谷塚散策、のつもりが浅間神社にハマって・・・(埼玉県草加市)

 2017年1月28日(土)の午後、ふと思い立って埼玉県草加(そうか)市の谷塚(やつか)を訪れました。ここを訪れたのはいささかセンチメンタルな理由からですが、それはこの文章には関係ないので省きます。東武スカイツリーライン(伊勢崎線)に乗って北千住駅から6つめの「谷塚」駅に降り立ったのが午後4時を少し回った頃。6時過ぎから都内某所でオーケストラの練習があるので、谷塚にいられるのは1時間くらいです。

 

  高架の島式ホームから階段で下りて一つしかない改札を出ると、出口が東口と西口の二つありますが、何せ急に思い立って来たのでこの街のことは全くわかりません。まずはとりあえず両方の出口の様子を伺ってみることに。

 

 東口の方は出るとすぐに案内図があり、駅前はロータリーになっていて25階建ての大きなマンションがあったりと、けっこう開けている感じ。

<東口を出るとすぐ目に入るのが「草加市住居表示街区案内図」(右写真)。三角形の底辺の真ん中あたりに谷塚駅があり、右斜辺の青い帯は毛長川。この図は北を示す矢印が左を向いていることからわかるとおり上が東で、この図に正対したときに地図と実際の方位が合って見やすくなっています。ただ、この向きで背中側になる西口側は「谷塚町」という字があるだけで空白になっているのは、ちょっとなあ・・・西方面へ行く人は西口へ回ってくれということなのかな>

 

<「草加市住居表示街区案内図」の右側にもう一つ、「避難誘導案内板」という案内図がありました。この図は「草加市住居表示街区案内図」と違って、地図の上が北という一般的なルールにしたがって描かれているので、両方の案内図を突き合わせるにはちょっとアタマを使わないといけません。谷塚駅はこちらの図のほぼ中央にあり、その右側に広がる黄色の部分が「草加市住居表示街区案内図」の三角形のエリアの下半分にあたります。オレンジ色が駅の西側の谷塚町(やつかちょう)エリア、緑色は吉町(よしちょう)エリアです。>

 

 一方の西口は案内図もなくこじんまりしています。

<西口で目についたのがこの三角(実際にはこの角だけが尖った不等辺四角形)のビル。変形地を極限まで利用した結果であろうこの尖った部分の内側がどのように使われているのか興味あり。普通に物置みたいに使われているのか、ひょっとするとまさかの説教部屋とか?

 ・・・そういえば突然思い出しましたが、2年間お世話になった大学の学生宿舎の私が入った部屋は、ホームベースをタテに引き伸ばしたような五角形で、その尖った斜めの辺に窓がついていました。備え付けの机とベッドとスチールの本棚をどう置いたものか、しばし悩みました。んー、大学って自由だ(笑)。ちなみに学生宿舎の部屋の多くは普通の四角形で、五角形の部屋は少数です。念のため。>

 

 そこで再び東口の案内図をしばし眺め、東口からまっすぐ進んで県道49号足立越谷線と交わる交差点を右折し、夕暮れの水神橋に佇んで茜色に染まる毛長川の流れをぼんやり眺めてみることにしました。うん、こりゃ十分センチメンタルじゃろうて!

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JR蓮田駅(埼玉県蓮田市)から30分ぶらぶら散歩

 年明け早々の土曜日(2017年1月7日)、オーケストラのメンバーと埼玉県蓮田市の清龍酒造の酒蔵見学ツアーに行きました。私は蓮田という所にはこれまで行ったことがないので、待ち合わせ時間より約1時間早めに着いて、30分ほどぶらぶらしてみました。快晴でしたが冷え込みが強く、マフラーとニットの帽子が手放せません。

 

 今回は東京駅から上野東京ライン・宇都宮線の直通を利用。570円奮発してグリーン車に乗ってみました。2階建て車両の2階は車窓の眺めもよく、グリーン車にはモーターがついてないので静かで快適。何だか旅行気分。

