。もしご存知でしたらぜひ教えていただきたいと思いメールいたしました。どうぞよろしくお願いいたします。
| 石渡あおい | 2018/03/21 7:42 AM |
石渡様、コメントありがとうございます。
実はこのワルツに歌詞がついていたということを、石渡様のコメントで初めて知りました。というわけで私もその歌詞は知らないのですが、そういえば、と思い出したのは、かつて亡母がスメタナの「モルダウ」の旋律に歌詞をつけて口ずさんでいたことがありました。
そのときは気に留めなかったのですが、外国の民謡や歌曲、合唱曲などもともと歌詞があるものを日本語に訳して歌うだけでなく、もともと歌詞のない旋律に歌詞をつけて歌うということが、かなり以前から行われていたのですね。さらにザ・ピーナッツの「情熱の花」や平原綾香の「ジュピター」などもそうした流れの中に位置づけることができるように思います。
これからは気をつけて古書店で古い歌集など探してみて、もし成果がありましたらご連絡させていただこうと思います。興味深いお話しを教えていただきまして、ありがとうございました。
| ほーほ | 2018/03/22 3:20 PM |
早速お返事を頂きありがとうございます。西洋の旋律に日本語の歌詞を付けることは「小学唱歌」をはじめとして主に学校教育という国を挙げての取り組みとしてなされてきたように思います。私が知りたいこの歌詞も文語体なので、明治か大正の時代の女学唱歌かもしれないとも思っています。お返事をいただいたことでいろいろと考える方向が広がった気がします。これからもよろしくお願いいたします。
| 石渡あおい | 2018/03/23 1:28 AM |
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espanyol-mp3_ マンデー・ブルーの宵、ここでひとつ軽い音楽でひと息入れて下さいませ。以前にアップした「
| 猫と音楽の日々(仮) | 2010/05/24 10:24 AM |

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