悪い音符? 〜ベートーヴェン交響曲第4番の弾かれない音符〜

配信やサブスクに押されて「レコード芸術」誌も休刊となり、「あなたが初めて買ったCDは何ですか?」なんていう質問も「かう?かうって何?」と「夕鶴」のつうみたいに返されてしまう日も遠くないのではないかと思われる今日この頃ですが、私が初めて買ったCDは谷山浩子のコンピレーションアルバムでした。1980年代の中頃ですかね。そのアルバムに入っている「たんぽぽ食べて」(1983)は、次のような語りで始まります。

 

この街には昔から 悪い噂があった
誰も口にしたがらない 悪い噂があった
やがて時が流れて 人々は噂を忘れた
やがて時が流れて 噂は誰も知らない噂になった
(以下略)

 

実はこれ、ベートーヴェンの交響曲第4番の第1楽章にある、ある音符のことなのですよ…

 

この曲には昔から 悪い音符があった
誰も音にしたがらない 悪い音符があった
やがて時が流れて 人々は音符を忘れた
やがて時が流れて 音符は誰も弾かない音符になった

 

その音符とは、第1楽章が長い序奏を経て Allegro vivace の主部に入り、第1主題の提示も第2主題の提示も終えて、そろそろ提示部が閉じられようとする第183小節の頭、チェロとコントラバスに書かれている低いF音(ファ)の四分音符です。この音符は初版以来ほぼ全ての出版譜に印刷されてきたし、またベートーヴェン自身の自筆譜を含む全ての一次資料にも明白に記されているにも関わらず、古(いにしえ)の巨匠から現在の新進気鋭の若手までひっくるめて、この音符を音にし録音に残した指揮者は、私の知る限りあの革命児ニコラウス・アーノンクールただ一人(私が聞いていないだけで実際には他にもいるかも知れませんが、とにかくごく少数)です。
ちゃんとベートーヴェン自身が書いたことがはっきりしているのに、これほど身元の確かな音符なのに、なぜ誰も音にしないのか?この音符を弾くと何か祟りが?「天空の城ラピュタ」の「バルス!」的なことが?ああっ、ホールが倒壊するぅ〜!?

 

〈譜例は第1楽章の第180小節以降。問題の音符は最下段のチェロ / コントラバスのパートに書かれている、赤で囲った四分音符。もちろんパート譜にもはっきり印刷されています。〉
 

続きを読む >>
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 11:25 | comments(0) | - | pookmark |
アルヒーフの初期のLP再び

先日、古書店で入手したクリーム色ジャケットの初期アルヒーフのLPについて書きましたが、その続報です。
一昨日に件の古書店を再度訪れたところ、さらに初期アルヒーフのLPを発見しました。これがなんと、名盤の誉れ高いカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団によるバッハの管弦楽組曲(全4曲)だったのです。実はこれは私にとっては衝撃的な発見でした。
先日入手したクリーム色ジャケットの国内盤にはジャケット裏面に「ドイツグラモフォン音楽史研究室 アルヒーヴレコードの分類について」という大変啓蒙的な文章が載っていたし、英語盤の「カルテ」にも同様の内容が掲載されていたので、私は「今回入手したクリーム色ジャケットのアルヒーフのLPはおそらくレーベル発足後まもない時期のもの」と判断しました。さらに私が中学生の頃に見たリヒターのアルヒーフ盤は、いずれもグレーのジャケットか生成りのクロス装のボックスに「ドイツ直輸入盤」の帯がついたもので、一方当時のクリーム色ジャケットのアルヒーフ盤は中学生が聞いたこともない作曲家の作品で、在庫数も少なく、言っちゃあナンですが「売れ残り」感が漂っておりましたですよ。
そんな経験から、私はクリーム色ジャケットのアルヒーフについて「おそらくレーベル発足後数年にわたって新興レーベルの紹介と古楽への啓蒙の役割を果たしたもので、ヘルムート・ヴァルヒャやカール・リヒターといった1960年代・70年代のアルヒーフの屋台骨を支えた花形演奏家が出た頃にはグレーのジャケットに衣替えしていたのであろう」と何となく考えていました。
ところが今回発見したリヒター盤は1961年のステレオ録音で、全曲盤としても長く発売され、特に2番と3番の1枚ものはドイツ・グラモフォンレーベルでも発売されたし、現在でもCDで入手可能。もちろん私の中学生時代には「ドイツ直輸入盤」で、お値段的にもちょっと手の届かないものでした。これがクリーム色ジャケットで、しかも日本グラモフォン株式会社発行の国内盤として出ていたとは!クリーム色ジャケットは私が何となく考えていたよりも長い間発売されていたのですね。もちろん「第9研修部門・・・J.S.バッハの創作活動 シリーズL・・・序曲と交響曲」と研究部門制度も健在です。

