雪隠読書録『五日市憲法』(新井勝紘 2018 岩波新書新赤版1716)

 世の中がまだ昭和であった頃、大学を卒業後東京の会社に就職して数年経ち暮らしにも若干余裕が出てきた私には、多摩の御岳山(みたけさん)が気に入って、違ったルートで何回も登ったり降りたりしていた時期がありました。そんなある日、御岳山から南の方へ、馬頭刈(まずかり)尾根をたどって五日市(いつかいち)に降りたことがありましたが、そのときはどこでどう間違ったものかルートを外れてしまい、目の下に見える林道めがけて小さな崖をへずり下り、夕方になってようやく五日市の街に入ったものの、街の外れにある国鉄(現・JR東日本)の駅までがひどく遠く感じられたことを思い出します。
 本書を読むことになった直接のきっかけは、先日送られてきた母校の高校の同窓会紙に、母校の大先輩にあたる著者が近著である本書をご紹介されていたからですが、あの時の体験から「ほう、五日市がねえ」と書名に反応したせいもあります。

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| 本のこと | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「舞わす」 〜 陶淵明「形天舞干戚」句の解 〜

 雪隠書目の一つ、松枝茂夫・和田武司訳注『陶淵明全集』(岩波文庫)もようやく下巻に進み、いよいよ私の大好きな「読山海経(山海経を読む)」にかかりました。これは初夏の風が爽やかに吹き抜ける一室で、神話伝説を盛った古代中国の地理書である「山海経」を繙(ひもと)いている陶淵明が、興のおもむくままに経中のエピソードに付した五言詩を13首集めたものです。この13首のうち最も知られているのが「精衛銜微木 将以填滄海(精衛(せいえい)微木(びぼく)を銜(ふく)み 将(まさ)に以て滄海を填(うず)めんとす)」で始まる第10首「其十」でしょう。
 ところでこれの次の節は「形天舞干戚 猛志固常在(形天(けいてん)干戚(かんせき)を舞わし 猛志(もうし)固(もと)より常に在り)」と続くのですが、この「舞」字に付けた「舞わし」という訓には実にゆかしいものがあります。この字は鈴木虎雄『陶淵明詩解』にも同じく「(干戚を)舞はす」(旧仮名遣い)と訓んであり、おそらく古くからの訓なのでしょう。ただし松枝・和田がこの句の解を「形天という獣は、盾と斧をふりまわして」としているのに対し、鈴木が「又形天といふふしぎなものは(首が断ちきられても目と口があつて)盾や斧をとつて舞ををどるといふ」としているのはやや厳密を欠くようです。形天が自分で舞をおどるのなら「舞はす」ではなく「舞ふ」と訓むべきで、「干戚を舞はす」と訓んだ以上は松枝・和田の解のように「盾と斧をふりまわ」すと解するのが穏当でしょう。思うに鈴木は「舞わす / 舞はす」という語に馴染みがなかったのではないでしょうか。

(図は形天(胡文煥・画))
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| 国語・国文 | 09:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
満を引く 〜漢文と和文と〜

