折口信夫の「万葉辞書」

先日ひさしぶりに普通の(=古書店ではない)本屋さんに行って、折口信夫(おりくち・しのぶ)の『口訳万葉集』が岩波現代文庫から出ていることを知って驚いた(刊行は2017年)。
本書はその書名のとおり、「万葉集」4500余首のほぼ全歌の原文(漢字かな交じり文)とその口語訳を対照して示したもので、初版は大正5(1916)年から大正6(1917)に発行されている。初版に付された芳賀矢一の「諸論」に「之(=万葉集)を現代語に訳したものは、恐くは、これが第一の試であろうと思う」(原文は旧字・旧仮名)とあり、この種のものは本書が最初であったらしい。折口信夫30歳の頃の著作である。
折口自身は後に本書を未熟の書として絶版にしたが、1954年から1957年にかけて刊行された「折口信夫全集」(中央公論社)に収録されて再び世に出た。ただしこの全集本は初版の出版後になされた折口の書き入れを本文に採用したり、訳文の用字法を統一したり(本書の訳文は折口の口述を数人が交代で書き取ったもののため、書き取った人ごとに用字法が異なっていた)と、初版本とは若干異なる部分があるようだ。これに対して岩波現代文庫本は、書店の店頭で斜め読みしたところでは全集本ではなく初版本を底本に採っているらしく、全集本とは細部に違いがあるかも知れない。

全集本は中公文庫から文庫版で出版されていて(現在は絶版?)、私も文庫版全集を持っているので、当初は岩波現代文庫版にあま食指が動かなかったのだが、全集版ではなく初版本を底本としているらしいことを知って、俄然興味がわいてきた。
というのは、折口が本書巻頭の「口訳万葉集のはじめに」に次のように書いているからである。
「考証文を添える事の出来なかったのと、おなじ理由で、一語々々の詳らかな解説をすることは、避けねばならなかった。それで、為方なく、巻末に、名物・作者・語格索引を兼ねた、万葉辞書をつけることにしたが、これにも、万葉辞書として、独立の価値が持たせたい、というはかない欲望から、下巻の末の百五十頁ばかりに、纏めて出すことにした。此は、是非、参照して頂かねば、隈ない理会は得られまいと思う。(中略)とにかく、本文・訳文・辞書の三つは、始中終、対照して見て貰わねばならぬ。」(全集文庫本 pp.7, 9)
ところが全集本にはここで言われている「万葉辞書」に当たるものが見当たらない。全集本はもともと三巻本として出版された初版本を二巻に収めているのだが、その際に収録から外れたのか、そもそも「万葉辞書」そのものが初版本にもついていなかったのか、その辺の事情が全集本の解説には書かれていない。もし岩波現代文庫本が初版本に基づいているのなら、ひょっとすると全集盆にはない「万葉辞書」が下巻の末についているのかもしれないではないか。

 

そう思うと矢も盾もたまらず、最寄りのまあまあ大型書店であるイオンモールの中の書店を覗いてみたが、ここには目的のブツは置かれていなかった。そこで最近つくば市内にオープンしたコーチャンフォーという大型書店に行ってみると、果たしてここには在庫していたので、ドキドキしながら下巻(岩波現代文庫本は上・中・下の三巻構成)を手に取り、本文の最後を見た。しかしそこには全集本と同じく、万葉集の掉尾を飾る大伴家持の「新しき年のはじめの初春の、今日降る雪の、弥頻(いやし)け。吉言(よごと)」の歌があるばかりで、万葉辞書に相当するものはなかった。
これはどういうことか、下巻巻末の解説にも「万葉辞書」に関する言及はなかった。しかし念のために上巻の「口訳万葉集のはじめに」を見たところ、「…下巻の末の百五十頁ばかりに、纏めて出すことにした」の後に(本書には収録しなかった)という一文が加えられているのが見つかった。つまり初版本には「万葉辞書」があったのだが、何らかの理由で岩波現代文庫本には収められなかったということがわかったのだ。同様に「万葉辞書」を載せていない全集本にはこの種の注釈がないので、この点は岩波現代文庫本の方が親切である。しかしなぜこれが全集本にも岩波現代文庫本にも収録されなかったのか、その理由は残念ながらわからない。初版本そのものの「万葉辞書」の部分を見ればその理由が推測できるかもしれないし、全集刊行時の「月報」に何か書かれているかもしれない。引き続き注意してみたい。

| 本のこと | 08:01 | comments(0) | - | pookmark |
雪隠読書録:『新板 ナチズムとユダヤ人 アイヒマンの人間像』(村松剛 1962 / 1972 / 2018 角川新書)