〈上2枚は第1番・第4番、下2枚は第2番・第3番のそれぞれの表面・裏面の写真です。〉

 

 

続きを読む >>
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 17:47 | comments(0) | - | pookmark |
アルヒーフの初期のLPを入手しました

古楽専門レーベルの草分け「アルヒーフ」については、このブログで10年前に一文をものしたことがありますが、このたび土浦市内の古書店で初期のアルヒーフのLPを2枚入手しました。どちらも実に興味深いもので、私としてはいささか興奮気味ですよ。

 

まず1枚めは中世のフランスの作曲家アダム・ドゥ・ラ・アレ Adam de la Halle の作品と13、14世紀の舞曲集。といってもクリーム色の表紙を見ても、すぐにはその内容がわかりません。まずアルヒーフの大きなロゴと「ドイツ・グラモフォン社の音楽史研究スタジオ」という名乗り(と言うのか?)があり、その下に「研究部門 II 中世中期(1100-1350)」、さらにその下に3列に分かれて「シリーズA:トゥルバドール、トゥルヴェールとミンネゼンガー」「シリーズB:遊興芸人の音楽」「シリーズC:1300年までの初期多声音楽」と研究部門の下位分類が示されて、その下にようやく作曲者と曲名が一番小さい字で印刷されています・・・と、おや、曲名が日本語になっている!そうです、これは日本グラモフォン株式会社から発行された日本語版のLPなんです。例の「一文」にも書きましたが、私が子どもの頃に見ていたグレーを基調としたジャケットのアルヒーフのLPは「ドイツ直輸入盤」という帯が麗々しくかけられていて、その帯と日本語解説(これは別紙に印刷して挟み込まれたもの)以外は100%ドイツ製でしたが、そうなる前のこの黄色いジャケットの時代には日本語版があったのです。これは初めて知りました。ちなみにLPの中心のレーベルも日本語が印刷された日本語版仕様です。すげえ。

 

ジャケットを裏返してみると、全面を使って「ドイツグラモフォン音楽史研究室 アルヒーヴレコードの分類について」という、研究部門とその下位分類のシリーズの一覧が掲載されています。その冒頭の「緒言」がこのレーベルの志すところを実に格調高く簡潔に述べているので、ここに摘記します。


「過去の音楽的遺産は汲みつくし難いものであるが、今日まで次のような原因からレコードに吹込まれる機会はきわめて少なかつた。即ち、初期の音楽は古典及び現代音楽に比べて演奏会での演奏は殆ど行われず、また時代が遡るほど楽曲の解釈が困難になるからである。
ドイツ・グラモフォン社では、かような事情から音楽史研究室を創設したのであるが、ここで行われていることは西欧音楽初期即ち7世紀頃のグレゴリアン・チャントからモーツァルトの青年時代に至る約1000年の変遷を、専門家並びに愛好家のためにアルヒーヴ・レコードとして録音することであつた。
これまでの試みと異ることは、ここでは音楽史中一定の範囲に限つてその実例となるものを順次並べるということよりも、むしろその芸術的香気が今日まで漂いつづけている永遠の音楽を、教育的な意図や一定の範囲に縛られずにレコード上に再現することを目論んでいるということである。
音楽史スタジオは、この企画を音楽学、芸術、技術の各点から今日成し得る最高の型(ママ)で完成すべく、全楽曲を

