数年前から牛久市のコミュニティFM「うしくうれしく放送 FM-UU」で番組を持たせていただいてまして、今年4月からは牛久市の昭和世代の方々向けのインタビュー番組を担当させていただいております。牛久市内にお住まい、もしくはご活躍の昭和世代の方々へインタビューするのですが、その項目の一つに「思い出の曲」がありまして、ここにはおそらく昭和歌謡の往年の名曲がどんどん登場するのだろうと思います。
そんなわけで、思い立って自分が持っている昭和歌謡の音源がどれくらいあるのかと思ってちょっと数えてみたら、300じゃきかないくらいありました。私は1961年生まれですので、さすがに戦前のものはあまりないのですが、戦後の、特に自分が物心ついてからの1960年代後半以降のものはけっこうあります。ただし内容は非常に偏っていて、例えば男性アイドル歌手系のものは、個人のもグループのもほぼ絶無です。オトコには興味ない笑。
というわけで、そんな偏ったコレクションを聞きながら呟く昭和オヤジの独り言を、ときどき書いてみようと思います。
【後ろ姿】
荒井由実時代のユーミンの『あの日にかえりたい』(1975年)の歌詞にズキッときます。例えば「悩みなき昨日の微笑み わけもなく憎らしいのよ」なんて、そんなこと思ったこともない自分大好き脳天気な自分がまるで馬鹿に思えたし、「光る風 草の波間を 駆け抜ける私が見える」の生々しさに息を呑みもしました。そんな中で一番ドキッとしたのはBメロ(いわゆるサビ)の「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」ですね。「青春の後ろ姿」って言われて、そう言えば青春の思い出の脳内映像っていつも笑顔とか涙顔とかで、親友や好きだった人の後ろ姿ってどんなだったっけ、思い出せないな、確かに。
もっともここでの「青春の後ろ姿」はそんな具体的・直接的なことじゃなくて、例えば岩崎宏美の『思秋期』(1977年)の「青春は忘れ物 過ぎてから気がつく」という、その時は夢中で気づかなくて、後になって初めて「あれがそうだったのか」と気づくしかない、そういうことかな。そういえば森田公一とトップギャランの『青春時代』(1976年)にも「青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの」とあります。個人的には「青春時代」という語は「平安時代」みたいなコトバに聞こえて違和感あるんですが、「後からほのぼの思うもの」はよくわかる。いずれにしても青春が過ぎ去ってしまったことに後から気づいて呆然と見送っている、って感じかな。
ところで「後ろ姿」という言葉から印象的に思い出される歌に、『ウナ・セラ・ディ東京』(1964年)があります。おーっと、いきなり10年以上も遡ってしまった。さすがに3歳当時のことは全く覚えていないので Wikipedia によりますと、この曲はもともと『東京たそがれ』というタイトルで、1963年にザ・ピーナッツが歌ってリリースされたそうです。さっそく YouTube でこの『東京たそがれ』を確認してみました。こういうことがすぐできるのは時代の恩恵ですね。聞いてみると確かに同じ曲ですが、クライマックスの「とても淋しい」のところの大きなルバート(溜め)がなく、アレンジも地味でちょっと陰気な感じです。そのためかこの曲は当初あまりヒットしなかったそうですが、翌1964年に「カンツォーネの女王」として知られたミルバ Milva が来日してこの曲を歌ったところ大ブームとなり、ザ・ピーナッツも曲調とアレンジを変えて『ウナ・セラ・ディ東京』として再リリースしてヒットとなったとのこと。
私の記憶にあるのはこのザ・ピーナッツの『ウナ・セラ・ディ東京』ですが、ミルバの日本語の歌唱もよく覚えています。よく言えばしっとり、悪く言うとしんねりむっつりしたザ・ピーナッツの歌い方よりも、ミルバのストレートな歌い方の方が私は好き、というか、「女王」の歌唱にはもうただただ圧倒されますね。
この『東京たそがれ』改め『ウナ・セラ・ディ東京』は、静かなAメロ−情熱的なBメロ−静かなAメロという三部構成で、Bメロにクライマックスが置かれ、その後に戻ってきた静かなAメロに「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」という歌詞が与えられています。この「後ろ姿の幸せ」には、過ぎ去ってしまった幸せを見送っているという含意もあります(最初のAメロの歌詞に「いけない人じゃないのに どうして別れたのかしら」とある)が、「(街は)いつでも」「(後ろ姿の幸せ)ばかり」という語が入っているために、街中の幸せという幸せがみんな自分に背を向けているような、自分があらゆる幸せから拒否されているような、そんな私の絶望的な哀しみが惻々と胸に迫ります。
ところで私はBメロの歌詞を「あの人はもう私のことを 忘れたのかしら」、戻ってきたAメロの歌詞を「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかりね」と覚えていたのですが、今回改めてザ・ピーナッツ(『ウナ・セラ・ディ東京』『東京たそがれ』)とミルバのオリジナル盤を YouTube で聞き直してみたら、いずれの音源もそれぞれ「忘れたかしら」「幸せばかり」と歌っていますし、岩谷時子さんの原歌詞もこのとおりです。うーむ、記憶ってなんだろう・・・考えてみると「忘れたのかしら」はその直前のAメロの歌詞「別れたのかしら」に引きずられて、また「幸せばかりね」は歌詞の世界のあまりの絶望感に呑まれて、それぞれ私の脳内で勝手に「の」「ね」が付加されたものとも思われますが、これも歌の力というものでしょうか。
というわけで、私の昭和歌謡独り言の第1回はこれできれいに終わるはずでしたが、今回 YouTube で音源を探しているうちに衝撃的な事実を知ってしまいました。「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」というこの世紀の名歌詞は、なんとその場しのぎの苦し紛れから生まれたというのです。いやまあそれは言い過ぎとしても、作詞者の岩谷時子さんご本人がそのようなことをお話になっていらっしゃいます。詳しくはこちらの動画をご覧いただきたいのですが、これには驚きました。
しかしふと目に入ったサラリーマンの後ろ姿から不滅の歌詞を探り当てた岩谷さんといい、懐旧談の初回からいきなり衝撃の事実に出会ってしまった私といい、世の中はそうそう後ろ姿ばかりでもないようですね。はい、おしまい。