※本書は Kindle 版で読んだので、引用箇所にページ数を付記しておりません。

 

ハンナ・アレントの『エルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』(1963)はいずれ読みたいと思っていますが、本書はその関連本として読みました。著者の村松剛(むらまつ・たけし)氏は1975年から筑波大学の教授を務めておられ、私も一コマだけですが授業を受けました。ご自身の著書『死の日本文學史』(1975)を用いての講義でしたが、品行方正で素直に生きてきた好青年(当時)にはよくわからない内容だったようで全く記憶になく、テキストとして買った同書(ハードカバーで結構なお値段でした)も売っ払ってしまいました。今なら読めるかも。

 

ナチスの絶滅収容所にユダヤ人を送り込む最高責任者であったアドルフ・アイヒマン親衛隊中佐は、第二次世界大戦終結後アルゼンチンで偽名を使って逃亡生活を送っていたが、1960年にモサド(イスラエルの情報機関)によって捕らえられてイスラエルに移送され、1961年の4月から12月にかけてイスラエルの国内法に基づいて裁判にかけられました。この裁判は国際的な注目を集め、村松氏は「サンデー毎日」誌の臨時特派員として前後一ヶ月あまりこの裁判を傍聴し、「サンデー毎日」誌にルポを連載したようです。
本書はそのルポではなく、裁判資料や裁判の速記録、アイヒマンの供述書などに基づいて書かれたもので、著者自身「個人的解釈がはいるのは、ある程度さけられないことですが、資料のないこと、あっても不確かなことは、一つも書いてはいません。」(「あとがき」―これは初出の角川新書版(1962)への「あとがき」だそうです)「解釈はべつとして事実に関しては、資料のないこと、あっても不確かなことは、一つも書かなかったつもりです。」(「アイヒマン裁判覚書―あとがきにかえて―」)と述べています。

続きを読む >>
| 本のこと | 10:53 | comments(0) | - | pookmark |
皇海山はもともと「こうがいさん」だった

しばらく前から雪隠読書で『山の旅 明治・大正篇』(近藤信行編 2003 岩波文庫)を読んでいて、今は木暮理太郎(こぐれ・りたろう)の「皇海山(すかいさん)紀行」にかかっています。大正8(1919)年11月の登山記だそうです。
木暮理太郎は日本の登山史に名を残す登山家で、明治6(1873)年群馬県生まれ。明治29(1896)年頃から日本アルプス・秩父・上越・南アルプス等で開拓者的登山を行い、傍ら山の紀行文や山岳研究を発表し、昭和19(1944)年逝去。確か私の好きな詩人の尾崎喜八(おざき・きはち)が「山を見る木暮先生」という詩を書いていたと思いますが、今ちょっと出てきません(「山を描く木暮先生」とは別の作)。私はその詩に描かれた、自分の興味に従ってある分野をこつこつと一人で拓き、それに気づいた人々がそこに寄ってきて人臭くなった頃にはもう別な方を向いているという、世に阿(おもね)らず自分の価値観に従って融通無碍で群れることを嫌う、慎ましい孤高の姿を慕わしく思っています。
皇海山(すかいさん)は栃木県日光市と群馬県沼田市との境にある、足尾山地に属する山で、標高は2,144mだそうです。深田久弥の「日本百名山」にも選定されています。私は登ったことはないし登れる気もしません。

 