原譜を基礎としたオリジナルな形態で
歴史的な楽器を使用し、最初のスタイル通りの演奏で
評判の演奏家の手による生き生きした演奏で最新の音響技術を動員した録音で

提供するものである。」

 

岩波文庫巻末の「読書子に寄す」を思い起こさせる高い調子が懐かしい。ジャケット裏にはこれに続いて各研究部門とシリーズが列記されていますが、それぞれの研究部門の前に付された短い説明はちょっとした西洋音楽史の体をなし、勉強になります。

 

ジャケットは見開きになっていて、曲目解説は内側片面に印刷されています。例の「一文」に書いたように、アルヒーフレーベルの特徴は楽曲や演奏者、録音等に関する詳細を記載した「カルテ」にありますが、どうやら当時の日本語版にはこの「カルテ」は付かなかったようで、演奏された個々の楽曲、演奏者(サフォード・ケープ指揮プロ・ムジカ・アンティクァ)のメンバーや使用楽器、演奏に使用したテクスト、録音場所は楽曲解説の中に書かれています。録音年月日の記述が抜けていますが、LP盤の真ん中のレーベルに「DATUM 23.9.1953」とあるので1953年の録音であることがわかります。モノラル録音で音質は良好です。

 

演奏内容は、現在の何でもアリアリの(時にちょっとお下品な?)スタイルとは一線を画すやや抑制的なもので、歌唱はヴィブラートあり、器楽曲はフィドルなどオリジナルのレプリカも使われていて、やはりヴィブラートあり。
舞曲にはノリのよい演奏もあるものの、こうしたスタイルの演奏に慣れていた当時の古楽愛好家の耳には、あの鬼才デイヴィッド・マンロウの登場はさぞかしショッキングであったろうと思われました。実際私がマンロウの演奏で聞いたことがある曲もこのLPに含まれていますが、あの天衣無縫なドライブ感とは別物です。しかしここに聞く、うぶで慎ましい、しかし未開拓の分野の音楽に触れていく喜びをたたえた演奏も間違いなく歴史の1ページであり、それ自体まことに懐かしく好ましいものでした。

続きを読む >>
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 19:33 | comments(0) | - | pookmark |
アルバム「Saintjeum」(紙ふうせん)

ちょっと変わったアルバムと遭遇。紙ふうせん(後藤悦治郎・平山泰代)の「Saintjeum(サンジュアム)」というアルバムで、発売は2000年5月。FFA(Folk Friendship Association)というレーベルからの発売です。Saintjeumとは平山泰代氏の造語で「30年のミュージアム」という意味だそうです。
全11曲を収めたこのアルバムには、赤い鳥時代の「翼をください」「紙風船」「竹田の子守唄」と、紙ふうせんの「冬が来る前に」といった旧曲も、フォルクローレ調の新しいアレンジでの録音で収められています。
このアルバムが「ちょっと変わっ」ているのは、このうちの「翼をください」と「竹田の子守唄」で、いずれも過去のシングルやアルバムに収録されていない歌詞が歌われているのです。

続きを読む >>
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 17:31 | comments(0) | - | pookmark |
バラが咲いた ーマイク眞木バージョン(仮)の成立試論ー