 今ではまず見かけませんが、昔は「満を引く」という言い方があり、多少なりとも漢学の素養のある酒徒が使ったようです。私がこの言葉を初めて目にしたのは、その著作を通じて私に学問の楽しさ面白さを教えてくれた青木正児(あおき・まさる)の『抱樽酒話(ほうそんしゅわ)』(昭和23 弘文堂)に収める「大酒の会 附 酒令」という随筆でした。文化12(1815)年に江戸の千住で行われた大酒会の条に「来賓の文晁・鵬斎も江島や鎌倉で満を引き、其の上で小盃でちびちびやったと云うから上戸の部に這入る資格は有る。」とあるのがそれで、文中の「文晁」は画家の谷文晁、「鵬斎」は文人の亀田鵬斎、「江島」「鎌倉」はこの大酒会のために用意された大盃の名で、それぞれ5合入と7合入だったそうです。文意からして「満を引く」とは「盃を満たして飲み干す」という意味であることは明白なので、私はことさら辞書を引くまでもなくこの語をそのように解して何の疑問も持ちませんでした。
 ところで最近雪隠読書で岩波文庫の『陶淵明全集』(松枝茂夫・和田武司訳注 1990)を読み始めたところ、その「巻二 詩五言」に収める「遊斜川」という詩の「引満更献酬 / 満を引いて更(こもごも)献酬す」という句に至り、なるほど例の「満を引く」の出処はこのあたりか、流石に周代から唐代に至る飲酒詩のアンソロジー「中華飲酒詩選」(1961)を編んだ青木らしいと自得しましたが、さてその訳を見ると「なみなみとついだ杯を互いにやりとりする。」とあり、語注には「〈引満〉杯になみなみとつぐ。」とあります。つまりこの語釈では「満を引く」とは杯を満たすところまでを指し、その杯から酒を飲む動作は含んでいないのです。おやおや、それでよいのだろうかと鈴木虎雄『陶淵明詩解』(昭和23 弘文堂 / 1991 平凡社東洋文庫)を参照してみると、引満の字句解は「満は酒をなみなみとついだ杯、引はその杯を口元へ引きつけること」、訳文は「十分ついだ杯を引受け引受け互にやりとりをする」としてあります。私の理解にやや近いですが、「引」という字に引っ張られてか「口元へ引きつける」「杯を引受け引受け」までにとどまっていて、その杯から酒を飲むところまで踏み込んでいないのは甚だ遺憾です。披露宴の花婿じゃあるまいし、酒徒にとっては酒をなみなみとついだ杯を口元へ引きつける動作とその酒を口に含む動作とは当然一続きで、切っても切れないものですから。
 もっとも青木正児によると鈴木虎雄は下戸だったのだそうで、やはり『抱樽酒話』に収める「飲酒詩雑感」には「鈴木豹軒(虎雄)先生が作詩作文の時間に、御自作の遊記一篇を示され、そして或る箇所を指して、此所は一瓢を傾けることにすると面白いのだが、虚言を書くわけにもいかないし、と残念がられた。豹軒先生が下戸であり、そして真摯であらせられることを知ったのは此時が始めである。」とあり、さらにその先には「豹軒先生は三杯までは旨いが、それ以上は飲めない」ともあります。酒盃を口元にまで引きつけておきながら飲むに至らないのは、上戸の心下戸知らずといったところでもありましょうか。
 閑話休題、その後家蔵の辞書類を引っ張り出してみたところ、広辞苑第6版の「満」の項に「―・を引く」として「 1) 弓を十分に引きしぼる。 2) [漢書叙伝上「皆満を引き白を挙ぐ」]酒をなみなみと盛った杯をとって飲む。」とあり溜飲を下げましたが、諸橋轍次(もろはし・てつじ)他著の新漢和辞典(大修館)四訂版の「引」の項には「みたす」という字義を上げ、「引満」の語義を「 1) 弓をいっぱいに引きしぼること。 2) 杯に酒をなみなみと盛ること。」としてあります。
 かれこれを思い合わせてみると、どうやらこの「引満・満を引く」という語は、漢文では「杯を満たす」であってそれを飲むまでには言及せず、これに対して和文では「杯を満たして飲む」と、その意味するところが微妙に異なっているように見受けられます。この違いがどこから出たものか俄(にわか)には知り難いのですが、ことによると、かの魏志倭人伝に「人の性、酒を嗜む」と看破された我が祖先から無慮数千年にわたって伝えられてきた飲ん兵衛DNAの仕業なのかも知れません。

 

(なお文中敬称は略し、引用文は新字・新かなに改めました。)

| ことばのこと | 09:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
論語のフレージング 〜學則不固〜

 最近思うところあって「論語」の通読に挑戦し始めました。高校生の頃に買った岩波文庫の『論語』(金谷治・訳注 1963:以下「金谷本」という)をテキストにして、大学生の時に買った影コウ(王へんに黄)川呉氏仿宋刊本(返点付)『論語集注』(朱熹・著 昭和34 書籍文物流通會:以下、その内容を指す場合は「集注」、特に本書を指す場合は『論語集注』という)を参照しつつ読んでいます*。
 金谷本は巻頭の「凡例」に「解釈では、魏(ぎ)の何晏(かあん)の「集解」(古注)、宋の朱熹(しゅき)の「集注」(新注)のほか、主として清の劉宝楠(りゅうほうなん)の「正義」、潘維城の「古注集箋」、王歩青の「匯参」(かいさん)、わが伊藤仁斎の「古義」、荻生徂徠の「徴」を参考し、つとめて穏妥を旨とした。重要な異説は注として伝えた。」(カッコで包んだひらがなは原文にあるルビ)とあるとおり、古今の主要な説を通観斟酌して穏便妥当な解釈を立てたもので、そのプロセスで既に「集注」も参照されているのですが、一つには漢文読解力の維持と、さらには江戸幕府公認の、したがって江戸時代を通じてのスタンダードとして大きな影響力を持った朱子学の解釈を見たいがために、返点付とはいえ漢文の『論語集注』を敢えて対照することにしました。

