昭和歌謡独り言〜忘れてしまう

【忘れてしまう】

 今回は前回の補足です。前回でユーミンの『あの日にかえりたい』(1975年)の中の「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」を取り上げました。その時には「青春の後ろ姿」について、岩崎宏美の『思秋期』(1977年)や森田公一とトップギャランの『青春時代』(1976年)を引き合いに出して考えてみたんですが、もう少し歌詞の内容を掘り下げてみると、『あの日にかえりたい』と『思秋期』『青春時代』とは、大雑把にいえば過ぎ去った青春を懐かしむ、愛おしむという意味でほぼ同じ内容の歌ではあるけれども、その問題意識というか、注目している点が違うのです。ここでは『思秋期』を取り上げて、その違いを見てみたいと思います。

 

 「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」(『あの日にかえりたい』)と「青春は忘れもの 過ぎてから気がつく」(『思秋期』)には、「青春」「忘れ」という共通のワードが2つもあり、「後ろ姿」と「過ぎてから気がつく」も実質的に同じことといってもよいのですが、この2つの歌詞の内容は実はけっこう違います。
 まず「青春は忘れもの 過ぎてから気がつく」(『思秋期』)の方は、「青春は忘れもの」という静的な記述が主な内容で「過ぎてから気がつく」は「忘れもの」の説明として付け足されています。
 これに対して「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」(『あの日にかえりたい』)の方は、『思秋期』では「忘れもの」の補足説明に過ぎなかった「過ぎてから気がつく」に相当する「(人はみな)忘れてしまう」という動作の方に力点があり、逆に『思秋期』の主文であった「青春は忘れもの」に相当する「青春の後ろ姿」は、こちらでは「忘れてしまう」の目的語として置かれているに過ぎません。
 この2曲の違いをもう一つ挙げるなら、『思秋期』では「お元気ですがみなさん いつか逢いましょう」と何の屈託もなくあけっぴろげに素のままで再会を待ち望んでいるのに対して、『あの日にかえりたい』では「あの頃のわたしに戻って あなたに会いたい」と言ってます。今の素のままで、ではなく「あの頃のわたしに戻って」という条件節が付いているのです。

 

 ユーミンの同じ時期の名曲に『卒業写真』(1975年)があります。この曲と『あの日にかえりたい』を並べてみると、「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」「あの頃のわたしに戻って あなたに会いたい」という歌詞の意味がはっきりしてきます。そのヒントは『卒業写真』の「人ごみに流されて 変わってゆく私を あなたはときどき 遠くでしかって」という部分です。「人ごみに流されて変わってゆく」(『卒業写真』)と「青春の後ろ姿を忘れてしまう」(『あの日にかえりたい』)とは、同じことをいっているのです。それは「自分があの頃から変わってしまった」という自覚の悲しみと後悔、そしてもう戻れない絶望感が入り混じった気持ちなのです。

 本当は「あの頃のわたしに戻ってあなたに会いたい」けれど、それはもうできない。だからせめて私が変わっていくのを「ときどき遠くで叱って」ほしいと思う。そして「あの頃の生き方を あなたは忘れないで」(『卒業写真』)と願う。それが「私の青春そのもの」だから。そうでないと本当に「青春の後ろ姿を忘れてしまう」から。

 

 『思秋期』や『青春時代』には「忘れてしまう」ことに対するこうした屈折した気持ちは盛り込まれていませんし、そもそも「過ぎてから気がつく」「後からほのぼの思う」という動作の方向は「忘れてしまう」とは逆を向いている。そこがユーミンの歌との違いということになります。そして後悔や絶望という陰に縁取られて、青春の姿はいっそうまぶしいのです。
 ところで『卒業写真』の「あの頃の生き方を あなたは忘れないで」というフレーズは、実はそれほど独特なものではなく、たとえばかぐや姫 / 風の『22才の別れ』(1974年)には「あなたはあなたのままで 変わらずにいてください そのままで」という歌詞がありますし、今は思い出せませんが演歌にも類似の歌詞があったような気がします。しかも並べてみると、みんな女から男への言葉として書かれている。ひょっとして「私のことはどうでもあなたは変わらずにいてね」というのは、「おんな歌」の定型的な歌詞なのか?まあそれはまたいずれ機会があったら考えてみましょう。

| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 09:43 | comments(0) | - | pookmark |
昭和歌謡独り言〜後ろ姿