<左写真は蓮田駅でグリーン車から下りたときに撮りました。乗ったのは4号車でしたが少し進行方向に歩いてから撮ったので5号車が写っています。右写真は2階進行方向左側の車窓からの眺め。団地萌えです(笑)>

 

 蓮田駅は改札が一つで出口が東口と西口の二つ。東口の方が国道122号に面して賑やかなようなので、今回は東口側をぶらーりすることに。地図を持たないぶらぶら歩きながら、一応駅の東にある元荒川を目指します。広い幹線道路よりも一本入った静かな通りの方が「物件」が見つかりそうな気がするので、嗅覚の導くままに蓮田駅前からまっすぐ元荒川方面へ伸びる道の一本東側の道へ入り込みました。

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野岩線の旅
 年明け早々の2016年1月3日、栃木県日光から福島県会津に抜ける野岩(やがん)鉄道会津鬼怒川線と会津鉄道会津線に乗ってテツ分を補給してきました。野岩鉄道会津鬼怒川線(以下「野岩鉄道」)は東武鬼怒川線の新藤原(栃木県日光市)と会津高原尾瀬口(福島県南会津郡南会津町)とを結ぶ全長30.7kmの路線、会津鉄道会津線(以下「会津鉄道」)は会津高原尾瀬口と西若松(福島県会津若松市)とを結ぶ57.4kmの路線です。
 この日はJR常磐線で荒川沖から柏へ出て東武アーバンパークライン(野田線)に乗り換え、春日部から東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の直通快速列車に乗って東武日光線下今市から東武鬼怒川線に入り、新藤原から野岩鉄道を完乗し、会津鉄道の会津田島まで乗ってきました。この直通快速はセミクロスシート・トイレ付の快適な車両(東武6050系)で会津田島まで乗り換えなし、しかも運賃のみで特別料金不要という優れものです。会津への旅にお薦めですよ〜!

 あまり知られていないようですが、栃木県日光近くの今市(いまいち)と福島県会津若松は会津西街道によって古くから結ばれており、昔の宿場町の姿をよく残していて観光地としても人気があり重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている大内宿は、この街道の宿場です。現在では国道121号が会津西街道と呼ばれて今市と会津若松を結んでいます
 一方この区間の鉄道はというと、明治20年頃(1880年後半から1890年頃か)に県境一帯で敷設を希望する声が高まり、1904(明治39)年には国による測量も行われたらしく、1922(大正11)年に「栃木県今市ヨリ高徳ヲ経テ福島県田島ニ至ル鉄道」が改正鉄道敷設法による敷設予定線となりました(会津西街道のうちこの予定線に含まれていない会津若松−会津田島間は、これとは別に軽便鉄道法で計画されていた)。しかしこの予定線の実現はそれから64年後の1986(昭和61)年の野岩鉄道の開通まで待たなければなりませんでした。つまり東武線下今市−会津鉄道会津田島間を乗った今回の旅はこの今市−田島間の予定線をたどる旅であったわけですが、それと同時に、私の学生時代の思い出をたどる旅でもありました。私はこの沿線の旧・栃木県塩谷郡栗山村(現・栃木県日光市)をフィールドにして卒論を書いたので、このあたりはまんざら知らない土地でもなかったのです。

