先日ひさしぶりに普通の(=古書店ではない)本屋さんに行って、折口信夫(おりくち・しのぶ)の『口訳万葉集』が岩波現代文庫から出ていることを知って驚いた(刊行は2017年)。
本書はその書名のとおり、「万葉集」4500余首のほぼ全歌の原文(漢字かな交じり文)とその口語訳を対照して示したもので、初版は大正5(1916)年から大正6(1917)に発行されている。初版に付された芳賀矢一の「諸論」に「之(=万葉集)を現代語に訳したものは、恐くは、これが第一の試であろうと思う」(原文は旧字・旧仮名)とあり、この種のものは本書が最初であったらしい。折口信夫30歳の頃の著作である。
折口自身は後に本書を未熟の書として絶版にしたが、1954年から1957年にかけて刊行された「折口信夫全集」(中央公論社)に収録されて再び世に出た。ただしこの全集本は初版の出版後になされた折口の書き入れを本文に採用したり、訳文の用字法を統一したり(本書の訳文は折口の口述を数人が交代で書き取ったもののため、書き取った人ごとに用字法が異なっていた)と、初版本とは若干異なる部分があるようだ。これに対して岩波現代文庫本は、書店の店頭で斜め読みしたところでは全集本ではなく初版本を底本に採っているらしく、全集本とは細部に違いがあるかも知れない。
全集本は中公文庫から文庫版で出版されていて(現在は絶版?)、私も文庫版全集を持っているので、当初は岩波現代文庫版にあま食指が動かなかったのだが、全集版ではなく初版本を底本としているらしいことを知って、俄然興味がわいてきた。
というのは、折口が本書巻頭の「口訳万葉集のはじめに」に次のように書いているからである。
「考証文を添える事の出来なかったのと、おなじ理由で、一語々々の詳らかな解説をすることは、避けねばならなかった。それで、為方なく、巻末に、名物・作者・語格索引を兼ねた、万葉辞書をつけることにしたが、これにも、万葉辞書として、独立の価値が持たせたい、というはかない欲望から、下巻の末の百五十頁ばかりに、纏めて出すことにした。此は、是非、参照して頂かねば、隈ない理会は得られまいと思う。(中略)とにかく、本文・訳文・辞書の三つは、始中終、対照して見て貰わねばならぬ。」(全集文庫本 pp.7, 9)
ところが全集本にはここで言われている「万葉辞書」に当たるものが見当たらない。全集本はもともと三巻本として出版された初版本を二巻に収めているのだが、その際に収録から外れたのか、そもそも「万葉辞書」そのものが初版本にもついていなかったのか、その辺の事情が全集本の解説には書かれていない。もし岩波現代文庫本が初版本に基づいているのなら、ひょっとすると全集盆にはない「万葉辞書」が下巻の末についているのかもしれないではないか。
そう思うと矢も盾もたまらず、最寄りのまあまあ大型書店であるイオンモールの中の書店を覗いてみたが、ここには目的のブツは置かれていなかった。そこで最近つくば市内にオープンしたコーチャンフォーという大型書店に行ってみると、果たしてここには在庫していたので、ドキドキしながら下巻(岩波現代文庫本は上・中・下の三巻構成)を手に取り、本文の最後を見た。しかしそこには全集本と同じく、万葉集の掉尾を飾る大伴家持の「新しき年のはじめの初春の、今日降る雪の、弥頻(いやし)け。吉言(よごと)」の歌があるばかりで、万葉辞書に相当するものはなかった。
これはどういうことか、下巻巻末の解説にも「万葉辞書」に関する言及はなかった。しかし念のために上巻の「口訳万葉集のはじめに」を見たところ、「…下巻の末の百五十頁ばかりに、纏めて出すことにした」の後に(本書には収録しなかった)という一文が加えられているのが見つかった。つまり初版本には「万葉辞書」があったのだが、何らかの理由で岩波現代文庫本には収められなかったということがわかったのだ。同様に「万葉辞書」を載せていない全集本にはこの種の注釈がないので、この点は岩波現代文庫本の方が親切である。しかしなぜこれが全集本にも岩波現代文庫本にも収録されなかったのか、その理由は残念ながらわからない。初版本そのものの「万葉辞書」の部分を見ればその理由が推測できるかもしれないし、全集刊行時の「月報」に何か書かれているかもしれない。引き続き注意してみたい。