 数年前から牛久市のコミュニティFM「うしくうれしく放送 FM-UU」で番組を持たせていただいてまして、今年4月からは牛久市の昭和世代の方々向けのインタビュー番組を担当させていただいております。牛久市内にお住まい、もしくはご活躍の昭和世代の方々へインタビューするのですが、その項目の一つに「思い出の曲」がありまして、ここにはおそらく昭和歌謡の往年の名曲がどんどん登場するのだろうと思います。
 そんなわけで、思い立って自分が持っている昭和歌謡の音源がどれくらいあるのかと思ってちょっと数えてみたら、300じゃきかないくらいありました。私は1961年生まれですので、さすがに戦前のものはあまりないのですが、戦後の、特に自分が物心ついてからの1960年代後半以降のものはけっこうあります。ただし内容は非常に偏っていて、例えば男性アイドル歌手系のものは、個人のもグループのもほぼ絶無です。オトコには興味ない笑。
 というわけで、そんな偏ったコレクションを聞きながら呟く昭和オヤジの独り言を、ときどき書いてみようと思います。

 

【後ろ姿】
 荒井由実時代のユーミンの『あの日にかえりたい』(1975年)の歌詞にズキッときます。例えば「悩みなき昨日の微笑み わけもなく憎らしいのよ」なんて、そんなこと思ったこともない自分大好き脳天気な自分がまるで馬鹿に思えたし、「光る風 草の波間を 駆け抜ける私が見える」の生々しさに息を呑みもしました。そんな中で一番ドキッとしたのはBメロ(いわゆるサビ)の「青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう」ですね。「青春の後ろ姿」って言われて、そう言えば青春の思い出の脳内映像っていつも笑顔とか涙顔とかで、親友や好きだった人の後ろ姿ってどんなだったっけ、思い出せないな、確かに。

 もっともここでの「青春の後ろ姿」はそんな具体的・直接的なことじゃなくて、例えば岩崎宏美の『思秋期』(1977年)の「青春は忘れ物 過ぎてから気がつく」という、その時は夢中で気づかなくて、後になって初めて「あれがそうだったのか」と気づくしかない、そういうことかな。そういえば森田公一とトップギャランの『青春時代』(1976年)にも「青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの」とあります。個人的には「青春時代」という語は「平安時代」みたいなコトバに聞こえて違和感あるんですが、「後からほのぼの思うもの」はよくわかる。いずれにしても青春が過ぎ去ってしまったことに後から気づいて呆然と見送っている、って感じかな。

 

 ところで「後ろ姿」という言葉から印象的に思い出される歌に、『ウナ・セラ・ディ東京』(1964年)があります。おーっと、いきなり10年以上も遡ってしまった。さすがに3歳当時のことは全く覚えていないので Wikipedia によりますと、この曲はもともと『東京たそがれ』というタイトルで、1963年にザ・ピーナッツが歌ってリリースされたそうです。さっそく YouTube でこの『東京たそがれ』を確認してみました。こういうことがすぐできるのは時代の恩恵ですね。聞いてみると確かに同じ曲ですが、クライマックスの「とても淋しい」のところの大きなルバート(溜め)がなく、アレンジも地味でちょっと陰気な感じです。そのためかこの曲は当初あまりヒットしなかったそうですが、翌1964年に「カンツォーネの女王」として知られたミルバ Milva が来日してこの曲を歌ったところ大ブームとなり、ザ・ピーナッツも曲調とアレンジを変えて『ウナ・セラ・ディ東京』として再リリースしてヒットとなったとのこと。
 私の記憶にあるのはこのザ・ピーナッツの『ウナ・セラ・ディ東京』ですが、ミルバの日本語の歌唱もよく覚えています。よく言えばしっとり、悪く言うとしんねりむっつりしたザ・ピーナッツの歌い方よりも、ミルバのストレートな歌い方の方が私は好き、というか、「女王」の歌唱にはもうただただ圧倒されますね。