 まずはこの予定線の歴史関係を整理しておきましょう(左図参照)。会津側は軽便鉄道法によって1934(昭和9)年に開通していた国鉄会津線の西若松−会津田島間を延長する形で、1953(昭和28)年に会津田島−会津滝ノ原(現・会津高原尾瀬口)間が開通しました。これが今日の会津鉄道です。
 一方の栃木側はやや事情が複雑で、予定線の起点として想定されていたのは1890(明治23)年に開業していた国鉄日光線の今市駅でしたが、鬼怒川水力電気下滝発電所(現・東京電力鬼怒川発電所)の資材運搬を目的とした下野軌道が、予定線の構想に先立つ1917(大正6)年から1919(大正8)年にかけて、国鉄今市駅前に新たに設けた新今市駅から藤原(現・新藤原)駅までの間をいち早く開通させており、1929(昭和4)年には起点を新今市駅から東武日光線の下今市駅に変更しました。これが現在の東武鬼怒川線です。しかし残る新藤原−会津滝ノ原間はその後長く未開通のままでした。
 この区間については、おそらく地形や地質、当時の工事技術等の問題から、戦前には実質的な進展がありませんでした。戦後になって1957(昭和32)年の鉄道建設審議会で今市−会津滝ノ原間が調査線とされ、1962(昭和37)年には工事線に格上げされましたが、あくまでも国鉄日光線の今市駅を基点とするこの工事線と、既に下今市から新藤原まで鬼怒川線を運行していてこれと一部並走・競合することになる東武鉄道との間の調整が難航、1966(昭和41)年には栃木県側の接続点が未定のまま、見切り発車の形で福島県側から工事が開始されました。ところが全体の40%ほどまで工事が進行していた1980(昭和55)年12月に国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)が制定され、工事は凍結されてしまいます。
 しかしその間に、この路線の栃木県側の接続点を東武鬼怒川線の新藤原とし、国鉄でなく第3セクターによる運営とする調整が行われ、それを受けて翌年の1981(昭和56)年に福島県、栃木県、東武鉄道などが第3セクター「野岩鉄道株式会社」を設立、さらにその翌年の1982(昭和57)年初めには工事を再開し、予定線となってから64年間未開通のまま残っていたこの区間は、幾多の紆余曲折の末1986(昭和61)年10月9日に開通しました。この日地元には「悲願80年」という掲示や「祝開通 ばあちゃんやっと電車が通ったよ ぢいちゃん早く乗ってみべ」という手製の立て看板などが見られたそうです。80年は国による測量が行われたという1904(明治39)年を野岩線元年として数えたものでしょうか。県境一帯で鉄道敷設の声が高まったという明治20年、すなわち1887年を起点とすれば「悲願百年」ということになります。

  ところで私が栃木県の旧・栗山村でフィールドワークしながら卒論を書いていたのは、建設工事が再開された1982(昭和57)年のことでした。旧・栗山村は五十里(いかり)湖の西方に427.37平方キロメートルという広大な面積(栃木県内の自治体では最大で、その90%以上は山林)をもって広がる山村でしたが、野岩鉄道は実際には村の東端をかすめるように通るだけで、旧村域内の駅も湯西川温泉駅ただ一つだけです。そして私のフィールドは村内西南部の野門(のかど)という集落で、野岩鉄道のルートからは大きく外れていました(図参照)。それでも野門集落に住む複数の人々から野岩線という言葉が聞かれ、たとえ自分たちの集落はルートから外れていても、野岩鉄道の開通が村の振興によい影響を与えるであろうという期待が見て取れました。
 それ以来30数年、私は野門集落はおろか旧・栗山村をも訪れておりません。せめて車窓からなりとも、野岩線の開通を待ちわびていた旧・栗山村の今日の姿を見たいというのが今回の旅のもう一つの目的でした。
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| 地域とくらし、旅 | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
駒込天祖神社で茅の輪くぐり
 6月27日(土)のお昼頃、所属している某オーケストラの室内楽演奏会を聞くために、JR駒込駅から本郷通りを歩いて文京区駒込地域活動センターへ向かっていたところ、左(北)側へ入る通りに「天祖神社入口」という石の道標と「夏越大祓」(なごしのおおはらえ)の幟(のぼり)が立っているのに気づきました(左写真)。
  私は出先で神社を見つけると、できるだけお参りすることにしています。この日もまだ時間があったので、早速この道へ入りました。夏越大祓といえば6月30日の茅の輪くぐりですが、こちらの神社では融通を利かせて、直近の週末であるこの日にも間に合わせていただいているようです(神主様が立ち会ってのお祓いは翌日28日の午後4時からだったらしい)。出不精な私はこれまで6月30日に神社に出向いて茅の輪をくぐったことがない(今日だって家にいてこの記事書いてるし・・・)ので、思わぬところで茅の輪くぐりを初体験することになりました。