 

 上述のとおりテキストにした金谷本は、朱熹の「集注」の説を参考にしながらも必ずしもそれに従っているとは限らず、解釈が「集注」のそれと時々食い違うことがあります。まだ読み始めたばかりですが、早くも面白い食い違いに出会いました。それは学而第一の第八章についてのものです。

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| 本のこと | 07:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
配達だより:06. シジュウカラと私

昼の休憩前の最後のお届けをセットしていると
傍らの木からシジュウカラの声が聞こえてきた。
ああ、いるなと思いながら作業を続けていると
こんどはコツコツコツコツという
ノックのような音が聞こえてきた。
何だろうと葉陰をすかして見てみると
シジュウカラが自分の止まっている枝を
小さなくちばしで叩いている。
枝をつかんだ両足を少し広げて
足と足との間を4、5回叩くと
頭を上げて周囲を見回し
また叩き始める。
その音には思いがけない重みがあり
脳震盪でも起こしゃしないかと気遣われるほど
叩く姿にも力がこもっている。
その姿にはただの遊びやいたずらではない
真剣さと熱が感じられた。

 

こちらから向こうが見えているのだから
向こうからもこちらが見えているはずだし
私の作業の音も向こうへ聞こえているはずだけれども
それでもシジュウカラはこちらを憚る様子もなく
一心に枝を叩き続けているし
私もそれ以上はシジュウカラの様子をうかがわず
お届けする品物のセットを続けている。
お互いに邪魔もしないし遠慮もしないと
言わず語らずのうちに申し合わせができている。
それはシジュウカラと私の頭上に
私たち持たざる者どもを厳酷に統(す)べる
かの戒律が確然と掲げられているからなのだ。
曰く「働かざる者 食うべからず」。

 

おいシジュウカラ
うまい昼飯を食おうな!

| 配達だより | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
初めての青梅 その3 〜旧青梅街道・雪守横丁・仲通り〜

 2018年8月25日に初めて訪れた青梅のレポート第3弾・最終回。再び旧青梅街道を歩いて麦酒を飲み、横丁をさまよい、青梅の影の部分も見てしまって、お土産買って帰ります。今回はちょっと長くて濃いよ〜。

 

 山腹に展開する宗徳寺の墓地を見てから再び旧青梅街道に出て、青梅駅方面に戻る途中、釣具店発見。そうそう、青梅からは多摩川も近いのです。この日は訪ねませんでしたが、多摩川河畔には郷土博物館や釜の淵公園、市立美術館、「雪おんな縁(ゆかり)の地」碑などがあるようです。

 

 旧青梅街道を歩いて「青梅麦酒」まで戻ってきました。ここまで来ればあとは駅まで戻るだけ(実際にはそうではなかったが)だし、けっこう上り下りして一汗かいたし、何より暑いし、というわけで迷わず入店。
 この旅行記の「その1」で言及した「拡大号 青梅線・五日市線の旅 2018 SUMMER」や、まさにこの日にゲットした「中央線が好きだ。magazine vol.19 2018(クラフトビールの夏がきた!)」といったJRの旅行情報パンフレットで繰り返し紹介されているので、満員だったり行列してたりしてたらどうしよう、と心配していましたが、行ってみると店内には家族連れ1組と一人ビールのおじさんだけで、窓際のテーブルを独占できました。
 ビールもフードもワンショット(注文の都度現金払い)で、レジで注文と支払いを済ませると、ビールはすぐ横のディスペンサーからグラスに注いで溢れた泡の上部をナイフで払って手渡してくれ、フードはでき次第テーブルまで持ってきてくれます。私はまず奥多摩の VERTERE のIPA(インディアンペールエール)とおまかせ三種盛り(この日は焼き枝豆とグリルドソーセージと、あーもう一つは・・・えーと野菜の何か!)を頼み、喉を潤しながらこの日にゲットした地図やパンフレット類をじっくりチェックしました。
 ウッディでシンプルな内装、同じく飾り気のないイス、というかスツールとテーブル、静かで明るい店内。家族連れは話が弾んでいるようですが、一人ビールのおじさんはナッツとビールを相手にゆったりと読書中。確かにここでは「ふぅー」と息を吐いて体の力を抜いて、適度な一人感を感じられます。時刻はこの時点で午後1時ぐらいだったかな。旅先でのんびり昼ビール、いいね!あまり快適だったのでもう一杯、「多満自慢」の石川酒造(福生市)のダークだったかな、をいただきました。
 ここ、いいですよ。また行きたい。みなさまもぜひご贔屓に!