 この『東京たそがれ』改め『ウナ・セラ・ディ東京』は、静かなAメロ−情熱的なBメロ−静かなAメロという三部構成で、Bメロにクライマックスが置かれ、その後に戻ってきた静かなAメロに「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」という歌詞が与えられています。この「後ろ姿の幸せ」には、過ぎ去ってしまった幸せを見送っているという含意もあります(最初のAメロの歌詞に「いけない人じゃないのに どうして別れたのかしら」とある)が、「(街は)いつでも」「(後ろ姿の幸せ)ばかり」という語が入っているために、街中の幸せという幸せがみんな自分に背を向けているような、自分があらゆる幸せから拒否されているような、そんな私の絶望的な哀しみが惻々と胸に迫ります。

 

 ところで私はBメロの歌詞を「あの人はもう私のことを 忘れたのかしら」、戻ってきたAメロの歌詞を「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかりね」と覚えていたのですが、今回改めてザ・ピーナッツ(『ウナ・セラ・ディ東京』『東京たそがれ』)とミルバのオリジナル盤を YouTube で聞き直してみたら、いずれの音源もそれぞれ「忘れたかしら」「幸せばかり」と歌っていますし、岩谷時子さんの原歌詞もこのとおりです。うーむ、記憶ってなんだろう・・・考えてみると「忘れたのかしら」はその直前のAメロの歌詞「別れたのかしら」に引きずられて、また「幸せばかりね」は歌詞の世界のあまりの絶望感に呑まれて、それぞれ私の脳内で勝手に「の」「ね」が付加されたものとも思われますが、これも歌の力というものでしょうか。

 


 というわけで、私の昭和歌謡独り言の第1回はこれできれいに終わるはずでしたが、今回 YouTube で音源を探しているうちに衝撃的な事実を知ってしまいました。「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」というこの世紀の名歌詞は、なんとその場しのぎの苦し紛れから生まれたというのです。いやまあそれは言い過ぎとしても、作詞者の岩谷時子さんご本人がそのようなことをお話になっていらっしゃいます。詳しくはこちらの動画をご覧いただきたいのですが、これには驚きました。
 しかしふと目に入ったサラリーマンの後ろ姿から不滅の歌詞を探り当てた岩谷さんといい、懐旧談の初回からいきなり衝撃の事実に出会ってしまった私といい、世の中はそうそう後ろ姿ばかりでもないようですね。はい、おしまい。

| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 16:03 | comments(0) | - | pookmark |
中島みゆき「世情」(1978年)で考えた

 最近、ある歌を思い出しました。1978年4月に発売された中島みゆきの4枚めのオリジナルアルバム「愛していると云ってくれ」に収録された「世情」です。
 この「世情」の歌詞は従来から難解であると言われています。確かに一度聞いてすぐに「あーなるほどうんうんそうだねー、じゃ次いこうか」というふうはいきません。誰かに肩入れしているようでもあり、状況を突き放して見ているようでもあり、聞く方としては何をどこからどう見てどう受け入れればいいのか、ちょっとわかりにくい感じがします。これはちょっと深堀りしてみなければ・・・

 

 というわけで、まずはこの曲の最も印象的な部分、シュプレヒコール云々が歌いこまれて何回も何回も繰り返されるリフレインを聞いてみましょう。歌詞としては一連ですが、付された旋律によって前半と後半に分けて書いてみます。

 

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて

 

  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

 