 この道へ入るとすぐの角に「旧町名案内」という看板が立っています(右写真)。このあたりは昭和41(1966)年まで「駒込神明町(こまごめしんめいちょう)」だったとのことで、町名の説明文と旧町域図が出ています。以下、説明文を転記します。なお[ ]内は説明文にあるフリガナです。

旧 駒込神明[こまごめしんめい]町
      (昭和41年までの町名)

 もと、北豊島郡駒込村の内であった。明治24年、旧神明原の大部分、本村、本村下、富士裏[ふじうら]、丸山、丸山下の地を東京市に編入して一町とした。
 町名は、神明社[しんめいしゃ](現・天祖[てんそ]神社)の所在地であるところから神明町とした。
 文治[ぶんじ]5年(1189)源頼朝[みなもとのよりとも]が奥羽征討の途中、夢にお告げを聞き探させたところ、大麻[たいま](伊勢神宮のおふだ)がかかっていた。頼朝は喜びここに神明社を建てたという。
 古川柳[こせんりゅう]に“駒込は一富士二鷹三茄子[なすび]”という句がある。富士神社、鷹匠[たかじょう]屋敷と富士裏(富士神社裏)のなすの駒込の名物がうたいこまれている。

 説明文は以上です。説明文の隣の地図(左写真)を見ると、今通っているこの道が区立第九中学校の前を通って天祖神社の正面に至る、いわば参道であることがわかります。なるほど道沿いに「夏越大祓」の幟が立ち並んでいました。
 
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筑波海軍航空隊記念館とその周辺
 「筑波海軍航空隊記念館」(左は開館時のポスター)はJR常磐線の友部駅から南に2kmほど行った「県立こころの医療センター」の敷地内にあります。戦争関係の記念館が病院の敷地内にあるのは不思議ですが、実は順序としては逆で、病院の方が筑波海軍航空隊の跡地に作られたのです。

 ここはもともと大正7(1918)年に農林省(当時)の友部種羊場として開かれた所で、その後茨城県種畜場、日本国民高等学校として使われた後、昭和9(1934)年に霞ヶ浦海軍航空隊友部分遺隊が置かれ、練習機による操縦基礎教育を開始しました。その後友部分遣隊は昭和13(1938)年に筑波海軍航空隊(以下「筑波空」)として独立し、この年に司令部庁舎(ポスターに移っている建物で、現在記念館となっている)が完成します。
 筑波空は1945(昭和20)年の敗戦により解体されましたが、跡地と建物等の施設は旧制水戸高等学校、宍戸中学校、茨城師範学校に転用された後、昭和35(1960)年に茨城県立友部病院(現・茨城県立こころの医療センター)が開設されて現在に至っています。

<写真は昭和22年頃の筑波空跡地の空中写真。直角三角形と長方形などが組み合わさった白い図形状の部分は訓練用の滑走路で、大部分が現在も道路として残っています。筑波空はこの滑走路の左上側に展開していて、司令部庁舎を含む建物群が写っています(筑波海軍航空隊記念館のガイドブックから転載)。>

 県立友部病院の管理棟等に利用されていた筑波空の司令部庁舎は、県立こころの医療センターが平成23(2011)年に新病棟に移転した後も取り壊されず、敷地内にある号令台や供養塔等の筑波空関連の施設と一緒に残されました。またセンターの敷地の周囲には地下戦闘指揮所跡(土・日・祝日のみ公開)、無蓋掩体壕跡(見学不可)があり、当時の滑走路も道路になって利用されていますし、さらにJR水戸線の宍戸駅方面から開かれた「海軍道路」とその記念碑も現存しています。この一帯には筑波空に関連する戦争遺跡が多く残っているのです。