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| 地域とくらし、旅 | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
初めての青梅 その2 〜旧青梅街道から住吉神社・西分神社〜

 2018年8月25日に初めて訪れた青梅レポート第2弾。旧青梅街道を歩き、地元の神社にお参りします。

 

 青梅駅前のロータリーから南へ伸びる大通りを少し歩くとすぐに旧青梅街道と交差するので、交差点を左へ折れて、東の方、立川方面へ歩きます。天気がよくて日向は暑く、日陰になる通りの南側の方が歩きやすいです。

 

 通りにはいかにも昭和を感じさせる商店の建物が並び、さらに昭和の映画の看板が掛かっていて、なるほど「昭和レトロの町」ですね。

 この写真だとちょっと見にくいんですが、3軒並んだお店の一番左のお店は「間坂屋紙店」というお店です。実際には紙だけじゃなくて文房具や事務用品も売ってるんですが、昔は紙(おそらく洋紙)や便箋、ノートといった紙製品だけで商売が成り立った時代もあったのかも知れませんね。そしてこのお店の店名、まさかの「まさか屋」さん、ですか?

 

 歩道にはこのようなタイルがはまっている部分もあり、何だか街全体がドレスアップしている感じがあります。「劇場型の街並み」とでもいいましょうか。劇場型というと何だか特殊詐欺の手口みたいですが、こういう劇場型は大歓迎です。

 

 

 商店の店先で一杯ひっかける、じゃない一息入れる昭和の少女二人・・・いやいや、今は平成30年ですから。

 別にヤラセでもモデル撮影でも何でもない絶対非演出の完全ドキュメント(大げさな笑)なんですが、お店のたたずまいがいかにも昭和レトロなだけに、絵になりすぎですね。欲を言えば絞り開放で後ボケの絵にしたかったですが、そこはコンデジなもので・・・いや、いっそ白黒にしちゃってもよかったかな。うんうん、これはやっぱり「劇場型の街並み」の力ですよ。

 

 

 

 「ここは歩道乗り上げ駐車禁止です」という看板が見えます。この通りの歩道には縁石がなく建物の前の歩道が切り下げてあるだけで、歩道と車道の段差もそれほど高くないので、地元の方の車は段差をそれほど気にする風でもなく、けっこう大胆に歩道に乗り上げてきます(私の普段の生活圏内の歩道にはほぼ縁石があって歩道乗り上げはほとんどないので、最初はちょっとびっくりしました)。それでこういう看板が必要になるのでしょうが、かと言って縁石でがっちり車を締め出すわけでもなく、車の側もそこは遠慮するという阿吽の呼吸がまたなんともいい感じです。

 

 今回の青梅訪問の最重要目的である「青梅麦酒」はすぐに見つかりました。青梅駅から旧青梅街道に出て東へ50mほど行くと通りの南側にあります。店名の看板はないが「カネボウチェーン店 いたや」という日除けが目印。正面ガラス戸に「青梅麦酒」と書いてあります。しかし「あったー♪」と喜んで早速入って呑んじゃうと街歩きに支障が出そうなので、ここはぐっとこらえて帰りに立ち寄ることにします。

 なお、観光案内所で紹介された青梅赤塚不二夫会館・昭和幻燈館・昭和レトロ商品博物館もこの旧青梅街道沿いにあります。しかし私はこの3館にはあまり興味がわかず、特にこの日は初めて訪れた街のいろいろな姿を見たかったので、博物館系は遠慮しました。すみません、へそ曲がりなんです

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| 地域とくらし、旅 | 16:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
初めての青梅 その1 〜青梅駅とそのごく周辺〜

 青梅という地名を私が初めて知ったのは、奈良に住んでいた小学生時代でした。当時友達の影響でテツだった私は、東京の青梅という所に鉄道公園があり、蒸気機関車を含む国鉄(当時)の車両が展示されていることを知り、ぜひその鉄道公園に行ってみたいと思いましたが、かないませんでした。その後私は国立市にある高校に通うようになり、青梅は私の高校の学区となったのですが、この頃にはテツ熱もやや冷めて、青梅を訪れる機会はありませんでした。
 ところが今年の7月23日、青梅で最高気温40.8度を記録し、青梅が東京都で一番暑い街となったことが、私の青梅への興味をそそりました。私の理解では青梅は関東山地を流れてきた多摩川が関東平野に向かって形成した武蔵野扇状地の扇頂部に位置する宿場町で、標高もそこそこ高く、海風の及ばない内陸ではあるが盆地でもないし、ヒートアイランド現象が起きるような都市部ではさらさらないはずで、なぜ東京で一番暑い街になったのか、ちょっとわからなかったのです。その後この高温の原因はフェーン現象らしいということで「ああ、なるほど」と納得したのですが*、これまでの己の人生を振り返ってみると、鉄道公園の件だとか高校の学区だったとか、以前から青梅には何かと縁があるような気がするのです。そこで一つこれを機会に現地を訪れてみようと思い立ち、8月25日(土)の朝、常磐線荒川沖駅へと向かうバスに乗り込みました。