 この「シュプレヒコールの波」という歌詞から、昭和おやじな私がすぐに思い浮かべるのは「安保闘争」や「大学紛争」ですが、実はこれらは1970年代の初めにはほぼ終息していて(安保闘争は日米安全保障条約締結をめぐる1959年から60年にかけてと、その10年後の自動延長を阻止しようとする1969年から70年にかけての2回行われ、大学紛争を象徴する東大安田講堂事件は1969年1月)、もちろん歌自体はアルバム発売より前に作られているわけですが、それにしても1970年代初めと1978年4月という発売時期との間には大きな隔たりがあります。では1978年当時に世間を騒がせていた「闘争」は何だったかというと、それは成田空港の開港をめぐる「三里塚闘争」でした。これは1968年頃から学生たちを巻き込んで激化し、1977年4月から5月にかけての妨害鉄塔撤去をめぐる反対運動で大きな盛り上がりを迎えます。中島みゆきが実際に見聞し、歌の中に織り込んだ「シュプレヒコール」は、おそらくこの時のものだったのでしょう。
 さて、ここには「変わらない夢」という同じ語句が前半と後半にそれぞれ出てきます。しかし同じ語句でありながら、前半の「変わらない夢」と後半の「変わらない夢」の内容は実は正反対と言っていいくらいに違っていると思われます。
 順序は逆になりますが、まず後半の「変わらない夢」を見ているのは誰なのかを考えてみましょう。それは「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たち」です。ここでは「時の流れを止めて」という句に注目して「守旧派」と言っておきましょう。そしてその夢とは「昔ながらの価値観を貫くこと」であり、その行動原理は「保守・反動」ということになりましょう。。
 これに対して前半の「変わらない夢」を見ているのは「その夢を流れに求めて「守旧派」と戦うために通り過ぎてゆくシュプレヒコールの波」です。ここでは「流れに求めて」という句に着目して「進歩派」と呼んでおきましょう。そしてその夢の内容は「旧弊に囚われない新しい価値観」であり、その行動原理は「自由・改革」といったものであろうと思われます。
 つまりこのリフレインは、自由・改革を掲げる進歩派と、保守・反動を旨とする守旧派との対立を描いたものということになります。最初に見たとおり中島みゆきが実際に見ていたのは三里塚闘争のデモだったと考えられますが、歴史を遡れば、安保闘争も大学紛争もやはり進歩派と守旧派との対立であり闘争であったわけで、つまりこのリフレインが描く情景は目前の三里塚闘争のそれにとどまらず、戦後日本を一貫してきた闘争を昇華した象徴的なものであると見ることもできるでしょう。

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| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 18:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
最近買った石川ひとみのアルバム2枚

 以前もこのブログで石川ひとみについて書いたことがありましたが、ここ数日で石川ひとみのCDを2枚買いました。石川ひとみの歌、けっこう好きです。

 

 1枚は沖縄出身のバンド BEGIN が開発した「一五一会」(四字熟語の変換ミスではありません)という楽器の伴奏でフォークソングの名曲の数々を歌った「With みんなの一五一会 〜フォークソング編」(テイチクエンタテインメント TECI-1106)というアルバム。インストの1曲を除いて10曲を石川ひとみが歌い、伴奏は夫君の山田直毅が弾く一五一会その他と、曲によっては BEGIN の上地等のアコーディオンが加わります。

 このCDの帯のキャッチに「「なごり雪」、「神田川」、「悲しくてやりきれない」…心に残るスタンダート・フォークソングを一五一会にてカバー。」とあるように、このアルバムは一五一会という新しい楽器のプロモーションを目的とした「一五一会シリーズ」の一枚という位置づけで、伴奏は一五一会をフィーチャーした薄いものなので、その分石川ひとみの歌唱がくっきりと浮き上がり、じっくりと楽しめる仕上がりになっています。収録曲は以下の11曲です。

 

1. 汀(みぎわ)※一五一会のソロによるインスト
2. まちぶせ
3. 真夜中のギター
4. 悲しくてやりきれない
5. 亜麻色の髪の乙女
6. 神田川
7. あなたの心に
8. なごり雪
9. 白い冬
10. 岬めぐり
11. 風にのせて

 

 最後の「風にのせて」は石川ひとみの作詞、山田直毅作曲のオリジナル曲ですが、それ以外は自身の「まちぶせ」を含むカバー曲で、私の世代 ≒ ひっちゃん(石川ひとみの愛称)の世代には懐かしい曲ばかりですね。

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| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 08:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「想い出のセレナーデ」三者三様

 またまた「昭和のアイドル歌謡を聞いて考えた」の記事です。

 