すかいさん、というのは Sky(空)を連想させるおもしろい名前ですが、「皇海山」という表記とはうまくつながりません。木暮理太郎は上に書いたとおり山岳研究を盛んに行っていたので、この皇海山についても江戸時代の地誌から山名の変遷をたどっています。山をやる人には既に常識なのかも知れませんが、私はこれを読んで、初めて皇海山という名前の由来を知って感動したので、紹介しようと思います。
木暮によると、この山は江戸時代の史料には「さく山」「座句山」「サク山」と書かれているといいます(pp.313-4)。これが明治12年の史料になると「笄山。勢多郡ニテ之ヲサク山ト云。」と書かれます(p.314)。「笄」は音は「ケイ」、訓は「こうがい」と読む字なので、「笄山」は「こうがいやま」または「こうがいさん」と読んだものと思われ、それまでの「さくやま」または「さくさん」とは明らかに別系統の名前です。さらに明治21年の史料に「皇開山」という表記が出てきます(p.315)。「皇開」も「こうがい」への宛字(あてじ)でしょう。こうした「こうがい」への宛字の一つが現在使われている「皇海」であると見られます。
しかし本来「こうがい」であった「皇海」がなぜ、いつ頃から「すかい」と読まれるようになったのかは木暮先生にも調べがつかなかったと見えて、「スカイと呼ばれるようになったのはいつ頃からの事であるか知らないが、勿論最近の事であろうと思う。皇海が何かの原因でスカイと誤読されてそのまま通用するようになったものであろう。」(p.316)としています。そして「皇は「すめ、すめら」と読むから皇海をスカイと誤読することは有り得よう。(中略)コウガイがクワウガイと漢字をあてられることなどは、地方には稀でない例である。」(p.316)という説を出しています。
つまり「皇海山」と書いて「すかいさん」と読むのは木暮説に従えば「誤読」の結果であって、「こうがいさん」が歴史的に正しい呼称なのです。だから「すかいさん」の徒が、誰かがこの山を「こうがいさん」と呼ぶのを聞いて「ああ素人が」と嘲笑(わら)うのは本来はお門違いで、少なくとも歴史的には「すかいさん」の徒の方が宛字を誤読する愚を笑われても仕方がないことになります。ただ多勢に無勢、自分一人がこの山を「こうがいさん」と呼んだところで、「あああの山ね」と応じてくれる人がおそらくいないであろうことは遺憾です。

 

ところで上に揚げた木暮説の後半「コウガイがクワウガイと漢字をあてられる」(p.316)という部分は、「笄」と「皇海」ではそれぞれ仮名づかいが違うにもかかわらず「笄」の代わりに「皇海」という漢字があてられることに言及したものですが、近年の岩波文庫の緑帯の「旧仮名づかいを現代仮名づかいに改める。」という表記方針がここでは悪い方に働いて、文の意味がうまく通らなくなってしまっていることには触れておかなければならないでしょう。
「笄」の旧仮名づかいはコウガイではなく「カウガイ」で、「皇海」の旧仮名づかいは「クワウガイ」なので、現代仮名づかいに改める前の原文は「カウガイがクワウガイと漢字をあてられる」とあったはずです。旧仮名づかいを読める人なら、ここで「ああ仮名が違ってもそんなことにはお構いなしに、聞いた音(おと;ここではコーガイ)に漢字を当てたということだな」とピンと来るでしょうが、「コウガイがクワウガイと」では仮名づかいが新旧中途半端で、特に旧仮名づかいを読む準備のない読者には何のことやらわけがわからないのではないでしょうか。
こういうところをどう処理して原文の意図を読者に誤りなくわかりやすく伝えるかが編集者の腕の見せ所なのですから、杓子定規に「現代仮名づかいに改める」のではなく、たとえば「カウガイ(注:「笄」の旧仮名づかい)がクワウガイ(注:「皇海」の旧仮名づかい)と」と注を入れるなど、もうひと工夫してほしかったところです。

| 本のこと | 22:29 | comments(0) | - | pookmark |
雪隠読書録:『石神問答』(柳田國男 明治43(1910)/ 『柳田國男全集』第15巻(1990 ちくま文庫)に収録)

赤松啓介『民俗學』(1938 三笠書房)を読み始めたものの、あまりにも唯物史観臭がひどいので途中で読むのをやめたことは9月11日の投稿のとおりですが、同書中で「本書の重要性は中小農没落必至化の傾向に基底崩壊を感じた官僚の、小ブル的農本主義に立つ懐古的・空想的研究の発端をなしたことにあり」と評されている柳田國男『石神問答』(明治43(1910)聚精堂 / 昭和16(1941)創元社より再刊)を読んでみました。本書は『後狩詞記』(のちのかりことばのき・明治42(1909))『遠野物語』(明治43(1910))等と並ぶ柳田國男の最初期の作品で、日本民俗学の礎を築いた記念碑的著作でもあるので、日本民俗学を系統的に学ぼうとする人は一般教養として若いときに読むんじゃないでしょうか。私は折口信夫(おりくち・しのぶ)に惹かれて民俗学の門を叩いたのに、大学で勉強する日本民俗学では折口の学問は傍流扱いであったことに落胆してやさぐれていたので、読まないままに今日まで40年が経ちました。ちょうど手元にある『柳田國男全集』15巻(1990 ちくま文庫)に入っているので、この機会にと読んでみたようなわけです。