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| 地域とくらし、旅 | 07:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「私のいい人」って誰? 〜Passereau の "Il est bel et bon"〜

リコーダーのサークルで今練習中の曲の中に、16世紀フランスの作曲家 Pierre Passereau ピエール・パセローの "Il est bel et bon?" という曲があります。原曲は歌詞のついたシャンソンで、これをリコーダー四重奏に編曲した譜面の邦題は「私のいい人」となっています。原題を直訳すると「彼はイケメンで性格がいい?」といった感じなので、「私のいい人」という邦題は、私のような昭和おやじには演歌の某曲を強力に連想させる点と、「イケメン」に当たる bel が訳されていない点を除けば、ほぼ問題なさそうです。それにしてもついつい「雨雨」とか言いたくなるんですよねぇ。

 

 ところで前述のとおりこの曲はもともと歌詞がついているのですが、リコーダー用の譜面には歌詞はついていません。これまでは曲をさらうのでいっぱいいっぱいで全く気にしてませんでしたが、やや余裕が出てきたので「これってそもそもどんな歌なんだろう」と思い、ネットで検索してみると、小杉元雄氏の仏和対訳がヒットしました。この対訳から、ここには和訳だけを引用します。

 

 

うちの亭主はお人好し

 

うちの亭主は男前でお人好し
同じ地方の二人の女が話している
御亭主はいい人なの?
うちの人は怒ったりぶったりしないのよ
家の仕事はなんでもするし
にわとりにえさもやる
おかげで私は楽しいことができるわけ
にわとりの鳴き声がまたおかしいのよ
コケット、コケット(浮気女)だって
何の意味かしら?

 

 

 「何の意味かしら?」って、奥さ〜ん(笑)楽しいことができるんでしょ?(笑)しかも日本には瓜子姫のお話のように「鳥が鳴いて悪事をバラす」という伝承がありますが、彼の国にも同様な心意があるらしい・・・まあそれはおいといて、この歌詞の内容から原題の il(彼)は話者の夫をさすのであり、原題 Il est bel et bon は「うちの亭主は男前でお人好し」という意味なのであることがわかりました。

 

 しかしそうだとすると、例の譜面の邦題「私のいい人」というのはちょっとどうなんだろうか?と思えてきました。「雨雨」じゃないけど(あ、ほんとの曲名は「雨の慕情」です、念のため ^^;)「私のいい人」という時はふつうは自分の夫「じゃない」人をさすのではないかと思うのですよ。「私のいい人」というと、少なくとも私のような昭和おやじは「そこはかとなくいけない・どことなくあぶない」感じを抱いてしまうのでありますね・・・まあ確かにこれはいけないあぶない歌らしいのではあるけれど・・・と考えているうちに、私の妄想スイッチが入ってヒラメキました。ひょっとするとこの「私のいい人」という邦題は「誤読」によって偶然生まれたのではないだろうか!?

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 08:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ブラームスの交響曲第3番 〜闘争と和解の交響曲〜

 今、土浦交響楽団でブラームスの交響曲第3番に取り組んでいます。最近この交響曲のテーマを「闘争と和解」と妄想(あぁ懲りないヤツ!)しましたので、その場合の全体の構成を記しておきます。

 

【第1楽章】

第1楽章は全曲の序章である。この楽章はブラームスが座右銘としていたという Frei aber Froh(自由に、しかも朗らかに)を表すモットー主題 F-A/As-F によって、ある人物像―ここではこの曲を初演した指揮者のハンス・リヒターに倣って「英雄」と呼ぼう―を提示する。第一楽章はこの「英雄」が人生の荒波を乗り切って現在に至ったさまを描写する。極めてドラマティックであり充実した楽章だが、全曲の中では序章にすぎない。

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| オーケストラ活動と音楽のこと | 09:31 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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