 「想い出のセレナーデ」(詞:山上路夫 / 曲:森田公一)は天地真理の11枚目のシングルとして1974年9月にリリースされたとのこと。私は天地真理のヒット曲の多くを一応リアルタイムで聞いてました(当時小学生)が、この曲から後は記憶がなく、ずっと後に学生になってから聞きました。その時にそれまでの歌とずいぶん違う雰囲気に「あーこの人はこの頃もう全盛期を過ぎてたのね〜」と思いましたが、それまでのヒット曲とは路線が違っていて、ちょっといい歌だな、とも思いました。
 それから幾星霜、先日たまたま YouTube で石川ひとみのカバーを聞いて、そういえばオリジナルはどうだったかな、と聞いてみてびっくり、え、この歌こんなアップテンポの曲だったっけ!?

 

 天地真理のオリジナルと石川ひとみのカバーは尺はほぼ同じ(カバーの方が後奏が少し長かったりはする)ですが、石川ひとみが4分余りをかけているところを天地真理は3分40秒弱で歌っていて、テンポではオリジナルが四分音符=ほぼ114、カバーは103〜104くらい。聴感上はけっこう違います。そうだ、そういえば天地真理のオリジナルのイントロで、ヴァイオリンの駆け上がりの6連符が速くて、弓が弦をしっかり噛まずに「ヒッ」と上滑りした音が入っていたよなぁと妙なディテールを思い出してもう一度聞いてみたら、しっかり入ってた(笑)。
 さらにこの曲には浜田朱里のカバーもあって、今回はこの3種類を聞いてみました。

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「魔法の鏡」

 このところ昭和のアイドル歌謡に入れ込んでおります。まあ私は男子なんで、アイドルといえば当然女性アイドルになるわけで、男性アイドルはまったく問題外のさらに外でありますが(笑)。

 

 そんなわけで、「魔法の鏡」です。1976年の松竹映画「青春の構図」のテーマソングとして女優の早乙女愛が歌いました。作詞・作曲は荒井由実。YouTube ではこちらで聞けます。映画のテーマソングがアイドル歌謡なのか?という気がしないでもないですが、中森明菜や浜田朱里がカバーしているそうですし、YouTube には松田聖子の歌も上がっていますから、ジャンル的にはアイドル歌謡に入れていいんじゃないでしょうか。

 

 歌は当然のことながら中森明菜や松田聖子の方がうまいのでしょうが、早乙女愛盤には何よりも独特な色合いの声の魅力があり、淡々として若干たどたどしい歌い方も荒井由実の器楽的な音の動きには合っていると思います。実はこの曲、リアルタイムで聞いたわけではなく、昔買ってあったコンピレーション・アルバムを流し聞いていて、何よりもこの声に「おっ!」と反応したので、仮に中森明菜の「歌姫」で聞いていたら、私のアンテナには引っかかってこなかったかもしれないという気がします。

 

 ところで、この歌の歌詞についてはちょっと思うところがあります。サビの部分のオリジナルの歌詞は

 

  あれが最初で最後の 本当の恋だから

  あれが最初で最後の 本当の恋だから

 

で、同じ歌詞を2回繰り返していますが、私だったらここは

 

  あれ最初で最後の 本当の恋だから

  あれ最初で最後の 本当の恋だから

 

と変えますね。やや漠然とした「は」からもっと指示性の強い「が」に切り替わることで、歌詞も旋律もほぼ同じこのサビ2行の中に、ちょっとぽやんとした広角の絵からピシッとエッジの立った寄りの絵にぐっとズームアップするみたいな動きが生まれると思うのです。

 

 ちなみにこのコンピレーションアルバムでもう一曲アンテナに引っかかってきたのが可愛かずみの「春感ムスメ」(1984)。こちらは何か中学生の歌みたいで「魔法の鏡」と全然違いますが、声質や歌い方はこの二人、どこかちょっと似てるんじゃないだろうか。悪いことしちゃ、ダメよ(笑)。

| 聞いて何か感じた曲、CD等 | 15:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
まちぶせて待つわ