 

本書は基本的に往復書簡集です。柳田がシャグジという名の路傍の神について抱いた疑問を、学問仲間で「東京人類学雑誌」等の常連でもあった山中笑(やまなか・えみ、後にえむ;山中共古とも号す)に問い合わせた手紙から始まります。その後文通先は歴史学・東洋史の白鳥庫吉(しらとり・くらきち)、地理学・考古学・被差別部落研究など幅広い学的関心と問題意識を持った歴史学者の喜田貞吉(きだ・さだきち)、民話採集者で「遠野物語」の話者の佐々木繁(ささき・しげる;佐々木喜善、佐々木鏡石とも)などへ広がり、その総数は34通に上っています。
書簡集という体裁のため本文は候文(そうろうぶん)の手紙の連続で、要所に注が加えられているものの、論文のように「問題提起・考察・結論・今後の展望」といった形にまとまっているわけでは全くありません。一応「シャグジとはどういう神か」という大テーマはあるものの、手紙をやり取りするうちに柳田もその相手も、少しでも関連があるのではないかと思われる事柄を次々に提出していき、話題は神道からも仏教からも道教からもはみ出した「雑神」全般に広がって、あたかも「共同研究・シャグジ論」をまとめる上での舞台裏の様相を呈しており、しかもその「共同研究・シャグジ論」は前述のとおりついにまとまらないままに終わってしまうのです。

さすがの柳田もこれだけで成書として出版するには忍びなかったと見え、本文の前に「概要」として書簡中に現れた主要なトピックをいくつかのグループに分けたものを付けており、これが「共同研究・シャグジ論」の梗概とも見られ得ます。しかしそれとても実質的にはグループ分けされたトピックとそれに言及した手紙が載っているページを示しただけの一種の目次で、何らの考察も加えられておらず、いわば幹から多くの枝葉を出した大木がそのまま切り倒されて横たわっているようなもので、一々の枝葉を避けて幹だけをたどるもよし、逆に枝葉を細々(こまごま)とたどって自分なりの問題を見つけるもよし、読み取り方は各読者に任せられていると言えましょう。
もしも枝葉を避けて幹だけをたどるのであれば、最後の3通の書簡「32 柳田より中山氏へ」「33 柳田より緒方翁へ」「34 松岡輝夫氏へ」は読んだ方がよいと思います。この3通はいずれもこの往復書簡集をまとめて出版する考えを述べており、議論の収束を意図して一応の結論めいたものをとりまとめようとしていることがうかがわれるからです。勿論それ以外の一々の書簡も読むに如くはありません。候文の書簡の書き方が実例でわかりますし笑。

続きを読む >>
| 本のこと | 19:29 | comments(0) | - | pookmark |
雪隠で読み始めたがやめた本:『民俗學』(赤松啓介 昭和13(1938) 三笠書房)

本書の著者の赤松啓介は1909(明治42)年生まれの民俗学者で、戦前は独学で民俗学的調査を行うかたわら非合法時代の日本共産党に入党し、収監されたこともあるといい、戦後は神戸市史編集委員、神戸市埋蔵文化財調査嘱託などを務め、差別・夜這い(性愛)・百姓一揆など、従来の民俗学が扱ってこなかった分野の研究を行いました。


本書は三笠全書の一冊として刊行されたもので、著者の「はしがき」にあるように「何よりも一般的な知識を提供したかったので、そのような配慮から民俗学のすべてに亘る一応の提起を企図した」(p. 3 原書は旧字・旧かなづかいだが引用は新字・新かなづかいに改めた。以下同じ)ということなので、戦前の1938(昭和13:実際には日中戦争はこの前年の1937(昭和12)の盧溝橋事件から始まっているが)年の日本民俗学の状況を知りたいと思って読み始めました。

 

一応本書の目次を掲げます。漢数字はアラビア数字に改めました。

 

はしがき

 