浜口庫之助(ハマクラさん)が作詞・作曲しマイク眞木が歌って1966年に発売された「バラが咲いた」は、音階をドから順番にソまで上がって、またラから順番に下りてくるだけといってもよいシンプルなメロディーと、スリーコードで間に合うとっつきやすいコード進行のため、子どもの頃の私(1966年には5歳)も聞いてすぐに覚えられました。
ところでマイク眞木によるこの曲の録音を聞いてみると、メロディーの細部が異なる2通りの録音が存在しています。私の手元の音源で言いますと、「青春歌年鑑 60年代総集編」(以下「総集編」という)に収録されている録音では、Aメロの最後2小節が譜例1のようになっています。

この形での歌唱は、たとえばこちらで聞くことができます。

一方、同じ「青春歌年鑑」シリーズの「青春歌年鑑 '66 BEST30」(以下「BEST30」という)に収められている録音では、同じ箇所が譜例2のように歌われています。

 

 

Wikipedia によると、同じ「青春歌年鑑」シリーズのアルバムに同じ曲が異なったバージョンで収録されているのはままあることらしく、この他に私が気づいたところでは、「フランシーヌの場合」(新谷のり子)の「総集編」に収められているバージョンも、よく聞くギター1本とストリングスによるしみじみしたものではなく、あっと驚く明るく派手派手な、初めて聞くアレンジです。イントロクイズに出されたら絶対正解できない自信があります!(何威張ってんだか笑)

続きを読む >>
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 15:39 | comments(0) | - | pookmark |
昭和歌謡独り言〜忘れてしまう

【忘れてしまう】

 今回は前回の補足です。前回でユーミンの『あの日にかえりたい』(1975年)の中の「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」を取り上げました。その時には「青春の後ろ姿」について、岩崎宏美の『思秋期』(1977年)や森田公一とトップギャランの『青春時代』(1976年)を引き合いに出して考えてみたんですが、もう少し歌詞の内容を掘り下げてみると、『あの日にかえりたい』と『思秋期』『青春時代』とは、大雑把にいえば過ぎ去った青春を懐かしむ、愛おしむという意味でほぼ同じ内容の歌ではあるけれども、その問題意識というか、注目している点が違うのです。ここでは『思秋期』を取り上げて、その違いを見てみたいと思います。

 

 「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」(『あの日にかえりたい』)と「青春は忘れもの 過ぎてから気がつく」(『思秋期』)には、「青春」「忘れ」という共通のワードが2つもあり、「後ろ姿」と「過ぎてから気がつく」も実質的に同じことといってもよいのですが、この2つの歌詞の内容は実はけっこう違います。
 まず「青春は忘れもの 過ぎてから気がつく」(『思秋期』)の方は、「青春は忘れもの」という静的な記述が主な内容で「過ぎてから気がつく」は「忘れもの」の説明として付け足されています。
 これに対して「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」(『あの日にかえりたい』)の方は、『思秋期』では「忘れもの」の補足説明に過ぎなかった「過ぎてから気がつく」に相当する「(人はみな)忘れてしまう」という動作の方に力点があり、逆に『思秋期』の主文であった「青春は忘れもの」に相当する「青春の後ろ姿」は、こちらでは「忘れてしまう」の目的語として置かれているに過ぎません。
 この2曲の違いをもう一つ挙げるなら、『思秋期』では「お元気ですがみなさん いつか逢いましょう」と何の屈託もなくあけっぴろげに素のままで再会を待ち望んでいるのに対して、『あの日にかえりたい』では「あの頃のわたしに戻って あなたに会いたい」と言ってます。今の素のままで、ではなく「あの頃のわたしに戻って」という条件節が付いているのです。

 

 ユーミンの同じ時期の名曲に『卒業写真』(1975年)があります。この曲と『あの日にかえりたい』を並べてみると、「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」「あの頃のわたしに戻って あなたに会いたい」という歌詞の意味がはっきりしてきます。そのヒントは『卒業写真』の「人ごみに流されて 変わってゆく私を あなたはときどき 遠くでしかって」という部分です。「人ごみに流されて変わってゆく」(『卒業写真』)と「青春の後ろ姿を忘れてしまう」(『あの日にかえりたい』)とは、同じことをいっているのです。それは「自分があの頃から変わってしまった」という自覚の悲しみと後悔、そしてもう戻れない絶望感が入り混じった気持ちなのです。