 このところ Facebook での情報発信が増えて、本ブログへのアップが少なくなる傾向にあります。Facebook での情報発信は手っ取り早いし反応もすぐに返ってくるのが利点です。その一方で一度発信した内容は、すぐに消えてはしまわないもの、保管や検索の面で不安や不便を感じることがあります。

 今回の記事は以前 Facebook で発信したもので、保管と検索の便のためにこちらに書き込んでおくものです。記事の日付は Facebook での発信日に合わせておきます。

 

 

 先日オーケストラの練習に向かう車の中でラジオを聞いていたら、あみんの「待つわ」がかかりました。
 あみんは名古屋の椙山(すぎやま)女学園大学で同級生同士だった岡本孝子と加藤晴子が結成したユニットで、1982年ヤマハのポプコンに「待つわ」(作詞・作曲:岡村孝子)で出場してグランプリを獲得。同年日本フォノグラムから発売された「待つわ」は大ヒットとなり、あみんはこの年の紅白にも出場しました。
で、さっそくですがこの歌のサビの歌詞はこうなのです。

 

  私  待つわ いつまでも 待つわ
  たとえあなたが ふり向いてくれなくても
  待つわ いつまでも 待つわ
  他の誰かに あなたがふられる日まで

 

 初めてこの歌を聞いた時「怖ぇ」と思いました。オトコの子はばかだから、いろんなシチュエーションを次から次へと妄想はするものの、大抵はどれも現実性も実現可能性もない偶然頼みの夢物語みたいなのが多い。しかしこの歌詞は違います。「あなたがふられる日」にぴたりとピントが合っている。今日がその日であるかどうかを判断する指標が具体的で明確である。マーラーは「いつか私の時代が来る」と言ったそうですが、岡村さんは「あなたがふられた日に私の時代が来る」と言ったわけで、その違いは歴然。ひょっとすると既にこの時点で「あなたがふられた日」から後の具体的な戦略も立てられているのではないだろうか。

 ここでふと、別の歌の歌詞が思い浮かびました。

 

  あの娘がふられたと 噂にきいたけど
  わたしは自分から 云いよったりしない
  別の人がくれた ラブレター見せたり
  偶然をよそおい 帰り道で待つわ

  好きだったのよあなた 胸の奥でずっと
  もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる

 

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J.S.バッハ「音楽の捧げもの」のケーゲル盤
 バッハの器楽作品の中で、私はこの「音楽の捧げもの」にはあまり注意を払ってきませんでしたが、ヘルベルト・ケーゲル(1920-1990)という旧・東ドイツの指揮者による演奏ということで購入。20世紀の音楽を得意とするこの人の演奏には特色のあるものが多く、以前から注目しています。

<私が購入したのは写真にあるとおり国内盤。ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団他による演奏で、Weitblick SSS0060-2。輸入代理店は東武ランドシステム(株)。日本語帯と許光俊氏の日本語解説付き。>

 私がこれまでに聞いている「音楽の捧げもの」はカール・リヒターがオットー・ビュヒナー(Vn)、オーレル・ニコレ(Fl)他と録音した1963年のアルヒーフ盤と、ラインハルト・ゲーベル率いるムジカ・アンティクァ・ケルンによる1979年のアルヒーフ盤で、前者はモダン楽器、後者はピリオド楽器による演奏という違いはありますが、いずれも清く正しい原典版準拠の演奏です。これに対して今回のケーゲル盤は Neufassung: Hermann Börner(ヘルマン・ベルナーによる新版)とあり、曲順も楽器編成も新旧のバッハ全集などの原典版とは全く違うもの。とりあえずその中身を紹介いたしますと、こんな具合。なお( )内は新バッハ全集の曲番号です。