 ここが筑波空の遺跡として注目されるきっかけとなったのが平成25(2013)年12月21日に公開された映画「永遠の0」。「ALWAYS 3丁目の夕日’64」(平成24(2012)年1月21日公開)のロケでこの旧・司令部庁舎を使ったことがあった山崎貴監督が、「永遠の0」の撮影に当たって、作中の主要人物の宮部久蔵の実際の職場であった筑波空の旧・司令部庁舎でロケ(平成24(2012)年6月)を行い、それがきっかけとなって旧・司令部庁舎が「筑波海軍航空隊記念館」として公開されるに至ったのです。オープンは映画「永遠の0」公開初日の前日の平成25(2013)年12月20日。理由や事情は承知していませんが、今のところ平成27(2015)年3月31日までの期間限定公開の由。管理運営は筑波海軍航空隊プロジェクト実行委員会です。

 上述のとおり筑波空の前身は霞ヶ浦海軍航空隊の友部分遣隊でしたが、その本隊があった阿見町には航空隊内に置かれた予科練(海軍飛行予科練習生)の遺品展示を中心とした「予科練平和記念館」(平成22(2010)年2月オープン)があり、私も見学して、展示された「実物」の迫力に圧倒されました。
 しかし「予科練平和記念館」の建物は新しく建てられたモダンな建物です。これに対して「筑波海軍航空隊記念館」はその建物自体からして「実物」なわけで、これはぜひ見たい!しかも来年3月いっぱいまでの期間限定ですよ。早く行かなきゃ!
 というわけで、2014年10月29日(水)に、見学に行ってきました。
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「くにニャンストラップ」を求めて国立へ
 9月3日(水)に上野の東京国立博物館で開かれている台北國立故宮博物院展を見に上京したついでに、国立に行くことにしました。そのきっかけになったのが、こちら。なんでも「くにニャンストラップ」なるものが販売されているらしい!しかも市役所のロビーじゃ平日の昼間でないとね。
  「くにニャン」は国立市のゆるキャラです。2012年11月4日に一橋大学の学園祭「一橋祭」の企画「くにたちマスコットキャラクターグランプリ」において、20のキャラクターが参加した一次選考で「くにいたち」に続いて第2位に入り、二次選考で見事1位となりました。見た目では彦根市島根県にも似たようなキャラクターがいるみたいですが、くにニャンは「くにたち駅舎のさんかくねこ」で、赤い三角屋根がトレードマークだった旧・国立駅舎に出入りしていた猫の妖精といわれており、右手と左手がそれぞれ「立川方面」「新宿方面」と決まっているなど、そのフォルムは勿論オリジナルです。詳細はこちらでご確認ください。
  というわけで、今年4月5日(土)の雹が降ったお花見以来の国立ですよ。ほとんど花見の時期にしか来ないので、この時期の国立はおそらく高校卒業以来35年ぶりです。
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| 地域とくらし、旅 | 13:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2014年7月30日に日立市大甕(おおみか)めぐり(その2)
3.水木海水浴場
 日立市大甕めぐりの「その1」では大甕神社と泉が森・泉神社を歩きました。さて泉が森から海の方へ歩くと水木海水浴場へ出ます。日立市の沿岸は海面から10〜25メートルほどの台地が海に迫っていて、その末端の崖下にある白砂の砂浜が海水浴場となっています。水木海水浴場から海岸に沿って南へ歩くと、そうした地形の特徴がよくわかります。

<左写真:泉が森から水木海水浴場への道を歩くとやがて前方に海が見えてきますが、この写真からわかるとおり、台地の末端は急に切れて海に落ち込んでいます。日立市では東日本大震災の津波被害を教訓として、多くの場所にその地点の標高を表示しており、地形散歩にもこれが便利。この辺りの台地の標高は12mです。>

<右写真:しかし12mの崖が切り立っていたのでは海に下りられず海水浴場になりませんから、傾斜のゆるい所に道をつけて海岸へ車で下りられるようにしてあります。>

<左写真:水木海水浴場。海へ向かって突き出した突堤の南側、奥行数十m、幅50mほどの砂浜が海水浴場になっていて、この日は平日だったせいもあり比較的すいていました・・・というか、海の家も大音量の音楽もないここは主に地元の方々御用達のローカルビーチで、休日でもゆったりのんびりした雰囲気で過ごせるのではないかと想像しますが、どうでしょうか。
 この写真の海水浴場の突き当りにもっこりとした森が見えますが、これも台地で、比高は20mくらいあります。そのさらに向こうに上面が平らで海に突き出している岬があり、この辺りではこのように海へ突出している岬状の地形を「○○鼻」と呼んでいます。ここから見えているのはこれから目指す田楽鼻(でんがくばな)です。>