 本当は「あの頃のわたしに戻ってあなたに会いたい」けれど、それはもうできない。だからせめて私が変わっていくのを「ときどき遠くで叱って」ほしいと思う。そして「あの頃の生き方を あなたは忘れないで」(『卒業写真』)と願う。それが「私の青春そのもの」だから。そうでないと本当に「青春の後ろ姿を忘れてしまう」から。

 

 『思秋期』や『青春時代』には「忘れてしまう」ことに対するこうした屈折した気持ちは盛り込まれていませんし、そもそも「過ぎてから気がつく」「後からほのぼの思う」という動作の方向は「忘れてしまう」とは逆を向いている。そこがユーミンの歌との違いということになります。そして後悔や絶望という陰に縁取られて、青春の姿はいっそうまぶしいのです。
 ところで『卒業写真』の「あの頃の生き方を あなたは忘れないで」というフレーズは、実はそれほど独特なものではなく、たとえばかぐや姫 / 風の『22才の別れ』(1974年)には「あなたはあなたのままで 変わらずにいてください そのままで」という歌詞がありますし、今は思い出せませんが演歌にも類似の歌詞があったような気がします。しかも並べてみると、みんな女から男への言葉として書かれている。ひょっとして「私のことはどうでもあなたは変わらずにいてね」というのは、「おんな歌」の定型的な歌詞なのか?まあそれはまたいずれ機会があったら考えてみましょう。

| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 09:43 | comments(0) | - | pookmark |
昭和歌謡独り言〜後ろ姿

 数年前から牛久市のコミュニティFM「うしくうれしく放送 FM-UU」で番組を持たせていただいてまして、今年4月からは牛久市の昭和世代の方々向けのインタビュー番組を担当させていただいております。牛久市内にお住まい、もしくはご活躍の昭和世代の方々へインタビューするのですが、その項目の一つに「思い出の曲」がありまして、ここにはおそらく昭和歌謡の往年の名曲がどんどん登場するのだろうと思います。
 そんなわけで、思い立って自分が持っている昭和歌謡の音源がどれくらいあるのかと思ってちょっと数えてみたら、300じゃきかないくらいありました。私は1961年生まれですので、さすがに戦前のものはあまりないのですが、戦後の、特に自分が物心ついてからの1960年代後半以降のものはけっこうあります。ただし内容は非常に偏っていて、例えば男性アイドル歌手系のものは、個人のもグループのもほぼ絶無です。オトコには興味ない笑。
 というわけで、そんな偏ったコレクションを聞きながら呟く昭和オヤジの独り言を、ときどき書いてみようと思います。

 

【後ろ姿】
 荒井由実時代のユーミンの『あの日にかえりたい』(1975年)の歌詞にズキッときます。例えば「悩みなき昨日の微笑み わけもなく憎らしいのよ」なんて、そんなこと思ったこともない自分大好き脳天気な自分がまるで馬鹿に思えたし、「光る風 草の波間を 駆け抜ける私が見える」の生々しさに息を呑みもしました。そんな中で一番ドキッとしたのはBメロ(いわゆるサビ)の「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」ですね。「青春の後ろ姿」って言われて、そう言えば青春の思い出の脳内映像っていつも笑顔とか涙顔とかで、親友や好きだった人の後ろ姿ってどんなだったっけ、思い出せないな、確かに。