第1章 民俗学発達の史的展望

第1節 民俗学の胎生と発達

1. 民俗学のの典型的発達
2. 民族学の特徴的形成
3. 科学的建設の萌芽

第2節 日本に於ける発達

1. 幕藩末期における萌芽
2. 人類学に於ける胎生
3. 郷土研究に於ける形成

第3節 最近の情勢と動向

1. 民俗学としての成立
2. 民俗学の転換と動向

 

 

第2章 民俗学の対象と方法

第1節 民俗学の対象

1. 民間伝承とは何か
2. 歴史性及び社会性
3. 民俗学の目的

第2節 民俗学の方法

1. 方法の多様に就て
2. 相違と一致の比較
3. 発展と運動の結合

第3節 民俗学の技術

1. 採取技術の発達
2. 調査技術の形成
3. 組織技術の胎生

 

第3章 伝承の停滞と運動

第1節 封建習俗の残存と崩壊 ―生産諸関係―

1. 村の文化
2. 村の生産
3. 村の工業
4. 村の商業

第2節 封建習俗の残存と崩壊 ―社会的機構・社会的意識―

1. 村の組織
2. 村の共同
3. 村の崩壊

第3節 俗信の集団的調査に就て

1. はしがき
2. 採取資料
3. 整理と考察

 

あとがきとして

 

 

 

続きを読む >>
| 本のこと | 19:29 | comments(0) | - | pookmark |
雪隠読書録:『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』(クリストファー・R・ブラウニング著 谷喬夫訳 2019 ちくま学芸文庫)

まずはカバー裏の紹介文を転記します。
「薬剤師や職人、木材商などの一般市民を中心に編成された第101警察予備大隊。ナチス台頭以前に教育を受け、とりたてて狂信的な反ユダヤ主義者というわけでもなかった彼らは、ポーランドにおいて3万8000人ものユダヤ人を殺害し、4万5千人以上の強制移送を実行した。私たちと同じくごく平凡な人びとが、無抵抗なユダヤ人を並び立たせ、ひたすら銃殺しつづける――そんなことがなぜ可能だったのか。限られた資料や証言を縒り合わせ、凄惨きわまりないその実態を描き出すとともに、彼らを大量殺戮へと導いた恐るべきメカニズムに迫る戦慄の書。原著最新版より、増補分をあらたに訳出した決定版。」
本書の大まかな内容はここに書かれているとおりです。私たちが二度と戦争に加担しないために、「私たちと同じごく平凡な人びと」を「大量殺戮へと導いた恐るべきメカニズム」を知っておきたい、ということで本書を手に取りました。
ネタバレで恐縮ですが、この紹介文が「恐るべきメカニズムに迫る」と絶妙な書き方をしているとおり、本書ではその「メカニズム」に迫ってはいますが、明らかにするところまでは至っていません。しかしその「メカニズム」が単一の要素だけから成るのではなく、様々な要因の組み合わせの結果であろうということは、ほぼ納得できる形で示されています。たとえばミルグラムやジンバルドーによる実験からうかがわれる人間の社会心理学的な性向、反ユダヤ主義の伝統、ナチスの教育、当時の社会的な状況等々、さまざまな要因が絡み合ったところにこの「メカニズム」が成立していたらしいことが、特に本書の初版(1992年)に続いて発表されたダニエル・ゴールドハーゲンの『普通のドイツ人とホロコースト――ヒトラーの自発的死刑執行人たち』(原書1996、邦訳2007)で提唱されている「当時のドイツ国民の精神に「抹殺主義的反ユダヤ主義」が骨の髄まで浸透していたから」(p. 509)という、「当時のドイツ社会だけに見られた単一原因説」と対照させながら、周到綿密な調査と豊富な文献により示されています。

続きを読む >>
| 本のこと | 17:19 | comments(0) | - | pookmark |
最近読んだ本:『前橋繁昌記』(以文会 明治24(1891)/ 昭和49(1974)復刻)

先日のこと、例によって古書を漁っていたら、ひときわ異彩を放つ古風な表紙の冊子を発見。あまりに達筆なため書名が読めませんでしたが、『前橋繁昌記』です。花をつけた桜の幹を斜めに配し、書名もそれに合わせて斜めにレイアウトしてあるのがなかなか斬新。白抜きの円の中には前橋市街と榛名山でしょうか、赤い四角の中には明治時代の前橋に富をもたらした生糸が描かれています。書名『前橋繁昌記』の下の字は「以文會発行」と読めます。