<右写真:水木海水浴場の突堤の北側の海岸。突堤の南側と同じように砂浜が広がり、台地の高さ、つまり崖の比高も北側の方が低くて、むしろ南側よりも海水浴場向きのように思われますが、海岸には波消しブロックが積まれています。この海岸は見かけによらず波が高いのかも知れません。水、きれいですね。>

 
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2014年7月30日に日立市大甕(おおみか)めぐり(その1)
 日立市大みか町(住居表示は「甕」が平仮名になる)の某大学に勤める家内が、体調が悪いけれども休めないと言うので、大学まで送り迎えすることになりました。しかしつくばから日立までは往復だけで2時間以上、高速料金もそれなりにかかり、ただ送り迎えで2往復するのも勿体ないし、大甕という所はこれまで未踏の地であったので、この機会に半日ばかり大甕周辺を歩き回ることにしました。しかし大学の先生っていうのもなかなかハードなのね・・・

 普通は突然知らない街(それもかなーり田舎の方の)にぽんと降ろされて、ここで半日過ごせと言われてもちょっと困ってしまいますが、実は大甕にはそれなりに見どころがありまして、こんな本(左写真『懐かしの街さんぽ(懐かしの街さんぽ製作委員会 編 2013 幹書房))にも駅の東側(海側)を回るモデルコースが出てます。今回は暑い折でもあり、モデルコース(8.9km)の前半部分を歩き、銅像と日立おさかなセンターが主な見どころである後半は省略して大甕駅へショートカットすることにしました。実際にはスタート地点が大甕駅ではなくその西側の大学だったし、大甕駅までの戻りの歩きも加わった(モデルコースではおさかなセンターから大甕駅までバス利用)ので、歩いた距離はたぶんモデルコースとそんなに変わらない、というかむしろ長かったかも。
 なお書いてみたらずいぶん長くなってしまいそうなので、その1とその2に分けてアップしようと思います。内容的には前半の「その1」は神社・淡水編、「その2」は海・街編ということになります。
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| 地域とくらし、旅 | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
代々木・南新宿界隈の台地と谷を歩く
 コントラバスの弓の具合が悪くなり、修理に出すことにしました。私の行きつけの楽器店はJRの代々木駅から西へ延びる道が小田急の線路をアンダークロスする地点のすぐ手前にありますが、この道はトラック等も利用するので、小田急線をくぐるアンダーパスは頭上を通る線路とのクリアランスを確保するためにぐっと掘り込まれています。そのため先日のゲリラ豪雨の際に車が沈むほど深く冠水し、そこへ突っ込んでしまった車のドライバーの救出を報じたテレビニュースのおかげで一躍有名になった・・・でもないか(笑)。
 現在の地形図では建物が立て込んでいて地形が見にくいですが、建物があまりなかった明治30年頃作成の2万分1迅速測図を見ると、この辺りは多摩地方から伸びてくる武蔵野台地の末端で、南東側からの谷がいくつかに分かれて台地を侵食しており、例の小田急線をアンダークロスする道はこの谷のうちの一つに沿っていて、周囲の台地面より一段低いことがわかります。谷と台地の比高は場所によって10〜15mほどもあり、そのために周りからの雨水が一気にこの谷の道へと流れ込み、小田急線のアンダーパスが急激に冠水したわけですが、台地を刻む谷はこれ以外にもいくつかあって、そのためこの辺りはなかなか起伏に富んでいます。さらに車で入るのがためらわれるような細い道が縦横についていて、ふらりと迷い込めば面白いものが見つかりそうな雰囲気が漂っています。
 というわけで、7月14日の月曜日に弓を修理に出すついでに、このあたりをさまよってみることにしました。時間は正午前後の約1時間、例によってカメラ片手に地図は持たず、太い道より細い道を選んでぶらぶらします。エリアとしては小田急の南新宿駅を中心にほぼ半径100m圏内で、ほとんど代々木二丁目のご町内です。
 ちなみにこの日のカメラはニコマートFTNとニッコールH・Cオート50f2、フィルムはネガカラーの業務用フジカラー100。注記のある一部の写真はコンデジのFUJI X20で撮影しました。