 もっともここでの「青春の後ろ姿」はそんな具体的・直接的なことじゃなくて、例えば岩崎宏美の『思秋期』(1977年)の「青春は忘れ物 過ぎてから気がつく」という、その時は夢中で気づかなくて、後になって初めて「あれがそうだったのか」と気づくしかない、そういうことかな。そういえば森田公一とトップギャランの『青春時代』(1976年)にも「青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの」とあります。個人的には「青春時代」という語は「平安時代」みたいなコトバに聞こえて違和感あるんですが、「後からほのぼの思うもの」はよくわかる。いずれにしても青春が過ぎ去ってしまったことに後から気づいて呆然と見送っている、って感じかな。

 

 ところで「後ろ姿」という言葉から印象的に思い出される歌に、『ウナ・セラ・ディ東京』(1964年)があります。おーっと、いきなり10年以上も遡ってしまった。さすがに3歳当時のことは全く覚えていないので Wikipedia によりますと、この曲はもともと『東京たそがれ』というタイトルで、1963年にザ・ピーナッツが歌ってリリースされたそうです。さっそく YouTube でこの『東京たそがれ』を確認してみました。こういうことがすぐできるのは時代の恩恵ですね。聞いてみると確かに同じ曲ですが、クライマックスの「とても淋しい」のところの大きなルバート(溜め)がなく、アレンジも地味でちょっと陰気な感じです。そのためかこの曲は当初あまりヒットしなかったそうですが、翌1964年に「カンツォーネの女王」として知られたミルバ Milva が来日してこの曲を歌ったところ大ブームとなり、ザ・ピーナッツも曲調とアレンジを変えて『ウナ・セラ・ディ東京』として再リリースしてヒットとなったとのこと。
 私の記憶にあるのはこのザ・ピーナッツの『ウナ・セラ・ディ東京』ですが、ミルバの日本語の歌唱もよく覚えています。よく言えばしっとり、悪く言うとしんねりむっつりしたザ・ピーナッツの歌い方よりも、ミルバのストレートな歌い方の方が私は好き、というか、「女王」の歌唱にはもうただただ圧倒されますね。

 この『東京たそがれ』改め『ウナ・セラ・ディ東京』は、静かなAメロ−情熱的なBメロ−静かなAメロという三部構成で、Bメロにクライマックスが置かれ、その後に戻ってきた静かなAメロに「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」という歌詞が与えられています。この「後ろ姿の幸せ」には、過ぎ去ってしまった幸せを見送っているという含意もあります(最初のAメロの歌詞に「いけない人じゃないのに どうして別れたのかしら」とある)が、「(街は)いつでも」「(後ろ姿の幸せ)ばかり」という語が入っているために、街中の幸せという幸せがみんな自分に背を向けているような、自分があらゆる幸せから拒否されているような、そんな私の絶望的な哀しみが惻々と胸に迫ります。

 

 ところで私はBメロの歌詞を「あの人はもう私のことを 忘れたのかしら」、戻ってきたAメロの歌詞を「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかりね」と覚えていたのですが、今回改めてザ・ピーナッツ(『ウナ・セラ・ディ東京』『東京たそがれ』)とミルバのオリジナル盤を YouTube で聞き直してみたら、いずれの音源もそれぞれ「忘れたかしら」「幸せばかり」と歌っていますし、岩谷時子さんの原歌詞もこのとおりです。うーむ、記憶ってなんだろう・・・考えてみると「忘れたのかしら」はその直前のAメロの歌詞「別れたのかしら」に引きずられて、また「幸せばかりね」は歌詞の世界のあまりの絶望感に呑まれて、それぞれ私の脳内で勝手に「の」「ね」が付加されたものとも思われますが、これも歌の力というものでしょうか。

 


 というわけで、私の昭和歌謡独り言の第1回はこれできれいに終わるはずでしたが、今回 YouTube で音源を探しているうちに衝撃的な事実を知ってしまいました。「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」というこの世紀の名歌詞は、なんとその場しのぎの苦し紛れから生まれたというのです。いやまあそれは言い過ぎとしても、作詞者の岩谷時子さんご本人がそのようなことをお話になっていらっしゃいます。詳しくはこちらの動画をご覧いただきたいのですが、これには驚きました。
 しかしふと目に入ったサラリーマンの後ろ姿から不滅の歌詞を探り当てた岩谷さんといい、懐旧談の初回からいきなり衝撃の事実に出会ってしまった私といい、世の中はそうそう後ろ姿ばかりでもないようですね。はい、おしまい。

| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 16:03 | comments(0) | - | pookmark |
中島みゆき「世情」(1978年)で考えた