本書は明治24(1891)年に群馬県東群馬郡前橋町(現・前橋市)の以文会が発行した『前橋繁昌記』を、前橋市の群馬県立図書館内の「みやま文庫」が昭和49(1974)年に復刻したもので、「前橋繁昌記の解題を兼ねて」と「みやま文庫刊行のことば」が巻末に付け加えられている他は、原本をそのまま再現しています。そのため旧仮名遣いなのは勿論、変体仮名や合字が多用されており文体も明治の文語文なので、慣れないとなかなか読みづらいと思いますが、前橋に縁のない私が読んでも興味深く面白い内容を含んでいます。明治時代の前橋の街の空気を感じることができる貴重な史料と思われます。

 

まずは目次を掲げます。原本は旧字ですが新字に直します。また各項目の頭に「一(ひとつ)」が付いていますが省きます。(ママ)は用字・用語が原本どおりであることを示します。( )は私が補った字です。

 

叙文(ママ)
前橋旧城の由来並に県庁の沿革
前橋繁昌の由来並に幅員戸口の事
市街変遷の事
前橋の気候
群馬県庁並に県会議場の事
地方裁判所並に区裁判所の管轄
公証人、代言人、執達吏、並に扣所ノ心得
東照宮並に招魂祠、臨江閣、風呂川、知事の官宅と市中有志者姓名、岩神飛石、笹の湯、求全舘、磯部温泉、大渡
 附 光厳寺古墳、国分寺旧墟
師範学校、中学校
集成学舘 並に諸私立学校
大林区並に群馬苗圃
利根橋 附 惣社明神の由来
監獄署の事
龍海院並に是字寺の縁起
上毛新聞並に印刷業の人名
病院、並に医師、産婆、薬剤師、薬舘、薬種商の姓名商号
郡役所並に直税署、間税署
警察署と管区の件
前橋町役場と公民、町会、納税者の事
市中各小学校の話 本屋 筆墨店
神社仏閣基督教会堂と宗教現時の体裁
郵便、電信、(ママ)
各銀行、物産、改良の二会社及び其の状況
製糸会社、製糸家及び其状況
上毛養蚕新古比較評
四ノ仲買 生糸、繭、屑物、蛹
五ノ市場 生糸、繭、桑、魚、青物
諸種の会社
諸種の会
勧工場、劇場、寄席
前橋停車場、双子山、弾正林、元の仕置場
上毛馬車鉄道並に片石、橘山、箱田神社
旅店案内、人力車道里の事
前橋名所の志ほり 天野の藤
煉瓦製作場並に屠牛場
料理店の案内に芸妓の品行論
 附 西洋料理、すし、牛店、蕎麦、蒲焼

 

(これ以下は本書中の図版の名称)
前橋市街全図 附 古城図
旧侯入部の図
知事出勤の図
県庁の図
東照宮の図
臨江閣の図
楽水園の図
岩神の図
龍海院是字寺の図
利根橋並に監獄署の景
味噌附饅頭の図
糸挽工女の図、並に熨斗買の図
八幡、神明、八坂の三景
師範学校の図
中学校の図
桐華組の図
交水社の図
昇立社の図
三九銀行の図
繭市場の図
勧工場の図
敷島、愛宕、劇場の図
田中町停車場並に上毛馬車停車場の図

(原書の「前橋繁昌記目録」は以上)

 

洋銘酒 原野屋広告と原書奥付
以文会広告
公証人高橋賢の「稟告」(広告)
前橋求全舘鉱泉広告

前橋繁昌記の解題を兼ねて(萩原 進)
みやま文庫刊行のことば

続きを読む >>
| 本のこと | 17:13 | comments(0) | - | pookmark |
雪隠読書録:『日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで』(日埜直彦(ひの・なおひこ) 2021 講談社選書メチエ746)

これまで個々の建築を見て「モダニズムだ」とか「表現主義ふう」とか、あるいは「看板建築に銅板が使われているのは関東大震災の影響だ」とか「アーチ型の窓があるので関東大震災後の復興小学校じゃないだろうか」などと、断片的な知識をもとに知ったふうなことを言ったり書いたりしてきましたが、自分が目にする建築の大多数を占める明治時代以降の西洋建築を歴史的に通観してみたことはありませんでした。たまたま今年の3月に本書が出版されたので、渡りに舟と購入・・・しようとしたのですが、なぜか都内の書店にも置かれていなくて、最終的には八重洲ブックセンターの、それも講談社選書メチエのコーナーにはなく建築書の売り場でようやく発見しました。