1   (I/1)      3声のリチェルカーレ(サンスーシ宮のジルバーマン製フリューゲルピアノフォルテ)
2   (III/2)    2つのヴァイオリンのための同度のカノン (Vn, Viola da Gamba)
3   (III/1)    2声の逆行カノン (Oboe d'amore, AltFl)
4   (III/3)    反行による2声のカノン (フラウロイトのジルバーマン製オルガン)
5   (III/6)    フーガ・カノニカ (Fl, Oboe d'amore, Fg)
6   (III/7)    王の主題による無限カノン (Viola d'amore, Viola da gamba, Vc, Cb)
7   (II/1-4)  トリオ・ソナタ (Fl, Vn, Vc, Cembalo)
8   (III/4)    拡大と反行による2声のカノン(パウル・デッサウ編曲)
9   (III/8)    無限カノン(パウル・デッサウ編曲)
10 (III/5)    諸調を経過する2声のカノン(パウル・デッサウ編曲)
11 (III/9)    2声のカノン(パウル・デッサウ編曲)
12 (III/10)  4声のカノン(パウル・デッサウ編曲)
13 (I/2)      6声のリチェルカーレ(アントン・ウェーベルン編曲)
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森高千里「Alone」
森高The Singles 昨年の8月に敢行した「一人渡良瀬橋ツアー」の直後、森高千里の「The Singles」初回限定盤を買ったわけですが、このアルバムを聞くたびに気になるのが「Alone」という曲(作詞:森高千里 作曲:安田信二 1988年)。曲のスタイルも歌い方も当時の森高さんらしくなくて、私にはやまがたすみこさんの歌のように聞こえるのです。

 以前やまがたすみこさんの「ゴールデン☆ベスト」というアルバムについて書きましたが、この曲はそっちのアルバムに入っていても全然違和感がない、というかむしろそっちに入っていた方がしっくりくるんじゃないかと思われるくらい、森高さん離れしてますね。森高さん独特のやや耳につく「え段」の発音もこの曲に関しては目立たないし、発声も素直で声が豊かでいつもより太い感じだし。
 私が妄想するにこの曲は、初期の「GET SMILE」や「ザ・ミーハー」のスタイルから、もっと幅広くいろいろな歌を歌っていこうと試みる中での過渡的な産物なのではなかろうか。やまがたすみこさんもいろいろな歌い方に挑戦しながらさまざまなスタイルの歌を歌いこなしてきましたが、森高さんにもそういう時期があったのではないでしょうか。実際、翌年の「17才」(1989年;これも森高さんらしくない、過渡的な歌唱と思う)を経て「私がオバさんになっても」(1992年)「渡良瀬橋」「私の夏」「風に吹かれて」(いずれも1993年)等で初期の森高色を払拭した新しいスタイルを確立するまでに4年から5年を要しているわけで、おそらくその間にはいろいろな挑戦や試みがあったと思われます。あくまでも私の勝手な妄想ですけど。
このテのコンピレーションアルバムって、順番に通して聞いていくといろいろ妄想を巡らせることができて面白いです。

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ドヴォルザークの交響曲第7番とブラームスのピアノ協奏曲第2番

 某オケで6月1日の演奏会に向けて、ドヴォルザークの交響曲第7番を練習しています。ドヴォルザークの交響曲といえば何といっても第9番「新世界より」が断トツの一番人気で、第8番(最近はあまり聞かないが、以前は「イギリス」と呼ばれることもあった)がこれに次ぎ、第7番はこれらからやや遅れて3番人気といったところでしょうか。
 この交響曲第7番は第一楽章が6/8拍子、第三楽章が6/4拍子で書かれていますが、この6拍子というのは非常に曲者(くせもの)で、1小節が123|456と二つにも割れるし12|34|56と三つにも割れるので、ドヴォルザークはそこを大いに利用して、曲が2拍子的に進んでいる中に突然3拍子的な小節が割って入ったり、トロンボーンだけが2拍子系で他の楽器が3拍子系で動いたりといったヤヤコシイことをぬけぬけと、楽しそうに書いています。演奏者泣かせです。

 さて、この曲の第一楽章はソナタ形式をとっていますが、その第二主題はフルートとクラリネットで、下の譜面のように始まります。

クラリネット パート譜<譜例はクラリネットのパート譜を紹介しています。変ロ長調のためフルートのパート譜にはフラットが2つ付きますが、クラリネットは移調楽器でここではB(変ロ)管が指定されているので、パート譜はフラット不要で、このまま「ミーレファーミ|レードシーラ」と読めばそのまま旋律になります(つまり変ロ長調を移動ドで読んでいることになる)。>

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