 最近、ある歌を思い出しました。1978年4月に発売された中島みゆきの4枚めのオリジナルアルバム「愛していると云ってくれ」に収録された「世情」です。
 この「世情」の歌詞は従来から難解であると言われています。確かに一度聞いてすぐに「あーなるほどうんうんそうだねー、じゃ次いこうか」というふうはいきません。誰かに肩入れしているようでもあり、状況を突き放して見ているようでもあり、聞く方としては何をどこからどう見てどう受け入れればいいのか、ちょっとわかりにくい感じがします。これはちょっと深堀りしてみなければ・・・

 

 というわけで、まずはこの曲の最も印象的な部分、シュプレヒコール云々が歌いこまれて何回も何回も繰り返されるリフレインを聞いてみましょう。歌詞としては一連ですが、付された旋律によって前半と後半に分けて書いてみます。

 

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて

 

  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

 

 この「シュプレヒコールの波」という歌詞から、昭和おやじな私がすぐに思い浮かべるのは「安保闘争」や「大学紛争」ですが、実はこれらは1970年代の初めにはほぼ終息していて(安保闘争は日米安全保障条約締結をめぐる1959年から60年にかけてと、その10年後の自動延長を阻止しようとする1969年から70年にかけての2回行われ、大学紛争を象徴する東大安田講堂事件は1969年1月)、もちろん歌自体はアルバム発売より前に作られているわけですが、それにしても1970年代初めと1978年4月という発売時期との間には大きな隔たりがあります。では1978年当時に世間を騒がせていた「闘争」は何だったかというと、それは成田空港の開港をめぐる「三里塚闘争」でした。これは1968年頃から学生たちを巻き込んで激化し、1977年4月から5月にかけての妨害鉄塔撤去をめぐる反対運動で大きな盛り上がりを迎えます。中島みゆきが実際に見聞し、歌の中に織り込んだ「シュプレヒコール」は、おそらくこの時のものだったのでしょう。
 さて、ここには「変わらない夢」という同じ語句が前半と後半にそれぞれ出てきます。しかし同じ語句でありながら、前半の「変わらない夢」と後半の「変わらない夢」の内容は実は正反対と言っていいくらいに違っていると思われます。
 順序は逆になりますが、まず後半の「変わらない夢」を見ているのは誰なのかを考えてみましょう。それは「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たち」です。ここでは「時の流れを止めて」という句に注目して「守旧派」と言っておきましょう。そしてその夢とは「昔ながらの価値観を貫くこと」であり、その行動原理は「保守・反動」ということになりましょう。。
 これに対して前半の「変わらない夢」を見ているのは「その夢を流れに求めて「守旧派」と戦うために通り過ぎてゆくシュプレヒコールの波」です。ここでは「流れに求めて」という句に着目して「進歩派」と呼んでおきましょう。そしてその夢の内容は「旧弊に囚われない新しい価値観」であり、その行動原理は「自由・改革」といったものであろうと思われます。
 つまりこのリフレインは、自由・改革を掲げる進歩派と、保守・反動を旨とする守旧派との対立を描いたものということになります。最初に見たとおり中島みゆきが実際に見ていたのは三里塚闘争のデモだったと考えられますが、歴史を遡れば、安保闘争も大学紛争もやはり進歩派と守旧派との対立であり闘争であったわけで、つまりこのリフレインが描く情景は目前の三里塚闘争のそれにとどまらず、戦後日本を一貫してきた闘争を昇華した象徴的なものであると見ることもできるでしょう。

続きを読む >>
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 18:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近買った石川ひとみのアルバム2枚

 以前もこのブログで石川ひとみについて書いたことがありましたが、ここ数日で石川ひとみのCDを2枚買いました。石川ひとみの歌、けっこう好きです。

 

 1枚は沖縄出身のバンド BEGIN が開発した「一五一会」(四字熟語の変換ミスではありません)という楽器の伴奏でフォークソングの名曲の数々を歌った「With みんなの一五一会 〜フォークソング編」(テイチクエンタテインメント TECI-1106)というアルバム。インストの1曲を除いて10曲を石川ひとみが歌い、伴奏は夫君の山田直毅が弾く一五一会その他と、曲によっては BEGIN の上地等のアコーディオンが加わります。

 このCDの帯のキャッチに「「なごり雪」、「神田川」、「悲しくてやりきれない」…心に残るスタンダート・フォークソングを一五一会にてカバー。」とあるように、このアルバムは一五一会という新しい楽器のプロモーションを目的とした「一五一会シリーズ」の一枚という位置づけで、伴奏は一五一会をフィーチャーした薄いものなので、その分石川ひとみの歌唱がくっきりと浮き上がり、じっくりと楽しめる仕上がりになっています。収録曲は以下の11曲です。

 

1. 汀(みぎわ)※一五一会のソロによるインスト
2. まちぶせ
3. 真夜中のギター
4. 悲しくてやりきれない
5. 亜麻色の髪の乙女
6. 神田川
7. あなたの心に
8. なごり雪
9. 白い冬
10. 岬めぐり
11. 風にのせて

 

 最後の「風にのせて」は石川ひとみの作詞、山田直毅作曲のオリジナル曲ですが、それ以外は自身の「まちぶせ」を含むカバー曲で、私の世代 ≒ ひっちゃん(石川ひとみの愛称)の世代には懐かしい曲ばかりですね。

続きを読む >>
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 08:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「想い出のセレナーデ」三者三様

 またまた「昭和のアイドル歌謡を聞いて考えた」の記事です。

 

 「想い出のセレナーデ」(詞:山上路夫 / 曲:森田公一)は天地真理の11枚目のシングルとして1974年9月にリリースされたとのこと。私は天地真理のヒット曲の多くを一応リアルタイムで聞いてました(当時小学生)が、この曲から後は記憶がなく、ずっと後に学生になってから聞きました。その時にそれまでの歌とずいぶん違う雰囲気に「あーこの人はこの頃もう全盛期を過ぎてたのね〜」と思いましたが、それまでのヒット曲とは路線が違っていて、ちょっといい歌だな、とも思いました。
 それから幾星霜、先日たまたま YouTube で石川ひとみのカバーを聞いて、そういえばオリジナルはどうだったかな、と聞いてみてびっくり、え、この歌こんなアップテンポの曲だったっけ!?

 

 天地真理のオリジナルと石川ひとみのカバーは尺はほぼ同じ(カバーの方が後奏が少し長かったりはする)ですが、石川ひとみが4分余りをかけているところを天地真理は3分40秒弱で歌っていて、テンポではオリジナルが四分音符=ほぼ114、カバーは103〜104くらい。聴感上はけっこう違います。そうだ、そういえば天地真理のオリジナルのイントロで、ヴァイオリンの駆け上がりの6連符が速くて、弓が弦をしっかり噛まずに「ヒッ」と上滑りした音が入っていたよなぁと妙なディテールを思い出してもう一度聞いてみたら、しっかり入ってた(笑)。
 さらにこの曲には浜田朱里のカバーもあって、今回はこの3種類を聞いてみました。

続きを読む >>
| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 22:16 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

CALENDAR

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

SELECTED ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

RECENT COMMENT

RECENT TRACKBACK

MOBILE

qrcode

LINKS

PROFILE

SEARCH