 

目次を見てわかるとおり、本書を読む上での前提となる知識や用語の定義について述べる序章の後が大きく2部に分かれます。第1部が「国家的段階」で、時代的には明治維新から1970年に行われた大阪万博の前までの約100年をカバーします。この時期については従来から通史が存在したようです。第2部が「ポスト国家的段階」で、時代的には1970年以降の約50年をカバーします。建築に対する国家のイニシアチブが消失し、建築家の進む方向が拡散的になった時期です。本書の巻頭の目次は、序章以外は私自身が後で内容を振り返るには簡単すぎるので、本文中の小見出しを併記することにしました。なお漢数字を算用数字に改めたものがあります。

 

はじめに
序章
1 建築の保守性とその例外としての日本近代
2 世界的な近代建築の普及と日本の特殊性
3 通史の不在と現在の見え難さ
4 三つの着眼
    持続的変化/二つの近代化/二つの段階

 

第1部 国家的段階

 

第1章 明治維新と体系的な西洋式建築の導入

前提としての明治維新/幕末の状況が規定した維新後の方向/不平等条約と西洋式建築の導入/進歩派長州閥と初期の西洋式建築導入/初期の西洋式建築の導入プロセス/誰が西洋式建築を必要としたか

 

第2章 非体系的な西洋式建築の導入

開国後の産業建築/開国後の居留地の建築/北海道の開拓使と関係したアメリカの影響/擬洋風建築/非体系的西洋式建築の系譜の収束

 

第3章 国家と建築家

国家による建築家の育成/国家が建築家に与えた職務/国家お抱えの建築家/明治の建築家の実情/明治の建築家の主体性

 

第4章 明治期における西洋式建築需要の到達点

明治建築の急速な成熟/明治建築の到達点

 

第5章 直訳的受容から日本固有の建築へ

様式論争/〈日本の様式〉とナショナル・ロマンティシズム/建築論の役割/合理主義の確立/工学的建築への転回/「構造派」/上からの都市化と下からの都市化/テクノクラートとしての建築家/都市への視野の拡張

 

第6章 近代化の進行と下からの近代化の立ち上がり

素材の近代化と普及/都市化と建築の近代化の進行/建築家の増大と大正期の成果/「新しい商館建築」/「看板建築」/高度な大工の技術/生活改善運動

 

第7章 近代建築の受容と建築家の指向の分岐

近代建築の国際的な状況/分離派建築会/新興建築運動の連鎖/マヴォ/創宇社建築会/新興建築家聯盟など/今和次郎のバラック装飾社/私的な領域における多様なスタイルの展開/村野藤吾の例外的性格/帝冠様式/〈日本=モダニズム神話〉とタウトの日本滞在/ナショナル・ロマンティシズムとしての〈日本の様式〉とその限界

 

第8章 総動員体制とテクノクラシー

日本工作文化聯盟/満州における建築家の活動/丹下健三と西山夘三/「国家の建築家」の責任

 

第9章 戦災復興と近代建築の隆盛

NAUと近代建築論争/終戦から1950年代前半まで/レッドパージと伝統論争/建研連と五期会/1950年代後半から70年まで/未来都市の提案

 

第10章 建築生産の産業化と建築家のマイノリティ化

建築産業の成長/建築基準法の制定と建築家の法的地位/建築技術の高度化と合理化/住宅生産の近代化/フリーランスの建築家のイニシアティブの喪失/「日本の建築家」

 

第11章 国家的段階の終わり

 

第2部 ポスト国家的段階

 

第1章 ポスト国家的段階の初期設定

建築の領域における異議申し立て/大阪万博/国家が進めていた建築の公共性とその空白

 

第2章 発散的な多様化と分断の露呈

都市からの撤退/虚構の崩壊/1970年代の建築と住宅/巨大建築論争と「その社会が建築を創る」/「平和な時代の野武士達」と「私的全体性の模索」

 

第3章 新世代の建築家のリアリティと磯崎新

住宅というテーマ/住宅以外への進出/建築のための建築

 