  <左は今回散歩した地域の概念図。歩いた時にはどこを回ってどう歩こうという計画は全然なかったし、そもそも地図もなくスマホのマップも使いませんでしたが、結果的には代々木駅からおおむね時計回りに歩いたことになりますね。緑の線が今回歩いたルート(実際にはもっとちょこちょこ脇道に入ったりしてます)で、赤字は記事中に出てくるポイント。地形的には代々木駅から西(左)へ進む道の途中からと、「谷底」から「肉屋ビル」にかけての北西(左上)ー南東
右下)方向の一帯が谷筋、それ以外のところが台地です。谷筋と台地の間は当然のことながら坂になっていて、たったこれだけしか歩いてないわりにはけっこう上り下りがあったなぁという印象。>


 (左写真)まずは代々木駅西口から西へ延びる通りを楽器店へ向かう途中で発見した外階段付きの barアンネ。職住接近でも分離、みたいな?または2階はVIP席とか?残念なことにこの辺には例の楽器店以外には用事がないので、私はこの街の夜の姿を知らないのですが。

 (右写真)小田急線のアンダーパスの手前から北へ坂を上ると台地上を走る小田急を踏切で渡ります。この踏切を渡ってしばらく行くと台地上のいわばミニ山の手地帯となり、道沿いに建つ横文字名前のマンションの駐車場にはベンツ、レクサス等の高級車がひしめいております。ただこの辺りの道はいずれも細く、向こうから来たベンツとこちらから来たレクサスがすれ違うのはちょっと苦しいかもしれません。
 
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取手駅から台宿、本多作左衛門重次の墳墓
 梅雨空の七夕から一転梅雨の晴れ間となった7月8日の朝、つくばバスターミナルに高速バスの回数券を買いに来たら、どうも散歩の虫がうずきます。あてもなくつくばエクスプレスに乗り込んでから、東京まで出ようかそれともどこか途中で・・・そうだ以前から気になっていた常総線の騰波ノ江(とばのえ)や大宝(だいほう)の辺りをぶらぶらしてみようと思い立ち、守谷で下車。ところが大宝までは片道1,030円もするし、さらに土・日・祝日に一日フリーきっぷがあることがわかったので、騰波ノ江・大宝はまたの機会に譲ることにしました。しかしこのまま守谷から戻るのもつまらないし、出鼻をくじかれて遠出する気分も萎えてしまったので、とりあえず常総線で取手へ。

 というわけで特にあてもなく取手に来ました。取手といえば駅の東側を旧・水戸街道が通っていたはずですが、下調べも何もしていないので、それがどこをどう通っていたのか全然わかりません。まあとにかく東の方へ行ってみれば何かあるべと思い定めて東を目指すことにしました。常総線からぽんと降りて西口に出てしまったため、駅ビルをぐるっと回って跨線橋を渡り、そのまま真っ直ぐ細い道をとにかく東を指して進んで行くと、ちょっと広い道にぶつかりました。角のところに「台宿中地区自主防災会倉庫」と書かれたプレハブ倉庫と、「茨城県指定史跡 本多作左衛門重次墳墓 ↑ 600m」と書いた案内柱が立っています。ほれー、何かあったっぺよ!

  本多作左衛門重次という人がどういう人か全然知りませんが、お墓が県指定史跡になっているくらいの人だから名のある方に違いない。600mなら歩くにも手頃だし、ひょっとしたらお墓が街道筋にあったりして・・・というわけで、さっそく矢印の方向へ。
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