第4章 定着した分断とそれをまたぐもの

メディアで問われたこと/組織の建築家/ギャップのかたわらに見られた地道な実践

 

第5章 バブルの時代

消費される建築/私有化される都市/都市を取り返す動き/祝祭の裏側

 

第6章 1990年代以降の展開と日本人建築家の国際的な活躍

建築の本来性/平面への注目/質感への集中/インクルーシブな建築/みんなの家/磯崎新の国際的な活動

 

第7章 ポスト国家的段階の中間決算

〈規範〉の150年

 


あとがき
図版出典

続きを読む >>
| 本のこと | 18:04 | comments(0) | - | pookmark |
雪隠読書録:『近代の超克』(河上徹太郎、竹内好 他 1979 冨山房百科文庫23)

先日読んだ『増補「戦争経験」の戦後史』(成田龍一 2020 岩波現代文庫)に「近代の超克」という語が2回出てくる、そういえば以前同名の本を読んだはずだが探してみても読後感を記録していない、それではということで今回腰を据えて読み直すことにしたのが本書です。
本書は2部から成り、第I部には雑誌「文学界」が1942(昭和17)年9月号・10月号に連載した座談会の模様を翌1943年に単行本化して出版した『近代の超克』(知的協力会議 1943 創文社)を収め、第II部には1959(昭和34)年に筑摩書房版『近代日本思想史講座』7「近代化と伝統」に掲載された竹内好(たけうち・よしみ)の論文「近代の超克」を収めています。

本書は新書判で、松本健一による「解題」が9ページ、目次と凡例が3ページ、本文が341ページと、それほど大部の本ではありませんが、内容はなかなかに読み応えがあり、さらに私の方に当時の状況や空気感、また竹内論文を読む上での前提となる知識や理解の不足があるために、読書と読後感のまとめに相当時間がかかりました。

読後感を大変大雑把に言えば、本書の第I部の内容をなす座談会そのものは、「近代の超克」というテーマに対して座談会としての統一見解や何らかの結論を出すには至っておらず、そういう意味では失敗だったということになります。

しかし座談会としては失敗だったにもかかわらず、なぜ「近代の超克」が戦争とファシズムの象徴としての「悪名」を負うことになったのか、という問題意識から書かれたのが第II部をなす竹内論文で、「近代の超克」というテーマについてさまざまな視点からアプローチしています。

なお、本記事は全文敬称略とさせていただきます。

続きを読む >>
| 本のこと | 18:44 | comments(0) | - | pookmark |
雪隠読書録:『増補「戦争経験」の戦後史 語られた体験/証言/記憶』(成田龍一 2020 岩波現代文庫 / 学術423)

本書は岩波書店の「シリーズ 戦争の経験を問う」の1冊として2010年2月に出版された『「戦争経験」の戦後史――語られた体験/証言/記憶』に、その後の10年間の動向を考察した「補章」と「岩波現代文庫版あとがき」を加えて、2020年8月に岩波現代文庫で出版したものです。巻末の「関連著作年表」と「索引」は、追加された「補章」の内容までカバーしています。
本書で扱われる「戦争」とは、1931年9月18日の満州事変や1937年7月7日の盧溝橋事件をきっかけとする日中戦争と、1941年12月8日にアメリカ、イギリスなどへ宣戦布告した太平洋戦争を含み、1945年8月15日に「終戦」を迎えた戦争をさし、本書ではこれを「アジア・太平洋戦争」と呼んでいます。本書は戦後の日本社会がこの戦争とどのように向き合い、それを受容してきたかに注目し、戦争経験を「体験」「証言」「記憶」の3つの分野の三位一体であるとした上で、この三者のうちのどれが優勢で他の二者を統御するかによって、戦後という時期を


1) 戦争経験のある人々が同様の経験を持つ人々に語りかける「体験」の時代(1950年代から60年代)
2) 経験を有する人々がそれを持たない人々に語り伝える「証言」の時代(1970年前後)
3) 戦争経験を持たない人々がそれまでに書き留められ語り伝えられた戦争経験を検証し再構成する「記憶」の時代(1990年前後)


の3つの時代に分け、それぞれの時代がどのように「アジア・太平洋戦争」をとらえてきたかを叙述していきます。

続きを読む >>
| 本のこと | 09:37 | comments(0) | - | pookmark |

CALENDAR

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH